“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

東京電力福島原子力発電所事故調査

2012年07月05日 17時00分00秒 | 臼蔵の呟き
  東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)報告

冒頭の委員長挨拶文です。7月5日報告書として発表されました。貴重な調査、報告資料です。膨大な調査報告資料を要約して、発表がされています。その冒頭に黒川委員長の調査に当たっての決意、姿勢、調査後の概括的要約が記されています。事故後の時間的経過が事故の風化を促しています。風化させてはいけない事故、事故調査を1年3ヶ月でまとめたことは大きな成果だと思います。電力会社、政府、経済産業省から独立して調査したことも大きな成果です。事故は不幸な出来事ですが、このような調査がまとまったことは歴史的に大きな意味を持つと考えます。

<冒頭の委員長挨拶文>

福島原子力発電所事故は終わっていない。これは世界の原子力の歴史に残る大事故であり、科学技術先進国の一つである日本で起きたことに世界中の人々は驚愕した。世界が注目する中、日本政府と東京電力の事故対応の模様は、世界が注目する中で日本が抱えている根本的な問題を露呈することとなった。

想定できたはずの事故がなぜ起こったのか。その根本的な原因は、日本が高度経済成長を遂げたころにまで遡る。政界、官界、財界が一体となり、国策として共通の目標に向かって進む中、複雑に絡まった『規制の虜(Regulatory Capture)』が生まれた。そこには、ほぼ50 年にわたる一党支配と、新卒一括採用、年功序列、終身雇用といった官と財の際立った組織構造と、それを当然と考える日本人の「思いこみ(マインドセット)」があった。経済成長に伴い、「自信」は次第に「おごり、慢心」に変わり始めた。入社や入省年次で上り詰める「単線路線のエリート」たちにとって、前例を踏襲すること、組織の利益を守ることは、重要な使命となった。この使命は、国民の命を守ることよりも優先され、世界の安全に対する動向を知りながらも、それらに目を向けず安全対策は先送りされた。そして、日本の原発は、いわば無防備のまま、3.11 の日を迎えることとなった。

3.11の日、広範囲に及ぶ巨大地震、津波という自然災害と、それによって引き起こされた原子力災害への対応は、極めて困難なものだったことは疑いもない。
しかも、この50年で初めてとなる歴史的な政権交代からわずか18カ月の新政権下でこの事故を迎えた。
当時の政府、規制当局、そして事業者は、原子力のシビアアクシデント(過酷事故)における心の準備や、各自の地位に伴う責任の重さへの理解、そして、それを果たす覚悟はあったのか。この事故が「人災」であることは明らかで、歴代及び当時の政府、規制当局、そして事業者である東京電力による、人々の命と社会を守るという責任感の欠如があった。
この大事故から9か月、国民の代表である国会(立法府)の下に、憲政史上初めて、政府からも事業者からも独立したこの調査委員会が、衆参両院において全会一致で議決され、誕生した。
今回の事故原因の調査は、過去の規制や事業者との構造といった問題の根幹に触れずには核心にたどりつけない。私たちは、委員会の活動のキーワードを「国民」「未来」「世界」とした。そして、委員会の使命を、「国民による、国民のための事故調査」「過ちから学ぶ未来に向けた提言」「世界の中の日本という視点(日本の世界への責任)」とした。限られた条件の中、6か月の調査活動を行った総括がこの報告書である。

被災された福島の皆さま、特に将来を担う子どもたちの生活が一日でも早く落ち着かれることを心から祈りたい。また、日本が経験したこの大事故に手を差し伸べてくださった世界中の方々、私たち委員会の調査に協力、支援をしてくださった方々、初めての国会の事故調査委員会誕生に力を注がれた立法府の方々に深い感謝の意を表したい。
      東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調) 委員長 黒川 清
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政治学入門試験問題

2012年07月05日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き
北海道大学教授 山口二郎さんの試験問題です。実際の問題です。朝日新聞の記事を土台としているようです。ここで面白いのは、野田の発言です。この発言は多くのマスコミが報道したので「本当の話」です。
大飯原発の再稼動をめぐって、反対する市民が○万人、首相官邸前で抗議行動を行ったことを質問されて答えた話です。
民主党、野田の傲慢さと政治家としての資質を問われるような内容です。人々の声、叫びを「音」と表現するさまは傲慢そのものです。こんな人物が「一国の代表者」などと称していることが日本の悲劇であり、民主党の政治的堕落を証明しています。

<政治学入門試験問題>

次の文章を読み、指導者が人々の声を聞くことが民主政治においてどのような意味を持つのか、自由に論じなさい
 関西電力・大飯原発の再稼働に、多くの人々が首相官邸前や原発周辺などに集まって反対の声を上げた。官邸前のデモについて野田首相は、「大きな音がしますね」と漏らしたという。
 賛否が分かれる問題では、どちらを選んでも反対の声は上がる。いちいち耳を傾けていたら物事を決めたり、進めたりできない。人々の声を「音」と表現する背景に、そうした意識があるなら、思い直してもらいたい。
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ヒッグス粒子の発見

2012年07月05日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
日本の政治、欧米の新自由主義、貧困層の増大などいやな、暗いニュースが多かったのですが、うれしい発見です。科学者冥利に尽きる話です。理論的にいえても実際にあるかどうかは、実験によってしか実証されません。その点では多くの科学者の実験、努力によって理論が立証されたことは賞賛に値する出来事です。ニュースでも報道されていましたが、このヒッグス粒子が人類にどのような貢献をもたらすかは、今後の研究成果に待つしかありません。
世の中には、一見して役に立たないようなものは沢山あります。しかし、それらのものが人類にとって役に立たないから「意味がない」とするのは非常に浅はかな考え方ではないかと思います。音楽が科学、研究にとって非常に重要な役割を果たしているとも言われています。では、直接的にどのような役割を負って、果たしているのかといえば具体的には証明できません。
優れた科学者、芸術家が緑豊かな風土で成長し、育つという研究もあります。緑、自然、環境がその人物人間の成長、人格形成に大きな影響を与えていると考えるのは当然なのかも知れません。

<ヒッグス粒子の発見>

 1960年代に英国人科学者のピーター・ヒッグス博士によって、理論的にその存在が提唱された。宇宙の始まりであるビッグバン直後にはたくさんあり、万物に質量を与える役目を果たしたと考えられており、欧米では「神の粒子」と呼ばれることもある。
 宇宙の成り立ちを説く素粒子物理学の「標準理論」を支える素粒子のなかで、唯一、実験で立証できていない。ヒッグス粒子が見つかれば、宇宙誕生時には光速で飛んでいた様々な粒子が質量を持つようになり、星や生命が生まれる大きな契機になったとの説明が正しいことになる。
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既成事実化は許さない

2012年07月05日 06時00分12秒 | 蜂助の呟き
こんにちは。蜂助です。今日は、大飯原発再稼働の話です。

国民の多くが反対する大飯原発三号機が再稼働し、発電が開始します。これも多くの方が指摘するように、再稼働ありきで、なし崩し的に進めて来ました。科学性も論理性も全くありません。

宮城県を中心とした地方新聞の河北新報は、ズバリと本質を指摘しています。私の意見とほぼ同じなのでコピーします。


【河北新報 七月四日 社説】
大飯原発再稼働/決して既成事実化するな

 関西電力の大飯原発3号機(福井県おおい町)が再び臨界に達し、近く送電を始める。
 機動隊員が抗議の市民を排除する中で1日、制御棒を引き抜いて原子炉を起動させていた。東京電力福島第1原発事故後初めて、いったん停止した原発が再稼働することになる。
 再稼働までの経過をたどると、なし崩し的に進められてきた印象しか残らない。原発事故の原因究明はこれからのことだし、新たに原発の安全規制を担当する原子力規制委員会の発足もまだだ。
 野田佳彦首相は中身のない「安全宣言」によって再稼働のレールを敷いたが、安全性の追究を置き去りにしたまま既成事実化することは許されない。
 原発事故の検証を徹底的に行うとともに、その教訓をくみ取って、できるだけ早い時期に「脱原発依存」に向けた設計図を描く必要がある。
 具体的にはまず、全国の原発と核燃料サイクル施設について、老朽化の状況や地質の安全性、地震と津波の危険性などを科学的に評価し、今後の運転計画を示すべきだ。その際には、原発は運転開始から原則40年で廃止することが前提になる。
 昨年からの原子力政策では、民主党政権の無策と一貫性のなさが目立つ。原発事故の後、原子力依存からの脱却を進める方針を示したものの、実現させるための肝心の対策が抜け落ちていた。
 100万キロワット級の原発を稼働させるかどうかは当然、夏と冬の電力消費ピーク時に影響を与える。供給力不足の解消には、原子力以外の電源で手当てするか、電力消費の抑制を図るしか方法はない。
 供給面ではもっと早い時期から、国のリーダーシップによって新エネルギーの推進や既存電力設備の増強、電力各社間の融通推進などに取り組む必要があった。ところが再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度が始まったのは、大飯の原子炉起動と同じ1日のことだ。
 また、野田首相は国民に直接、節電を呼び掛けてしかるべきだった。福島第1原発事故によってしばらくは電力需給が厳しい状況にあることを説明し、誠実に節電を求めれば、個人レベルでも協力しようと考える人は決して少なくないはずだ。
 多くの人にできるだけ電気に頼らない生活を訴える絶好の機会だったのに、みすみす逃してしまったことになる。その意味でも無策だった。国民の方ではなく、電力業界や経済界を向いていたとしか思えない。
 何十年も変わらない原子力推進と惰性の論理が大飯原発再稼働の伏線になったが、もちろんほかの原発に当てはめることはできない。炉心溶融(メルトダウン)と放射性物質の拡散をもたらした原子力災害の原因を突き詰め、その反省に立って判断することが不可欠だ。
 原子力という技術をこれからどう扱うのか。それを考えるための出発点は、福島第1原発事故以外にあり得ない。

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