諷をばむす子すてゝんげりにする
諷は諳んじるというほどの意味だが、ここでは謡と同義語のようである。読みも同じであるが、謡講という意味も持たせている。謡講とは、謡を習ったり、同好の士の集まる場である。「講」には、習うこと、稽古することの意味もある。当時は無尽講、謡講などいろいろの集まりがあったようである。ところが「すてゝんげり」が分からない。「てんげり」は謡などではよく使われているという。その文句取りである。つまり謡など捨てて吉原あたりへ繰り込んでしまったのである。講と吉原への流れる図は古川柳の約束事である。
諷は諳んじるというほどの意味だが、ここでは謡と同義語のようである。読みも同じであるが、謡講という意味も持たせている。謡講とは、謡を習ったり、同好の士の集まる場である。「講」には、習うこと、稽古することの意味もある。当時は無尽講、謡講などいろいろの集まりがあったようである。ところが「すてゝんげり」が分からない。「てんげり」は謡などではよく使われているという。その文句取りである。つまり謡など捨てて吉原あたりへ繰り込んでしまったのである。講と吉原への流れる図は古川柳の約束事である。