改めて安倍、自民党中枢の独善的で、軍国主義復活路線のでたらめさが表面化しています。彼らは集団的自衛権行使容認ありき=結論で理屈を適当にさがすといういい加減差が露呈しています。彼らの倫理観のなさと、政府見解の一貫性との矛盾は、どうつくろってもつくろいきれないくらい大きくなっています。それでも、彼らの目標である集団的自衛権行使容認の閣議決定を行う。これが彼らの意向です。
そもそも、日本が自衛隊の海外派兵、海外において武器使用が必要な外的な状況があるのかです。そのような状況は全くありません。なのに、6月22日今国会終了までに閣議決定を行う。それが安倍、自民党中枢の意向です。かれらがあせるのは、憲法の解釈改憲、集団的自衛権行使容認による憲法9条無力化に対して国民的な批判、民主勢力の広範な運動が盛り上がることを避けたいとの思惑があるのではと考えます。国の構造を根本から破壊し、転換するような重要な憲法の内容に関する政治決定を短期間で、国会での議論もせずに、何がなんだか分からないうちに強行してしまう。そして、既成事実を作り積み上げる。そんなことが許されてよいはずがありません。
民主政治に必要な、正当性、正義のかけらもない安部、自民党中枢の独裁、暴走をこれ以上許してはならない。彼らが短期間に国民的運動の盛り上がりを恐れるのは政権の正当性のなさを露呈することを恐れるからです。正当性のない政権が何を言っても信用ができない、されなくなる事態が今後発生することは議会制民主主義にとっては危機的な事態です。
<毎日新聞社説>集団的自衛権 理屈が通らぬ 閣議決定
政府・自民党は、集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈変更の閣議決定の原案を、今月13日にも与党協議で示し、今国会中の閣議決定を目指す方針を明確にした。
これまでに明らかになった原案の内容をみると、歴代政権が過去40年以上、積み重ねてきた憲法解釈の一部をつまみ食いして都合良く解釈し直しており、理屈が通っていない。
原案は、1972年に田中内閣が参院決算委員会に示した政府見解を根拠にしている。政府見解は「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置」を認めたうえで、「その措置は必要最小限度の範囲にとどまるべき」だとして、「集団的自衛権の行使は憲法上、許されない」と結論づけた。原案は、この見解が認める「自衛のための必要最小限度」の武力行使の範囲に、限定的な集団的自衛権の行使が含まれると憲法解釈を変更するのが柱だ。政府見解を根拠にしながら、結論だけを全く逆のものにひっくり返している。
これほどの安全保障政策の大転換をするなら、憲法改正を国民に問うしかないと私たちは主張してきた。だが政府・自民党は、憲法の解釈変更で突破する道を選択し、その根拠を探してきた。最初は、米軍駐留の合憲性などが争われた59年の砂川事件最高裁判決を根拠に「最高裁は個別的、集団的の区別をせずに必要最小限度の自衛権を認めている」と主張した。だが、公明党などから「判決は個別的自衛権を認めたものだ」と批判を受けて、代わりに持ってきたのが72年の政府見解だ。
政府高官はこう解説する。
政府見解が展開した基本論理は正しい。ただ「集団的自衛権の行使は許されない」という結論が間違っていた。だから「行使は許される」という結論を「当てはめる」−−。こんな説明に納得できる人が果たしてどれほどいるのだろうか。
公明党は、閣議決定の原案の協議に入ることに難色を示している。政府・自民党は、公明党の理解を得るため、原案の表現を「集団的自衛権を行使するための法整備について今後検討する」などぼかすことも検討しているようだが、実質的には憲法解釈変更を閣議決定するのと変わらない。
10日の与党協議では、政府が集団的自衛権の行使容認が必要とする8事例について、初めて本格的議論が行われた。個別的自衛権や警察権で対応できるという公明党と、集団的自衛権でなければ対応できないという自民党の主張は平行線だった。議論は始まったばかりだ。こんな生煮え状態で閣議決定すべきでない。