先週、飯舘、南相馬小高地区の状態を書きました。飯館村の避難区域の見直しがされ、17日から新たな段階に入りました。原発に近い側、南側の立ち入りは厳しく制限されました。そのくらい汚染がひどく、線量も高いことを示しています。簡単に帰還できないことが改めて確認されています。
飯館村は自治体としての一体化が阻害されています。このような実態を容認するのかどうかも問われています。一方で、農地、山林などの除染は気の遠くなるような話でもあります。住居、住居周辺、道路の除染が物理的に可能かもしれません。しかし、地域に帰還する、生活するための環境浄化は行動範囲を制約した除染では、安心して帰還することは困難だと思います。
放射性物質の飛散、汚染は、人間が住む環境を完全に破壊します。その意味では、ウラン、プルトニウム、核廃棄物と同居しなければならないような、居住環境は医学的に、人間は許容できないことと思います。電力が足りるかどうかと、原子力発電所稼動容認とを天秤にかけるような思考そのものが異常であると思います。坂本龍一さんが、原発稼動、容認に対して「沈黙」していることは「野蛮だ」と思うと発言しています。本当にそうだよなー!と思います。
<飯舘・長泥地区「帰還困難」に 荒れる故郷>
福島第1原発事故の避難区域の見直しで、福島県飯舘村が17日、新たな3区域に再編された。放射線量が高い長泥地区は村で唯一、5年以上帰還不能で立ち入りも制限される「帰還困難区域」に指定された。自由に立ち入りできる最後の日の16日、住民は荷物出しや墓参りで一時帰宅し、自宅に別れを告げた。(福島総局・浦響子)
長泥地区は村の南端で山林に囲まれたのどかな地域だ。74世帯276人が住んでいたが、原発事故で避難した。車道脇に雑草が伸び、田んぼには白い夏草の花が揺れていた。あるじを失った住宅は所々壁が傷んでいる。
「植木も田んぼも避難後は手入れしていない」
荒れた庭の草木を見ながら、農業Bさん(70)がつぶやく。福島市の仮設住宅に避難している。再編前に家を見に行こうと妻(62)、長女(42)と訪れた。
翌日からバリケードで封鎖される。住民は暗証番号を使って鍵を開けて立ち入りできるが、「関」の印象が強く、帰還困難という言葉の響きと共に心にのし掛かる。
「飼っていた牛の柵を思い出す」。Bさんの言葉に妻がうなずく。「隔離されている気持ち。今まで通りにスーッとは入れない」
地区内を回ると、一時帰宅する住民がぽつりぽつりと現れた。道端で会い、「しばらく」「最後だから来たよ」と声を掛け合う。
Aさん(64)は親戚と4人で自宅そばの墓にお参りに来た。福島市の借り上げ住宅で暮らす。新しいお花を供え、墓前で手を合わせた。
「追い出されたようなもの。残念というほかない」
区域再編で帰還が遠のく。「もう帰れないかもしれない」。村外に定住する選択肢が現実味を帯びているという。
バリケードは長泥地区と外部を結ぶ道路6カ所に設置され、17日午前0時、国の原子力災害現地対策本部職員らの手によって閉鎖された。
[飯舘村の避難区域見直し] 2011年4月、全域が計画的避難区域に指定され、全村民が避難している。今回の見直しで、村内20地区は放射線量に応じて「帰還困難区域」(年間50ミリシーベルト超)、立ち入りは自由にできる「居住制限区域」(20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下)、早期帰還を目指す「避難指示解除準備区域」(20ミリシーベルト以下)に再編された。帰還困難区域は長泥地区のみで制限区域は飯樋など15地区(1662世帯5262人)、準備区域は大倉など4地区(208世帯795人)。帰還困難区域は午前8時~午後5時に限り立ち入りできるが、宿泊はできない。
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飯館村は自治体としての一体化が阻害されています。このような実態を容認するのかどうかも問われています。一方で、農地、山林などの除染は気の遠くなるような話でもあります。住居、住居周辺、道路の除染が物理的に可能かもしれません。しかし、地域に帰還する、生活するための環境浄化は行動範囲を制約した除染では、安心して帰還することは困難だと思います。
放射性物質の飛散、汚染は、人間が住む環境を完全に破壊します。その意味では、ウラン、プルトニウム、核廃棄物と同居しなければならないような、居住環境は医学的に、人間は許容できないことと思います。電力が足りるかどうかと、原子力発電所稼動容認とを天秤にかけるような思考そのものが異常であると思います。坂本龍一さんが、原発稼動、容認に対して「沈黙」していることは「野蛮だ」と思うと発言しています。本当にそうだよなー!と思います。
<飯舘・長泥地区「帰還困難」に 荒れる故郷>
福島第1原発事故の避難区域の見直しで、福島県飯舘村が17日、新たな3区域に再編された。放射線量が高い長泥地区は村で唯一、5年以上帰還不能で立ち入りも制限される「帰還困難区域」に指定された。自由に立ち入りできる最後の日の16日、住民は荷物出しや墓参りで一時帰宅し、自宅に別れを告げた。(福島総局・浦響子)
長泥地区は村の南端で山林に囲まれたのどかな地域だ。74世帯276人が住んでいたが、原発事故で避難した。車道脇に雑草が伸び、田んぼには白い夏草の花が揺れていた。あるじを失った住宅は所々壁が傷んでいる。
「植木も田んぼも避難後は手入れしていない」
荒れた庭の草木を見ながら、農業Bさん(70)がつぶやく。福島市の仮設住宅に避難している。再編前に家を見に行こうと妻(62)、長女(42)と訪れた。
翌日からバリケードで封鎖される。住民は暗証番号を使って鍵を開けて立ち入りできるが、「関」の印象が強く、帰還困難という言葉の響きと共に心にのし掛かる。
「飼っていた牛の柵を思い出す」。Bさんの言葉に妻がうなずく。「隔離されている気持ち。今まで通りにスーッとは入れない」
地区内を回ると、一時帰宅する住民がぽつりぽつりと現れた。道端で会い、「しばらく」「最後だから来たよ」と声を掛け合う。
Aさん(64)は親戚と4人で自宅そばの墓にお参りに来た。福島市の借り上げ住宅で暮らす。新しいお花を供え、墓前で手を合わせた。
「追い出されたようなもの。残念というほかない」
区域再編で帰還が遠のく。「もう帰れないかもしれない」。村外に定住する選択肢が現実味を帯びているという。
バリケードは長泥地区と外部を結ぶ道路6カ所に設置され、17日午前0時、国の原子力災害現地対策本部職員らの手によって閉鎖された。
[飯舘村の避難区域見直し] 2011年4月、全域が計画的避難区域に指定され、全村民が避難している。今回の見直しで、村内20地区は放射線量に応じて「帰還困難区域」(年間50ミリシーベルト超)、立ち入りは自由にできる「居住制限区域」(20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下)、早期帰還を目指す「避難指示解除準備区域」(20ミリシーベルト以下)に再編された。帰還困難区域は長泥地区のみで制限区域は飯樋など15地区(1662世帯5262人)、準備区域は大倉など4地区(208世帯795人)。帰還困難区域は午前8時~午後5時に限り立ち入りできるが、宿泊はできない。
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