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【朝青龍殺人事件/2】

2007-08-27 | ・nTinDEEP



前々回で、(マスコミ - 体制に殺されゆく)朝青龍殺人(計画)事件
つまり朝青龍の悲劇を書いたら、さすが「嫌われ者・朝青龍」だ。
それについて共鳴するヤツだけではなく、そーかなぁ。そーじゃないだろー。
とか言うヤツもかなりいるらしく、負けず嫌いの私だもんで、
人気者の俺まで嫌われ者になりそうなのはやなんで、
そいじゃーつーんで、いまいち信頼度のうすいUDJ的とゆーよりも、
格調あるJMM的に、ちょっともう少し書いてみるかに。

朝青龍の悲劇は、日本がアメリカへ送った不世出の右腕投手、
伊良部秀輝選手の悲劇のことを思い起こさせる。

伊良部は、千葉ロッテのエースとして、パリーグの投手として頂点に立った時点で
名門のニューヨーク・ヤンキースに入団し、そのヤンキース時代の成績は、
圧倒的勝利によるワールドシリーズでの優勝など、輝かしい黄金時代に大いに貢献し、
その成績は目覚ましいものがあったにもかかわらず、
今でもアメリカで「嫌われ者」で、あまり良いイメージが伝えられていない。

全くダメで、2~3勝しかできないというなら、
オーナーもファンも「スカウトのミスだった」と諦めて、
他の戦力を探すのだろうけど、伊良部投手の場合は
立派に先発ローテーションを守って責任を果たしていた。

その上で、「たまたま、勝負のかかった数試合で、無様な打たれ方をした」
その部分だけを、あの激情家であるヤンキースのオーナー、
ジョージ・スタインブレーナーからクローズアップされて、
「悪漢・嫌われ者」のイメージを作られてしまった。

オーナーの発言に乗ってしまったファンの方からも、
「伊良部=悪役」のイメージが出来上がってからは、
アルコールに溺れているという「噂」が一人歩きしたり、
ファンに対して悪態をついたというようなことが大げさに新聞に書かれたり、
打たれて降板するような際には容赦のないブーイングが飛ばされたりして、
伊良部とオーナーとの確執は、徐々に悪化していき、ついには、
キャンプへの参加差し止めなどという具体的な騒動に発展したりもした。

何が悪かったのか。

伊良部投手がアメリカ人であれば、こんなことは起きなかっただろう。
ということは、スタインブレナーや、NYのヤンキースファンは
「日本人が嫌い」なのだろうか?
人種や出身国で人間を差別する感情が働いていたのか?

それは違う。何故なら、

現在、松井秀喜選手が同じスタインブレーナーから、そして、
同じように思い入れと思いこみの激しいNYのファンから
まず手放しの尊敬を受けていることは明らかだからだス。

問題は、コミュニケーションなの。

当時のヤンキースはベンチ内でのコミュニケーションのために、
通訳を配置してはいたけど、NYのファン向けに
伊良部選手とのコミュニケーションを続けるような
広報活動を行うバイリンガルのスタッフはいなかったんだ。

その結果として、ヤンキース以外は考えられないと、
他の大リーグチームの誘いを蹴ってまで、どうして、
伊良部投手があれほどヤンキースに入りたがったのか、
その伊良部のチームへの愛のストーリーをファンが理解することはなかったの。

上手くコミュニケーション出来ないまま伊良部選手は、
オーナーに言われれば言われっぱなし、
ファンから野次られれば言葉で釈明するのではなく、
最後は悪態とも取れるような見よう見まねのボディーランゲージに走ってしまい、
誤解が誤解を生む状態に陥ってしまった。

言葉の通じない異境にあって、その社会の中で窮地に陥りながら、
その土地の言葉では自分の思いを語ることができないというのは、
それは人間の精神に取って危機に他ならないわけだス。

今から思えばヤンキースが最も輝いていた数年間に、
その中心にあって何一つ恥じ入ることのない成績を収めながら、
現在でも「ああ、あのイラブね」とNYっ子たちから揶揄される。

これが伊良部投手の悲劇だス。
朝青龍にも、同じような構図があると思いやす。




日本相撲協会、高砂部屋、メディア各社、
あるいは政治家など周辺での反応を見れば、それは、
伊良部投手の悲劇とよく似ていることは間違いないだろう。

そこには人種差別はないし、国技というナショナリズムのバイアス、
消えゆく伝統を保持したいという保守的なこだわりについても、
どれも薄味の人畜無害な範囲のもので、大した問題でもない。

だけども、本人を取り巻くコミュニケーションの不全状態は、
明らかに危機的で悲劇的だと思う。

白衣を着た「モンゴル語のできない」日本人医師が、
ドルゴルスレン・ダグワドルジという26歳のモンゴル人と日本語で面談して、
一体何になるのだろう。


いくら朝青龍が流暢に日本語を話す「横綱」といっても、
人生の危機にあって、その波及効果を計算しながら、
自分の心の中を語ってゆくというのは、
母国語であるモンゴル語では可能でも、
日本の価値観とのギャップを計算しながら語るとか、
処分に対して受けた精神的動揺を、ある程度正直に語って共感を求めつつ、
相手との和解を探る、というようなことは日本語では難しいだろー。

というのは、同情して言うのではなく、ごくごくニュートラルな話。

そんな日本語での会話を強いる中で、
「何も話してくれない」とか「話が途中で止まってしまう」
という状況が起きて、それが精神疾患だと、もっともらしい診断が下るなんて、
そんな話、どっちがまともなのかわからないほどまともな話じゃない。
なんか、それって、朝青龍だけがおかしいと言うよりも、
もっともっとそういう「体制」全体がおかしーんじゃないのか。

それを言ってるんだス。UDJは。

朝青龍関が不自然に黙り込んだり、話の脈絡が途切れたりするのであっても、
それは、自分の気持ちを正直に表現できる日本語の言い方が見つからない。
というのが90%であって、残りはそのために疲れた。
つーことなんじゃねーだろーか。

だからって、その精神科の医師を批判してるわけじゃない、
医師だって、朝青龍と日本語でコミュニケーションができないだけで
「混迷状態」だとか「解離」だとか言っている精神科の医師に、
悪意がないことはわかるし。

それは、日本からアメリカに来たばかりの子供が、英語ができないために
小学校などで「聴力障害では?」とか「発達面の検査をしましょう」
などと言われる感じだろー。

相撲協会の処分や、周囲から寄せられた非難への正直な思いは、
恐らくは彼の心の内で語られている母国語の中でしか
心境として吐露はできないだろー。

仮に診察が必要であるならば、
モンゴルから信頼できる精神科医を招聘するか、
それが医療行為に当たるので不可能であるのなら、
優秀な通訳を用意した上でしか
「診察」というのは意味を成さないと思いやす。

そうでなくては、表面的、儀式的なものに終わるだろうし、
ファンと本人の心はいつまでたってもうち解けないだろー。

モンゴルに帰れば「症状」は良くなるか? 

勿論だろう。と思うけど、別に帰る必要もないだろー、
通訳を介して、お互いに誠意のある、
正確なコミュニケーションさえ行えれば、済むことなんだから。

気がつくと、そんなこんなで、国境を越えて
スポーツ選手が活躍する時代でありながら、
そうゆうような悲劇はいまだに後を絶たないみたいだ。

でもそれは、国際人の素質がなかったからダメだ。
ということではないだろー。

問題は、そうした基本を、誰もアドバイスできない「体制」に、
問題があるのだろー。

その「体制」がコミュニケーション不全を生み、
最終的には個々の選手とチームメイト、ファンとの間を引き裂いて、
せっかくの「才能」を殺すことになる。
そこに問題があるのだろー。と思うぞ俺わ。

だからって俺を「反体制ロック歌手」とか言うのはやめろー。
俺は全学連出身者かーマリファナ解放戦線のヒッピーかー。

そんな古代人のような「体制」の意味付けしてると、
どっかの古くさい遅れた国の工作員に誘拐されて、
テロリストという白痴にされてあげく自爆テロって死んでしまったら
クヤシさからか、生まれ変わったら俺は今度は反体制として生きるぞ!
とかわけわからん事思ったそのまま生まれ変わってしまい、
まーたどっかの古くさい遅れた国の工作員に誘拐されて、
テロリストという白痴にされてあげく自爆テロって死んでしまったら
まーたクヤシく、ずーっと毎回自爆テロで死に続けて今もそーだったら
どーする。

本当は、反体制なんてものはないんだ。人間は常に「体制」なんだね。

いくらそれに逆らおうとしても、人間は常に「体制」なの。体制側なの。
それはね、本当はね、反抗するものでも逆らうものでもなく、
ましてや爆弾などでぶっ壊すものでも殺すものでもなくて、
生長させ生かし続けるものなの。
みんなで。1つになって。
めんどくせーぞー。しょーがない。人間は常に「体制」なんだから。だから、

We're all come from there
Do you remember ?.... you are" ONE "

とかなんとかうたってんじゃん。歌手でもないのに。あ。あるのに。

やれこんなことやらーやれあんなことやらーを、こーしていろいろ忙しいにもかかわらず、
頑張ってココで私はだからかいているわけなんじゃんかよぉう。
もーかいてかいてカキ続けるわけなんだス。そーちんこしごきながらも。なこといーつつ
たとえ嫌われ者となろーとも(冒頭と違う)。

そこんとこよろちくびーとるず。






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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
スポーツ (ひので)
2007-08-27 19:06:57
自らの体を鍛えてスポーツをしている人は美しい。自分自身との戦いを極めようとしている人は孤独で気高い。
強くて美しいもの (Cherry)
2007-08-29 16:06:50
強いものには畏怖を感じるけれど
強くて美しいものは、憧れ、愛される。
母国の慈善イベントでの子供達の声に応え
怪我を押してサッカーに参加した彼の心は、きっと美しい。
と信じたい。横綱だから。
今、彼は「貝になりたい」心境だろうな。
朝青龍も親方もマスコミも、み~んなモンゴルへ飛んじゃって
相撲ファンだけ日本に置いてけぼり。
Saybowは、置いてかない。と信じてます。
Unknown (saybow)
2007-09-10 18:55:32
そーいえばひのでわ自分自身との戦いけっこーしてるヤツなんじゃんなー負け数のが多いけど(笑)。勝ち数多ければいーってもんじゃなし。

父性として。男として。強いもの。って本当に美しく優しいものだと思うんだス。だから男は格闘技好きなんだろーけど。女性は母性本能があるから、弱いものに魅かれるところあるよね男でも。それも素晴しい世界が展開される。エロ的にいうと、MだからSに憧れる男性原理。SだからMとして奉仕捧げる女性原理つー美しい世界観とかもありえーる。けど、父性も母性も今顕著じゃない。つまり、はっきり行い現せるものがいない。つまり、強さがそこにみえない。SだろうとMだろうと強く吐き出せることではっきりすっきりできる。どっちもSとかMだと吐き出せない。気持ち悪いよりも気持ち良い方がいい。欲望だろーとどんなものでも強い需要があれば強い供給もあることで、ホンモノの世界にいける。強いと負けないから。光は闇を消せるけど闇は光を消せないから。性-エロ-の世界には、頭まっさらーにさせて、単純に気持ち良い世界に向おうとする強さを秘めるどこの世界よりも「生」があるから、そのバランス守りつつ、失いたくないものの1つだス。それは「創造」の世界だから。

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