サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

愛の心を育めば

2017-06-15 16:00:23 | 日記
人間は、神を愛することによって無限の力を得ることができます。
しかし今日、人々は愛の原則を理解するための努力を一切していません。
人間の愛は、無限にして永遠の甘露のごとき神の愛に比べれば、一個の原子のようなものに過ぎません。
人間が、愛の原則を理解してもいないのに、すべてを知っていると考えるのは愚かさと無知の故です。
人間は愛の目でものを見、愛の耳で聞き、愛の感情を培わなければなりません。30/5/99

ポニョ:あんたが第一回サイババ全国大会に来る前に、ババがその大会に来ている日本人帰依者の中で超越瞑想から来た人たちは全ていなくなるって言われたんやろ。その通り暫くしたら一人ひとりと抜けて行ったぜよ。

ヨシオ:俺は超越瞑想の組織の結構上の方まで行って、新しいメンバーの人にマントラを教える事が出来る人を知っているんや。その人は結婚もせず、もうすぐ四十才になるんやけれどまだ独身で、超越瞑想だけの為に十年以上も金とエネルギーを費やして来た人なんや。その人がある日俺のところに来てこう言ったんや。「超越瞑想の世界で長い間修行して来たけれど、何かもの足らないものを感じるんや。でもそれが何か分からなかったけれど、君を見てたら自分に足りなかったものが見えて来たような気がするんや。それは神への愛やと思う。」それを聞いて俺は「神への愛って霊性修行の一番基礎的なものやから、それ無しにずっと瞑想とかやって来ても意味が無いやないか。今まで時間を無駄にして来たのと違うか。」と言ったんや。それでその人は俺に「それじゃどのようにして神への愛を育めるのか教えて欲しい。」と言ったので俺は「君は誰かを愛した事があるのか。」と尋ねたんや。すると「全て片思いやったけれど、恋の一つや二つはした事があるし家族も愛しているし、友達も愛している。」と言ったので「そういう世俗的な愛と神への愛はまた別のものなんや。世俗的な愛はいつかは消えてしまうし常に変化してるやろ。でも神への愛は神聖で常に流れ続けるものなんや。君が家族や友達に抱いている愛は執着と同義語で、いつかは消え去って行くんや。だからその家族や友達への愛をもっと大きく広め、昇華させて、自分の周りの人から社会全体、地球に住んでいる生きとし生けるもの全部を包み込むぐらい愛を大きくして行ったら、神を体験する事が出来るんや。それが本当の霊性修行なんや。」と言ったんや。

あなたは自分が愛を持っていると思っていますが、それは執着に過ぎません。
愛と執着とでは大きな違いがあります。
自分の子供に向けられた愛は情愛ヴァートサリヤで、妻への愛は愛欲アヌラーガで、世俗への愛はただの所有欲ママカーラです。
友人への愛は友愛マイトゥリーです。
このように、愛は様々な方向に流れています。
愛という真の意味からすればこれらはどれも本当の愛ではありません。
これらはすべて、物質的で、世俗的で、常に変わっていく儚い愛です。
真の愛は不変です。
愛は無私で絶対的なものです。
愛は霊的で神聖です。
執着は奪い取ることばかりですが、愛は常に与え許します。
愛は神です。神は愛です。愛に生きなさい。
執着は苦痛へと導く束縛です。
執着は偏狭で、まったく利己的なものです。
あなたに必要なことは愛を拡げることです。
まず自分の家族を愛することから始め、次にあなたの親類に拡げ、それからゆっくりと、あなたの地域に、国に、最終的に全宇宙にまで拡げるのです。
愛によってそして愛によってのみあなたは神を認識し、体験することが出来ます。
愛は神が人に与えた自然な性質です。STPSp261

ポニョ:サイババさんは昔、アシュラムで瞑想している人たちにこう言われた事があったよな。「君たちどうしてそんな、カスタードオイルを塗ったようなしかめっ面をしてそこに座っているんだい。目を開けて僕を見てごらん。ほら、君たちが瞑想をして神のヴィジョンを見ようとしているけれど、その神が君たちの目の前を歩いているんだよ。」って。それでもまだ目を瞑って瞑想している人を見ながら、横にいた人に小さい声で、「彼は次の生で盲目になってしまう。」って言われたんや。それって怖いよな。

ヨシオ:その瞑想をしている人は、自分がどうして瞑想をしているのか分からずにやっていたんやろ。昔、アシュラムに来てた人はババの事を神の化身と認めず、ただの苦行者とか奇跡の少年だ、ぐらいにしか思っていなかったからな。神のヴィジョンを見るのが瞑想で、その瞑想の対象が目の前に歩いているのにそれを無視するって、後でその人が実はババが神様と分かった時にめちゃ後悔するやろな。だから次の生は盲目になって生まれ変わるって言われたんやろ。その人が後悔して自分でそうするって決めるんや。

ポニョ:以前、サイババさんが推薦されている光明瞑想を紹介したけれど、それってさすがに神御自身が勧められるだけあって、とても効果的やぜよ。先ず自分の中に光を見てそれを身体中に回して広げて行き、最後にその光を頭頂に持って行って、そこから世界にその光を広げ世界中、宇宙一杯に光を拡大して行くんや。でも今の社会の風潮はこれとは逆で、どんどん人の心は狭くなって来ているぜよ。

「私は光の中にいる。光は私の中にある。光は私である。私は光である」――この真理を悟った人はブラフマン〔神〕と一つになります。
人間は絶えず平安〔安らぎ、平和〕を探し求めています。
平安を探し求める人は、それをマタム(宗教)にではなく、マナム(心)の中に探さなくてはなりません。
外界に平安を探し求めることが、この世のあらゆる不安の原因です。
平安はまず、自分自身の内で確立されなくてはなりません。
次に、家族へと拡大しなくてはなりません。
そして、家族から村へ、地域へ、州へ、国家へと広がらなければなりません。
今、起こっていることは、この過程とは逆のものです。
争いと無秩序が、個人から家族へ、そして、国家にまで広がっているのです。24/11/87

ヨシオ:このように愛を拡げて行き、全てに愛を見れるようになったら自分も愛そのものになれるもんな。

ポニョ:でもその人が正しく瞑想をやれていない時は、瞑想を終わってもすぐに誰かに怒ったり怒鳴りつけたりするって言われたよな。

愛だけがあなた方をより近く神のもとへと連れて行く唯一の特質です。
愛よりも偉大なものはありません。
それは神の属性です。
愛は神です。
愛の中に生きなさい。
この高貴な性質を培うならば、あなたは人間と呼ばれるに値します。
この神の愛はすべての人に、いいえ、すべての生き物の中に循環している血液のようなものです。もし、私たちがこの普遍なる愛を培うならば、すべての人間だけでなく生きとし生けるすべてのものを愛することができるのです。
愛は神です。
神は愛です。
ですから愛を込めてすべての人を心の中に受け入れなさい。
誰に対しても怒りや嫌悪感を見せてはなりません。28/8/04

ヨシオ:そういう人はまだ、瞑想をやれるだけの霊的なレベルに達していない人なんや。瞑想って誰でも出来るものではなく、アシュタンガヨガをマスターした人のみが進むことの出来る霊的段階なんや。

ポニョ:心のコントロールが上手く出来ないと瞑想をしても神の御姿に集中出来ないもんな。それが出来るようになるには先ず欲望をコントロール出来ないといけないし。

ヨシオ:そう。そういう事をコントロール出来ないのに瞑想をしても、以前記事にしたけれど、穴の空いた壺に水を入れようとするのと同じ事なんや。

ポニョ:でも心のコントロールが出来なくて上手く瞑想が出来なくても、全ての生きとし生けるものを神さんだと見て行く努力は出来るぜよ。そうすれば自分の中に愛の心が育って行くのが分かるんや。

帰依の道から学ぶことで何よりも大切なのは、神を愛するだけで無く、生きとし生けるものすべてを愛すること、どの人も神様だと信じて接することです。
神をあがめながら人を傷つけているようでは、神を信じる心を持っているとはいえません。SGc3

ヨシオ:そうやな。ポニョは愛がいっぱいあるし、もともと持っているキャラがええから心をコントロール出来なくても全てを愛で包んで行く修行は向いているかもしれないな。心が純粋な人って、愛が直接アートマから湧き出て来てるって見えるよな。

ポニョ:そうなんやろか。だから頭が光り始めているんやろか。

霊的な全一性だけが、宇宙的な愛を育むことが出来ます。
その愛のみが人々を結びつけるのです。
この愛はハートの底から湧き上がってくるもので無ければなりません。
そうして初めて全一性が成し遂げられるのです。SS12/93p312

ヨシオ:ポニョは虐げられて差別されている人々だけではなく、動物たちへも強い愛情を持っているもんな。以前、肉食は良くないキャンペーンをこのブログでしたけれど、心を打つ詩を書いていたやないか。

ポニョ:罪も無い動物たちが人に食される為に殺戮されるのを許す事は出来ないぜよ。それが原因で、生の途中で殺された霊的に未熟な動物たちの霊が人の姿を取って生まれ変わって来て、こんなひどい社会になっているんや。だから先ず肉食を止めるのが人類に課せられた大きな課題なんやぜよ。

自分の愛を体や体の属性に限定すべきではありません。
愛はあらゆる生き物、生命を持ったあらゆる姿のものたちへ、拡大しなければなりません。愛が人生のモットーであるべきです。18/1/85

ヨシオ:俺のその友達は、その後、先ず自分の周りにいる人たちを一生懸命愛するように努め、そしていろんなコミュニティで奉仕活動をしながら、年寄りや知恵遅れの子供達の中に神様を見るように努力し、時間があれば俺の家にやって来てサイババさんの話を聞きに来て信仰を深め、アシュラムにも行ってババのダルシャンを受けたんや。久々にこの前会った時は、人違いかなと思うぐらい人相が変わっていて、ポニョのようなニコニコ顔になっていたな。俺はその人の顔を見て、この人は良い霊性修行をして来たんやなって分かって嬉しくなったんや。

ポニョ:人がどれくらい神さんの事を思っているかは、その人の顔に出るもんな。その点、あんたはいつまで経っても強面の顔で全然そういう愛の光が表情に出て来ないよな。あんたは、ほんまに神さんの事を思っているんか。

あなたの中にある愛の火花は、神に到達することができるよう、大切に養われ、油を注がれなければなりません。
そうすれば、すべての存在は神になり、すべての行為は神聖になり、外界からあなたが得るすべての反応は、プレーマ〔愛〕に満たされ、その甘露によって甘くなることでしょう。あなたがあらゆる存在の中にいる神を愛するとき、あらゆる存在にいる神は愛を込めて応えます。
神を愛しなさい。
たとえ苦難があなたの運命であったとしても神を愛しなさい。
たとえ拒絶され、叱責(しっせき)されたとしても。
なぜなら、厳しい試練という坩堝(るつぼ)の中でのみ、金属は純化され、汚れは取り除かれるからです。
神への崇敬は一つの御名と御姿を通してなされねばなりません。
しかしだからといって、あなたの忠誠心がその特定の範囲のみに限定されるべきではありません。18/7/70
https://m.youtube.com/watch?v=_VOnSd_lM4M