事故調査委員会の報告①
【認識の共有化】
平成23(2011)年3月11日に起きた東日本大震災に伴う東京電力福島原子力発電所事故は世界の歴史に残る大事故である。そして、この報告が提出される平成24(2012)年6月においても、依然として事故は収束しておらず被害も継続している。破損した原子炉の現状は詳しくは判明しておらず、今後の地震、台風などの自然災害に果たして耐えられるのか分からない。今後の環境汚染をどこまで防止できるのかも明確ではない。廃炉までの道のりも長く予測できない。一方、被害を受けた住民の生活基盤の回復は進まず、健康被害への不安も解消されていない。
当委員会は、「事故は継続しており、被災後の福島第一原子力発電所(以下「福島第一原発」という)の建物と設備の脆弱性及び被害を受けた住民への対応は急務である」と認識する。また「この事故報告が提出されることで、事故が過去のものとされてしまうこと」に強い危惧を覚える。
日本全体、そして世界に大きな影響を与え、今なお続いているこの事故は、今後も独立した第三者によって継続して厳しく監視、検証されるべきである(提言7に対応)。当委員会はこのような認識を共有化して以下のような調査に当たった。
【事故の根源的原因】
事故の根源的な原因は、東北地方太平洋沖地震が発生した2011年3月11日(以下「3.11」という)以前に求められる。当委員会の調査によれば、3.11時点において、福島第一原発は、地震にも津波にも耐えられる保証がない、脆弱な状態であったと推定される。地震津波による被災の可能性、自然現象を起因とするシビアアクシデント(過酷事故)への対策、大量の放射能の放出が考えられる場合の住民の安全保護など、事業者である東京電力(以下「東電」という)及び規制当局である内閣府原子力安全委員会(以下「安全委員会」という)、経済産業省原子力安全・保安院(以下「保安院」という)、また原子力推進行政当局である経済産業省(以下「経産省」という)が、それまでに当然備えておくべきこと、実施すべきことをしていなかった。
2006年に、耐震基準について安全委員会が旧指針を改訂し、新指針として保安院が、全国の原子力事業者に対して、耐震安全性評価(以下「耐震バックチェック」という)の実施を求めた。
東電は、最終報告の期限を2009年6月と届けていたが、耐震バックチェックは進められず、いつしか社内では2016年1月へと先送りされた。東電及び保安院は、新指針に適合するためには耐震補強工事が必要であることを認識していたにもかかわらず、1~3号機については、全く工事を実施していなかった。
保安院は、あくまでも事業者の自主的取り組みであるとし、大幅な遅れを黙認していた。事故後、東電は、5号機については目視調査で有意な損傷はなかったとしているが、それをもって1~3号機に地震動による損傷がなかったとは言えない。
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【認識の共有化】
平成23(2011)年3月11日に起きた東日本大震災に伴う東京電力福島原子力発電所事故は世界の歴史に残る大事故である。そして、この報告が提出される平成24(2012)年6月においても、依然として事故は収束しておらず被害も継続している。破損した原子炉の現状は詳しくは判明しておらず、今後の地震、台風などの自然災害に果たして耐えられるのか分からない。今後の環境汚染をどこまで防止できるのかも明確ではない。廃炉までの道のりも長く予測できない。一方、被害を受けた住民の生活基盤の回復は進まず、健康被害への不安も解消されていない。
当委員会は、「事故は継続しており、被災後の福島第一原子力発電所(以下「福島第一原発」という)の建物と設備の脆弱性及び被害を受けた住民への対応は急務である」と認識する。また「この事故報告が提出されることで、事故が過去のものとされてしまうこと」に強い危惧を覚える。
日本全体、そして世界に大きな影響を与え、今なお続いているこの事故は、今後も独立した第三者によって継続して厳しく監視、検証されるべきである(提言7に対応)。当委員会はこのような認識を共有化して以下のような調査に当たった。
【事故の根源的原因】
事故の根源的な原因は、東北地方太平洋沖地震が発生した2011年3月11日(以下「3.11」という)以前に求められる。当委員会の調査によれば、3.11時点において、福島第一原発は、地震にも津波にも耐えられる保証がない、脆弱な状態であったと推定される。地震津波による被災の可能性、自然現象を起因とするシビアアクシデント(過酷事故)への対策、大量の放射能の放出が考えられる場合の住民の安全保護など、事業者である東京電力(以下「東電」という)及び規制当局である内閣府原子力安全委員会(以下「安全委員会」という)、経済産業省原子力安全・保安院(以下「保安院」という)、また原子力推進行政当局である経済産業省(以下「経産省」という)が、それまでに当然備えておくべきこと、実施すべきことをしていなかった。
2006年に、耐震基準について安全委員会が旧指針を改訂し、新指針として保安院が、全国の原子力事業者に対して、耐震安全性評価(以下「耐震バックチェック」という)の実施を求めた。
東電は、最終報告の期限を2009年6月と届けていたが、耐震バックチェックは進められず、いつしか社内では2016年1月へと先送りされた。東電及び保安院は、新指針に適合するためには耐震補強工事が必要であることを認識していたにもかかわらず、1~3号機については、全く工事を実施していなかった。
保安院は、あくまでも事業者の自主的取り組みであるとし、大幅な遅れを黙認していた。事故後、東電は、5号機については目視調査で有意な損傷はなかったとしているが、それをもって1~3号機に地震動による損傷がなかったとは言えない。
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