都会ではあらゆる方法によって私たちの文化が汚されています。
それゆえ、村に行き、村人たちが何を必要としているのかを知り、村人たちの苦しみを和らげるような奉仕をしなさい。
今、快適さや贅沢を求めて町や都会に移り住む人々がいます。
そうして彼らが最後にたどり着くのは悲しみや困難です。
こうした結果 は彼らが自分で作り出したものです。
「幸せは、幸せからは得られない」
幸せは、苦しみを経て初めて得ることができるものです。1/1/04
ポニョ:以前、あんたがアボリジニのコミュニティに行って奉仕活動をしていた話をしてくれたけれど、大都市の繁華街に行くとホームレスの人はアボリジニが多いし、犯罪者にもアボリジニがたくさんいるし、オーストラリアでアボリジニの問題を解決するのは難しいやろな。
ヨシオ:元々アボリジニに問題なんて無かったんや。彼らは白人達がやって来る四万年前からオーストラリアに住んでいて、オーストラリアの自然の中に八百万の神を見て、それらを礼拝し、自然を聖地とみなしてオーストラリアの大自然を守って来たんや。とても霊的な事もよく知っていて、人の想念の力を知っていて、想念の力で自然の力を呼び寄せて、天候をコントロールしたり、遠くの人たちとコミュニケーションを取ったり、病を癒したりして自然と調和を取りながら生活をして来て、自然の掟に逆らわず、アメリカのホピ族に近い霊的な人達なんや。
ポニョ:アボリジニの問題って言ったけれど取り消します。誰かさんがアボリジニを問題に仕立てあげたのが問題なんや。
ヨシオ:ヨシオ:そういう事や。毎週木曜日に失業者達にお金が政府から支払われるんやけれど、西オーストラリア州の砂漠の真ん中にあるウイルナという、パースから千キロほど行った所にある約六百人のアボリジニが住む村では、一軒だけ白人が経営する酒屋さんがあって、そこで食料も買えるんやけれど、毎週木曜日になるとアボリジニたちがたくさん押しかけて来て、その店で酒やビールを買いまくるんや。そしてあくる日には村は酔っ払ったアボリジニだらけになり、村のあちこちにビールや酒の空き缶やボトルが山ほども積まれて、その後、一日で金を使い果たしたアボリジニ達が次の木曜日まで街を徘徊し始めるんや。そのアルコール中毒になっている夫を抱えている家族はいつもお腹を空かせていて、子供達は栄養失調でとても惨めな状態なんや。俺はその村に一週間ほど滞在した事があるんやけれど、一体どうしたらこの悪循環から子供達を救えるかなとアボリジニの長老たちと話をして来たんや。
ポニョ:アボリジニ達は砂漠の真ん中でどうやって生きていけるんや。
ヨシオ:ウイルナは地元の言葉で風がきつい場所という意味やけれど、真夏を除けば結構住みやすいんや。俺も実はその近くの土地を買おうかなと計画していたんや。俺が見つけた土地はシンガポールの十倍以上も大きくて、飛行場が六つもあったな。大きな家も付いていて、その家には四つも寝室があり、プールまであったんや。これだけ大きい土地やのにパースの二軒分の家の値段と同じなんやで。土地は百六十キロかける六十キロもあって、仁丹のような小さなゴールドの粒がゴロゴロ転がっているんや。一メートルほど掘ればパチンコ玉ぐらいの大きいゴールドも出て来るんや。まあ、シャベルを担いで小さなゴールドを見つけるために、最低一メートルは土地を掘らないといけないけどな。結構重労働やで。隣の家まで百キロ以上もあり、買い物が出来る町までは三百キロほどあったな。もちろん学校なんて無いから、無線で教育を受けるんや。
そのシステムは、無線による学校と名付けられているんやけれど、俺が視察したのは、ミカタラという無線による学校で、先生達が、たくさんのスクリーンに映っている子供達一人ひとりとコンタクトを取りながら授業を進めていたな。俺に日本語の特別授業をしないかと聞いて来たけれど、「おおきに」とか「まいど」などの大阪弁やったら教えたると言ったんや。
ポニョ:オーストラリアの砂漠から来た子供達が「まいど」と言ったらびっくりこくやろな。
ヨシオ:アボリジニ達は教育を受けていない人が多くて、英語が話せない人もたくさんいるんや。話せても訛りがきつくて聞き取れなかったな。アボリジニは何百も言葉を持っていて統一された言語がないんや。しかも掟が厳しくて、その掟を破ればコミュニティを永久追放されたりして、一人で厳しい自然の中で生きていかなければいけないんや。昔は、ほとんどの人は、カンガルーやエミュというダチョウのような生き物を捕らえて生活してるんや。今ではエミュの牧場を経営して、肝臓から採れる油が化粧品に使われるので、それが結構良い収入源なんや。またグレープフルーツも栽培していて、南半球で一番大きなグレープフルーツの農場があったな。でも人手が足りなくて誰も手入れをしないので、グレープフルーツが大きな木のようになって繁り、フルーツがとても高いところに生っているので収穫出来ないと言ってたな。
ポニョ:それはもったいないぜよ。砂漠の真ん中やのに、どうしてそんなグレープフルーツが育つぐらい水があるんか?
ヨシオ:飲料水になる程の綺麗な地下水が豊富にあって、ほんの五、六メートルも掘れば地下水が出て来るんや。それに周りは鉱物資源が豊富でゴールドを始め、ウラニウムも採れるのでたくさんの鉱山会社がやって来て、そこらじゅうを掘りまくっているんや。おかげでアボリジニの聖地はズタズタにされて、彼らの精神的なバックグラウンドが破壊され、アボリジニのアイデンティティが失われる原因となったんや。大きなショッピングセンターがアボリジニの聖地に作られることになり、アボリジニ達が大反対をしたので、そこに生えている木はそのまま残すことになったんや。だからそのショッピングセンターに行くと、ショッピングセンターのど真ん中に木が生えているんや。そしてアボリジニ達が定期的に礼拝にやって来るんや。
ポニョ:自分たちの文化を守るのは大変じゃ。このようにして四万年も続いていて来た文化がだんだんと失われつつあるんやろな。
ヨシオ:だから若いアボリジニ達が、自分たちの先祖が何万年にも渡って護って来た大事な聖地が大きな鉱山会社によって簡単に破壊されるので、自分たちの文化に対してもう誇りを持てなくなってしまったんや。
ポニョ:そんな事になったら、若い人たちが掟を守って来た年寄りを尊敬しなくなるやろな。
ヨシオ:そうなんや。昔はさっきも言ったように聖地を護ったり、厳しい自然の中で生きて行く為にいろんな掟があって、それらの掟は長老達が守り、それらを次世代に継いで行ってたけれど、鉱山会社が彼らを聖地から追い立て、聖地を破壊し、その代償に酒を買える現金を渡すので、もうアボリジニの文化がメチャクチャになってしまったんや。彼らの体つきを見ても、ビール腹の人ばっかりやし、白砂糖の塊のような、栄養の無い甘い砂糖菓子ばかり食べているから虫歯だらけやし、俺の次女も俺の話を聞いて、ウイルナに行って歯医者としてボランティアで働いた事があるんや。とてもひどい健康状態やと言ってたな。サイの帰依者になった時に、サイセンターの人々を組織してアボリジニのコミュニティに連れて行った事があるんや。この前も記事にしたけれど、破れたビール瓶のガラスの欠けらを拾い集めたりする奉仕活動をしたけれど、行き帰りの車の中で、サイの帰依者同士と言っても、ほとんどの人達は最近インドやシンガポール、マレーシアから移住して来た人たちやけれど、彼らがアボリジニ達の問題?!をどのように解決すべきか話し合っているのを横で聞いていた時に、「酒で崩壊した家族から子供達だけでも救う為に、子供達だけでも家族から切り離し、子供達を寄宿舎に入れてきちんとした教育を施し、このオーストラリアの社会に順応さす事や」とか何とか言っていたので、俺はそれを聞いて、「彼らが言っていることは白人達がアボリジニの子供達に対してして来た事と同じやな、人はこういう発想をするんやな」と思って悲しくなったな。昔やったら大きな声を出してけんか腰で怒鳴りまくるけれど、今はそんな気は起こらないな。
ポニョ:支配層達は、オーストラリアだけではなく、アメリカを支配した時にインディアンに対して同じ事をしてるんや。中央アメリカを始め、南アメリカではインディオに、カナダではエスキモーなどの民族に、また中国では麻薬を使って国を滅ぼさせ、アフリカでも黒人達を酒やドラッグ漬けにしてるんや。とにかく枚挙にいとまがないほど、世界中で悪さをしてるんや。でもそういうアボリジニのコミュニティへの奉仕と言っても酔っ払いはいるし大変やろな。
ヨシオ:俺は少しでも彼らの生活環境が良くなればええな。特に俺の子供達と年恰好も変わらないアボリジニの子供達の事を思ってやっていたんや。でもサイババさんの教えを知って奉仕活動に対する考え方は大きく変わったんや。サイカレッジの学生達が、貧しい村に食料を届ける奉仕活動を定期的にしてるけれど、ある村で奉仕活動をしていたら、「あの家に届けた食料より、私の家に届けた食料は少ない」と言ってその学生に喧嘩腰に文句を言って来た人たちがいたんや。その学生は頭に来て、その文句を言って来た人たちと言い争いの喧嘩になってしまったんや。その学生は奉仕活動のリーダーやったんやけれど、それ以来、奉仕活動をしてもそこから平安や、幸せな気持ちを得ることは出来なくなってしまい、とうとう奉仕活動を辞めてしまったんや。でもその後、自分がした事をじっくり考え直して、自分が奉仕をして来た理由や動機を深く見つめ直したんや。すると自分は貧しい村人を助ける為にやろうとしていたのが、メインの理由だったけれど、本当はそうではなくその村人の中に神さんを見て、その神さんに仕えるという事が主な理由でなければならないと気づいたんや。そのようにすれば、村人に喧嘩を売られても、もっと謙虚になって、「それは僕のミスでした。今度からもっと公平に配るように注意します。どうか許して下さい。」と自然に言えたのに、と気づいたんや。そしてその学生は、自分の行為を深く考え直し、心から反省してその時の奉仕活動の間違った行為や考え方を改め、奉仕活動をもう一度やり直そうという気持ちで詩を書いたら、サイババさんが「その詩を持って来なさい」と言われたので、それをサイババさんに捧げると、サイババさんはその詩の中の「この世の全ては神だ。私も、そしてあなたも。」という最後の文を指差されて、「このような気持ちを、もっともっと自らの内に育てなさい。」と言われたんや。
人間が目の前に見るものは、世界ではなく、まさしく神なのです。
しかし、無知ゆえに人間はこの真理を理解できず、外側の世界に神を探そうと努めます。
あなたが自分の前に見つけるものすべてが、まさに神の姿なのです。
あなたはすぐ目の前に神を見ているのに、まだ自分は神を探し当てていないと思っているのです。
何と愚かなことでしょうか!
あらゆるものが神の顕れであるという堅い信念を育てれば、あなたは確実にすべての人の中に神を見いだすことでしょう。16/3/03
それゆえ、村に行き、村人たちが何を必要としているのかを知り、村人たちの苦しみを和らげるような奉仕をしなさい。
今、快適さや贅沢を求めて町や都会に移り住む人々がいます。
そうして彼らが最後にたどり着くのは悲しみや困難です。
こうした結果 は彼らが自分で作り出したものです。
「幸せは、幸せからは得られない」
幸せは、苦しみを経て初めて得ることができるものです。1/1/04
ポニョ:以前、あんたがアボリジニのコミュニティに行って奉仕活動をしていた話をしてくれたけれど、大都市の繁華街に行くとホームレスの人はアボリジニが多いし、犯罪者にもアボリジニがたくさんいるし、オーストラリアでアボリジニの問題を解決するのは難しいやろな。
ヨシオ:元々アボリジニに問題なんて無かったんや。彼らは白人達がやって来る四万年前からオーストラリアに住んでいて、オーストラリアの自然の中に八百万の神を見て、それらを礼拝し、自然を聖地とみなしてオーストラリアの大自然を守って来たんや。とても霊的な事もよく知っていて、人の想念の力を知っていて、想念の力で自然の力を呼び寄せて、天候をコントロールしたり、遠くの人たちとコミュニケーションを取ったり、病を癒したりして自然と調和を取りながら生活をして来て、自然の掟に逆らわず、アメリカのホピ族に近い霊的な人達なんや。
ポニョ:アボリジニの問題って言ったけれど取り消します。誰かさんがアボリジニを問題に仕立てあげたのが問題なんや。
ヨシオ:ヨシオ:そういう事や。毎週木曜日に失業者達にお金が政府から支払われるんやけれど、西オーストラリア州の砂漠の真ん中にあるウイルナという、パースから千キロほど行った所にある約六百人のアボリジニが住む村では、一軒だけ白人が経営する酒屋さんがあって、そこで食料も買えるんやけれど、毎週木曜日になるとアボリジニたちがたくさん押しかけて来て、その店で酒やビールを買いまくるんや。そしてあくる日には村は酔っ払ったアボリジニだらけになり、村のあちこちにビールや酒の空き缶やボトルが山ほども積まれて、その後、一日で金を使い果たしたアボリジニ達が次の木曜日まで街を徘徊し始めるんや。そのアルコール中毒になっている夫を抱えている家族はいつもお腹を空かせていて、子供達は栄養失調でとても惨めな状態なんや。俺はその村に一週間ほど滞在した事があるんやけれど、一体どうしたらこの悪循環から子供達を救えるかなとアボリジニの長老たちと話をして来たんや。
ポニョ:アボリジニ達は砂漠の真ん中でどうやって生きていけるんや。
ヨシオ:ウイルナは地元の言葉で風がきつい場所という意味やけれど、真夏を除けば結構住みやすいんや。俺も実はその近くの土地を買おうかなと計画していたんや。俺が見つけた土地はシンガポールの十倍以上も大きくて、飛行場が六つもあったな。大きな家も付いていて、その家には四つも寝室があり、プールまであったんや。これだけ大きい土地やのにパースの二軒分の家の値段と同じなんやで。土地は百六十キロかける六十キロもあって、仁丹のような小さなゴールドの粒がゴロゴロ転がっているんや。一メートルほど掘ればパチンコ玉ぐらいの大きいゴールドも出て来るんや。まあ、シャベルを担いで小さなゴールドを見つけるために、最低一メートルは土地を掘らないといけないけどな。結構重労働やで。隣の家まで百キロ以上もあり、買い物が出来る町までは三百キロほどあったな。もちろん学校なんて無いから、無線で教育を受けるんや。
そのシステムは、無線による学校と名付けられているんやけれど、俺が視察したのは、ミカタラという無線による学校で、先生達が、たくさんのスクリーンに映っている子供達一人ひとりとコンタクトを取りながら授業を進めていたな。俺に日本語の特別授業をしないかと聞いて来たけれど、「おおきに」とか「まいど」などの大阪弁やったら教えたると言ったんや。
ポニョ:オーストラリアの砂漠から来た子供達が「まいど」と言ったらびっくりこくやろな。
ヨシオ:アボリジニ達は教育を受けていない人が多くて、英語が話せない人もたくさんいるんや。話せても訛りがきつくて聞き取れなかったな。アボリジニは何百も言葉を持っていて統一された言語がないんや。しかも掟が厳しくて、その掟を破ればコミュニティを永久追放されたりして、一人で厳しい自然の中で生きていかなければいけないんや。昔は、ほとんどの人は、カンガルーやエミュというダチョウのような生き物を捕らえて生活してるんや。今ではエミュの牧場を経営して、肝臓から採れる油が化粧品に使われるので、それが結構良い収入源なんや。またグレープフルーツも栽培していて、南半球で一番大きなグレープフルーツの農場があったな。でも人手が足りなくて誰も手入れをしないので、グレープフルーツが大きな木のようになって繁り、フルーツがとても高いところに生っているので収穫出来ないと言ってたな。
ポニョ:それはもったいないぜよ。砂漠の真ん中やのに、どうしてそんなグレープフルーツが育つぐらい水があるんか?
ヨシオ:飲料水になる程の綺麗な地下水が豊富にあって、ほんの五、六メートルも掘れば地下水が出て来るんや。それに周りは鉱物資源が豊富でゴールドを始め、ウラニウムも採れるのでたくさんの鉱山会社がやって来て、そこらじゅうを掘りまくっているんや。おかげでアボリジニの聖地はズタズタにされて、彼らの精神的なバックグラウンドが破壊され、アボリジニのアイデンティティが失われる原因となったんや。大きなショッピングセンターがアボリジニの聖地に作られることになり、アボリジニ達が大反対をしたので、そこに生えている木はそのまま残すことになったんや。だからそのショッピングセンターに行くと、ショッピングセンターのど真ん中に木が生えているんや。そしてアボリジニ達が定期的に礼拝にやって来るんや。
ポニョ:自分たちの文化を守るのは大変じゃ。このようにして四万年も続いていて来た文化がだんだんと失われつつあるんやろな。
ヨシオ:だから若いアボリジニ達が、自分たちの先祖が何万年にも渡って護って来た大事な聖地が大きな鉱山会社によって簡単に破壊されるので、自分たちの文化に対してもう誇りを持てなくなってしまったんや。
ポニョ:そんな事になったら、若い人たちが掟を守って来た年寄りを尊敬しなくなるやろな。
ヨシオ:そうなんや。昔はさっきも言ったように聖地を護ったり、厳しい自然の中で生きて行く為にいろんな掟があって、それらの掟は長老達が守り、それらを次世代に継いで行ってたけれど、鉱山会社が彼らを聖地から追い立て、聖地を破壊し、その代償に酒を買える現金を渡すので、もうアボリジニの文化がメチャクチャになってしまったんや。彼らの体つきを見ても、ビール腹の人ばっかりやし、白砂糖の塊のような、栄養の無い甘い砂糖菓子ばかり食べているから虫歯だらけやし、俺の次女も俺の話を聞いて、ウイルナに行って歯医者としてボランティアで働いた事があるんや。とてもひどい健康状態やと言ってたな。サイの帰依者になった時に、サイセンターの人々を組織してアボリジニのコミュニティに連れて行った事があるんや。この前も記事にしたけれど、破れたビール瓶のガラスの欠けらを拾い集めたりする奉仕活動をしたけれど、行き帰りの車の中で、サイの帰依者同士と言っても、ほとんどの人達は最近インドやシンガポール、マレーシアから移住して来た人たちやけれど、彼らがアボリジニ達の問題?!をどのように解決すべきか話し合っているのを横で聞いていた時に、「酒で崩壊した家族から子供達だけでも救う為に、子供達だけでも家族から切り離し、子供達を寄宿舎に入れてきちんとした教育を施し、このオーストラリアの社会に順応さす事や」とか何とか言っていたので、俺はそれを聞いて、「彼らが言っていることは白人達がアボリジニの子供達に対してして来た事と同じやな、人はこういう発想をするんやな」と思って悲しくなったな。昔やったら大きな声を出してけんか腰で怒鳴りまくるけれど、今はそんな気は起こらないな。
ポニョ:支配層達は、オーストラリアだけではなく、アメリカを支配した時にインディアンに対して同じ事をしてるんや。中央アメリカを始め、南アメリカではインディオに、カナダではエスキモーなどの民族に、また中国では麻薬を使って国を滅ぼさせ、アフリカでも黒人達を酒やドラッグ漬けにしてるんや。とにかく枚挙にいとまがないほど、世界中で悪さをしてるんや。でもそういうアボリジニのコミュニティへの奉仕と言っても酔っ払いはいるし大変やろな。
ヨシオ:俺は少しでも彼らの生活環境が良くなればええな。特に俺の子供達と年恰好も変わらないアボリジニの子供達の事を思ってやっていたんや。でもサイババさんの教えを知って奉仕活動に対する考え方は大きく変わったんや。サイカレッジの学生達が、貧しい村に食料を届ける奉仕活動を定期的にしてるけれど、ある村で奉仕活動をしていたら、「あの家に届けた食料より、私の家に届けた食料は少ない」と言ってその学生に喧嘩腰に文句を言って来た人たちがいたんや。その学生は頭に来て、その文句を言って来た人たちと言い争いの喧嘩になってしまったんや。その学生は奉仕活動のリーダーやったんやけれど、それ以来、奉仕活動をしてもそこから平安や、幸せな気持ちを得ることは出来なくなってしまい、とうとう奉仕活動を辞めてしまったんや。でもその後、自分がした事をじっくり考え直して、自分が奉仕をして来た理由や動機を深く見つめ直したんや。すると自分は貧しい村人を助ける為にやろうとしていたのが、メインの理由だったけれど、本当はそうではなくその村人の中に神さんを見て、その神さんに仕えるという事が主な理由でなければならないと気づいたんや。そのようにすれば、村人に喧嘩を売られても、もっと謙虚になって、「それは僕のミスでした。今度からもっと公平に配るように注意します。どうか許して下さい。」と自然に言えたのに、と気づいたんや。そしてその学生は、自分の行為を深く考え直し、心から反省してその時の奉仕活動の間違った行為や考え方を改め、奉仕活動をもう一度やり直そうという気持ちで詩を書いたら、サイババさんが「その詩を持って来なさい」と言われたので、それをサイババさんに捧げると、サイババさんはその詩の中の「この世の全ては神だ。私も、そしてあなたも。」という最後の文を指差されて、「このような気持ちを、もっともっと自らの内に育てなさい。」と言われたんや。
人間が目の前に見るものは、世界ではなく、まさしく神なのです。
しかし、無知ゆえに人間はこの真理を理解できず、外側の世界に神を探そうと努めます。
あなたが自分の前に見つけるものすべてが、まさに神の姿なのです。
あなたはすぐ目の前に神を見ているのに、まだ自分は神を探し当てていないと思っているのです。
何と愚かなことでしょうか!
あらゆるものが神の顕れであるという堅い信念を育てれば、あなたは確実にすべての人の中に神を見いだすことでしょう。16/3/03