あなたは、「どうすれば神のビジョンを得ることができるだろう?」と疑問に思うかもしれません。
おお、おばかさん! あなたは神を捜す必要はありません。
あなたがどこを見ても神はそこにいます。
神はすべての事物の中に浸透しています。
あなたが神を見ることができないのは、外的な見かけに惑わされているからです。
「外観だけに頼るのは動物です」
あなたが何を見ても、あなたが何を経験しても、それはすべて神の現れに他なりません。
事実、あなた自身が神なのです。
ですからヴェーダは人間に、「私は神であり、神は私以外のものではない」という信念を育てるようにと教えています。
名前と姿はたくさんありますが、神は一つです。
「まことに、このすべてはブラフマンなのです」
そのような神における一体性を認識しなければなりません。
目に見える多様性の根底には一体性があります。2003/3/13
ポニョ:前回はユングの話をしました。全然不二一元と関係ない話やったぜよ。どんな物を食べても、一旦胃の中に入れば全ては一つになるという例えを出したら不二一元論の話になるんやけれど。
ヨシオ:そうか?ちょっとは関係があったやろ。食べ物が胃の中に入れば全てが一つになると言う例えは分かりやすいよな。ポニョにぴったりや。確かにもっと自らの本質を探る為に、アートマの知識、不二一元の知識を追求して、世の中に貢献しなくていけないよな。
ポニョ:でも普段の生活をする中で、全てが神だと悟るのは難しいぜよ。
ヨシオ:多様性の中に一体性を見るという言葉があるやろ。人がこの世で見るものは、唯一存在する神さんが、自らが多となられてこの世に創造物として顕れられた姿なんや。だから人々は朝から晩まで、実は神さんご自身を見て接しているんやけれど、人はエゴや欲望に包まれているのでそのようには見る事が出来ないんや。
ポニョ:全ての人の中に神さんを見るって口で言うのは簡単やけれど、なかなかそんな風に見れないぜよ。
ヨシオ:そうか?誰でも人の中の神性さを見れると思うで。先日、ガラの悪そうなチンピラのような人の中に神さんを見たな。パースに滞在している時に、家の近くの大きなガソリンスタンドがいつもパースで一番安売りをしているので、車にガソリンを入れに行ったんや。普通は俺がガソリンを入れ、その後窓ガラスを綺麗にしたりしている間に、嫁さんがカードで支払いに行くんやけれど、その日は嫁さんが忙しくて俺が一人で行ったんや。俺は天神橋筋商店街で生まれ育ったやろ。だから商売は現金でするものやと教えられて来たんや。カードはどこかの誰かがコンピューターを使って管理出来るし、そういう連中が人のカードに侵入したり、その人に成りすまして悪い事が出来るやろ。だから俺はカードとかが大嫌いで使った事がないんや。パースに来た当初、銀行がカードをくれたんやけれど、毎月その銀行の誰かが俺の口座から百万円ぐらいを抜き取っていたんや。いわゆる内部犯行や。全部の金を取り戻すのに一年以上かかったんやで。銀行は全然謝らないし。
ポニョ:それはひどい話やぜよ。
ヨシオ:その頃、俺は英語が出来なかったし苦労したな。悪い奴はどこでもいるからな。ガソリンを入れに行った話に戻るけれど、その日は俺はカードを持っていないので、嫁さんのカードを使って支払いに行ったんや。さっきも言ったようにそのガソリンスタンドはパースで一番安売りをしているガソリンスタンドで、遠くからもガソリンを入れにたくさんの車が来るんや。年中無休で二十四時間営業やからいつでもいっぱいや。特に昼間はいつもたくさんの車がやって来るので、俺はいつも夜に行くことにしてるんや。夜でも結構車が来ているけどな。その日も例外ではなく、たくさんの車が来てたんや。俺はガソリンを入れ終わると、決済をしに初めて店の中に入って列に並んだんや。驚いたことにこれだけ忙しい店なのに、たった一人の男しか働いていなかったんや。その男は腕中に入れ墨を入れて頭を丸め、身体中筋肉だらけでまるでバイキーと言ってこちらのギャングのような格好をしてたんや。俺の番になったので、俺は先ず男に「俺は一回もカードで決済をした事はないのでどうすれば良いのか言ってくれ。」と言うと、男は「簡単や。その機械にカードのチップが付いている方を入れればええんや。」と言ったのでその通りにすると、突然コンピューターがクラッシュしたんや。その男は「あーあ。あんたのカードのせいでコンピューターがクラッシュしちゃったじゃないか。」と笑いながら言ったので、俺は「なんで俺のせいやねん。お前が言った通りにしただけやないか。」と言うと男は「こういうこともあるんやな。」と言いながら「ところでそのカードはどこかの他の国で手に入れたんと違うか?偽造カードかもしれんで。」とニコニコしながら言ったので、俺は「さっきも言ったけれど、このカードは嫁さんのカードで、いつもこれで支払いをしているんや。どこか違う国で手に入れたんじゃないし、偽造じゃないと言ったんや。」男は「冗談や。本気にするなよ。」と言ってコンピューターを一生懸命修理を始めたんやけれど、全然直りそうにないんや。そのうちたくさんの人々にやって来て、人が店の中に溢れかえって来たので、男はマイクで「コンピューターがクラッシュしたので、ガソリンを入れても店に入らないでくれ。しばらく支払いが出来ないから」と放送したんや。俺はとても冷静に対応している男を見て感心しながら「他にもコンピューターがあるやろ。俺のことはどっちでもええから、他のコンピューターでお客さんたちの支払いの決済をしたらええやないか」と言ったので、男は「あんたを待たしてもええんやったらそうするわ」と言って他の客の支払い業務を始めたんや。
その間、男は俺に「他のカードは持っていないのかとか、別の方法で決済が出来るから、車の免許証の番号とか携帯電話の電話番号とか、家の電話番号とかを教えてくれ」と聞いて来たので、俺は「普段免許証は持ち歩かないし、携帯は持っていないし、他のカードも無いし、今のあんたの質問には一切答えられないけれど、取り敢えず家に帰って、嫁さんが他のカードを持っているので、後で嫁さんに支払いに来さすけどええか」と言うと、「本当はいろいろと書類に署名をしてからでないと、ここを離れてはいけないんやけれど、あんたの事を信用するから行っていいよ」と言ったので俺は「書類ぐらい簡単に署名したるやないか。書類を持って来いや」と言って書類にサインしてから家に帰ったんや。そしてすぐに戻っても客が長い列を作っているので、少し時間が経ってから戻ったんや。そして客の列がほとんど切れて落ち着きを取り戻した店の中で、コンピューターの技術者と電話で話しながらコンピューターの修理をしている男に向かって俺は、「あんたのように、こんなパニくる状況でも全然パニックならずに、ニコニコしながら冗談も言いながら冷静に対応出来るってすごいな」と言うと、男は「こんなのは、俺が今まで経験して来た人生の出来事に比べたらパニックのパの字にも及ばないやろな。普通、人はこんな小さな事でもすぐにパニックになるけれど、人生にはもっと大きな目的があるし、その目的に向かって人にはやるべき事がたくさんあるんや。人は目の前の小さな出来事に振り回されて、真の生きて行く理由を忘れているからパニックになるんや。」と言ったので俺は「今、この世で生きている人々も、あと百年経ったらみんな死んでしまっていなくなってしまうけれど、人は自分は永遠に生きるって思い込んでいるもんな。あんたのように人生で何が大事な事を分かって生きている人って少ないけどな。でもあんたの危機管理能力はすごいよな」と言って感心して店を出たんや。俺は人って見かけによらないな。一見チンピラのように見えるけれど、でも実際は人生でいろんな苦労を体験して来た人なんやなと分かったな。俺はそのチンピラ風の男を見ながら、神の力っていろんな人を通じて現れるんやなと思ったな。
ものの見方には三つあります。
一つ目は、肉体に向かうものです。
この人は物事の上辺だけを見ています。
まなざしは、すべて物質的な世界に向けられています。
二つ目は、心に向かうものです。
人の、外から見える特徴よりも、振る舞いや表情に表れた心に目を向けます。
その人が心の中で何を感じ、頭の中で何を考えているか見抜こうとします。
言い換えれば、心に向かうものの見方は、外面に目を向けながら。
そこに映し出された内面を見抜こうとするのです。
そういうものの見方が身についている人は、自分が感じ、そして思うとおりに話して行動するので、違えることは無いでしょう。
三つ目はアートマに向かうものです。
この見方をすれば、人の外面的な姿にも、人の振る舞いや内面の感情にも限定されません。
大きく、全体的に物事を見ています。
身体や振る舞いは様々に違っても,ただ一つのもの内なるもの、すべての人の中に満ちている神の意志を見ているのです。
感情や、思いや、振る舞いは、すべて変化してやまないことが分かっています。
ですから,人の見かけの姿や表現に対する関心も好き嫌いもありません。
ただ内なる神だけを捕らえようとします。
これが聖なるものの見方です。
そんな大きな,優れたものの見方をする人が,神に大切にされるのです。SGc29