「民主的な政治体制の下では、政府、政党とメディアは緊張関係にあるのが普通である。政治の健全性を保つには報道の自由と国民の知る権利の保障が欠かせない。憲法が表現の自由を手厚く保護している理由である。」
<信濃毎日社説>戦争への道封じるために
新聞週間が始まる。私たち新聞をつくる者にとって、過去1年を顧みて今後への課題を確かめる機会になっている。
この1年を振り返ると、取り巻く環境が大きく変わったことにあらためて気付く。二つの動きがあった。
第一は、特定秘密保護法から安全保障法制に至る一連の法整備である。第二は安倍晋三首相をはじめ、政府、自民党の側からメディアに対する介入が続いたことだ。
<秘密法と安保法>
秘密法は政府が指定する特定秘密を公務員らが外部に漏らすことを禁ずる法律である。聞き出そうとするメディアも処罰される。昨年12月に施行された。
一連の安保法制により、「日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある」と政府が判断するときは、政府は自衛隊に出動を命ずることができる。秘密法の下では、そう判断した根拠は示されない可能性が高い。政府は国会に対する説明も拒むことができる。
法案審議そのものも、情報が十分に開示されない中で進められた。中谷元・防衛相は、政府が派遣の承認を求める際に根拠として示す情報が特定秘密に当たるかどうかを問われ、「答えは控えさせていただく」と答弁した。
国家安全保障会議(NSC)での議論の中身は、基本的に全て特定秘密に指定されている。議事録作成は義務付けられていない。何がどう話し合われたのか、国民には分からない。
戦争が総力戦の様相を強めた近代以降、国家は国民を動員するために、戦時にメディアを統制下に置き、利用した。先の戦争では旧日本軍が戦果を挙げるたびに、日本の新聞は祝賀ムードいっぱいの紙面を作った。私たちにとってはつらい過去である。
2004年に施行された国民保護法は、NHKと都市部の民放を「指定公共機関」に指定し、有事の際に政府の発する警報を放送することを義務付けた。長野県も県内民放とケーブルテレビを「指定地方公共機関」に指定済みだ。有事に放送局を動員するシステムは既に整っている。
歴史を振り返ると、メディアが戦争政策の行き過ぎを抑える役目を果たした例も少なくない。例えばベトナム戦争ではジャーナリストが戦場の本当の姿を伝えたことにより、各国で反戦運動や厭戦(えんせん)気分が高まり、米政府も戦争を続けることができなくなった。
ノーベル文学賞受賞が決まったスベトラーナ・アレクシエービッチさんは、そんなジャーナリストの一人である。第2次大戦やアフガニスタンへの軍事介入で旧ソ連軍兵士がいかに過酷な体験を強いられたかをえぐり出した。
戦争の危険が迫るときはメディアの姿勢が問われるときでもある。私たちはいま責任の重さをかみしめている。
<見過ごせぬ報道介入>
秘密法をはじめとする一連の法整備により、安保政策の報道は難しさを増した。法案に対する新聞各紙の論調は賛成、反対に二極分化する傾向も見せた。
だからこそ、日本が再び戦争の道に踏み込むことがないよう努力を重ねることを、ここであらためて約束しておきたい。
動きの第二に挙げた政治権力の報道介入は、安保法制整備と表裏一体と言っていい。
安保法案に批判的な報道にいら立つ自民党国会議員が6月、党内の勉強会で「マスコミをこらしめる」と発言した。安倍首相と親しい作家が同じ会合で、沖縄の米軍基地問題にからんで「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」と述べた。
自民党は4月には、NHKと民放テレビの幹部を党本部に呼びつけ、放送内容をめぐって「事情聴取」している。政党による放送への介入であり、「放送の自律」をうたう放送法に照らしても問題の多い行為だった。
民主的な政治体制の下では、政府、政党とメディアは緊張関係にあるのが普通である。政治の健全性を保つには報道の自由と国民の知る権利の保障が欠かせない。憲法が表現の自由を手厚く保護している理由である。
このところの自民党を見ていると、表現の自由の意味に対する理解が欠けているとしか思えない。
<読者に問い掛けつつ>
安保法制審議が国会で進んでいたとき県内では多くの市町村議会が、法案に反対したり慎重審議を求めたりする意見書、決議を可決した。軽トラックを連ねてデモをした村もあった。
信濃毎日新聞はこれまで社説で安保法制に反対する論陣を張ってきた。議会の意見書や村のデモは、私たちには主張が読者に確かな形で受け止められている証しにも思えて勇気づけられた。一方、一般記事では多様な見方を紹介するよう心掛けてきた。
これからも安保法制をめぐる動きは小さなことでも取り上げ、問い掛けていくつもりである。