人として生まれることは、多くの前世で善行を積まないと得られないことなのです。
神々でさえも、人として生まれ変われる機会を待ち望んでいます。
人として生まれることは、モークシャ(解脱)への扉を開くことなのです。RRVp, 482
ポニョ:前回は御対面のシーンのお預けをくらいましたね。さあいよいよ福山加代子とその娘が対面しますよ。ところで加代子さんは何才の時に亡くなられたんや。
ヨシオ:確か三十九才やったと思うな。まだ若いやろ。苦労をいっぱいしたからな。知り合いの人の借金の保証人になったけれど、トンズラされて全財産を差し押さえられたんや。天国のような生活が一転して地獄のような生活になったんや。その後、喫茶店をしていた時の取引先の社長に紹介されて、どこかの喫茶店のマネージャーや倉庫係として給料を貰って働いていたんや。娘の東洋子も、家計を助ける為に、環状線の天満駅前のお菓子屋さんでバイトをしている時に親父に見初められて結婚したんや。
ポニョ:お袋さんも苦労をされたんやな。でもそういう事があったからこそ、お袋さんも親父さんと巡り会えたから良い事なんやろな。全ては良い事なんや。
ヨシオ:はいはい、分かりました。という事で御対面やけれど、その当時、お袋は認知症がだいぶん進行していたけれど、そのイラン人の女性を見た途端、身体が凍りついたように動かず、じっとイラン人の女性の大きな目を覗き込んでいたな。そのイラン人の女性は目がめちゃ大きな美人さんで、顔の半分ぐらいが目で占められているんや。
ポニョ:顔の半分が目で占められているってどんな目なんや。それって少女フレンドに出て来る里中満智子の漫画の主人公みたいやぜよ。
ヨシオ:漫画はもうええっちゅうに。イラン人の女性は自己紹介した後、お袋に抱きついて二人でしばらくの間抱きしめ合っていたな。そして何も言わずに手と手を取り合いながら見つめ合ってた。その後お袋は、そのイラン人の女性の長いまつ毛を指でつまんで引っ張ろうとしていたな。
ポニョ:そんな事をしたら付けまつげが取れてしまうぜよ。過去生での母娘の感激の対面や。イランで生まれ育った過去生の母親とオーストラリア出会えるなんて。すごいよな、カルマの法則って。そんな風にして時や場所を超えて作用するんやな。でもどうしてあんたはそのイラン人の女性が加代子だって分かったんや?
ヨシオ:それはその女性と何回も会えば分かって来るんや。その女性は、加代子と同じ九人兄弟の末っ子で、砂漠の真ん中にある孤島のような古い都イスファハーンの出身で、王族の血を受け継いでいるんや。乾燥した街で、干しぶどうや乾燥させた果物を作るのが主な産業なんや。また細かい細工が施した工芸品も有名なんや。その女性は子供の頃から、そういう細かい工芸細工や細密画を書く事を訓練されて来たので、手先がとても器用なんや。俺も彼女が作った工芸品や細密画を見せてもらったな。プロの出来栄えやで。でもそういう古いしきたりが残る京都や奈良のような街や家から抜け出して、その女性は看護婦になりたかったんや。
ポニョ:それって五島列島から抜け出して、看護婦になりたかった加代子と全く一緒の状況やぜよ。
ヨシオ:そうやろ。でも彼女の家族はバハーイ教を信仰しているから、イスラム教を国教とするイラン政府から睨まれているんや。
ポニョ:バハーイ教って、サイババさんの教えに近い宗教やぜよ。全ての宗教は一つやという教えなんや。でも予言者バハールが亡くなった後に、予言者が現れて「私は神の化身だとか、予言者だ」とか言ってもそれは偽物だと主張しているから、サイババさんの事を神の化身だと認めようとしないんや。でもサイババさんはバハーイ教に招待されてバハーイ教の集会に行かれたことがあるんやで。そこはニューデリーの近郊でおいらも行った事があるんや。バハーイ教の友達が連れて行ってくれたんやけれど、大きな蓮の花の形をしていて、全ての宗教はハスの花の元に集まって来るよという象徴なんや。
ヨシオ:ポニョは物知りやな。彼女の家は政府から迫害されているので、街の郊外の村にバハーイ教徒の家族ばかり集まって他のイスラム教徒から隠れるように、肩を寄せ合って住んでいるんや。
ポニョ:イランではバハーイ教徒はとても少数派やから大変やぜよ。それもまるで前世の隠れキリスタンのようやぜよ。
ヨシオ:でも毎日のように皆で日本のドラマ「おしん」を見るのが大好きで、家族中で日本びいきなんや。だから日本から来た彼氏が出来たと両親に告げた時に、両親はすぐに付き合っても良いという許可を出してくれたんや。
ポニョ:あの〜話の腰を折って悪いけれど、イラン中で「おしん」は大人気なんやぜよ。イラン人なら誰でも知っているんや。
ヨシオ:そうやったんか。その女性は、イランからオーストラリアに来てから直ぐに、大きな喫茶店の支配人として活躍し、店を上手く切り盛りして繁盛させていたんや。そして自分は給料をもらっても全然お金を使わず、贅沢もせず、イランの家族に稼いだお金を送っていたんや。とても節約家で、贅沢とは程遠い生活をしていたので、こういう嫁が来れば良いなと俺たち夫婦は、その娘が嫁として我が家に来る事を楽しみにしてたんや。
ポニョ:働いて得た御給料をイランに送金してたって偉いよな。オーストラリアとイランのお金の値打ちは全然違うから、イランにいる家族の人たちは喜んだやろな。
ヨシオ:そうやろな。でもその女性の実家も結構金持ちやから、イラン事をするなと言ってお金を送り返して来たらしい。
ポニョ:それは嘘や。あんたの嘘はすぐに分かるぜよ。
ヨシオ:その女性は喫茶店の経営で成功していたけれど、看護婦になる夢を捨て切れずに大学に入学し、看護学科に籍を置いていた頃に、前世が高橋興蔵だった息子と知り合ったんや。今でも息子の事が忘れられないのか、この前イランに戻った時に買ったシルクのスーツを息子にお土産としてプレゼントしてたな。
ポニョ:将来まだ一緒になる可能性も残っているんや。
ヨシオ:まあ、俺の見た所100%無いやろな。でも俺は息子が子供だった頃に、サイババさんに息子の前世はどんな人だったか聞いた事があるんや。するとサイババさんは、「この子は以前イスラム教徒だった」と言って、前世の名前まで教えてくれたんや。そして俺の友達のイスラム教徒の人に、イスラムの社会でこんな名前を聞いた事があるかと尋ねたら、その名前を持っている人は、モスクで御祈りを捧げる僧侶たちが持っている名前だと言われたんや。
ポニョ:という事は、イスラム教の僧侶が、物質的な欲望を満たす為に日本に裕福な実業家となって生まれ変わったんか?なんという運命のイタズラ。ますます面白いぜよ。あんたもイスラム教徒やった時があったかもしれないぜよ。
ヨシオ:俺はこの世に何度も生まれ変わっているから、一時期イスラム教徒であったのは間違いはないんや。しかも子供の頃から建築が大好きで、将来、設計士になりたかったんや。母に百科事典を買ってもらうと、建築物の写真や設計図ばかりを眺めていたな。そして方眼用紙を買って来て、自分で家の設計図を描き始めたんや。まだ小学校二年生の頃やったんやで。今でも暇な時には俺の理想的な家や建物の設計図を描いて遊んでいるんや。俺が描く建物は、イスラム建築のような形をしているんや。日本でビジネスをしていた頃、レストランを設計した事があって、俺が設計したレストランは、中東の国にある家のように壁が全て石灰で覆われた壁も天井も全て真っ白なレストランで、床は大小様々なスレートを埋め込んだ石畳み造りだったんや。お客さんが座る席は洞窟の中のように、様々な高さや形状をしている石灰の壁に囲まれていて、まるで、中東の家の中や洞窟の中にいるように錯覚するような店を作ったんや。でももっと強いコンセプトが必要だと言われて、ギリシャのミコノス島をイメージした店に衣替えしたんや。その結果、店の中に実物大のミコノス島にある橋やら、電気モーターで回っているミコノス島名物の実物大の風車が、店の吹き抜け部分に設置したんや。また小さなミコノス島に実際ある家々の模型が店中に散らばせてあって、とても風変わりなレストランを作ったんや。また店のあちこちには本物と見間違うような猫や鳥の模型を配置し、立派な音響システムも完備しているので、ライブ演奏やコンサートも時々やっていたんや。店の名前はミコノス島だったので、ギリシャ大使館からどんなギリシャ料理を出しているのか問い合わせが来てたな。でも残念ながら料理は、めちゃ辛い四川料理だったんや。店の中にはアメリカの音楽が流れているんや。今やったら菜食レストランにして、インドの古典音楽を流すけどな。
ポニョ:なんとひっちゃかめっちゃかな店なんや。あんたが作りそうなレストランやぜよ。昔からイスラム建築に関心があったって、そういう前世からの傾向っていつになっても出て来るんやな。面白い。
ヨシオ:俺の嫁さんも俺と同じく、建築に凝っていて、いつもテレビをつけたら建築に関する番組ばっかり見てるんや。それも飽きずに何時間でも見てるんやで。嫁さんもイスラム建築が好きで、イスラム文化に憧れているんや。自分でも過去生でイスラム教徒だった時があると思うと言ってたな。先日このブログでも紹介したパキスタンのイスラム教徒のミュージシャンの曲を聴かせたところ、「私はこの曲を今、初めて聞いたのではないわ。昔、何度も聞いた事があるような気がするわ。この曲大好き」と言って曲に合わせて踊り始めたんや。
ポニョ:この世界には何の偶然も無いんやな。人は赤い糸に導かれて前世の恋人とめぐり逢ったり、前世でやっていた仕事や趣味などに興味を持つんやな。面白いな。本当にこの世はロマンで満ちているぜよ。
ヨシオ:そう。その通り。だからこの俺のように、この世界のロマンに惹かれたり、いろんな誘惑に負けたりして何度も何度も生まれ変わらなければいけないんや。俺は人間に生まれ変わってから、もうかれこれ六千年も経っているんやで。情けないやろ。もう何十回も人として生まれ変わっているんや。最近やっと、この物質世界に対する興味が無くなって来たけどな。もうええ年やから枯れて来たんやろな。
生まれたばかりの赤ん坊は泣き声を上げますが、成長した大人は微笑みながらこの世を去るべきです。
どうして赤ん坊が泣くのか知っていますか。
赤ん坊が泣くのは、これから待ち構えている長くて骨の折れる問題だらけの人生、という不幸が目の前に横たわっているからです。
人は誰もが何度も何度も生まれ変わります。
だから赤ん坊は泣くのです。
人生は「私は誰か。{コーハム}」という質問で始まり、一生が終わる前に「私は神である。{ソーハム}」という答えを見つけなければなりません。STPSp249
神々でさえも、人として生まれ変われる機会を待ち望んでいます。
人として生まれることは、モークシャ(解脱)への扉を開くことなのです。RRVp, 482
ポニョ:前回は御対面のシーンのお預けをくらいましたね。さあいよいよ福山加代子とその娘が対面しますよ。ところで加代子さんは何才の時に亡くなられたんや。
ヨシオ:確か三十九才やったと思うな。まだ若いやろ。苦労をいっぱいしたからな。知り合いの人の借金の保証人になったけれど、トンズラされて全財産を差し押さえられたんや。天国のような生活が一転して地獄のような生活になったんや。その後、喫茶店をしていた時の取引先の社長に紹介されて、どこかの喫茶店のマネージャーや倉庫係として給料を貰って働いていたんや。娘の東洋子も、家計を助ける為に、環状線の天満駅前のお菓子屋さんでバイトをしている時に親父に見初められて結婚したんや。
ポニョ:お袋さんも苦労をされたんやな。でもそういう事があったからこそ、お袋さんも親父さんと巡り会えたから良い事なんやろな。全ては良い事なんや。
ヨシオ:はいはい、分かりました。という事で御対面やけれど、その当時、お袋は認知症がだいぶん進行していたけれど、そのイラン人の女性を見た途端、身体が凍りついたように動かず、じっとイラン人の女性の大きな目を覗き込んでいたな。そのイラン人の女性は目がめちゃ大きな美人さんで、顔の半分ぐらいが目で占められているんや。
ポニョ:顔の半分が目で占められているってどんな目なんや。それって少女フレンドに出て来る里中満智子の漫画の主人公みたいやぜよ。
ヨシオ:漫画はもうええっちゅうに。イラン人の女性は自己紹介した後、お袋に抱きついて二人でしばらくの間抱きしめ合っていたな。そして何も言わずに手と手を取り合いながら見つめ合ってた。その後お袋は、そのイラン人の女性の長いまつ毛を指でつまんで引っ張ろうとしていたな。
ポニョ:そんな事をしたら付けまつげが取れてしまうぜよ。過去生での母娘の感激の対面や。イランで生まれ育った過去生の母親とオーストラリア出会えるなんて。すごいよな、カルマの法則って。そんな風にして時や場所を超えて作用するんやな。でもどうしてあんたはそのイラン人の女性が加代子だって分かったんや?
ヨシオ:それはその女性と何回も会えば分かって来るんや。その女性は、加代子と同じ九人兄弟の末っ子で、砂漠の真ん中にある孤島のような古い都イスファハーンの出身で、王族の血を受け継いでいるんや。乾燥した街で、干しぶどうや乾燥させた果物を作るのが主な産業なんや。また細かい細工が施した工芸品も有名なんや。その女性は子供の頃から、そういう細かい工芸細工や細密画を書く事を訓練されて来たので、手先がとても器用なんや。俺も彼女が作った工芸品や細密画を見せてもらったな。プロの出来栄えやで。でもそういう古いしきたりが残る京都や奈良のような街や家から抜け出して、その女性は看護婦になりたかったんや。
ポニョ:それって五島列島から抜け出して、看護婦になりたかった加代子と全く一緒の状況やぜよ。
ヨシオ:そうやろ。でも彼女の家族はバハーイ教を信仰しているから、イスラム教を国教とするイラン政府から睨まれているんや。
ポニョ:バハーイ教って、サイババさんの教えに近い宗教やぜよ。全ての宗教は一つやという教えなんや。でも予言者バハールが亡くなった後に、予言者が現れて「私は神の化身だとか、予言者だ」とか言ってもそれは偽物だと主張しているから、サイババさんの事を神の化身だと認めようとしないんや。でもサイババさんはバハーイ教に招待されてバハーイ教の集会に行かれたことがあるんやで。そこはニューデリーの近郊でおいらも行った事があるんや。バハーイ教の友達が連れて行ってくれたんやけれど、大きな蓮の花の形をしていて、全ての宗教はハスの花の元に集まって来るよという象徴なんや。
ヨシオ:ポニョは物知りやな。彼女の家は政府から迫害されているので、街の郊外の村にバハーイ教徒の家族ばかり集まって他のイスラム教徒から隠れるように、肩を寄せ合って住んでいるんや。
ポニョ:イランではバハーイ教徒はとても少数派やから大変やぜよ。それもまるで前世の隠れキリスタンのようやぜよ。
ヨシオ:でも毎日のように皆で日本のドラマ「おしん」を見るのが大好きで、家族中で日本びいきなんや。だから日本から来た彼氏が出来たと両親に告げた時に、両親はすぐに付き合っても良いという許可を出してくれたんや。
ポニョ:あの〜話の腰を折って悪いけれど、イラン中で「おしん」は大人気なんやぜよ。イラン人なら誰でも知っているんや。
ヨシオ:そうやったんか。その女性は、イランからオーストラリアに来てから直ぐに、大きな喫茶店の支配人として活躍し、店を上手く切り盛りして繁盛させていたんや。そして自分は給料をもらっても全然お金を使わず、贅沢もせず、イランの家族に稼いだお金を送っていたんや。とても節約家で、贅沢とは程遠い生活をしていたので、こういう嫁が来れば良いなと俺たち夫婦は、その娘が嫁として我が家に来る事を楽しみにしてたんや。
ポニョ:働いて得た御給料をイランに送金してたって偉いよな。オーストラリアとイランのお金の値打ちは全然違うから、イランにいる家族の人たちは喜んだやろな。
ヨシオ:そうやろな。でもその女性の実家も結構金持ちやから、イラン事をするなと言ってお金を送り返して来たらしい。
ポニョ:それは嘘や。あんたの嘘はすぐに分かるぜよ。
ヨシオ:その女性は喫茶店の経営で成功していたけれど、看護婦になる夢を捨て切れずに大学に入学し、看護学科に籍を置いていた頃に、前世が高橋興蔵だった息子と知り合ったんや。今でも息子の事が忘れられないのか、この前イランに戻った時に買ったシルクのスーツを息子にお土産としてプレゼントしてたな。
ポニョ:将来まだ一緒になる可能性も残っているんや。
ヨシオ:まあ、俺の見た所100%無いやろな。でも俺は息子が子供だった頃に、サイババさんに息子の前世はどんな人だったか聞いた事があるんや。するとサイババさんは、「この子は以前イスラム教徒だった」と言って、前世の名前まで教えてくれたんや。そして俺の友達のイスラム教徒の人に、イスラムの社会でこんな名前を聞いた事があるかと尋ねたら、その名前を持っている人は、モスクで御祈りを捧げる僧侶たちが持っている名前だと言われたんや。
ポニョ:という事は、イスラム教の僧侶が、物質的な欲望を満たす為に日本に裕福な実業家となって生まれ変わったんか?なんという運命のイタズラ。ますます面白いぜよ。あんたもイスラム教徒やった時があったかもしれないぜよ。
ヨシオ:俺はこの世に何度も生まれ変わっているから、一時期イスラム教徒であったのは間違いはないんや。しかも子供の頃から建築が大好きで、将来、設計士になりたかったんや。母に百科事典を買ってもらうと、建築物の写真や設計図ばかりを眺めていたな。そして方眼用紙を買って来て、自分で家の設計図を描き始めたんや。まだ小学校二年生の頃やったんやで。今でも暇な時には俺の理想的な家や建物の設計図を描いて遊んでいるんや。俺が描く建物は、イスラム建築のような形をしているんや。日本でビジネスをしていた頃、レストランを設計した事があって、俺が設計したレストランは、中東の国にある家のように壁が全て石灰で覆われた壁も天井も全て真っ白なレストランで、床は大小様々なスレートを埋め込んだ石畳み造りだったんや。お客さんが座る席は洞窟の中のように、様々な高さや形状をしている石灰の壁に囲まれていて、まるで、中東の家の中や洞窟の中にいるように錯覚するような店を作ったんや。でももっと強いコンセプトが必要だと言われて、ギリシャのミコノス島をイメージした店に衣替えしたんや。その結果、店の中に実物大のミコノス島にある橋やら、電気モーターで回っているミコノス島名物の実物大の風車が、店の吹き抜け部分に設置したんや。また小さなミコノス島に実際ある家々の模型が店中に散らばせてあって、とても風変わりなレストランを作ったんや。また店のあちこちには本物と見間違うような猫や鳥の模型を配置し、立派な音響システムも完備しているので、ライブ演奏やコンサートも時々やっていたんや。店の名前はミコノス島だったので、ギリシャ大使館からどんなギリシャ料理を出しているのか問い合わせが来てたな。でも残念ながら料理は、めちゃ辛い四川料理だったんや。店の中にはアメリカの音楽が流れているんや。今やったら菜食レストランにして、インドの古典音楽を流すけどな。
ポニョ:なんとひっちゃかめっちゃかな店なんや。あんたが作りそうなレストランやぜよ。昔からイスラム建築に関心があったって、そういう前世からの傾向っていつになっても出て来るんやな。面白い。
ヨシオ:俺の嫁さんも俺と同じく、建築に凝っていて、いつもテレビをつけたら建築に関する番組ばっかり見てるんや。それも飽きずに何時間でも見てるんやで。嫁さんもイスラム建築が好きで、イスラム文化に憧れているんや。自分でも過去生でイスラム教徒だった時があると思うと言ってたな。先日このブログでも紹介したパキスタンのイスラム教徒のミュージシャンの曲を聴かせたところ、「私はこの曲を今、初めて聞いたのではないわ。昔、何度も聞いた事があるような気がするわ。この曲大好き」と言って曲に合わせて踊り始めたんや。
ポニョ:この世界には何の偶然も無いんやな。人は赤い糸に導かれて前世の恋人とめぐり逢ったり、前世でやっていた仕事や趣味などに興味を持つんやな。面白いな。本当にこの世はロマンで満ちているぜよ。
ヨシオ:そう。その通り。だからこの俺のように、この世界のロマンに惹かれたり、いろんな誘惑に負けたりして何度も何度も生まれ変わらなければいけないんや。俺は人間に生まれ変わってから、もうかれこれ六千年も経っているんやで。情けないやろ。もう何十回も人として生まれ変わっているんや。最近やっと、この物質世界に対する興味が無くなって来たけどな。もうええ年やから枯れて来たんやろな。
生まれたばかりの赤ん坊は泣き声を上げますが、成長した大人は微笑みながらこの世を去るべきです。
どうして赤ん坊が泣くのか知っていますか。
赤ん坊が泣くのは、これから待ち構えている長くて骨の折れる問題だらけの人生、という不幸が目の前に横たわっているからです。
人は誰もが何度も何度も生まれ変わります。
だから赤ん坊は泣くのです。
人生は「私は誰か。{コーハム}」という質問で始まり、一生が終わる前に「私は神である。{ソーハム}」という答えを見つけなければなりません。STPSp249