サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

エジソンも探しています

2017-06-19 16:00:16 | 日記

奉仕、すなわち、社会を向上させるために時間と技能を役立てることは、神が恩寵を授けて報いる最高の礼拝の形態です。
あなた方は、奉仕を通じてサット チット アーナンダ〔実在・純粋意識・至福〕の実体験を得ます。
なぜならば、あなた方は奉仕を通じてエゴに打ち勝ち、万物の背後にある一体性を確信するからです。
24/8/71

ポニョ:何日か前の学生さんの話が印象に残ったぜよ。奉仕をする究極の目的は全ての人の中に神様を見る事なんや。

ヨシオ:その学生は奉仕活動に戻った後、興味深い体験をしたんや。それは、ある貧しい村に一週間毎日、全ての村人たちに食事を届けていた時の話なんやけれど、みすぼらしい老人がその学生のドーティという男がつける腰巻きを手で掴んだので、学生は「おじさん、僕のドーティを掴むのをやめて下さい。これはあなたにあげる為のものではありません。僕たちがあなた方の村に来たのは、あなた方に食事を届けにやって来たのです。ドーティではありません。」と言うと、その老人は「私はこの村に住んでいる乞食なんです。あなたのドーティが欲しくてやって来たわけではありません。ただあなたと話がしたくてやって来たんです。どうか私の話を聞いて下さい。」と言ったので、その学生は腰を下ろしてその乞食と一緒に座り、話を聞く事にしたんや。乞食は「自分は今までずっと人々に手を差し出して食べ物を乞う生活をして来ました。でもこの一週間、あなた方が食事を届けて下さったおかげで、自分が手を差し出して人々から食べ物を乞わなくても、神様が直々にあなた方を通じて、私に手を差し伸べて食べ物を下さったのです。おかげでこの一週間食べ物を乞いに通りを這いずり回らなくてもすみました。本当にありがとうございました。私があなたに言いたい事は、この一週間、人々に食べ物を乞わなくても食べ物にありつけたので、自分の中に、人としての尊厳が芽生えて来たんです。つまり乞食をしていた時に見失っていたものを自分の中に見つけたのです。これからその人として生きる尊厳を大事にして、他の人に乞いながら生きるのではなく、自分の力でどれくらい生きれるのかトライしてみたいと思うようになりました。本当に有難うございましいた。」と言って帰って行ったんや。

ポニョ:でも乞食と大学教授は一度やったら辞められないと言うぐらい気軽な稼業やぜよ。そんな簡単に自立出来ると思えないぜよ。

ヨシオ:でもずっと人に頼って生きて来た一人の乞食が、自分の中にある、人としての尊厳や誇りを持つ事が出来るようになったというのは素晴らしいやないか。

ポニョ:それはそうやけれど。でもサイカレッジの学生がいろいろと苦労しながら全ての人々の中に神さんを見る努力をしているのに、その乞食は自分に食べ物を配ってくれている学生の中に神さんを直ぐに見れたって面白いよな。

ヨシオ:全ての人や生き物の中に神さんを見る事が出来れば、この世で怖いものなんて何も無くなるんや。

ポニョ:あんたが海で泳いでいる時に、三角形の背ビレがすぐ近くまで接近しているのを見てサメだと思い、そのサメに手を合わせて「サイババさん、サメになって俺を殺しに来たのですか?今までこの肉体に生を与えて下さって有難うございました」と言った途端、可愛いイルカちゃんがひょっこり頭を出して、あんたに挨拶した話があったよな。そんな風にサメにでも神さんを見れるぐらいになると、この世で何も怖いものなんて無くなるやろな。

ヨシオ:あの時はサメじゃなくて興醒めやったけどな。

ポニョ:また得意のダジャレですか?

ヨシオ:ニューヨークのサイの帰依者が、毎週末にサンドイッチをたくさん作ってホームレスの人たちに配る奉仕活動をしていたんや。その日もほとんどのサンドイッチを配り終えて地下鉄に乗って家路に着く途中、途中の駅からナイフを持った男が乗り込んで来て一人ひとりの乗客にナイフを突きつけて金目のものを奪っていたんや。その車両には十数人しか乗っていなかったので、直ぐにその男がその帰依者が座っている所に近づいて来たんや。その帰依者は、その男の中にもサイババさんがいると信じいたので、その男が自分の横にやって来て隣の座席に座り金を出せと言った時に、「あの〜お腹が空いているようでしたら、サンドイッチでも食べませんか?このサンドイッチは皆さんにお配りしていた残り物ですが、もし良ければどうぞ。美味しいですよ」と言ってサンドイッチを差し出したんや。すると男は何も言わずにそのサンドイッチを荒々しくその帰依者から奪い、すぐに口の中に放り込んで一口で食べてしまったんや。それを見て、そのサイの帰依者はもう一つサンドイッチを手渡すと、それも急いで食べてしまったんや。その男は「俺はこういう人様から金を奪うなんて、今まで一回もした事がなかったんや。でもいくら仕事を探しても見つからないし、ここ二三日ほど何も食べていなかったので、お腹がぺこぺこやったんや。本当に美味しいサンドイッチやった。どうしてこんな馬鹿な事をしようと思いついたのか分からない。本当にサンドイッチを有難う。」と言って、今まで奪った物を他の乗客に返し始めたんや。そして次の駅で降りて消えてしまったんや。

ポニョ:そういう事ってあるんやな。面白い。

ヨシオ:この世にあるもの、俺たちが目で見ている様々な生き物や人や物は全て、様々なものに姿を変えた神さんそのものなんや。神さんはこう言っておられるんや。「僕を探してごらん。僕を見つけてごらん。君がこの世に生まれたのは、僕と隠れんぼ遊びをする為なんだよ。僕の遊び相手になる為にこの世に君はやって来たんだよ。だから僕と遊ぼう。僕を見つけてごらん。」といつも神さんは俺たちに呼びかけているんや。

ポニョ:でも神さんの創造された創造物があまりによく出来ているために、人は岩を見て岩と思い込み、象を見て象と思い込み、可愛い姉ちゃんを見て胸をときめかし、オクラの天ぷらを見てヨダレを流してしまうんや。

ヨシオ:よく分かる例でした。でも人が全ての創造物が実は神さんだと悟ってしまうと、岩になっていた神さんや、いろんな人や生き物になっていた神さんが「ハッハッハ、バレちゃったか。よく僕を見つける事が出来たね。君は僕がサメになって近づいた時に、一瞬でも怖がっていただろう。あの時の君の恐怖に包まれた顔を今思い出しても笑っちゃうよ。本当は僕だったのに。ああ面白かった。もっと誰かとこの遊びをしに行こうっと。めちゃおもろいゲームや」と言ってその真の姿を現されるんや。

ポニョ:手の込んだ隠れんぼ遊びをされているんやな。神さんてよっぽど暇なんやな。

ヨシオ:俺たちがこの世界をこの世界だという風に認識している限り、この神さんが作られた隠れんぼ遊びゲームの遊び相手にならなければいけないんや。それが嫌やったら全てが神だと悟って一抜ければ良いだけの話なんや。

ポニョ:自分たちは神さんのただの遊び相手やったんか。なのにこの世が真実だと思い込み、この世の幻に騙されて右往左往しているんやな。それって情けないよな。

ヨシオ:でもこの隠れんぼ遊びは、実は俺たちが主人公なんや。サメの中や全ての人の中に隠れていた神さんを見つけるゲームの面白いところは、全ての生き物や人の中に隠れていたのは、実は自分だったという事に気付く為のゲームなんや。つまり俺たちがこの世に生を受けた理由は、この世の全てが自分だったという事を悟るためにやって来たんや。

ポニョ:何という手の込んだゲームなんや。でも面白そうやぜよ。だからサイババさんがお一人の時にいつも声を出して笑ったり、ニコニコされているけれど、そういうトリッキーなゲームの仕掛けに騙されている人々を見て、喜んでおられるんやろな。

ヨシオ:サイババさんはこの世も含めて、三界で何一つしなければいけない事って無いんや。ただお遊びで来られているだけなんや。

ポニョ:神さんを信じていなかったら、完全にこのゲームに取り込まれて騙されてしまうよな。

ヨシオ:人はこの世が神さんのお遊びの場であると悟るには、先ず神さんを信じる事からまず始めないとな。百年ほど前に、ある科学者が隣で聖書を熱心に読んでいる人に、「君、そんな二千年前の、古い本を読んで一体何の役に立つんだね。時代は進んでいるんだ。今は科学の時代だよ。もっと科学の本を読んでみたまえ。もっと役に立つはずだ。エジソンって知っているかい?電球を発明したんだよ。そういう人の社会に役立つような事にもっと熱心になるんだな」と言ったらその聖書を読んでいた男が顔を上げて「僕がそのエジソンです。」と言ったんや。男は驚いてどうしてそんな有名な科学者であるあなた様が、そんな古い本を読んで時間を無駄にしているのですかと聞くと「美しい陶器を見れば熟練の陶工がいると分かる。立派な家を見れば経験を積んだ大工が作ったと分かる。美味しい料理を食べれば腕の良い料理人が作ったと分かる。この世の美しい山々や海や川、さらに輝く星々を見れば、それらを創られた創造者がいるって想像がつくだろう。僕はそれらを創られた創造者を探しているんだよ」と言ったんや。

物質科学は、あらゆる安楽と喜びを得る手段として称賛されています。
しかし、実際には、科学が世界にもたらしているものは、幸福よりも悲しみのほうが多いのです。
あらゆる行為と物事は、反動し、反射し、反響することになります。
物理科学は、物の性質について知り、それらの特質を利用する、という範囲内に留まっており、あらゆる存在物の背後にある原因、すなわち、この物質世界の創造者に関心を払っていません。
その知識は霊性教育を通してのみ得ることが可能なものです。
アートマ原理は、属性を持たず、超然とした、原初から存在する、理由なき、永遠で、真実で、全能の「知識」であり、独立した、純粋無垢なものです。
これらの側面を把握するなら、物質世界の物事は取るに足りないものに見え、それに伴って、願わずとも世俗の物事を克服します。
ところが、今、人々はまさにその基盤を無視し、物質界を真実のものと考えて、それをくどくどと繰り返し説いています。18/1/85