川柳の添削
俳句にはルールが沢山あるため、添削されると、元の句より格段によくなることがある。
その典型が「プレバト」ではないかと思う。
これに対し、「川柳マガジン」の川柳クリニックも川柳の添削ではあるが、余り感心したことがない。
5月号に、以下の添削があった。
人生の途中で気づく忘れ物
人生の暮れる兆しか崩れ爪
これは、他人の詠んだ句だから、内容はよくわからないが、人生について詠んだやや大きな句のような気がする。
これに対し、添削された句が、
玄関の戸を閉じ気づく忘れ物
これだと、いつもあることだが、玄関を閉めた途端に忘れ物のスマホやめがねなどに気づくという、日常の小さなことになってしまうような気がする。
(川柳は小さな気づきを詠むのだという意見もあるだろう)。
また、あとの句は、高齢になって爪がよく壊れるようになったという意味だと思うけれど、添削されると、「私がくずれる」ってどういうこと?となってしまう。
(これだと、爪はくずれないことになる?)。
これは私の理解が間違っていると言うことか、ご意見を聞きたい。
俳句にはルールが沢山あるため、添削されると、元の句より格段によくなることがある。
その典型が「プレバト」ではないかと思う。
これに対し、「川柳マガジン」の川柳クリニックも川柳の添削ではあるが、余り感心したことがない。
5月号に、以下の添削があった。
人生の途中で気づく忘れ物
人生の暮れる兆しか崩れ爪
これは、他人の詠んだ句だから、内容はよくわからないが、人生について詠んだやや大きな句のような気がする。
これに対し、添削された句が、
玄関の戸を閉じ気づく忘れ物
これだと、いつもあることだが、玄関を閉めた途端に忘れ物のスマホやめがねなどに気づくという、日常の小さなことになってしまうような気がする。
(川柳は小さな気づきを詠むのだという意見もあるだろう)。
また、あとの句は、高齢になって爪がよく壊れるようになったという意味だと思うけれど、添削されると、「私がくずれる」ってどういうこと?となってしまう。
(これだと、爪はくずれないことになる?)。
これは私の理解が間違っていると言うことか、ご意見を聞きたい。
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