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「修行」の生きざま

2018-06-02 10:04:45 | 経営・リーダーシップに必要な事

@罪を償うために「修行」に励んだ一人の僧、播隆上人。槍ヶ岳を最初に登山した人物でもある。1日1食、自分の過失で世を去った妻の許しを得ようと名号を唱え終生僧の修行に励んだ元富山百姓一揆からの出家人(実在)の物語である。「修行」、俗界では「財産・名誉・性欲といった人間的な欲望から解放され生きていいること自体に満足感を得られる状態を追求することを示す」とある。最近は他人(部下・生徒)を平気でコケ落とし自分を守ろうとする人も増えてきた。「指導者・教育者」となる上司・監督にはこれこそ修行が足らないといわざるとしか言えない。 「できる人間」になるためにまずは長となるべき人への人間教育、僧の修行を是非受けてもらいたいものだ。「欲」と「夢」、「善」と「悪」は違う様に、だが人間はそもそも愚かな動物であるから「夢」もちょっと間違えるだけで「欲」となり、さらに「貪欲」になる可能性が大である。「善」と「悪」も結局は自分自身を如何に自制できるかということになる。最近の大人(政治家・官僚含め)の「知らない」「記憶にないと言えば」、「罪」は許されるのか、それらを子供達に今後如何に教えて行けばいいのか不安なる。出来た人間に修行は十分だが、見かけ未熟大人は処置に置けないが、一生その苦しみを背負って余生を送るのだろうか。

『槍ヶ岳開山』新田次郎

  • 文化10年、富山の百姓一揆に巻き込まれ、誤って妻を刺殺してしまった岩松は国を捨てて出家した。妻殺しの呵責に苦しみつつ、妻の償いに厳しい修行を自ら求め浄土宗に行き着いた。妻への未練と煩悩で修行に励みつつ未踏の岩山・槍ヶ岳初登山(1828年)に成功した、修行僧・播隆(岩松)の生き様を雄渾に描く。(登山家のウエストンではない)
  • 最終章、実は妻を殺したのは弥三郎の裏切りから、妻が岩松に殺人の罪を犯さないように敵の前に姿を現れた事で途中止められず槍を突いてしまったことだった。
  • 釈尊が、最初に説法を行なったのは鹿野苑と言う場所
  • 世の中には2つの極端があるが、この2つを捨てて真ん中の中道を行けば必ず涅槃に達すると言われた。
  •             欲望に溺れる事
  •             自分の身を自らから苦しめる事
  • 極楽浄土に行くには自力で一心不乱になれる事。自力とは努力の精神です。何事も、努力せずして得られるものは何もありません。困難に立ち向かう事。
  • 播隆上人は祐泉寺で盛大な葬儀が行われ3日間あとを絶たなかった。墓は揖斐町城台山一心寺、美濃太田祐泉寺、富山県新川郡河内村の3箇所である。修行をした杓子岩は岐阜県吉城郡上宝村本郷の本格時近くにある。