伊賀上野が元気になればいいなあ!

上野の城下町、どうなっていくんだろう、、、見守る元気はないけれど、静かに生きていこうと思う(笑)。

そういえば

2007-04-25 23:51:10 | みなさんにおしらせと独り言
産経新聞の伊賀版(というか三重版?)に「伊賀上野NINJAフェスタ2007」の特集が始まっています。
この連載は昨日24日から始まりましたが、産経新聞 大阪発の夕刊で組まれていた特集です。
当ブログでも紹介させていただきましたが、伊賀では初お目見えの特集になりますので、チャンスのある方はご覧ください。(多分5日間の連載予定かと思われます)
今日はこの記事でした

思い起こせばこの記事のインターネット版を見て、アメリカからのメールが飛び込んできたのでした。
世界と繋がっていることを実感した出来事でした。

言いえて端的!

2007-04-25 21:53:20 | みなさんにおしらせと独り言
あるブログから拝借しますが
『伊賀市と名張市は同じ伊賀国で、隣同士なのだが、今回の合併騒ぎでも一緒にならなかった。
実は、兄弟のような二つの市(正確には伊賀上野と名張)には、270年に及ぶ確執があったのだ。

享保20年(1735)に、名張藤堂氏は、本家の津藤堂家からの独立、大名化を図って幕府へ運動をした。これを知った津の本家は上野城代藤堂玄蕃を派遣し、家老三人を切腹させるなどの弾圧をした。

それ以来、上野と名張は不倶戴天の仲となったのだ。
江戸時代の話というなかれ、この折の感情のよじれは今も尾を引き、名張の人間は、会合で伊賀上野に行くのを極端に嫌がる。この二つの町の名物はほぼ同じなのだが、伊賀牛でも、伊賀のかたやきでも、忍者でも、「うちが本家」「うちの方が上」という意地の張り合いがある。

三年前に「伊賀の蔵びらき」という大きなイベントを開催したが、このときでも、伊賀上野と名張は別々に動いた。そしてついに合併話もまとまらなかった。

伊賀市の○○市長(旧上野市長)は、この日名張市との親睦ゴルフをしていたのだが、これは単なる親睦を超えて、ライバルであり、最も気を使う相手との「外交」だったのだ。イスラエルとアラブ諸国というのは大げさだが、「名張市に悪い」というコメントは、端の人間が受け止めるより、はるかに重たい。

まあ、このときに名張市の人間もことの重要性に気がついて、いっしょに事に当っていれば、両市の交流が深まったかもしれないが。』

伊賀市と関係のない場所の災害現場を放映して「さも、伊賀市の場合は…」なんて放送してしまう某放送局のあり方など聞くにつれ、世の中不心得なメディアに牛耳られているのか?と思ってしまいますが、そんなことを考えるのは筆者だけでしょうか?

「じゃ、貴方はその時何ができたの?」