「憲法が国民に対し表現の自由を保障する理由は何か。国民が自由にものを言えないようでは民主主義が成り立たないからだ。」
「放送は国民主権を確かなものにするためにある。政府の道具ではない。4条の基準は放送の国民に対する約束、自らを律する倫理規範と考えるべきだ。4条違反を理由に政府が放送局を処分するのは法の趣旨を逸脱する。」
「放送に対しては多くの国で法的規制がある。根拠の一つには、放送メディアの影響力の大きいことが挙げられる。」
「政府、自民党による介入の根っこには放送に関する権限を政府が握っている事実がある。政府が放送を監督下に置く国は先進国では少ない。」
政治権力が、自らの政権支持率を維持し続けるために、言論統制、情報操作を意図することは歴史が示す通りです。旧大日本帝国憲法下では、天皇批判を極刑にし、そのもとに存在する日本軍に絶対的な権限を集中させ、侵略戦争へ突き進みました。その進行過程で、治安維持法による民主勢力への弾圧・殺害が公然と行われ、天皇制批判、日本軍による侵略戦争と政権批判はすべて刑事罰の対象となりました。このことが、暗黒政治の象徴でもありました。その反省を受けて、憲法における表現の自由、思想信条の自由保障と放送法の制定へと結実されました。
これらの教訓を守ることが必要です。安倍、山口自公政権、極右集団による憲法無視、報道の自由への政治介入で崩壊させてはなりません。
<信濃毎日社説>あすへのとびら なんのための放送法か 国民主権を確かにする
高市早苗総務相の発言を糸口に、放送法について考えてみたい。8日の衆院予算委での答弁だ。
「行政が何度要請しても全く改善しない放送局に何の対応もしないとは約束できない。将来にわたり(電波停止処分の)可能性が全くないとは言えない」
安倍晋三政権に批判的とされるキャスターの番組降板が相次いでいる問題を野党議員が取り上げた。番組が政治的公平を欠くと政府が判断しただけで「電波停止が起こり得るのではないか」、との質問への答えである。
<制定経緯を振り返る>
放送法は4条で、番組編集の四つの基準の一つに「政治的に公平であること」を挙げている。電波法76条は、テレビ局が放送法に違反したときは電波の停止を命ずることができると定めている。
条文の限りでは、総務相が言う通り、4条違反を理由にして電波を止めることができると読み取れないでもない。
それは正しい解釈なのか。答えは「ノー」だ。
放送法が制定された経緯を振り返る。成立したのは日本が占領下にあった1950年。電波行政の基本を定める電波法とセットだった。政府から離れた立場で電波行政をかじ取りする電波監理委員会の設置法と合わせ「電波三法」と呼ばれた。
日本政府はこのとき、放送を戦前、戦中と同様に政府の管理下に置く仕組みを作ろうとした。だが連合国軍総司令部(GHQ)は放送の自由を保障するよう求める文書を政府に突きつけた。担当者の名前をとって「ファイスナー・メモ」と呼ばれる。このメモが放送法のベースになった。
ファイスナー氏は占領が終わった後も日本にとどまり、2010年に宮城県の自宅で死去している。99歳だった。
放送法は1条で法の目的に「放送の不偏不党、真実および自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」を掲げている。この規定は憲法21条「集会、結社および言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と響き合う。
憲法が国民に対し表現の自由を保障する理由は何か。国民が自由にものを言えないようでは民主主義が成り立たないからだ。
放送は国民主権を確かなものにするためにある。政府の道具ではない。4条の基準は放送の国民に対する約束、自らを律する倫理規範と考えるべきだ。4条違反を理由に政府が放送局を処分するのは法の趣旨を逸脱する。
以上は憲法やメディア法研究者の常識になっている。そう考えないと憲法と整合性がとれない。政府もかつては国会答弁で、放送法違反による処分は難しいとの判断を示していた。
政府は1960年代から放送への介入姿勢を強めてきた。社会派ドラマやドキュメンタリーが番組表から消えていった。68年には北爆下の北ベトナムに入ってリポートしたTBSのキャスター、田(でん)英夫氏を降板させている。
自民党は昨年4月、「やらせ」問題などでNHKと民放の幹部を党本部に呼び事情聴取した。「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、または規律されることがない」と定めた放送法3条に照らし、問題の多い行為だった。
放送に対しては多くの国で法的規制がある。根拠の一つには、放送メディアの影響力の大きいことが挙げられる。
ラジオが普及し始めた1930年代にジャーナリストの長谷川如是閑(にょぜかん)が書いている。「ラジオは意識の統一の道具としては、印刷物の到底もち得ざる有利の条件をもっている」。支配階級はラジオを通じ「その統制をほしいままにすることを得る」。
ナチスはラジオの力を最大限に使って政権を握ったのだった。
世界には放送が権力者の道具になっている国が多い。戦前、戦中の日本がそうだった。歴史の反省を踏まえ、電波を国民のものにしておくために放送法は定められた。そう考えるべきだ。
<第三者機関をつくれ>
政府、自民党による介入の根っこには放送に関する権限を政府が握っている事実がある。政府が放送を監督下に置く国は先進国では少ない。国立国会図書館の07年の調査リポートも、主要国では「放送の規制監督は政府から一定の独立性をもった組織が担うのが一般的」と書いている。
政府が電波停止の可能性を持ちだして放送局を脅すようでは、放送の自律は難しい。放送を政治から切り離すために、日本の独立回復とともに廃止された電波監理委員会を時代に合った新しい形で復活させることを考えよう。