民主党の存在価値は、2大政党制は、政治的にはまやかしであることを証明したこと。また、自公政権以降における民主党の政治選択は、自民党的な政治家、政治勢力が仮面を付け替えて、市民、選挙民の支持を掠め取ったことが実態であること。政策的な対立軸、比較対象は情緒的な言葉、対決型姿勢ではなく、政党の支持基盤、よって立つ市民層の生活基盤に規定されていることを証明したのだと思います。
<山口二郎教授の嘆きと考察>
消費税率をめぐる民主党内の対立は、小沢一郎元代表のグループの大量離党という結果に至った。党内にはこれに同調する議員が残っているとも言われ、野田佳彦政権の基盤は大きく揺らいでいる。野田首相は当面の政権運営のために、今まで以上に自民党に接近せざるを得ないだろう。しかし、そのことは過去3年の民主党政権の意義、さらには20年がかりで追求してきた日本の政治改革の意味を否定するものである。
消費増税が三党合意で決着した途端、野田政権は、集団的自衛権の行使に向けた議論の開始、TPP交渉への参加、オスプレイの沖縄普天間基地への配備に向けた地元説得、そして尖閣諸島の国有化など、次々と重要な懸案に着手する姿勢を表している。これらは長年自民党政権でさえ逡巡していたものである。野田首相にとっての政権交代の意味とは、自民党がしたくてもできなかったことを民主党政権が代わりに実現してやるという点にあるとしか思えない。そして、こうした姿勢こそ、政権交代を選択した民意を決定的に裏切るものである。
確かに、日本の政権交代は野党の研鑽、努力の成果というよりも、万年与党自民党の自壊の結果であった。また、民主党を束ねたのは思想や理念ではなく、小選挙区で生き残るという現実的必要性であった。それにしても、2000年代後半から新自由主義的構造改革で荒廃した日本社会を立て直すために、民主党は生活支援を基調とする政権綱領を採択し、政権交代を果たした。そして、子ども手当や高校授業料無償化などの政策は低所得者層に対して効果を発揮して、経済的理由による高校中退者は激減し、自殺者もようやく減少に転じる気配である。民主党の政治家には、内輪もめの前になぜ政権交代の成果を誇らないのかと言いたい。長年この党を応援してきたものとしては、情けない限りである。
綱領が存在しないことが民主党の欠点と言われてきたが、今の時代、固定的なイデオロギーがなくても支障はない。中期的な政権政策の大枠を共有し、政権を取ったら衆議院の2つの任期の中で政策の実現を図るという党運営で十分である。しかし、それさえできずに1期目の最後で党が分裂するということは、政権綱領の基本が浸透していなかったことを意味する。
日本では政党のマニフェストについて、財源や工程の具体性が過度に強調され、それが政党政治の筋道をゆがめた。野党時代に作ったマニフェストに欠点があるのは当然である。また、政権獲得後の出来事によって大きな政策課題が新たに出現すれば、マニフェストに書いていない政策を追求するのも当然である。大事なことは、政党が政策の方向性を共有することである。方向を示す理念を共有できていれば、たいていの課題は応用問題である。生活第一という理念を共有していれば、税制は財源調達のための手段であり、いくらでも妥協可能な話となるはずである。今頃言うのも愚かな話であるが、理念よりもマニフェストの個別項目が党を束ねる紐になり、マニフェストの条項を守ったか破ったかという喧嘩から党が分裂する羽目に陥った。
選挙制度改革から野党の集約化を通して政権交代に至るという90年代前半の政治再編の実験は、この実験を率先してきた小沢の離党によって、また振出しに戻ってしまった。二大政党に対する国民の失望が大きいだけに、民主党の失敗がもたらす政治危機は一層深刻なものとなる。民主党分裂を前提としたうえで、国民に有意義な政治選択の機会を提供するために何が必要か、考えてみたい。
最大の問題は、小沢抜きの民主党が何を目指すかという点である。冒頭で述べたように、野田首相は集団的自衛権や領土問題で、自民党も顔負けのタカ派姿勢を明らかにした。さらに、原発再稼働の次はTPP交渉への参加を表明しようとし、経済界の要求に沿って動いている。野田首相の下では、「民主党-小沢グループ=ウルトラ自民党」という方程式が成り立つようである。小沢グループが「生活第一」という旗印を浸透に持ち出したことを喜ぶ政治家も、民主党内にはいるのだろう。橋下徹大阪市長は野田首相の路線を全面的に評価し、大阪維新の会に野田民主党や自民党の一部を加えた再編の可能性について言及している(毎日新聞7月10日)。新自由主義とナショナリズムがその基軸となりそうである。
これでは3年前の総選挙で民主党に期待を託した国民が浮かばれない。野田首相はこの期に及んで民主党に一縷の期待を託している市民の思いがわかっているのだろうか。安全保障やTPPで自民党と同じことを主張して、民主党への支持が増えるとでも思っているのだろうか。
小選挙区が政党間の差異をなくすとか、グローバル化時代に政策的選択の余地はないとか言うのは、似非学者のたわごとである。アメリカでは、大統領選挙に向けて民主党と共和党が医療政策や税制をめぐって対立している。ヨーロッパでは雇用や社会サービスをどう守るかをめぐって政党は苦闘している。今や政党間の対立は政策の程度をめぐるものではあるが、程度の違いに思想の違いが表れるのである。
自民党は次期マニフェストにおいて自助と家族主義を基調とする社会保障ビジョンを明らかにしている。民主党はこのテーマで、明確な対立軸を立てなければならない。税社会保障一体改革については、これから実質的な論争が始まるのである。消費増税は片付いたとして、安全保障や市場開放についてさらに自民党と歩調をそろえるならば、野田首相こそ民主党の墓堀人となるであろう。
早期の解散総選挙となれば、国民は実質的な選択肢を失う。野田首相が下した重要な政策判断について、民主党に残った政治家は徹底的に議論し、民主党という政党がこれからの日本政治における選択肢になれるかどうか、最後の自問をしなければならない。
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<山口二郎教授の嘆きと考察>
消費税率をめぐる民主党内の対立は、小沢一郎元代表のグループの大量離党という結果に至った。党内にはこれに同調する議員が残っているとも言われ、野田佳彦政権の基盤は大きく揺らいでいる。野田首相は当面の政権運営のために、今まで以上に自民党に接近せざるを得ないだろう。しかし、そのことは過去3年の民主党政権の意義、さらには20年がかりで追求してきた日本の政治改革の意味を否定するものである。
消費増税が三党合意で決着した途端、野田政権は、集団的自衛権の行使に向けた議論の開始、TPP交渉への参加、オスプレイの沖縄普天間基地への配備に向けた地元説得、そして尖閣諸島の国有化など、次々と重要な懸案に着手する姿勢を表している。これらは長年自民党政権でさえ逡巡していたものである。野田首相にとっての政権交代の意味とは、自民党がしたくてもできなかったことを民主党政権が代わりに実現してやるという点にあるとしか思えない。そして、こうした姿勢こそ、政権交代を選択した民意を決定的に裏切るものである。
確かに、日本の政権交代は野党の研鑽、努力の成果というよりも、万年与党自民党の自壊の結果であった。また、民主党を束ねたのは思想や理念ではなく、小選挙区で生き残るという現実的必要性であった。それにしても、2000年代後半から新自由主義的構造改革で荒廃した日本社会を立て直すために、民主党は生活支援を基調とする政権綱領を採択し、政権交代を果たした。そして、子ども手当や高校授業料無償化などの政策は低所得者層に対して効果を発揮して、経済的理由による高校中退者は激減し、自殺者もようやく減少に転じる気配である。民主党の政治家には、内輪もめの前になぜ政権交代の成果を誇らないのかと言いたい。長年この党を応援してきたものとしては、情けない限りである。
綱領が存在しないことが民主党の欠点と言われてきたが、今の時代、固定的なイデオロギーがなくても支障はない。中期的な政権政策の大枠を共有し、政権を取ったら衆議院の2つの任期の中で政策の実現を図るという党運営で十分である。しかし、それさえできずに1期目の最後で党が分裂するということは、政権綱領の基本が浸透していなかったことを意味する。
日本では政党のマニフェストについて、財源や工程の具体性が過度に強調され、それが政党政治の筋道をゆがめた。野党時代に作ったマニフェストに欠点があるのは当然である。また、政権獲得後の出来事によって大きな政策課題が新たに出現すれば、マニフェストに書いていない政策を追求するのも当然である。大事なことは、政党が政策の方向性を共有することである。方向を示す理念を共有できていれば、たいていの課題は応用問題である。生活第一という理念を共有していれば、税制は財源調達のための手段であり、いくらでも妥協可能な話となるはずである。今頃言うのも愚かな話であるが、理念よりもマニフェストの個別項目が党を束ねる紐になり、マニフェストの条項を守ったか破ったかという喧嘩から党が分裂する羽目に陥った。
選挙制度改革から野党の集約化を通して政権交代に至るという90年代前半の政治再編の実験は、この実験を率先してきた小沢の離党によって、また振出しに戻ってしまった。二大政党に対する国民の失望が大きいだけに、民主党の失敗がもたらす政治危機は一層深刻なものとなる。民主党分裂を前提としたうえで、国民に有意義な政治選択の機会を提供するために何が必要か、考えてみたい。
最大の問題は、小沢抜きの民主党が何を目指すかという点である。冒頭で述べたように、野田首相は集団的自衛権や領土問題で、自民党も顔負けのタカ派姿勢を明らかにした。さらに、原発再稼働の次はTPP交渉への参加を表明しようとし、経済界の要求に沿って動いている。野田首相の下では、「民主党-小沢グループ=ウルトラ自民党」という方程式が成り立つようである。小沢グループが「生活第一」という旗印を浸透に持ち出したことを喜ぶ政治家も、民主党内にはいるのだろう。橋下徹大阪市長は野田首相の路線を全面的に評価し、大阪維新の会に野田民主党や自民党の一部を加えた再編の可能性について言及している(毎日新聞7月10日)。新自由主義とナショナリズムがその基軸となりそうである。
これでは3年前の総選挙で民主党に期待を託した国民が浮かばれない。野田首相はこの期に及んで民主党に一縷の期待を託している市民の思いがわかっているのだろうか。安全保障やTPPで自民党と同じことを主張して、民主党への支持が増えるとでも思っているのだろうか。
小選挙区が政党間の差異をなくすとか、グローバル化時代に政策的選択の余地はないとか言うのは、似非学者のたわごとである。アメリカでは、大統領選挙に向けて民主党と共和党が医療政策や税制をめぐって対立している。ヨーロッパでは雇用や社会サービスをどう守るかをめぐって政党は苦闘している。今や政党間の対立は政策の程度をめぐるものではあるが、程度の違いに思想の違いが表れるのである。
自民党は次期マニフェストにおいて自助と家族主義を基調とする社会保障ビジョンを明らかにしている。民主党はこのテーマで、明確な対立軸を立てなければならない。税社会保障一体改革については、これから実質的な論争が始まるのである。消費増税は片付いたとして、安全保障や市場開放についてさらに自民党と歩調をそろえるならば、野田首相こそ民主党の墓堀人となるであろう。
早期の解散総選挙となれば、国民は実質的な選択肢を失う。野田首相が下した重要な政策判断について、民主党に残った政治家は徹底的に議論し、民主党という政党がこれからの日本政治における選択肢になれるかどうか、最後の自問をしなければならない。
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