“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

隣の国の議論

2014年06月12日 12時59分06秒 | 臼蔵の呟き

日本における安倍、自民党政権の戦争できる国にしたい議論とのレベルの違いはいかんともしがたい。あまりにも下世話で、でたらめで、軍国主義的な右翼的な政治集団には考えがつかないような議論です。安倍、自民党右翼議員が排外主義的な差別言質で北朝鮮、韓国への罵詈雑言はそのまま鏡のごとく自らに跳ね返ってきているのでしょう。

<中央日報>韓国専門家「ドイツ統一はあるとき突然やって来たものではなかった」 

朴槿恵(パク・クネ)大統領が新年の記者会見で「統一は大チャンス」と強調しながら、韓国社会で統一論議が盛んになった。まるで統一がいつでもやってきそうな浮き足立った雰囲気さえあった。特に朴大統領が3月末にドイツを訪問したことを機に、ドイツのように私たちも平和的に突然統一局面を迎えることになるという期待感も高まった。

そうしたことが4月16日のセウォル号惨事の発生により、一瞬にして反転した。幼い高校生160人余りを含む300人以上の乗客が何の助けも受けられないまま空しく水葬される場面は、韓国社会の自信を一瞬にして喪失させた。「統一大チャンス論」は、韓国が先進国隊列に上がったという願いでふくらませた風船のような考えだった。セウォル号はその風船を爆発させてしまった。このところ韓国社会で統一議論は見かけることさえ難しい。

9日、韓半島フォーラム(ペク・ヨンチョル会長)が主催した「ドイツ統一と韓半島」学術会議は、統一議論を最初から改めて始めるような雰囲気だった。ドイツで博士学位を受けた4人のドイツ統一専門家たちは、一般の常識とは違った見解を出した。一言でいうと「ドイツ統一はある日突然やって来たものではなかった」というものだ。年初に高まった統一議論が「統一があるとき突然やって来る」という雰囲気を濃厚に帯びていたのとは正反対だった。李明博(イ・ミョンバク)元大統領が3年前に話した北朝鮮急変事態論は、この日の会議で「とんでもない発想」に置き換えられる雰囲気だった。

旧東ドイツ地域の名門イェーナ大学で10年学んだ末に史学博士になった江陵原州(カンヌンウォンジュ)大学のイ・ドンギ教授は「1990年にドイツが統一される直前、東西ドイツは事実上の国家連合の状態だった」としながら、たとえ統一直前まで西ドイツのすべての人が統一の可能性を否定しても、実際にはいつでも統一できる条件だったことを強調した。

ドイツ・ミュンヘン大学政治学博士のキム・ハクソン忠南(チュンナム)大学教授は「1980年代後半に西ドイツでキリスト民主党の保守政権が執権しながら東ドイツに対する支援が拡大したが、西ドイツ国民の対東ドイツ政策についての満足度はむしろ高まった」という資料を提示しながら、西ドイツ政府の対東ドイツ政策の一貫性が統一に大きく寄与したことを指摘した。

ペク・ヨンチョル会長も開会の辞で「西ドイツの“接近による変化”政策が一貫性を持って超党派的に推進されながら、多方面に渡る交流・協力政策は、民族の同質性の確保と平和的統一の土台を用意した」としながら「私たちも断絶した南北関係の梗塞局面から一日も早く抜け出して、交流協力のための活路を模索しなければならない」と力説した。

20人余りの南北問題の専門家たちが参加した第2部討論では、司会者の金永熙(キム・ヨンヒ)中央日報論説委員が「興奮を鎮めて統一議論を再び始めることになり、望ましい」として話し始めた。第1部の発表内容について討論者はほとんどが「ドイツ統一について分からなかった事をたくさん知ることができた」と満足そうだった。これに付け加えて「ドイツのように韓国・北朝鮮が平和的統一を達成するには、どうにかして北朝鮮の住民がそうした選択をするようにしなければならない」〔イ・ヨンソンCopion総裁、洪錫(ホン・ソクヒョン)中央日報・JTBC会長〕という見解が提示された。

金永熙論説委員は西ドイツのウイリー・ブラント政権の東方政策設計者であるエゴン・バル氏の言葉で討論を終えた。「Small steps are better than big talks(小さな行動は、巨大な論議よりも良い)」。


無様な党首討論

2014年06月12日 10時56分05秒 | 臼蔵の呟き

各社説の論調、評価は、若干の違いがありながらも、民主党のふらつき、維新の会石原氏の迷走、みんなの党は何がなんだか分からずーーーこのような評価は共通しています。毎日新聞は、民主党の迷走、重要な政策課題で党がまとまらない弱点を突いていますが、ことの本質は全く違うところにあります。民主党があろうがなかろうが、日本国憲法が空文化しようとしていることが違憲、合憲なのかが問われているのだ思います。維新の会、みんなの党は連立を組んでいないだけで、自民党の一派閥であり、党首討論としての与党と野党の政策対置ができる党ではありません。論外です。

安倍の詭弁、本質議論を避ける手法は、安倍、自民党中枢がとる戦術です。国民が知りたいことには全く応えない。その理由は、本質的な問題に触れて回答をすれば憲法違反であり、過去の政府見解を否定することになるのであり、集団的自衛権なるものは自衛隊員が他国の軍人、軍属、国民を殺し、日本がその報復を受けるものであることが明白になるからです。だからこそ、安倍が詭弁を弄して、まともには、回答しないのです。これが、安倍、右翼、自民党中枢の取っている手法です。彼らの政治に対する姿勢は欺瞞そのものであり、倫理観、正義感、正当性を尊重、重視する姿勢は全くないことを示しています。

このような政権は退陣させるしかありません。自民党、公明党議員を選挙で落とすことが重要な政治課題です。維新の会、みんなの党などは消滅すべきです。また、民主党は政党の何は値しません。それらがはっきりした論議でした。

<信濃毎日社説>安保をただす 党首討論 国民不在のもどかしさ

 集団的自衛権の行使容認は本当に日本の平和のためになるのか。国民に憲法改定を問わず、なぜ禁じ手とも言える解釈変更で実現させようとするのか。

 安倍晋三首相は、きのう開かれた党首討論でまたも肝心な点について答えなかった。行使容認をめぐる与党協議が不十分なまま、近く解釈変更が閣議決定される可能性が取りざたされている中である。

 首相はこれまでと同じで、行使容認の必要性と意欲ばかりを強調した。野党側も問題点を深く掘り下げることができなかった。今国会でたった1回実現した党首討論である。中身の薄さにもどかしさばかりが募った。

 集団的自衛権の行使容認は、戦後日本の平和主義を変える問題である。それほどのことなのに、国民が知りたいこと、知らねばならないことが聞けない論戦に意味があるのか。疑問だらけの討論と言わざるを得ない。

 安倍首相に、民主党の海江田万里代表、日本維新の会の石原慎太郎共同代表、みんなの党の浅尾慶一郎代表が挑んだ。

 海江田氏は、行使容認が国民の暮らしにも影響することを指摘した。その上で、なぜ改憲を国民に問わないのか、国や国民を守ることが任務の自衛隊員が他国のために血を流すことをどう考えているのか、とただした。首相はこれらの問いをはぐらかした。「自衛隊がイラクやアフガニスタン戦争のような戦争に参加することはない」「平和主義の基本は変わらない」などと、これまで同様、危険な側面には触れようとはしなかった。逆に、首相は民主党内で安全保障政策に関して意見が割れていることを突くなど、双方とも意見をぶつけただけで終わった。

 集団的自衛権に関し、首相を支持する石原氏は独自の軍事技術の必要性などについて一方的に語り、討論とは呼べなかった。同様の立場の浅尾氏は経済問題が中心だった。

 「あらゆる機会を通して丁寧に説明していきたい」。首相は国民に行使容認の必要性を訴えた先月の会見でこう語った。

 首相にこの約束を果たす気はなさそうだ。国民軽視の政治姿勢に陥ってはいないか。国会の会期末まで10日ほどしかない。安倍政権の言動にはこれまで以上に厳しい目を注がねばならない。

<毎日新聞社説>党首討論 足元を見られた民主党

 安倍晋三首相と民主党の海江田万里代表らの党首討論が行われた。集団的自衛権を行使できる憲法解釈変更を目指す首相を海江田氏は「憲法改正の申し出をすべきだ」と批判、首相は「(今の)憲法が国民の命を守る責任を果たせなくていいと言っているとは思えない」と反論した。

 海江田氏が突いたポイント自体は重要だが、民主党内で行使の是非をめぐる見解が固まっていないことが迫力を決定的にそいだ。他野党に至っては討論の体すらなしていない。与党協議の緊迫をよそに国会では野党が足元をみられている。論戦がこの有り様では国民も落胆しよう。

 国の行方にかかわるテーマが問われる中、今国会初の討論だ。ところが、海江田氏の発言は集団的自衛権をめぐる民主党の対応の説明から始まった。同党は「憲法解釈変更による行使一般には反対」とするが行使の是非をめぐり幅広い意見があるだけに、対決よりも言い訳を優先したと言わざるを得ない。

 なぜ憲法改正によらないのかという手続き論は海江田氏が首相を追及できる攻めどころだった。首相は閣議決定による解釈変更を目指す考えを強調したが踏み込んだ説明はせず、はぐらかした。武力行使につながる海外での戦時の機雷排除が戦死を伴う懸念を示した質問についても首相は危険そのものを正面から認めて理解を求めることはしなかった。

 野党側の抱える事情や姿勢が首相にくみしやすいとの印象を与えたことは否定できない。首相は海江田氏を「民主党の立場がどこにあるのかがわからない」「民主党で早く議論がまとまることを期待する」と挑発してみせた。分党が決まった日本維新の会の石原慎太郎共同代表、みんなの党の浅尾慶一郎代表はもともと集団的自衛権行使に賛成だ。しかも討論では安全保障、経済政策でほとんど持論の開陳に終始し、政権との対決姿勢は見えなかった。

 民主党内では来年秋まで代表の任期がある中、「海江田降ろし」と言われる代表選前倒しの動きが強まっている。相変わらずの内紛体質とはいえ、安倍内閣に立ち向かう野党のあり方が問われる中、海江田氏が野党第1党の党首としてふさわしいかどうかは、やはり厳しく吟味されなければなるまい。

 集団的自衛権にしても、党内事情に甘えて集約を怠っているのではないか。海江田氏が「首相は演説して自分に酔っている」と討論で語ったように、言葉が踊るような首相の言動には危うさがつきまとう。だが、政権与党ときちんと対峙(たいじ)できぬ野党の弱さが国会論戦、ひいては政治の劣化を加速していることをもっと自覚すべきだ。

<北海道新聞社説>集団的自衛権 党首討論 国民を欺く首相の詭弁

 今国会初となる党首討論がきのう開かれた。

 安倍晋三首相は集団的自衛権について、限定的行使は憲法の枠内で可能だとする持論を展開した。憲法が国民に保障する平和的生存権や幸福追求権を守るために自衛権があり、「必要最小限」の歯止めは個別的自衛権と同様、集団的自衛権にもかかるという。これは過去の政府見解から都合のいい部分だけを抜き出した主張だ。国民の目を欺くものと言わざるを得ない。首相には異論にも謙虚に耳を傾けるよう求めたい。

 根拠は「自国の存立を全うするために必要な自衛の措置」を認めた1972年の政府見解だ。「自衛の措置」には集団的自衛権の行使も含まれ得るとの解釈である。

 しかし、この政府見解は「他国に加えられた武力攻撃を阻止する集団的自衛権は憲法上許されない」と明言している。「許される」との主張とは正反対の結論だ。政府が長年堅持してきた憲法解釈を詭弁(きべん)ですり抜けようとする態度は、国民に対して不誠実である。

 国会軽視の姿勢も見過ごせない。民主党の海江田万里代表は「なぜ憲法改正の手続きを取らないのか」「戦闘中の機雷除去では中東の原油のために自衛隊員が犠牲にならないか」などとただした。

 首相は解釈改憲を目指す理由には言及せず、機雷については「敷設は国際法に反するが、排除は国際法上合法だ」とピント外れの回答で、議論はかみ合わなかった。意図的な争点外しと言える。

 一方で首相は南シナ海の不安定な状況などを挙げ「目の前で起きていることに誠実に向き合ってほしい」と民主党批判を展開した。確かに民主党内の議論は迷走気味で、海江田代表の指導力も問われている。立て直しが急務である。だからといって安倍政権の独走が正当化されるわけではない。

 質問に立った日本維新の会の石原慎太郎共同代表は、政府の姿勢を追及せず、持ち時間のほとんどを自説の披露に費やした。みんなの党の浅尾慶一郎代表は集団的自衛権に関する質問をしなかった。これでは政府・自民党を後押しするだけである。野党として政権を監視する責任感が足りない。

 党首討論が5カ月にわたる会期中にわずか1回というのも問題だ。重要な政治課題に対して国会の責任を果たすため、与党は開催に積極的に応じるべきだ。


集団的自衛権をめぐる重大な政治問題

2014年06月12日 06時00分17秒 | 臼蔵の呟き

日常的に、国民が生活してゆくうえで、就職、賃金、普通の生活をすることは非常に重要なことです。ところが、現在の政治状況は、普通の生活で忙しいと「集団的自衛権行使容認は政治の問題」と無関心でいてよいような政治問題ではありません。安倍、自民党中枢が狙っていることは、日本国憲法が禁じている国軍の創設、軍備、戦争を行う法的容認―――これらをすべて根底から否定し、全く反対の戦争できる国、国軍の創設、海外での戦闘行為の容認を国家として決めるーーー容認することです。もっと言えば、中国と戦争できる国にするということです。右翼が叫ぶ北朝鮮、中国をたたくとの主張を国家、政治が実践できるようにすると言うことです。

それらの国と戦争を行うことは、最初に自衛隊員を戦闘地域に送り込み、武器使用を行えば、相手国の軍人、国民を殺すことになります。当然、相手国の報復を受けることになります。自衛隊員が死ぬことになります。同時に、日本国民がその戦闘により、戦死することになります。日本が、敗戦後、60年にわたり、戦争により、日本以外の軍人、軍属、他国民を殺すことがなく、当然、日本人が他国の軍人に戦争により殺されることがなく過ごすことができたのも、平和憲法があったからです。

この平和憲法、その核心部分である9条を空文化させる。それが解釈改憲することで安倍、自民党中枢が狙っていることです。

これでよいのでしょうか。

手続き論として、憲法を条文上改定するためには、国会での発議、憲法改正案の国民投票が必要です。この憲法改定の手続きをすべて飛ばして、閣議で憲法の条文を変更する権限を政権に与えてしまう。このようなことは戦後の歴史ではなかったことです。憲法の上に自民党政権を置くことになり、自民党政権は何でも出来る。自民党政権は治外法権となる。そのようなことを短期間に、国民がなんだか理解できない中で決めてしまう。かれらが歴史的に断罪されるとしても、国のかたち、構造を根本から変えるようなことをこのようなおろかな政権にゆだねることはありえないのだと思います。

<集団的自衛権 結論ありきで乱暴だ>

 安倍晋三首相はなぜこれほど前のめりになるのか。集団的自衛権の行使容認である。世論はもちろん与党内の異論にすら耳を傾けようとしない。結論ありきで議論を急ぐのは、あまりにも乱暴だ。

 首相はきのう、安全保障法制に関する与党協議会の座長を務める高村正彦自民党副総裁に「今国会中に集団的自衛権という言葉をしっかり入れて、自公両党が合意できるようがんばってほしい」と指示した、という。

 今開かれている通常国会は会期延長がなければ六月二十二日に終わる。首相は、事実上の閉会日に当たる二十日までに、政府が集団的自衛権の行使容認に踏み切る旨を、閣議決定したいのだろう。

 自公両党幹部らによる与党協議会は五月二十日に始まった。当初の週一回を二回に増やしたが、これまでに合意したのは政府が例示した十五事例のうち二事例だけ。特に集団的自衛権に関する事例はきのう議論を始めたばかりだ。

 そんな状況下で、戦後日本の安全保障政策を根本から変えていいのか。首相は五月七日の記者会見で、閣議決定は「期限ありきではない」と語っていたではないか。

 公明党の山口那津男代表が「協議が続いている段階だから、なかなか簡単ではない」と来週中の閣議決定に難色を示すのも当然だ。

 これまでの与党協議を振り返ると、あまりにもずさんで、結論を出すには、いかにも拙速だ。

 例えば、海外での自衛隊の活動が、憲法で禁じてきた「他国による武力行使との一体化」に該当するか否かの判断基準である。

 政府側は従来の「非戦闘地域」などに代わる基準として四条件を示したが、わずか三日後に撤回して、「戦闘現場では支援しない」など三条件を新たに提示した。政府の混乱ぶりは目に余る。

 集団的自衛権に関する八事例も行き過ぎた事例なら、できないという判断があっても当然だが、自民党はそれを抜きにして、すべて行うことを前提に、公明党に行使容認を迫っている。ここから透けて見えるのは、集団的自衛権の行使を自らの手で容認しようと血道を上げる首相の姿勢だ。

 会期末に閣議決定しようとする背景に、国会での追及をかわし、行使容認を既成事実化する狙いがあるのなら見過ごせない。集団的自衛権の行使は認められないという、政府が国会での論戦を経て積み上げた憲法解釈を、一内閣の判断で変えていいのか。戦後日本の岐路である。

毎日新聞社説:視点 集団的自衛権 この国のかたち

 ◇司馬さんならどう思う

 司馬遼太郎さんが晩年、情熱を傾けたテーマは統帥権(とうすいけん)だった。エッセー集「この国のかたち」で多角的に論じている。日本史を見渡して、最も大切な問題だと考えたのだろう。

 統帥権とは軍隊の指揮権のことだ。司馬さんは大日本帝国憲法(明治憲法)は今の日本国憲法と同じく、三権(立法、行政、司法)分立の憲法だったと解説する。しかし、昭和に入って変質した。統帥権が次第に独立し、三権の上に立ち、一種の万能性を帯びた。統帥権の番人は参謀本部で、無限の権能を持つに至っという。

 そこで、「統帥参考」という機密書を紹介している。1932年に参謀本部が本にしたが公刊されず、特定の将校のみ閲覧が許された。その本で参謀本部の将校たちは「おれたちは憲法外なのだ」と明快に自己規定している。天皇でさえ憲法下にあったのに、自分たちは憲法を超越した存在だというのだ。軍部が独走する根拠になった。

 ノンフィクション作家の保阪正康さんはこれを引いて、軍部が政治的実権を固めていく時に「統帥権干犯(かんぱん)を許さない」という語が暴力的に肥大化していったと指摘する(5月10日本紙「昭和史のかたち」)。そして、安倍晋三首相が、集団的自衛権を認めるため、憲法9条の解釈変更を閣議決定しようとしているのを批判する。内閣の一存で憲法の従来解釈を変えるのは、閣議決定が政治を縛るべき憲法より上位に位置することになってしまうからだ。

 昭和前期の統帥権と、現代の解釈変更による集団的自衛権の容認。文民統制のある現代を当時とは同一視できないだろう。しかし、両者は憲法を空洞化していく過程という点で似ている吉田裕・一橋大教授(日本近代史)は話す。

吉田さんによると、統帥権代表の大本営と政府の間に大本営政府連絡会議が設置され、重要国策をすり合わせて決めるようになる。その決定は御前会議で裁可され、太平洋戦争の開戦も決められた。閣議はその追認機関になった。憲法が無力化したことが、開戦を止められなかった一因になった。

 明治憲法は欽定(きんてい)憲法(君主によって制定された憲法)で、改正するのが難しかった。そのため、いくつかの政策で議会と内閣を形骸化させ、改憲せずに実質改憲を実現した。統帥権はその原動力の一つだった。

 集団的自衛権が必要というのならば、真正面から憲法改正を議論すべきだ。過去と論理的整合性のない解釈変更で、この国のかたちを変えてはならない。