落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第48話

2013-04-24 11:04:58 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第48話
「三種の神器と口紅」




 「緊急時避難準備区域内にある広野町は、昨年の9月に慨に
 その指定を解除されています。
 しかしその時点で帰ろうという機運はまったく産まれず、
 いまでも、町民約5300人のうち4100人がいわき市などに避難をしたままです。
 町に戻ったのは今年の2月29日現在でも、わずか250人にすぎません」

 パタンと、ノートパソコンを閉めた川崎亜希子が、
響へ「じゃ、その広野町についてのお話をしましょうね」と顔を向け直してきました。
「福島から私が降りる那須塩原駅までは、1時間足らずで到着をしてしまいます。
時間は、お互いに有効に使いましょう」とほほ笑んでいます。
響にしても、それにはまったく異存がありません。


 「最近の報道によれば、職員約70人を前に山田基星町長は庁舎で、
 『役場の復帰は本格的な再生復興の始まりであり、町民たちの帰還に向けた
 環境整備でもある』と、話したそうです。
 町立の幼稚園と小中の各1校は、新年度の2学期には、
 広野町で授業を再開するという予定をたてました。
 地震や津波で自宅を失った町民向けの仮設住宅も、町内の2カ所で
 計46戸が、3月中までに完成をするなど、受け入れの準備のほうも
 それなりには進んでいるようです。
 ここまでは、先日までに報道をされた内容の話しです。
 しかし現実は、それほど甘くはないようです。
 昨年の9月に広野町へ戻ってきたという、農家のある女性は、
 こうした事態をかなり冷ややかな目で見ています。
 私たちが避難区域への潜入調査を終えて、帰り際に立ち寄った広野町の
 ある商店の女性から聞かされた話も、実に辛辣でした。


 『空間放射線量は(役場周辺で毎時0.18マイクロシーベルトと)低い。
 町民が帰るきっかけになってほしい」と一応は、役場復帰の動きを歓迎していました。
 しかし、震災まで同居していたという若い息子夫婦と2人の孫は、
 学校や保育園が広野町で再開されても、町にはもう戻って来ないそうです。
 『2歳の娘が入る保育園は既に決まった。
 いくら除染してもやはり将来的には不安なので、もう町には帰らない」と、
 いわきでの生活再建を慨に決めてしまったそうです。
 またたとえ戻ってきたとしても、広野町に息子夫婦たちの仕事の場がないというのも、
 帰って来ない大きな理由にもなったようです。
 役場の機能が戻ってきても、職員たちはいわきから通勤をするというお話です。
 『単なるアピールに過ぎないだろう』と言う皮肉な声も、多く聞かれています。
 『町内の仕事は少なく、農業もできない。
 何もできないのに、多くの町民が帰ってくるとは思えない』
 と、とても悔しそうにお話しをしていました」



 「しかし、そのままでは広野町は、ゴーストタウンになってしまいます」



 響が落胆の吐息とともに、思わずそんな感想をもらしています・・・・。
パソコンの上に指を組んだ亜希子さんは、そんな響の瞳を見詰めたまま、
すこし言葉を強めます。


 「半径20キロ以内の立ち入り禁止区域内で、
 私たちが調査のかたわら、町の様子を見てきた感想では、
 残念ながら、ほとんどのところで、すでにそうした廃墟化が確実にはじまっていました。
 人が居ないと言うことは、日常が全く失われることを意味します。
 人の手によって作られたものが、その維持管理ための手段を失うと、
 そこに待っているのは、すべての崩壊の始まりです。
 町が崩壊すると言うことは、同時に豊かなはずだった自然までも失われてしまいます。
 人の手による人工物がすべて滅ぶだけでは無く、放射能の影響によって、
 自然もまた、すべてにわたって滅びはじめます。
 私たちは、廃墟の町で、それらをつぶさに目の当たりにしてきました。
 広野町の苦悩も『このままでは町が廃墟になる』という、その一点に尽きるようです。
 広野町の復興計画では、全町規模の除染を今年の年末までに終わらせて、
 全町民の帰還を実現させるという、きわめて大きな目標を掲げています。
 山田町長は『段階的に戻ってもらうが、簡単に進むとは思っていない』
 と環境整備に取り組む考えを示しています。
 それ自体が大変な取り組みですが、広野町では、もうひとつ、
 原発立地ゆえの、難しい問題も抱え込んでしまったようです・・・・」


 「もうひとつの問題? なんでしょうか、それは・・・・」


 「行ってみれば解る事です。
 広野の町内では今、作業服にマスク姿という男性たちばかりが目立っています。
 警戒区域に隣接していて福島第1原発にもきわめて近いため、
 事故処理などにあたる作業員たちの宿舎が一気に増えてきたためです。
 広野町に住む町民は、250人なのに対し、
 作業員は、いまでは常時5000人を下らないと言われています。
 策定中の復興計画でも、こうした旧の町民数に匹敵する「新住民」への
 対応などが迫られています。
 山田基星町長は「ピンチをチャンスに変える」として、原発関連の研究機関や
 企業の集積を図るまちづくりを目指して意欲的です。
 しかし依然として、いわき市などを中心に避難している町民たちは、
 仮設住宅から広野町へ通い、夜には戻るという生活を送る人が多いままのようです。
 もともと住んでいた人たちが夜になると町を去り、
 変わって5000人近い、全国からの男たちが屯をする・・・・
 これでは広野が復興したとは言い切れないという、悲観的な見方も、
 静かに蔓延をしています。
 また、『医療や買い物先の確保なども、もっときちんと進まなければ、
 町に戻る人の動きは、おそらくもっと鈍くなる』
 と懸念する声なども、あちこちで聞いてきました」



 「今では原発関連の男たちばかりの町ですか・・・・
 ある意味で、異様な光景が見えるような気がします。
 それも必要悪のひとつだと思いますが、ある意味、すこし恐いような気がします」


 「その通りです。
 そこでは夜間の外出は、細心の注意を必要とするようです。
 まして、あなたのように若くて美しい女性ならば、特にそれが必要でしょう。
 脅かすつもりは有りませんが、日没後には常に注意を怠らないことです。
 自分の身は、ご自分で守らなければなりません。
 どうします、それでもあなたは広野町へ行きますか?
 行くのであれば、これから、乗り換えの路線についてお教えいたしますが」

 「もう今さら、後にはひけません・・・・」


 「なるほど、見上げた覚悟です。
 でも広野へは、そのくらいの気持ちと覚悟で足を踏み入れた方がいいでしょう。
 無用なトラブルを避けるためにも、細心の用心が欠かせません。
 あなた。男性経験のほうは豊富ですか?」


 「えっ!、あ。・・・いぇ、あの、その・・・」


 「その様子では、あまり免疫が無いようですね。
 じぁ、私の三種の神器を差しあげますので、これを持って行きなさい。
 あ。断っておきますが、あくまでもただの気やすめです。
 常時、男性たちの中で働いていますので、私も一応用心のために携行をしています」



 「はい」と言いながら、バックの中から
顔が隠れてしまいそうな大きな帽子。かなり濃い色をした大きなのサングラス。
そしてこれが、とっておきの秘密兵器ですと笑いながら、
辛子スプレーなどを取り出しました。


 「使う事はおそらく無いと思いますが、備えさえあれば憂いなしです。
 もっとも・・・・私にみたいなおばあちゃんであれば、素顔でいても相手にされません。
 私には不要でも、あなたには(たぶん)必要となるかもしれません。
 はい、遠慮しないで持っていって頂戴。あっははは」


 押しつけられるままに、三種の神器を響が受け取ります。
帽子もサングラスも、良く見ると、いずれも名の通った一流のブランドメ―カの品物です。
「あのう・・・・これ」と、響が目を丸くして見上げた時に、もう亜希子さんは
テキパキと降りる支度をはじめています。


 「さすがに新幹線は早いわね。
 あっというまに那須塩原だもの。随分便利になりました。
 あ、これは、私の名刺です。
 裏にメールアドレスをメモしておきましたから、あとで連絡をくださいね。
 どんなふうに、あなたには広野町が見えたのか、とても楽しみです。
 それは確かにブランド物だけど、私が散々使った後だもの、
 もう二束三文の代物です。
 じゃね、また今度、あらためてネットでお会いましょう」



 呼びとめる隙も見せずに、亜希子さんが颯爽と立ち去って行きます。 



(今日はいろんな人と出会う日だわ。午前中の浩子さんといい、
今の亜希子さんといい、とても元気で、ユニークな女性たちと次々と行き会った。
おばちゃん世代が元気なのは、関西や大阪のおばちゃん達だけかと思っていたけど、
けっこう東日本にも、がんばっている女性が居るのねぇ。見直しちゃった・・・・)

 コンコンと、窓ガラスが叩かれました。
目線を上げるとプラットホームの亜希子さんが、窓の向こう側でなにやらしきりに
身ぶり手ぶりでのゼスチャーなどをしています。


 まず帽子を被れと、手で形をしめしています。
次に顔にはサングラスをかけろと、指示をだしているように見えました。
しかし、その次の指示が、良く解りません・・・・
スプレーは邪魔になるからポケットにしまっておけという、そんな身ぶりを見せてから、
『もうひとつ、アイテムが有るから』と、聞こえない音声のその口元が、
なにやらしきりと動いています。
(もう、一つある?)
亜希子さんが指を一本立ててから、まず自分の唇に触れました。
その指がしなやかに動いて、先ほどまで座っていた自分の座席の隅を指し示しています。
さらにその指先が、その辺りをよく見ろという風に動きました。
座席に何かを置いてきたと言う意味で、そこを探せと言う言うことかしら・・・
何があるのかしらと・・・・ふと響がそこを見ると。

有りました。



 新品の口紅が、一本コロンと転がっています。
急いで窓の外へ目をやると、それを唇に使えと言いながら亜希子さんが目を細めています。
響が了解しましたとOKサインを出すと、亜希子さんがひとつ投げキッスを返してから、
くるりと背中を見せました。
響が手にした口紅は、燃えあがるような真紅です。


 (大きな帽子を被り、サングラスをかけて、唇に
しっかりと原色で真っ赤な口紅をつけてから、手には辛子スプレーを持って、
狼たちの群れの中へ飛び込んで来いという亜希子さんからの、メッセージだ・・・・
そうか・・・・
変な小細工なんかしないで、女の美しさを前面に出して、ポジティブに
街を闊歩して来いと言う、亜希子さんからの激励の意味なんだ。
そうだよね。
奪えるものなら奪ってみろという、開き直った姿勢のほうが安全かもしれないし、
第一今日のあたしは、まだ全然お化粧もしてない、ただのすっぴんのままだった。
よぅし。こうなったら腹を決めて、気合を入れて可愛い女に変身するか、
亜希子さんの助言の通りに・・・・
すこぶるつきの良い女になって、これから、広野町へ乗り込むぞ~!)




・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/ 

連載小説「六連星(むつらぼし)」第47話

2013-04-23 10:10:46 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第47話
「ベクレル(becquerel)の表示」




 響が乗車をした東北新幹線は、
13時13分、仙台駅始発の上り「やまびこ」216号です。
福島へは13時36分に着き、両毛線に乗り換えるための栃木県小山駅への到着は
15時ちょうどの予定になっています。


 「ほぅら、ごらんなさい。
 やっぱり栃木県は北関東のど田舎です。
 最速の『はやて』が停まらないのは、田舎の駅の証です。
 ほほほ・・・・ごめんなさいね、響ちゃん。
 でもねぇ、ここでお別れかと思うとやっぱり私も寂しいわ。
 ねぇ、きっとまた松島へ絶対に遊びに来て頂戴。
 せっかく知り合えたのに、あなたはさっさと帰っちゃうし、
 金髪君と伯父さんも、そのうちに秋田へ帰ってしまうんだもの、
 残された私が、あっというまに寂しくなっちゃうわ。
 帰り道、気をつけて帰ってね。
 いやだわぁ、そんなことばかりを言っているうちに、
 もう、涙が出てきちゃった・・・・」

 
 にぎやかな浩子さんに、最後まで笑わされ、
金髪の英治と伯父さんに別れを告げて、響が帰りの旅路につきます。
(もう少しだけ私に『ときめき』があれば、英治とは恋に落ちたかもしれない・・)
土産代りにもらった英治のノートパソコンを手で触れながら、
響がそんなことをつぶやいています。



(醒めた目で男を見るのは、私が歳をとってしまったせいかしら。
それとも、男に魅力が足りなかったせいなのかしら・・・いずれにしても
最近の私は、恋にまったく縁がないままの、今日この頃だわねぇ・・・・)
などと、あらためて金髪の英治を思い出しながら、響が、少しばかり
自虐的に笑っています。


 20分ほどで到着をした福島駅では、発車の間際になると、
またあの懐かしい高校野球の応援歌『栄冠は君に輝く』の、すこぶる軽快な
発車メロディが聞こえてきました。
(そうか、まもなく春の選抜高校野球も始まる季節だ・・・・)
窓にもたれ、頬ひじをついてぼんやりとしていると、空いていた通路側の席へ、
大きな手提げバックをかかえこんだ、中年の女性が突然現れました。
息を切らしているところをみると、発車寸前にあわてて飛び込んできたのかもしれません。


 かるく会釈をして隣へ座った女性は、座った瞬間から早くも
バッグ中の手探りをはじめました。
やがて、赤いノートパソコンと黒ふちの眼鏡を、ひょいと取り出します。
(あら可愛い。ドクタースランプあられちゃんみたいな、愛嬌たっぷりの黒メガネだわ)
興味をひかれた響が、横目で女性の様子を観察します。


 歳の頃なら40歳そこそこに見え、化粧っ気などはまったくといっていいほどありません。
充分に理知的な雰囲気を漂わせていますが、それでいて黒メガネの似合う横顔を見ると
何とも言えない愛嬌があり、なぜか初対面でも親しみなどを感じさせる女性です。
女性がふたたびバックの中へ手を入れています。
今度は手ごたえ十分で、かなり厚い書類の束を取り出しました。
書類のページのあちこちを、いったりきたりしながら
忙しく何やら確認をし始めます。
やがて、自分の膝に置いたノートパソコンへ、人差し指一本のみを使っての、
データ―の打ち込みを始めました。


(あらま、見るからに初心者モードだわ・・・それもおばちゃんパターンそのものだ)



 見られているとは知らずにこのおばちゃんは、あちこちの書類の数字を確認しては
パソコンの画面をクリックし、ファイルのあちこちを転々と移動しています。
その操作にはいかにも初心者といった戸惑いぶりが、随所に見えています。
(あら、画面を並べて同時に使えるということを、知らないのかしら。
ずいぶんと効率の悪い操作を繰り返しているわねぇ、まったく・・・・よぅし!)


 「すみません。少しいいかしら?」


 精いっぱい、にこやかな笑顔をつくって響が中年女性へ声をかけます。
「はい?」と、女性も黒ブチメガネを押し上げて、少女のような可愛い顔を上げます。
響が、指でノートパソコンの画面を指し示します。


 「必要な画面をいっぺんに呼び出しておいて、一度に並べて置きながら
 それらを必要に応じて交互に操作をして、入力をするというやり方があります。
 窓をいっぺんに沢山開けると言う操作の意味が、ウィンドウズの語源です。
 パソコンはもともと、そういう操作を最も得意とする道具です。
 ごめんなさい。横から出しゃばったりして。
 でもいいかしら、
 すこしだけ、お節介をしても?」

 
 「あら、そう。へぇ~そうなんだ・・・・そんな便利な使い方もあるの。
 教えていただけるとたいへんに助かるわぁ~
 私、パソコンだけは大の苦手なんです・・・・見た通りで
 この通り、いつも四苦八苦をしています」


 響が身体を乗り出し、お互いの肩が触れ合うほど女性へ近寄ります。
女性も響が見やすいように、膝へ置いたパソコンをすこし斜めに傾けました。



 「それではまず最初に、必要なファイルを全部呼び出してください。
 呼び出した画面をひとつづつ、画面右上のマイナスのような記号を押してあげると
 縮小化されて、画面一番下のタスクバーへ収納されます。
 縮小化した画面を、必要なものから順に呼び出して画面上に重ねていきます。
 その状態からタスクバーの余白の部分で右クリックをすると
 『並べて配置する』という設定が出てきます。
 例えば、『横に並べる」をクリックすれば、このふたつが横に並びます。
 これの繰り返しで、いくつもの画面を同時に並べて操作をすることが出来るようになります。
 どうです。見やすいでしょう。これなら数値の入力も簡単になります」


 「あら本当だ。ねぇ、あなたはパソコンの先生?」


 「いいえ、これはウィンド―ズが持っている、もともとの機能です。
 窓をいくつも開けて、同時に操作をするという方法はこのほかにもありますが、
 とりあえずは、こんな風にして操作をしてみてください。
 それにしても、細かい数字の最後についているこの記号『 Bq 』は、
 たしか・・・・ベクレルを意味する記号ですよね]


 「放射能の量を表す単位のことで、SI組立単位の1つです。
 よくこれをご存知ですね、あなたは。
 1 秒間に1つの原子核が崩壊をして、放射線を放つ放射能の量が、1 Bqです。
 例えば、毎秒370個の原子核が崩壊をして、放射線を発している場合は、
 放射能の量を 370 Bqと呼びます。
 最近、水や食べ物に含まれる放射性物質の量のことを
 「ベクレル」というこの単位で、あらわすようになりました。
 もう一つよく耳にする「シーベルト」(Sv)は、
 生体への影響を表す量のことです。
 ちなみに、
 1ミリシーベルト(mSv)は1シーベルトの1000分の1
 1マイクロシーベルト(μSv)は1ミリシーベルトの1000分の1です。
 国際放射線防護委員会(ICRP)によれば、1年に1mSvの放射線を受けると、
 一生のうちにガンになる確率は、0.000073増えるといわれています。
 1年に1mSvの放射線を浴びた人が1万4000人いたとすると、
 1人はそれが理由でガンになるよいうわけです」



 「あら、ごめんなさい専門的な話で」と、女性がメガネを外します。
理性にあふれた黒い瞳が、そこに現れました。
あらためてにこやかな笑顔を、響へ向けます。


 「宇都宮市で会社員をしている川崎亜希子といいます。
 もっともそれは本社の話で、私はもっぱら那須の山奥で牛の管理などを担当しています。
 今日は福島県内での調査を終えて、これからその那須へ帰る途中です」


 「あら、ご近所です。
 私は塩原に近い、湯西川の出身です。
 正田 響と言います。ついこの間までは学生でしたが
 いまは訳ありで家出中の親不孝な娘です。
 被災地の石巻で人探しを終えて、おなじく私も家に帰る途中です」



 「自己紹介が、とてもはっきりしていて良いですね・・・・うふふふ。
 私は、放射線取扱主任者という資格を持っていますので
 大学連合チームによる福島県内での被ばくの調査に、協力をしています。
 牛の部位の体内被ばく量と、減衰の様子などを研究中です。
 空間線量の測定や警戒区域内での土や水、草の採取なども実施しています。
 こうして福島で集めたデータが、将来、栃木でも必要になるかもしれません。
 フィードバックして、産業振興などにも役立てたいと考えています」

 「素晴らしい活動だと思います。
 警戒区域内といいましたが、立ち入りは解除になったのですか?」


 「いいえ、一般人はまだ入ることはできません。
 私たちは学術調査と言うことで、特別に許可をされました。
 もともとは「動物保護」から始まった活動です。
 10年前から所属をしている日本動物福祉協会が、今回の震災と原発事故を受けて
 緊急救援本部の一翼を担ったことから、私も福島県へ足を運ぶようになりました。
 最初のうちは、置き去りとなったペットを飼い主に届けたり、
 衰弱した動物の保護などで奔走をしました。
 生き別れた愛猫との再会に、号泣をした飼い主さんたちも沢山いました。
 そうした一方で、餓死とみられる動物の死骸なども
 実に多く目の当たりにしました。
 『人間が安心して暮らせる環境を整えないと、動物の問題も解決しない』
 そう痛感したことが、現在の活動の始まりです」


 「原発のもたらした放射能の影響は、私でも
 きわめて深刻なものがあると、実感をしています。
 そうですか、一年が経つと言うのに、いまだ立ち入り禁止のままですか」


 「原発から20キロ圏内ぎりぎりにある、
 福島県広野町が、3月1日にいわき市に移していた役場の機能を
 1年ぶりに本来の庁舎へ戻したというニュースを聞きました。
 原発事故で役場の機能を移転した福島県内の9町村では、初の帰還になります。
 町は町民への避難指示を3月末に解除して帰町を促す予定もたてています。
 そこまでなら、今からでも行くことが出来るでしょう」


 「避難していた街の人たちは、戻ってくるのでしょうか?」


 「ご自分の目で、確かめられたらいかがです?
 ずいぶんと、そのことに興味が有りそうなお顔をしていらっしゃいます。
 家出中ならなおのこと、暇も時間も余っているでしょう。
 パソコンを教えていただいたお礼に、そこへの道のりなどを教えましょう。
 あなたなら、広野は、一見の価値があると思います。
 行って見ますか?」


 また、響の中で何かがぞくりと、動きはじめました。






・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/ 

連載小説「六連星(むつらぼし)」第46話 

2013-04-22 10:20:02 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第46話 
「仮設住宅」




 「え?住宅のこんなにもまじかに、高速道路が走っているなんて・・・・」


 金髪の英治と茂伯父さんが、手招きをしながら立っているのは、
三陸高速道路とはすぐの目と鼻の先にある、最南端部に建てられた仮設住宅です。
仮設住宅の軒下から高速道路までは、わずかに約10m余り・・・・
観ている目の前を、高速の車が弾丸のように次から次へと通り過ぎていきます。

 「朝夕は特にうるさい。
 車の通行量が多すぎるためにね。
 それでも修復がすすんだおかげで、最近はずいぶんと静かになった。
 入居をした当初は路面に凸凹が残っていたために、
 夜中にトラックが通るたびに、ドンドンと凄い音がしました」


 と、茂伯父さんは事もなさそうに笑っています。
東松島市の奥松島ひびき工業団地に急きょ建設をされた、大規模なこの仮設住宅は、
三陸自動車道とは、極端なまでの至近距離で設置されました。
住宅と高速道の間を隔てているのは、わずかに金網のフェンスだけです。
玄関の戸を開ければとたんに、高速で飛んでくる乗用車やトラックなどが目に入ります。
敷地からの距離で最も近い場所では、わずかに10メートルあまりです。
このわずかな空間では、高速走行時の騒音などは、とても防ぐことなどできません。
復旧関連の人や物資の移動のための大動脈と化したこの三陸自動車道は
震災の直後から、信じられないほど急激に通行量が増加をしました。


 「仮設は基本的に、入居は2年までと決められています。
 それまでは、多少はうるさくても文句を言わずに、我慢しろと言う意味でしょう・・・
 いえいえ、ほんのつまらない、私の冗談です。
 騒音防止用の壁がまもなく出来あがります。
 どうぞ、あがってください。
 狭いところですが」


 招き入れられた茂伯父さんの仮設住宅は、1DKの間取りです。
東日本大震災で建てられた仮設住宅は、1DK(6坪)・2DK(9坪)・3K(12坪)
の3タイプにそれぞれ分かれています。
一人暮らしの場合は基本的には1DKで、あとは入居人数によって
部屋数の多い住宅などが割り当てられています。
広さは、もともと東松島の一戸建てに住んでいた人からすれば、
手狭に感じられるかもしれませんが、首都圏のアパートやマンションに
住んでいる者からすれば、そこそこと感じるスペースがあります。


 造りはプレハブですので、防音などの期待は一切できません。
しかし外観だけは、さすがに新築だけはありきわめてキレイそのものに仕上がっています。
室内には、お風呂、トイレ、シンクとコンロ、洗濯機の置き場があり、
ユニットバス方式ではなく、お風呂とトイレはそれぞれ別に設置されています。
設備も、洗濯機や冷蔵庫、炊飯器、テレビなどの基本的な家電類は
入居前からすべて設置をされています。
こうした備品類のほとんどは、日本赤十字社に送られた義捐金によって賄われています。
エアコンも設置されていますが、たとえ3DKであっても1台のみの設置です。


 支援物資の中から、食器類や調理道具、布団、掛け布団、
米10kg、トイレットペーパーなどが、入居時に限って支給をされます。
しかし、こうした支援物資による支給は、この1回のみの限定です。
こうして仮設住宅に入居をした瞬間から、おおくの被災者たちは、
自力での復興生活へのスタートを切るのです。
ベランダがあるわけではありませんので、洗濯物はやむを得ず外に干すしかありません。
ひさしがないので、雨が降れば濡れてしまいます。
他人が普通に通る場所へ洗濯物などを干すことになりますので、
(年頃となる)女性たちには、あまりいい気持ちがしないかもしれません。・・・・


 また、市街地からは一様にかなりの距離で離れています。
買い物に行くには、送迎用のバスを使うか、乗用車などを使わなければなりません。
それでも、プライバシーもなければ寝心地も悪く、
キッチンで自由に料理を作ることもできず、一人で入れるお風呂もなく、
トイレも共同であったという、あの避難所の生活から比べれば、
ここには天と地ほどの差があります。


 「私のように一人で住むのには、充分すぎます。
 そういえばあなたは、私が避難所で瀕死の折りに看護をしてくれた
 あの時の看護師さんのお一人だそうですね。
 どうもその人懐っこい笑顔に、なにやら見覚えが有ると思いました」


 「荻原浩子と申します。
 被災地でご縁のあったお方たちと、こうしてまた
 無事に再びお会いできるとは、私も夢にも思いませんでした。
 こうして元気そうなお顔が拝見できると、格別に嬉しいものがこみあげてきます。
 すっかりと回復をされた様子に、まずは心から安心をいたしました」


 「治った訳ではありませんが、とりあえず身体は落ち着きました。
 やはりあの時の、みなさんの看病のおかげです。
 こうして生きながらえてきたおかげで、
 思いがけなく、こうして身内の英治と再会することが出来ました。
 やはり・・・生きていてこそ、なんぼの世界です」



 「まさに、その通りだと思います。あははは」



 仮設住宅に、きわめて明るい浩子さんの笑い声が響き渡ります。
「ちょっと」と、金髪の英治が響を呼び出しました。
南に面したサッシの引き戸を開けると、そこはそのまま隣家と向かい合った路地です。
向かい合ったその空間が、そのままお互いの通路としての役割なども果たしています
足元のサンダルを突っかけた英治が、響を広場のほうへ誘います。


 「とりあえず、今のところ伯父さんは、
 病気の容態も、それなりには落ち着いてはいるようだ。
 しかし、いろいろと聞いたが、やはり油断はできない事態に変わりがないと思う。
 そこでこの際、秋田へ連れて帰るのがやっぱり一番だろうと俺は考えた。
 そこで、お前に相談だ。
 俺は此処に残って、早速、引越しの準備にとりかかりたいと思っている。
 やはり元気なうちに連れて帰るのが一番だと思うので、準備もできるかぎり急ぎたい。
 だが、そうなると、お前とは此処で別れることになる。
 お前さぁ・・・・ひとりで群馬に帰れるか?」


 英治の顔をじっと見つめながら話を聞いていた響が、
遠慮しすぎているその口ぶりに、思わず吹き出してしまいます。


 「何バカ言ってんの。
 私に遠慮なんかはいらないわよ。
 小学生じゃあるまいし。どこからでも桐生へ帰れます。
 あまりにも真剣な顔をして私を呼び出すものだから、もしかしたら
 頼むから俺のお嫁になってくれとか・・・・
 ここで一生、伯父さんの世話をして暮らしてくれとか、
 そんなお願いをされるとばかり、すっかり思い込んで覚悟を決めていたのに。
 な~んだ、そんなお話でおしまいなのか・・・・う~ん、残念。
 ちょこっとは、私なりに期待をしていたし、
 すっかり緊張して、力みすぎていたわ。
 ああ、なんだか損をしちゃった気分だなぁ」


 「あれ・・・・お前。
 俺がプロポーズをしたら、もしかしたら、
 受けてくれるつもりでいたのか?」


 「まさかあ。
 伯父さんのお世話なら引き受けても良いけど、
 あんたみたいな不良で出来損ないは、こっちからまっぴらご免だわ。
 早いとこ秋田に帰って、色白で純朴な秋田美人でも探したほうが
 英治のためになると思います」


 「そうだろうな、俺もそう思っていた。
 しかし、なんだかんだ言っても俺は、お前さんには世話になっちまった。
 そこでだが、俺からお前さんにささやかなお礼がしたい。
 お礼と言ったところで大したものじゃない。
 俺の使っていたノートパソコンが、まだ看護師のおばさんの車に積みっぱなしだ。
 それをお前にやるから、遠慮をしないで持っていけ。
 買ってからまだ半年余りで、最高級品だ。
 俺が持っていたのでは、またゲーム三昧が関の山だろう。
 お前の方が使い道が多そうだから、そいつをやるから持っていけ」


 「そりゃあ欲しいけど、あれはあんたの大事な遊び道具じゃないの。
 いいの、本当にもらっても。
 実は、いいパソコンだとは思っていたんだ・・・ほんとはね」

 「やるよ。
 それからな、当分の間は通信料は俺が払っておく。
 インターネットに繋がっているうちは、俺が金を払っていると思え。
 ただし、メールアドレスだけは変えないでそのままにしておいてくれよ。
 俺があたらしいパソコンを買ったときに、そっちにメールアドレスが残っていないと
 お前に、俺からの『愛のメール』が届かないことになっちまう。
 それくらいなら、つき合ってくれるよな」


 「どうしょうかな・・・・
 届いたら、真っ先に迷惑メールに振り分けるかもしれないわよ。
 冗談よ。よろこんであなたからの恋文を読むわ。
 でもさぁ・・・・英治。
 よかったね、元気なうちに伯父さんに会うことが出来て。
 伯父さんも生まれ故郷へ帰れるのが、やっぱり一番の保養になると思う。
 ここまで、やって来た甲斐があったわね。
 私も、あんたについて此処までこれてよかったわ、とても感謝してる。
 でもさ、お嫁さんには、遂になれなかったけどね・・・・」


 「ばかやろう。
 俺じゃ物足りないのは、お前自身が一番良くわかっていたくせに」


 「分かんないわよ私だって。あなたに真剣に口説かれたら・・・・」



 「じゃ今から必死で、口説こうか?」


 響の背後へ、茂伯父さんを引き連れた浩子さんがやってきました。
『あら、まあ、ごめんなさい。若いお二人は、ラブシーンンの真っ最中でしたか!』
響の背中で、浩子さんが目を細めています。
耳まで真っ赤になっている金髪の英治に向かって、浩子さんが黄色い声をあげます。

 「あら、嬉しい。久し振りに口説いてくださるの・・・・
 思いっきり口説いてくださいな、金髪君。 私でよければ、ですけれど。
 あら何よ、その不満そうな君のその顔つきは。
 失礼でしょ・・・・私だってまだ現役の女です。こう見えても。」


 明るい日差しの下で、気持ちよく笑う浩子さんの声がまた大きく響きわたります。
元気な笑い声はいつまでも仮設住宅の間で、こだまのように跳ね返ります。


 「いえいえ、皆さん。
 こんなところで、のん気に笑っている場合ではありません。
 これから群馬へ帰る響ちゃんを、仙台駅まで送らなければなりません。
 金髪君。私を口説くのは、その帰り道でも充分です。
 なにしろ響ちゃんという、強敵を送り出した後になりますので、
 ライバルはいないし、心おきなく私を口説いてくださいな。あっはっは。
 冗談はさておいて、金髪くんは、車を運転をしてくださいね。
 茂伯父さんもドライブがてら、響ちゃんを見送ってくださるそうです。
 そうなると私は、帰りは男性陣が両手に花ということに、なってしまいます。
 さあさ、とっとと参りましょう。
 目障りな群馬から来た田舎の美人はさっさと追い帰して、
 後は、私たちの3人で大いにもりあがりましょう!」


 「あら、私は湯西川ですから、出身は栃木県です」


 「群馬も栃木も一緒だわ。
 どちらも・・・・同じレベルで、北関東のド田舎者でしょう」


 再び浩子さんの大爆笑が、仮設住宅内に響き渡っていきます。





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連載小説「六連星(むつらぼし)」第45話 

2013-04-21 10:22:05 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第45話 
「ヒューマンエラー」




 浩子さんは、自分の掌の中でキラキラと輝いているさくら貝を
目を細め、懐かしく見つめています。


 「人は、時々、思いもかけずに間違いを犯します。
 間違いたくはありませんが、結果とてして間違うこともあります。
 でも私の場合は、今思えばあの場合の決断は、やはり誤りでした。
 こうして、あの少女がくれたこのさくら貝を見るたびに、やはりそんな風に、
 少しほろ苦い想いでそのことを思いだします」


 「そうは思えません。私には美談として聞こえました。
 でもやはり、被災地の医療の現場では、それでは駄目なのですか」


 「他に重大事態の患者さんがいなかったために、
 結果的に、ただ深刻な混乱状態に至らずに済んだだけの話です。
 結果が、単に幸運だっただけのようです。
 私は看護師としての資質をあげるために、もっと努力をしなければなりません。
 しかしそう思った矢先に残念ながら、私は体調を崩してしまいました・・・・
 私も、被災地同様、ここからまた再出発をする予定です。
 ところでお嬢さん、いえ、響さん。
 ヒューマンエラーと言う言葉は、ご存知ですか」


 「人為的ミスや、人が犯しやすい失敗と言う意味だと記憶をしています。
 確か・・・・『意図しない結果を生じる、人間の行為」と規定されていたと思います。
 設備や機械の操作、乗り物の操縦などにおいて、
 事故や災害などの不本意な結果が生まれた時などに、よくつかわています。
 言い方を変えて、『人災』と呼ぶ場合などもあります。
 安全工学や人間工学においては、事故原因となる作業員や操縦者の
 故意や過失などのことを指す・・・・と記憶をしています」


 浩子さんが、響を見てまたほほ笑んでいます。
手のひらからもうひとつのさくら貝をつまむと、それをそっと響の手のひらへ置きます。



 「正解です。聡明ですね、やはり、あなたは。
 私のとってしまったあの行動も、やはりただの単純な「人為的ミス」のようです。
 でも私は、再び医療の世界へ戻り、またあのような現場に立ち会った時に、
 わたしはまた、あの時と同じ過ちを繰り返すかもしれません・・・・
 人が人として生きるために、過酷な状況下での被災地では、すべての人たちの人間性が
 むき出しにされてしまいます。
 弱い者たちが、必死に肩を寄せ合って、生きるために励まし合うのです。
 少なくとも震災直後はそうでした。
 しかし、その後の対応ぶりに、この国には重大なヒューマンミスが
 存在していることを身体で実感しました。
 そして重大なことにそのヒューマンミスは、一年たったいまでも、
 被災地に重大な暗い影を落としています。
 昨日と今日、被災地の様子を見つめてきたあなたには、
 そのヒューマンミスの姿が見えますか?」


 「大規模な、ヒューマンミスですか・・・・
 どういう意味でしょう。
 たいへん興味のあるお話のようですが、私には、まったく見当がつきません」


 「福島県の人々は、福島第一原発による放射能汚染のために、
 多くの人たちが、いまだに住み慣れた我が家を追われたままです。
 政府や東電のあいまいな表現や、小出しの情報に翻弄されて、
 わずかな期間と思われていた避難の生活は、いまだに帰宅のめども立たず、
 相変わらずの仮の暮らしが続いています。
 炉心の溶解によって各地に飛散をしてしまった放射能の影響も、
 きわめて深刻なままの状態で、有効な手だてなども講じられていません。
 福島に限らずそれはまた、宮城や岩手にも同じ事がいえるようです。
 海沿いの我が家を失った人たちは、いまだに高所への移転が始まりません。
 あれから一年が経つと言うのに、国が責任を持って
 被災地の再生計画など整備しないために、東北は未だに立ち往生をしたままです。
 放射能を含んだ大量のがれきも、いまだに放置をされています。
 一年間で処理できたのは、わずかに全体の5%にすぎません。
 発生の直後には、あれほど『絆』の文字を掲げて支援をしてくれた日本中の皆さんも、
 がれきだけは駄目だとばかりに、がれき処理の受け入れに、
 市民団体などが圧力をかけて阻止をして居るという始末です。
 まるで行政や政府が、『支援をあてにしないで、自力で復興をしろ』と、
 言い捨てているような事態ばかりが続いています。
 日本における、政治の遅れは深刻です。
 経済は世界に誇れる先進国でも、政治と政治家に限っては
 日本は後進国そのものといえるようです。
 事実、すべてを含めて東北の被災地には、対処が遅れてたままの政府や
 行政による『ヒューマンエラー』が、随所に蔓延をしています。
 地震と津波は、文字通り『天災』です。
 しかし、それ以降の原子力発電所の炉心溶解や、放射能の飛散は
 あきらかに、歴代の政府が押す進めてきた無謀による末路です。
 これはもう誰が見ても、『人災』と呼べるものだと思います。
 一向に進まない復興地政策や、がれき処理の停滞なども
 おなじように、政府が手をこまねいているための『人災』です。
 政府や政治家たちは、今回の震災に関する限り、
 すべてにおいて中途半端で、行動や施策が遅きに過ぎました。
 あらぁ、まあぁ私ったら・・・・思わず力が入ってしまい
 被災地の一住民としては、あまりにも不謹慎で
 あまりにも過激すぎる発言などを、ついしてしまいました。・・・・
 でもね、これが被災者たちの、偽りのない今の本音だと思います」



 響の胸を、激しい衝撃が走りぬけます。
英治と共に、被災地に足を踏み入れた瞬間から感じていた、得体の知れないもどかしさが、
ようやく響の中でそのベールを脱ぎ始めました。
本質へなかなか迫りきれずにいた、響の中のわだかまりの正体が
浩子さんの話を聞いているうちに、ついにその姿を見せはじめました。


 被災地への同調とは全く異なる感情です。
それが何処から産まれてくるのか自覚は出来ないものの、
怒りにちかい哀しみの気持ちが、響の中で渦を巻きはじめました。


 『違う。哀しみじゃない、これは怒りだ。
 憤りとも言えるほどの、きわめて激しい、わたしの内部に有る強い怒りの気持ちだ。』



 私が見つめてきた被災地は、あの日のままだ・・・・
がれきや崩壊をした家々は、跡形もなく片付けられているが、人々が
いつもの、いままでの日常を、しっかちと取り戻したわけじゃない・・・・

『おざなりすぎた原発政策のあり方や、いっこうに復興政策に本腰を上げない
政府にたいしての、激しい怒りが、やっぱり私の中にも
どこかでしっかりと、棲みついていたんだ!』
響が自分の心の中に棲みついていた、得体の知れなかった感情の正体を
ついに初めて、自らの手で掴み取ります。


 (憤(いきどお)りだ。
 東日本をこんなにしてしまった人たちへの、心の底からの怒りの気持ちだ。
 地震や津波ならば自然からの脅威として、人々は心のどこかであきらめをつける。
 だが・・・・あれほどまでに安全性を吹聴をして、
 国民を欺いて稼働を続けてきた原子力発電所は、あの大地震のせいで、
 あっさりと、あまりにも危険な核の脅威の実態を、ついに如実に露呈をさせた。
 原発がいかに危険なものであるのかと言う事実が、ついに明らかになった。
 平和利用と言う美辞麗句などでは誤魔化せず、やはり原子力は
 人間の力では、制御できないと言う事実が証明された。
 アメリカのマンスリー島での原発事故、
 ロシアにおけるチェルノブイリ原子力発電所の事故、等々、
 そして、ここ福島においての炉心溶解の事実・・・・
 この3度における原子炉の危機は、人類がもたらした3度にわたる『ヒューマンミス』だ。
 原子力が、きわめて危険極まりのない代物であることを、
 あらためて、ものの見事に照明をした。
 私はそのことにずっと以前から気がついていたくせに、あえて無視をしたまま、
 あの原発騒ぎの福島を、ただ黙したまま通り過ぎて来てしまった。
 東日本大震災と原発の崩壊は、まったく別次元の、
 まったく別の問題なんだ。
 そのことに早く気がつけと、私の心が、いつも私に催促を促していた・・・・
 それをこの人が、この浩子さんが、
 あらためて正面から、私に突きつけてくれんだわ。)



 「ほら・・・・響ちゃん。金髪君が手を振ってる。
 こちらに来いと呼んでいるみたいです。
 あらまあ・・・・お嬢ちゃん、どうしたの。
 随分とまた怖い顔をしていますが、なにかお気に障りましたか?」



 『はっ』と気がついて、響が我に戻ります。
激しく脈打つ胸の高鳴りを抑えながら、眼差しをあげます。
確信をようやく見つけた響の凛とした眼差しが、浩子さんを正面から見つめます。
『おや?・・・・』と、軽い驚きを見せながらも浩子さんは、やんわりと
響のその眼差しを受け止めてくれました。

 「あら、お嬢ちゃん。
 見違えるほど、綺麗で、とても素敵なお顔つきなどになりました。
 何かが見つかったようですねぇ、その様子では・・・・
 解けきれなかった宿題が、もの見事に突然解けた時のような、
 そんなお顔をしています。
 やっぱり、このさくら貝には『奇跡』をもたらす不思議な力が
 あったようですね・・・・ねぇ?」


 「はい。
 これから自分がなにをすべきかを、たった今、私は見つけました。
 私は、ここで浩子さんと、このさくら貝と出会えたことに心の底から、感謝をしています。
 神からの「啓示」がたった今、私に聞こえました」


 「それは良かったですねぇ。
 でもあちらにはそれ以上に・・・・
 神からのの『ご加護』があったようです。
 お隣に現れた人は、あれがやはり、金髪君が探していた伯父さんのようですね。
 よかったですねぇ。心配をしていたのですが、
 あの姿を見る限り、思いのほか健康で元気な様子です。
 ほら、呼んでいますよ、二人して。
 あんなに嬉しそうに手などを振っております。
 やっぱりいいですねぇ、こういう光景が見られるのは。
 長い間、哀しいことばかりを見つめてきましたので、
 嬉しい事や、元気な姿を見せてもらうだけで、こちらも元気になれます。
 私のほうこそ、価値ある再会を見せてもらって、もう嬉しくたまりません。
 お節介をした甲斐と言うものがありました。
 さくら貝、お節介、再会、甲斐があった・・・・
 あらまぁ、今日は見事に「かい』づくしになってしまいました!
 まだ何か、良いことが他にも有るかしら」



 そう言うなり、一番嬉しそうな浩子さんが、
早くも身体を弾ませて、金髪くんと伯父さんのもとへ駆けだして行ってしまいます。
響も、あわててその後を追って走りだしました。




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連載小説「六連星(むつらぼし)」第44話 

2013-04-20 10:35:30 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第44話 
「がれきの中の桜貝」




 松島湾に沿って、仙石線と並行して走る『奥松島パークライン』は、
野蒜(のびる)の駅を過ぎてから、鳴瀬川と吉田川のふたつの河口に向かって最接近をします。
この河口には、かつて大規模な港を作ろうとした古い遺跡が残されています。
『野蒜築港跡』と呼ばれるもので、その着工は明治11年までさかのぼります。
外港を作り、河口には市街地を造成をして、北上川と松島湾を運河で結ぶという計画で
実に当時としては壮大きわまる一大事業でした。
しかし明治17年に、松島湾を襲った台風によって一瞬のうちに崩壊をしてしまい、
この建設は頓挫をしてしまいます。
明治政府の本格的な国際貿易港として誕生するはずだったこの野蒜築港は、
その後の計画はすべて白紙となり、"幻の港"となってしまいます。


 「金髪のお兄ちゃん。
 その橋を渡ったら、すぐ山の方向へ曲がってくださいな。
 すこしだけ走るとその先で、三陸自動車道の鳴瀬奥松島ICが現れますから、
 そこが、伯父さんの居るはずの仮設住宅の目的地です。
 高速道路に隣接してつくられた奥松島ひびき工業団地という処で、
 仮設住宅はその敷地の一角に、大規模に建てられています。
 お兄ちゃん急ぎたい気持ちは解りますが、アクセルは『ひかえめ』でいきましょう。
 残りは、ほんのわずかです。
 あせらずに、安全運転でまいりましょうね」


 金髪の英治にそう声をかけた浩子さんが、後部座敷の窓ガラスを開けました。
上を見て・・・と言う風に、響にも合図を送ります。


 「この一帯も、高さが12mを越える大津波に襲われました。
 野蒜築港跡といい、今回の大震災と言い、
 野蒜(のびる)はわずかの間に、二度にわたる災害の通り道になってしまいました。
 お二人が、朝に乗ってきたバスとは、まったく逆の進路にあたりますので、
 この道はちょうど、津波の進行方向と同じということになります。
 私たちの居るこのはるか頭上を、あの日の津波が押し寄せてきたのです。
 そう言う意味から言えば、この道路は、はるかな波の底部分ということになります。
 自然の力には、まったくもって、測り知れないものがありますねぇ」

 窓を開けた浩子さんが感慨深そうに、はるかな頭上を見上げています。
やがて浩子さんの説明通りに、高台を横断していく三陸自動車道の堰堤が見えてきました。
(いよいよだわね・・・・英治。)響も、後部座席から思わず身体を乗り出します。



 「高速のすぐ脇へ、仮設住宅は作られました。
 このまま道なりに進んで、仮設住宅が見えた処で車は止めて下さい。
 200軒あまり有りますが、ここでは自治組織がしっかりと機能していますので、
 入口で聞けば、たぶん伯父さんの居場所は、すぐにわかると思います。
 ここから先は、金髪君。 あなたが一人でいきなさい


 前方に、一列に並ぶ仮設住宅の屋根群が見えてきたところで、
金髪の英治が、路肩へ車を止めました。
何か言おうとしている響を、浩子さんが目で止めています。
無言で運転席から降りた英治は、1度だけ二人に向かって手を振ってから、
仮設住宅へ向かってゆっくりとした足取りで歩きはじめました。


 「お嬢ちゃん。
 私は、あなたに意地悪をする意味で、引きとめたのではありません。
 探している伯父さんも、他人には聞かれたくない事情などが有るかもしれません。
 訪ねて行く金髪君にも、やはり似たような事情が有ると思います。
 ましてや数年ぶりの再会ともなれば、そのあたりの事情はもっと複雑だと思います。
 他人には、聞かせたくない話なども、きっと有るでしょう。
 ここは黙って二人で車で待ちましょう。
 うまくいけば、きっと二人でここへまた姿をあらわします。
 もしも駄目であっても、その時は、何も行かずにここから立ち去りましょう。
 そのあたりが、たぶん身内と他人の境界線でしょう。
 さて、お天気が良さそうなので、表の空気などをすってみましょうか」

 
 浩子さんが、ドアを大きく開けました。
エアコンが効きすぎていて、少しほてり気味だった車内へ涼しい風が吹き込んできます。
ひんやりとはしますが、寒いというほどの外気温でもありません。
響も降りると、空へ向かって浩子さんと同じような背伸びをしました。
振り返ると、車の屋根越しには、ニコニコと笑う浩子さんの顔が待っていました。


 「上手くいくといいですね。
 あなたも此処まで来たからには、どうぞ、伯父さんと金髪君の再会が
 いい結果になるように祈ってあげてください。
 私はさっきほどから、そのことばかりを心の底から願っています・・・・
 あっ、そうだ。
 私の話を沢山聞いてくれたお礼を、あなたにあげましょう。
 ちょっと待ってくださいな」



 浩子さんが、助手席に置いたバッグを手に取ります。
バッグの口を開けながら車を半周して、響のとなりへやってきました。
「手を出してちょうだいな」と、そこでまた、にっこりとほほ笑みます。
響が言われた通りに手のひらを拡げると、綺麗に輝く小さな貝殻がコロコロと並びました。
幅が2cm余りの、小さなピンク色をした二枚貝です。


 「さくら貝。私は、『瓦礫からの奇跡の贈り物』と呼んでいます」

 
 「綺麗な貝ですね、はじめて見ました。
 へぇ~、これが、さくら貝ですか。
 ネーミングから推察すると、これにはなにか深い訳がお有りのようですね」



 「はい。これにはたいへんな事情が籠っています。
 石巻日赤で私がもらった、唯一の勲章ともいえます。
 それほど大切なものです。
 これをくれたのは、10歳になったばかりの小学校4年の幼い少女です。
 良い意味と、悪い意味の両方において、私には決して忘れることのできない
 出来ごとのひとつなのです。
 いいえ・・・・あの非常事態が続いていた石巻日赤の医療では、
 許されない失敗例の一つだったと思います。
 それも自分が承知の上で、間違えてしまったという出来ごとです。
 医療に働くものとしては、犯してはならない、
 私の確信的な『ミス』でした」


 「それにしては、とても素敵すぎる記念品だと思います。
 それはいつ頃の、おはなしでしょうか」


 「津波から、3日後のことでした。
 津波に流されて屋根とがれきに挟まれたまま3日間も水につかっていた親子が
 かろうじて救出をされて、私たちの病院へ搬送をされてきました。
 患者は、私にさくら貝をくれた10歳の少女と、そのお母さんです。
 奇跡的に、がれきと屋根のあいだにはかすかな隙間が残されていたために、
 二人は辛うじて溺れずにはすんだそうです。
 極めて狭いその空間で、お母さんが支えとなって、
 少女を水から守り続けていたそうです。
 3日後に、なんとか救出に成功をしたというものの、この時点でお母さんはもう
 重度の低体温症の状態で、助かる見込みはもうまったくありませんでした。
 トリア―ジの担当だった私も、『もう、この人は助からない』と
 直感でそう思い込みました。
 でも、その女の子は・・・・真っ青な口びるをしたまま、
 掻き集めてきた毛布と一緒にお母さんに寄り添って、
 冷たくなってしまったその身体を、必死になって温め続けていました」


 「ずいぶん、辛いお話でね・・・・
 緊急時のトリア―ジの鉄則でいけばそのお母さんは、見捨てなければならない
 患者さんの一人と言うことになってしまいます。
 せっかくぎりぎりで、お子さんは助かったと言うのに・・・・」


 「その少女は、ひとことも、何も言いません。
 少女から私に、何かをお願いされたわけでもありません。
 ただひたすらお母さんを、温め続けているその小女の姿を見た瞬間に、
 思わず私は冷静さを失いました。
 そしてその結果、トリア―ジを担当する者としては、
 有りえないほどの、間違ったままの判断をついに下してしまいました。
 この子のためにも、何があってもこのお母さんを救いたい。
 そう心に決めてしまいました。
 これはまったく私の個人的な、私情におぼれた判断でした。
 トリア―ジに携わる医療チームのひとりとしては、
 ありえない『誤診』であり、かつ『暴挙』といえるものです。
 
 しかし事態は、一刻を争いました。
 即座にその場で、トリア―ジの最優先患者として
 とにかく緊急の治療を必要としている、と書類に記入をしました。
 急いでチームの責任者へ、その旨を伝えに飛んで行きました。
 リーダー役のその看護師さんも、私の書類を見て、たいへんに驚いていました。
 それでも私の顔を見てから、無言でお母さんを温め続けている
 その幼い小女の姿を確認すると、すべてを察知したらしく、
 何も言わずに急いで、ドクターを呼びに行ってくれました。
 ドクターも急いでやってきてチームとともに、
 できるかぎりの治療をかかりっきりで、このお母さんに施してくれました。
 しかし実はこの間、私たちのチームは、このお母さんの治療に
 かかりきりになってしまったのです。
 本来のトリア―ジの機能を、麻痺させながらの医療行為そのものといえました。
 あとは本人の体力次第だということになり、治療を済ませた後は、
 入院させるために2階の部屋へ運び入れました。
 少女も、同じようにこの2階に泊ることが許されました。


  お母さんの治療は、その後は病院内の別のチームに引き継ぐことになりました。
 それからは忙しさのため、時々、病院内でこの小女を見かけましたが、
 その後のお母さんの病状は確認することなどが、なかなかにできずにいました。
 チームのみんなも、そんな出来ごとが有ったことなども
 すっかり忘れかけていました。
 それほど目まぐるしい日々が続き、私たちの医療チームは
 いつまで経っても多忙そのものでした。


  そんなある日、ひょっこりとこの小女が私たちの医療チームに姿を現しました。
 何も言わずに、チームの一人一人に会いに来て、この貝殻を配って歩きました。
 私の所までやってきたので、『どうしたの、これは』と聞いたら、
 少女は、がれきの中から拾い集めてきたと答えてくれました。
 驚いた話ですが、がれきの中には、
 海からやってきたさくら貝たちも混じっているそうです。
 当然すぎるといえばそれまでですが、誰もそんなことまでには気がつきません。
 でも津波は、海からやってきたのです・・・・
 お母さんが元気になったあと、『なにか欲しいものがある?』と少女が聞いたら、
 がれきのなかに隠れていた、あの時のさくら貝が欲しいと
 お母さんが答えたそうです。
 あの津波から3日3晩、水に漬かりながらもあきらめずに、救助を待っていたとき、
 たまたま、がれきにまじっている小さな貝たちをいくつも見つけたそうです。
 少女にも、お母さんにも、このさくら貝は、『希望』の貝だったのです・・・・


 
  お世話になったせめてものお礼に、私たち二人を勇気づけてくれたこの貝を
 あなたがお医者さんや、看護師のお姉さんたちへ、
 上げて来てきちょうだい、と、そう言われて配って歩いていると、
 その子が笑顔と一緒に、私にもくれました。
 情に流され過ぎて、大誤診をしてしまったという、私のたわいもない失敗話です。
 でも私たちは、あの女の子とあのお母さんと、そしてこのさくら貝に救われました。
 お母さんの命と、私の過ちを救ってくれた、がれきの中の『奇跡』です。
 あなたにも、幸運をおすそ分けをします・・・・
 きっとあなたにも、何か良いことがあるといいですね」




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