「心のお稽古。」
心を病んでしまってる人や、そうなっちゃいそうな人。
考え過ぎが原因です。
もちろん、ストレスにさらされやすい職場などの環境はあるだろうし
今まで大丈夫だった人が新しい環境で病んでしまうこともある。
だから環境が大事!と言いたくもなりますが、自分以外の状況って
変えることがやたら難しいんですよ。
要は自分がストレスを感じないよう、心地良いように周りを変えるってことでしょ。
自分にとっての快適は他人の快適を侵食することと同じだったりもします。
まぁ、このへんはいいや。
周りが悪いから私は病んでしまった・・とならないように心を鍛えましょう。
ここでいう「心を鍛える」とは嫌なことがあってもグッとこらえる忍耐力を
付けるということではないです。
そもそも堪(こら)えてる時点であんまり上手くない。
思考そのものを止めてしまえるように心を鍛えるのです。
思考を止めるには「考えるのをやめよう!」と思ってもダメです。
絶対にうまくいきません。
どうするかというと、体の感覚そのものに意識をフォーカスして
思いっきりそれに集中するのです。
何も考えないようにするんじゃなくて、何か考えたくてもそんな余裕が
ないってくらい、感覚に集中するんです。
そこで瞑想をするんだけど、瞑想には大きく分けて2種類あります。
「止める瞑想」と「観る瞑想」です。
一般的にイメージされる、座って目をつぶり、じっとしている瞑想は大体は
「止める瞑想」で、主に呼吸をその対象とします。
壁のシミを一点凝視するようなのもありますね。
まぁ、向き不向きはあるんですが、院長はこの「止める瞑想」は
あんまり得意じゃない、っていうかやってて苦痛なんですよね。
取り掛かりやすいのは「観る瞑想」のほうかなと思います。
これは自分の動作、行動を観るというものですが効果はとても高い。
キーワードは「ゆっくり」「ありのままに」「実況する」です。
ここでは特に取り組みやすい「歩く瞑想」を説明しましょう。
外には出なくていいです。
家の中でいい。
まず後ろで手を組んで、ゆーーーーーっくり歩きます。
1歩は足半足か1足くらい。
そして1歩1歩を頭の中で実況します。
「左足上げます、運びます運びます、下ろします。」
「右足上げます、運びます運びます、下ろします。」
それらの瞬間に足を上げてる感覚、運んでる感覚、下ろす感覚が間違いなく
生じては消えていきますのでとにかくそれを感じ続けるのです。
体の感覚をその瞬間ごとに感じ尽くす。
それだけを目指して取り組んでみましょう。
まぁ、4歩目あたりで「お、上手くいってるかも!」とか
「これって効果あんの!?」とか、そういった雑念が出てくるでしょう。
そんなもんです。
感覚を感じることに飽きて、思考という刺激に心が移ってるんですね。
それにすぐに気づいたらまた「左足上げます、運びます運びます、下ろします。」に
意識を戻し、ひたすら繰り返します。
意識がそれることは問題ではないです。
それがその時点でのその人の集中力のレベルなんです。
だからそれることは問題じゃないんだけど、それてしまって「俺はダメだな~」とか
「んもう!上手くいかねぇ!」と考え始めたらそれはダメ。
それたら戻す。
それたら戻す。
簡単でしょ?
この「歩く瞑想」の良いところは瞑想の最大の失敗である「寝てしまう」
ことがない点でしょう。
動かずに座って瞑想していると初心者はつい寝てしまいます。
さすがに瞑想は寝たら効果ゼロ。
歩いていて寝ちゃう人はそうはいない。
あと、観る対象は呼吸よりも身体感覚のほうが見やすいと思います。
だから歩く瞑想は誰でも取り組みやすいんではないかな。
院長は特に嫌なことがあったとかではなくても、何となく
今日は頭の中がとっ散らかってるな~と感じたら、昼休みなんかに
20~30分ほどタケコツ内で歩く瞑想をします。
10分くらいでも効果はあるし、1時間歩いてもより良いです。
結局やるやらないは全くの自由だし、こういうことで悩んでるなら
いい方法があるんで教えますよ、というのが仏教的スタンスです。
考え過ぎが原因です。
もちろん、ストレスにさらされやすい職場などの環境はあるだろうし
今まで大丈夫だった人が新しい環境で病んでしまうこともある。
だから環境が大事!と言いたくもなりますが、自分以外の状況って
変えることがやたら難しいんですよ。
要は自分がストレスを感じないよう、心地良いように周りを変えるってことでしょ。
自分にとっての快適は他人の快適を侵食することと同じだったりもします。
まぁ、このへんはいいや。
周りが悪いから私は病んでしまった・・とならないように心を鍛えましょう。
ここでいう「心を鍛える」とは嫌なことがあってもグッとこらえる忍耐力を
付けるということではないです。
そもそも堪(こら)えてる時点であんまり上手くない。
思考そのものを止めてしまえるように心を鍛えるのです。
思考を止めるには「考えるのをやめよう!」と思ってもダメです。
絶対にうまくいきません。
どうするかというと、体の感覚そのものに意識をフォーカスして
思いっきりそれに集中するのです。
何も考えないようにするんじゃなくて、何か考えたくてもそんな余裕が
ないってくらい、感覚に集中するんです。
そこで瞑想をするんだけど、瞑想には大きく分けて2種類あります。
「止める瞑想」と「観る瞑想」です。
一般的にイメージされる、座って目をつぶり、じっとしている瞑想は大体は
「止める瞑想」で、主に呼吸をその対象とします。
壁のシミを一点凝視するようなのもありますね。
まぁ、向き不向きはあるんですが、院長はこの「止める瞑想」は
あんまり得意じゃない、っていうかやってて苦痛なんですよね。
取り掛かりやすいのは「観る瞑想」のほうかなと思います。
これは自分の動作、行動を観るというものですが効果はとても高い。
キーワードは「ゆっくり」「ありのままに」「実況する」です。
ここでは特に取り組みやすい「歩く瞑想」を説明しましょう。
外には出なくていいです。
家の中でいい。
まず後ろで手を組んで、ゆーーーーーっくり歩きます。
1歩は足半足か1足くらい。
そして1歩1歩を頭の中で実況します。
「左足上げます、運びます運びます、下ろします。」
「右足上げます、運びます運びます、下ろします。」
それらの瞬間に足を上げてる感覚、運んでる感覚、下ろす感覚が間違いなく
生じては消えていきますのでとにかくそれを感じ続けるのです。
体の感覚をその瞬間ごとに感じ尽くす。
それだけを目指して取り組んでみましょう。
まぁ、4歩目あたりで「お、上手くいってるかも!」とか
「これって効果あんの!?」とか、そういった雑念が出てくるでしょう。
そんなもんです。
感覚を感じることに飽きて、思考という刺激に心が移ってるんですね。
それにすぐに気づいたらまた「左足上げます、運びます運びます、下ろします。」に
意識を戻し、ひたすら繰り返します。
意識がそれることは問題ではないです。
それがその時点でのその人の集中力のレベルなんです。
だからそれることは問題じゃないんだけど、それてしまって「俺はダメだな~」とか
「んもう!上手くいかねぇ!」と考え始めたらそれはダメ。
それたら戻す。
それたら戻す。
簡単でしょ?
この「歩く瞑想」の良いところは瞑想の最大の失敗である「寝てしまう」
ことがない点でしょう。
動かずに座って瞑想していると初心者はつい寝てしまいます。
さすがに瞑想は寝たら効果ゼロ。
歩いていて寝ちゃう人はそうはいない。
あと、観る対象は呼吸よりも身体感覚のほうが見やすいと思います。
だから歩く瞑想は誰でも取り組みやすいんではないかな。
院長は特に嫌なことがあったとかではなくても、何となく
今日は頭の中がとっ散らかってるな~と感じたら、昼休みなんかに
20~30分ほどタケコツ内で歩く瞑想をします。
10分くらいでも効果はあるし、1時間歩いてもより良いです。
結局やるやらないは全くの自由だし、こういうことで悩んでるなら
いい方法があるんで教えますよ、というのが仏教的スタンスです。