「人間のいのちの軌跡に向き合えば、次から次へ「なぜ」「どうして」と「問い」が連鎖して生まれる。そんな歴史の学びこそ国策に「だまされない」市民になるために最も必要と考える。
歴史の問いに唯一の「解」はない。だからこそ問い続ける。どう行動できるか自分に置き換え考えてみる。過去との対話からは深く豊かな教訓が得られるはずだ。」
<信濃毎日社説>明日への扉 歴史を学ぶ意味 過去と対話し自問する
なぜ満州移民を決断したのか。なぜ敗戦を予感しながら戦争継続に身をささげたか―。
豊丘村で先月開かれた「胡桃(くるみ)沢盛(ざわもり)日記」の完結記念会。パネル討論で長野高校教頭の小川幸司さんは日記を教材にした歴史学習の試案を報告、参加者に問い掛けた。
胡桃沢盛(1905~46年)は30代で旧河野村(豊丘村河野)の村長を務めた。当初はためらっていた国策の分村移民を決断。河野村開拓団は敗戦直後の混乱の中、73人が自決した。
胡桃沢は23年間、日記をつけていた。飯田下伊那の歴史を研究する住民らが判読を続け戦後70年を前に全6巻の出版にこぎつけた。
<いのちに寄り添う>
小川さんは日記に学ぶ意義を次の点に据えた。
・なぜ人間は誤った政策を選択をしてしまうのか
・なぜ人間は誤った判断を撤回できないのか
・人間は自分の過ちの責任にどう向き合うべきなのか
加えて満蒙開拓を世界史の視点から位置付けた。
人間としてのありよう、歴史的な背景。その双方から生徒と一緒に考える授業の提案である。
最初の問いに小川さんは幾つかの「解」を想定している。
「開拓をちゅうちょすることが指導者として失格になると考えた」「大義を正しいと支持することで『いのち』の悲劇を無視する結果になった」…
後世から批判される決断ではあっても、苦悩に寄り添って考え、論議することを重視する。
歴史教育はかじを大きく切ろうとしている。2006年、高校の「世界史未履修問題」が発覚。これを機に暗記一辺倒や、時間不足で近現代まで教えられない授業のあり方に反省が強まった。
一方で日本史の必修化を求める声が高まった。「自国の歴史や伝統文化を正しく理解する」ことに重きを置く安倍晋三政権や自民党内の意思である。
日本学術会議は2度にわたり改革を提言した。世界史と日本史を統合し近現代史を中心に教える「歴史基礎」の新設、教科書で使う歴史用語の数を減らすガイドラインの作成―などが柱だ。
この提言を踏まえ、小川さんら全国の高校、大学の教員でつくる研究会は昨年夏、抜本改革案をまとめた。用語を限定し、そこから生まれる時間の余裕を生かして思考力を養う授業法や、小中学校の授業、大学入試について具体的な提案をしている。
20年度以降、次期学習指導要領が小中高校で実施される。中央教育審議会の特別部会は8月にまとめた改定骨格案に、日本と世界の近現代史を学ぶ「歴史総合」の必修化を盛り込んだ。
教育現場では、選挙権年齢の18歳以上への引き下げに伴い、主権者教育も課題になっている。
選挙や投票について教えるだけでなく、生徒が自分の考えを養い主体的に選択できる判断力を育てたい。歴史を学ぶことは、そのよりどころになる。
学ぶ手掛かりは地域史に埋もれている。それらを発掘し、身近でリアルな過去を世界史と関連づけて考える。独善的な一国主義には陥るまい。学習内容は可能な限り現場の裁量に委ねたい。
<深く豊かな教訓を>
胡桃沢は敗戦から3カ月後の45年11月、日記に記した。〈何故に過去の日本は自国の敗(ま)けた歴史を真実のまゝに伝える事を為(な)さなかったか〉。戦果ばかりを伝え、戦争遂行のため地域に過大な要求を突きつけてきた国。書かずにはいられなかった心情が痛々しい。
翌年の46年7月、胡桃沢は自死する。41歳だった。「開拓民を悲惨な状況に追い込んで申し訳ない」と書かれた遺書があったと本紙は当時報道したが、遺書そのものは見つかっていない。
・なぜ自ら命を絶ってしまったのだろうか
・生きることを選び取る道はあったのだろうか
小川さんは二つの問いを投げかけた。人間のいのちの軌跡に向き合えば、次から次へ「なぜ」「どうして」と「問い」が連鎖して生まれる。そんな歴史の学びこそ国策に「だまされない」市民になるために最も必要と考える。
日記の完結記念会では、東大大学院教授の加藤陽子さん(日本近現代史)が「地域に生きる人々の持つ力―戦後を遠く離れて」と題して講演した。
加藤さんは日記を解説しつつ「戦争の反対語は歴史を読み、学ぶ人々が(地域に)いること」と強調した。
歴史の問いに唯一の「解」はない。だからこそ問い続ける。どう行動できるか自分に置き換え考えてみる。過去との対話からは深く豊かな教訓が得られるはずだ。