サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

前世物語エピローグ転生のエネルギー

2017-06-30 16:00:20 | 日記
この世のものが持つ欠点に気づけば執着は捨てられます。
生まれる前は親も子も無いでしょう。
結婚しないうちは、夫でも妻でもありません。
子供が生まれてから親子の関係が始まります。
生まれる前はそんな関係はないし、死んだ後もその関係は無くなります。
自分のものという思いや執着が起きるのは、ほんの短い、わずかの間だけです。
ものの見方や接し方が正しくないために執着が起こるのです。
狭い心に捕らわれ、長期的なものの見方が出来ないから執着が起こるのです。SGc12

ポニョ:昨日まで前世シリーズを連載していたけれど、なんか虚しいな。生まれ変わるって。だって前世では加代子さんだったイラン人の女性は、まだあんたと同じ街に住んでいるんやろ。でももう二度と顔を合わさないかもしれないよな。それって虚しいじゃん。

ヨシオ:多分もう看護婦さんとして、どこかの病院で働いているやろな。前世では俺の祖母やったけれど、俺が生まれる数年前に亡くなったから俺は一度も顔を合わせた事はないし、それほど縁があるってわけじゃないから、街のどこかですれ違ってもお互い全然気が付かないやろな。

ポニョ:そういう話を聞いていると、人生って本当に虚しく感じるぜよ。生きている時にあれだけ一生懸命同じ家族として世話をし、愛し合い、支え合って生きて来たのに死んで生まれ変わったら、あんたの事なんて知りませんよ、あんたはあんたで勝手に生きてくださいの世界やろ。それって水臭いやないか。

ヨシオ:水臭いやないかとポニョが言っても仕方ないやないか。そういう風に人の世は出来ているんや。だからサイババさんは、人が生まれ変わる前は一体誰が家族やったんですか?死ねば一体、家族の中で誰が一緒に死後の世界について来てくれるんですか?君の本当の家族は誰ですか?と問いなさいと言っておられるんや。

ポニョ:何かの縁で二人の男女が夫婦になるけれど、夫婦になる前はお互い病気になって死にそうになったとしても、他人やから別になんとも思わないけれど、一旦、その男女が夫婦になれば、どっちか一人が死にそうになれば、血相を変えて必死で看病するもんな。

ヨシオ:前世では恋人同士だったものや、夫婦だったもの、また親子同士や兄弟同士だったものが、今生では他人になって生まれ変わり、前世ではあれだけ愛し合い、助け合った仲なのに、通りですれ違っても、レストランや喫茶店で隣のテーブルに座っても、お互い何も挨拶もしない間柄になってしまうんや。

ポニョ:虚しいな。それって虚しいぜよ。嫌だなそんな世界って。

ヨシオ:虚しいから嫌だと言っても、それが現実なんや。俺は人を見る時は、その人のアートマの神聖なエネルギーが、その人のエゴと欲望でブロックされているけれど、一体どの程度、外にそのエネルギーが放たれているかを見るんや。だから俺の目で人を見ると、全ての人はその姿が違うだけで皆同じように見えるんや。俺のお袋のようにオーラが見える人が人を見ると、人の違いといえば、ただその人が発している光の色と量だけなんや。

ポニョ:それってオーラのことですか?オーラが見える人がアシュラムにやって来て、サイババさんに「あなたのオーラはピンク色で地平線の向こうにまで届いていますね。」と言うとサイババさんは「私のオーラはいつもあるのに見える人しか見えない」と言われたんや。

ヨシオ:面白いで人って。その人の体から発しているアートマのエネルギーの量の違いで、その人の体の形状などが影響されるんやで。だからその人の姿や歩き方、人相や、骨相、ホクロの位置、また、話し方や食べ方でその人のことが分かるんや。もちろん手相でその人の事が分かるのは当たり前やけれど。

ポニョ:そういや星やんがそういう事に凝っていたぜよ。それってインドのブラミンカーストの人たちが詳しいよな。おいらの食べ方を見て、まるで豚だとコメントしてたぜよ。おいらは千と千尋の両親じゃないんや。あれは失礼なコメントやったぜよ。

ヨシオ:どこが失礼なんや?当たっているやないか。人はアートマやから、全て基本的には同じなんや。子供が生まれるまで、一体その子供はどこにいたんや?どこから自分の子供がやって来たんや?そしてその自分の子供が親より早く死ねば、一体その子供はどこに行ってしまうんや?人がこの世で愛着を覚えて大事にしたものや人は全て幻なんや。この世のどこにも、人が、それは自分のものです、とか、その人は自分の子供ですとか、私の親ですとか、自分の恋人ですとかと言って宣言出来るものは何一つ存在していないんや。全ては幻なんや。その幻であるもの、雲のように移り変わって消えゆくものに対して愛着心、執着心を持てば、それが人を転生へと導くエネルギーとなって、人の魂を輪廻転生の大きな車輪の中に巻き込んでしまうんや。

ポニョ:という事はこの世のものや人に対して、愛着や執着を持ってはいけないって事なんや。でも人を愛するのは悪くないぜよ。

ヨシオ:人を愛する事と、愛着心を持つ事は違うんや。愛着心を持つという事は、自分の家族や恋人に向けられる愛の事で、真に人を愛するって事は、全ての人の中に存在するアートマ、つまりその人の中に神さんを見て、その神さんを愛するって事なんや。だから真の愛は普遍的な愛で、その人が自分の恋人やから愛するとか、自分の家族やから愛するとか、兄弟やから愛するとかではなく、全ての人を神さんと見て、全ての人を愛するのが、神さんの愛なんや。そういう普遍的な愛を、人は人生に於いて培って行かなければいけないんや。

ポニョ:でも今の人は、年を取るに連れて普遍的な愛を培っていくのではなく、自分の周りの家族や友達だけを愛するようになって、自分が作った小さな輪の中だけの人だけを愛して行くんや。

ヨシオ:それがこのカリユガの特徴なんや。自己中人間ばかりが社会で大きな顔をしながら寄生虫のように増えて行くんや。俺たちはそういう人たちとは逆に、大きな心で人々を愛して行かなければいけないんや。愛は拡げるものであって、小さくさすものではないんや。つまり他人と自分は一緒なんや。そういう大きな見方をしなければいけないんや。

英知の人が鏡の部屋に入ると、その人は、そこに見えるすべての姿は自分自身の映像であると感じて、幸せになります。
同様に、自分以外のあらゆる人の中に自分を見て、彼らを自分自身の姿と見なす人こそが、本当の人間です。
外の世界に現れる、目に見える原理は、一人ひとりの内に存在している原理と同じものです。
名前や姿や能力は、個別 のもののように感じられますが、それらは単なる映像に過ぎません。
本当は、皆さんと私は同じなのです。
神は皆さん自身の内にあり、皆さんと神は分離した存在ではありません。23/11/00

ポニョ:でもおいらの周りの人たちは、自分のことしか考えていない人ばかりやぜよ。

ヨシオ:だからサイババさんは、人を見る時にその人の良いところだけを見るようにと言われているんや。他人の欠点やら短所ばかりを見て批判ばかりする人は、その他人の中に自分の欠点や短所を見つけて、それを批判しているんや。自分が自分の中に同じようなものを持っていて、その欠点や短所を本当の自分は嫌っているから、他人の欠点や短所を批判してしまうんや。人は同じような欠点や短所が自分の中に無かったら、人を批判しないやろ。

ポニョ:でも以前、聖者のように心が一点の曇りもなく、まるで鏡のような綺麗な心を持っている人が他人を見れば、その他人の心の中にある汚い部分が自分の綺麗な心に映って、その人の欠点やら短所が、ガラスのショーケースの中のようによく見えると言ってたやないか。

ヨシオ:ポニョは人の話を何にも聞いていないやないか。俺が言っているのは、その人は、自分の中にある欠点やら短所が自分で嫌いやから、他人の中に同じものが見えたら、それらを批判してしまうと言っているんや。逆に聖者のように綺麗な心を持っている人は、自分自身の中に汚いものを持っているのではなく、ただ他人の汚い心が自分の綺麗な鏡に映るだけから、その人に対してその欠点や短所をどのように取り除けば良いか、その人を愛でもって導く事ができるんや。それって全然違うやろ。一つは相手を批判する事によって、自分の中の欠点や短所を正当化する、つまり俺の方がマシやとか、あいつは俺より劣っているとかと言って批判する事によって、今の自分の状態を維持したり、正当化しようとするんや。もう一つはそういう欠点や短所を少しでも無くすように導いて行くんや。

ポニョ:そういう風に具体的に説明してくれればよく分かるぜよ。あんたは簡単な事を難しく説明する傾向があるから、時々何を言っているのかよく分からんぜよ。

ヨシオ:あのね、ポニョは人に説明ばかりを求めて、全然自分で考えようとしないやないか。それって羊から生まれ変わった人の特徴なんや。

ポニョ:あんたもプライドが高いから、牛から生まれ変わったと言っていたやないか。

ヨシオ:それがどうやっちゅうんや。誰でも動物から生まれ変わって人になるんや。

ポニョ:でもあんたは、美しいメロディーの音楽を聞くと身体が動かなくなって聞き惚れてしまうと言ってたから、牛ではなく鹿から生まれ変わったかもしれないよな。

ヨシオ:サイババさんは、昔、鹿を捕獲する時は綺麗な音楽を流すと、鹿が聞き惚れて動かなくなるから、捕獲しやすいと言っておられたな。

ポニョ:でもあんたの場合は、プライドが高いだけじゃなくて顔も長いから、馬だった可能性もあるぜよ。そうや、多分プライドが高い馬か鹿やったんやろな。

ヨシオ:あのね、俺の事を馬か鹿やったなんて言っているけれど、つまり俺は馬鹿だと言いたいんやろ。ポニョが言いたい事はすぐに分かるんや。

ポニョ:ハハー!すぐにバレちゃった。

すべての世界が執着という大きな網の中に捕らえられています。
この執着はマーヤーという幻影現象であって、元々五大元素からできている肉体とアートマンの間には何の関係も無いのですが、マーヤーの幻影の力により二つが結ばれてしまうのです。
もしその力が無いのであれば、人と人の関係はどうなるのでしょうか?
誰が妻で誰が夫となるのでしょうか?
誰が母親で誰が息子となるのでしょうか?
これらの関係は生まれながらにしての執着心から出てきたものであり愛からではありません。
子供が生まれるまで、その子供への執着心は存在していませんでした。
しかし、子供が生まれるとその子に対する愛着心が出来るのです。
この愛着心は肉体に関するものであって一時的な性質のものです。SS9月p226~227