憲法とは国家の基本的なあり方を規定する最高法規です。同時に、権力者を縛る法規です。ところが、その憲法を権力者である安倍、自民党中枢は公明党、維新の会、民主党一部を巻き込み、国会での議論を抜きに、密室で解釈変更を行う、閉会中に合意して、閣議決定すると報じています。
これで本当に良いのでしょうか。??????
<毎日新聞夕刊>
集団的自衛権 どこか人ごと なぜ議論がもりあがらないのか
集団的自衛権の行使容認が閣議決定されそうな勢いだ。解釈変更による「改憲」が国民投票も経ないまま、時の内閣の判断で決まっていいのか。安全保障政策の大転換なのに議論は今一つ盛り上がらない。大事なことがすうっと決まってしまいそうなこの感じ、何なのだろう。
◇「政治の話はタブー。大人だってそうでしょ」と大学生
◇白井聡さん「戦後のツケ」 赤坂真理さん「政治の消費者はダメ」
前半16分、日本代表の先制ゴールが決まると、客席は総立ち。サッカー・ワールドカップ(W杯)の日本初戦、対コートジボワール戦が行われた15日、東京ドームのパブリックビューイングに約3万5000人が詰めかけた。人の集まる場所で「解釈改憲」について聞きたくて「大事な日にそんな取材をするな」という反発を覚悟して出かけた。だが、みな驚くほど親切に答えてくれる。
サムライブルーのユニホームを着た男性(23)は「集団的自衛権? もちろん関心があります。行使容認に賛成。平和憲法だ、戦争放棄だ、と言っても中国が攻めてきたらどうするんですか」。孫と観戦中の男性(69)も「行使容認、大賛成」。閣議決定による解釈「改憲」という手続きに反対の人はいるが、行使容認には賛成が多い。
別の日、今度は慶応大湘南藤沢キャンパスへ。3人の総合政策学部生に話を聞いた。行使容認にも解釈改憲にも賛成。「護憲派の上の世代の理想主義って既得権を守ろうとする人と同じにおいがする」という。
3年生(20)は「このままじゃ自衛隊の人に申し訳ない。法整備のないまま手足を縛られて」と嘆く。少子化の日本ではいずれ徴兵制が必要になるかも、と話を向けると「こういう大学に通う僕が戦場に駆り出される可能性はないと思う。この国で徴兵制は無理。若者は竹やりより弱い。専門性の高い軍隊に国を守ってほしいから、戦闘員が足りないなら移民を。そのために相当のカネを投入し、法整備も必要」。
それって雇い兵ってこと? 何だろう、この「誰かに守ってもらいたい」的な当事者ではない感じ……。思わず「身内の戦争体験を聞いたことは?」と尋ねると、「全然ないですね」。
別れ際、彼らは言った。「正直、僕らの世代で行使容認に反対の人、ほとんどいないと思いますよ。W杯の時期で愛国心、すごいですから」。本当にそうなんだろうか。
2日後、同じ学部の別の3年生(21)から話を聞いた。「僕は行使容認にも解釈改憲にも反対。『敗戦後、日本は戦争で一人も殺さず殺されもしなかった』という事実を壊してしまったら、先の戦争で死んだ人々の思いを踏みにじる」。周囲の友人もみな反対という。同じ学部内でも互いに異なる意見をぶつけ合う機会はないのか。
「だって政治の話はタブー。『この教授のゼミを選んだからにはこういう考えの持ち主か』と推察し、少しずつ距離を詰めるのがせいぜいです。政治の話ができるのは親友だけ。でも大人だってそうでしょ。僕が政治に関心を持てたのは政治的な意見を述べる予備校教師に出会えたから。そんな先生は大学にもめったにいない」
反対だが行動には踏み切れない。「脱原発の集会やデモに行ったが違和感の方が強かった。結局、投票くらいしかないのかな。大きな流れに逆らえない」。昨年の特定秘密保護法成立直後は友人と「ひどい」と話したが、その後は話題に上らない。「解釈改憲もきっとそう」
深いあきらめが漂う。日々のニュースがすごいスピードで流れていく。最近インタビューした作家、半藤一利さん(84)の言葉が思い浮かんだ。「戦争への道を後戻りできなくなったノー・リターン・ポイントはいつなのか、その時代に生きていた人は、意外とそれに気づけない。今がその時ではありませんか」
なぜ、こんなにも議論が盛り上がらないのか。文化学園大助教(社会思想・政治学)で「永続敗戦論」の著者、白井聡さん(36)は「枝葉末節の細かい議論に持ち込み、国民をけむに巻く。事例を次々に増やし、議論をテクニカルにする。安倍晋三政権のぼやかし戦術です」と批判する。確かに、政府が現行法制では十分に対応できないとする「15事例」や集団的自衛権に関わる「8事例」を列挙できる人はまずいない。最近は自公がどこに妥協点を見いだすか、政局の話になっている。
白井さんはもう1点、「戦後のツケ」を挙げる。
「日本は『敗戦』を『終戦』と言い換えることで敗戦を否認し、戦前の支配層が戦後の統治者として居残った。東西冷戦中、米国の保護下で経済発展を謳歌(おうか)できたことで、国民は思考停止し、いくつものタブーを棚上げしてきた。『平和憲法と非核三原則を掲げた唯一の被爆国』という建前を守る一方、米軍による核兵器持ち込みは見逃した。自衛隊創設からイラクへの派兵まで、憲法解釈の変更によるつじつま合わせの繰り返しを受け入れた。だから今、解釈『改憲』は立憲主義に反する、という批判はどこかむなしく響く。こんな光景は実は見慣れたもの。解釈変更によるつじつま合わせは、戦後の保守政治の王道だったからです」
新著「愛と暴力の戦後とその後」を出した作家、赤坂真理さん(50)は「議論が盛り上がらないのは、憲法が私たち国民の血肉ではないから。もし血肉となっていれば、内閣の話し合いだけで憲法解釈を変えるのはおかしい、という反対の声が改憲・護憲の立場を超えて出てくるはず」と指摘する。「日本人にとって『憲法』は上から来たものです。国民が勝ち取ったことは一度もない。だから『憲法は国家権力を制限するもの』という西欧風の立憲主義に現実感がないのです。それでも戦後、平和憲法が尊重されてきたのは、戦争の怖さを肌身で知る世代がいたからでしょう」
しかし、今、くしの歯が欠けるように戦中派が減っていく。赤坂さんは「今回の解釈『改憲』は賛成、反対で語れることではなく、もっと憲法の根幹に関わる問題。憲法って何か。国家って何か。素朴で率直な『子供の問い』を恐れず発しないと、私たちはいつまでたっても政治の『消費者』のままです」と訴え、こう呼びかける。「確かに私たちは国政にものを言う癖がついていない。でも今から始めることはできます。民主主義の本質は多数決ではなく、『民が主』という考え方です。今回の議論、『わからない』ことがたくさんあるのに、それすらちゅうちょして言えない。『わかんない祭り』始めませんか。『わかんない』と正直に言いましょう。今言わないと。騒がないと。自分の言葉で。政治の『消費者』になっては絶対にダメです」
消費者ではなく、主権者に−−私たちはなれるだろうか。