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小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

⑯野見宿禰の伝承

2012年10月05日 23時34分01秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生⑯ ―野見宿禰の伝承―

 番外編で始めたこのシリーズですが、気がつきゃ15回もやってたんです
ねぇ。

 1度ここらで今までのことをまとめてみます。

 八百万といわれる日本の神様の中でもメジャーな神様である大国主命。
 ところが、この大国主が登場するのは『古事記』だけなのです。
 おそらくオオナムチやアシハラシコオなどの神様を大国主という神に
まとめてしまったのだろう、と研究者たちは考えています。

 それなら、大国主という神はどのようにして誕生した神なのでしょう?

 そこで、まずは『古事記』に登場する、大和政権と出雲が関わるエピソ
ードをピックアップしますと、意外にも、愛知、岐阜、三重といった中部
地方と関わりの深い物語だったのです。

 中部地方にはホアカリノミコト(火明命)を始祖にする尾張氏がいて、
近畿の鴨氏、物部氏と関係があり、大阪府の旧三島郡(現在の高槻市、
茨木市、摂津市、吹田市、豊中市、箕面市、島本町を含む地域)にも、
ホアカリや、ホアカリと関わりの深いニギハヤヒ系の氏族、それに鴨氏
が存在していたのでした。


 さて、出雲と中部地方をつなぐ線はこの旧三島郡だったのでしょうか?

 実はもう1つ、出雲と中部地方を結ぶ線があるのです。

 それは大和の葛城地方です。

 尾張氏は葛城の高尾張邑に拠点を持っていたといいます。それから、
明日香村の小墾田(おはりだ)も尾張氏の大和における拠点であった、
考える研究家もいます。

 そして葛城地方の北部には当麻と呼ばれるところがあり、野見宿禰の
伝承を有する土地なのです。


 ところで、ヒッポ・ファミリー・クラブは全国に活動の場所があり、
その場のことをファミリーと呼ぶことは前にも書きました。
 奈良県五條市にあるファミリーに車で遊びに行くとき、大阪府唯一の
村、千早赤阪村から金剛山(葛城山)を越えて奈良県の御所市に入りま
す。御所市を行くと、途中「高天」という地名があり、その近くにはア
ジシキタカヒコネを祀る高鴨神社があります。
 この高天が高尾張邑ではなかったか、といわれるところなのです。

 『古事記』、そして『日本書紀』では、尾張の豪族である尾張連が葛城
に拠点を持っていたこと、そして、出雲からつれてこられた野見宿禰(ノ
ミノスクネ)が葛城地方の当麻に土地を与えられたことが記されています。

 垂仁天皇7年の7月のこととして、野見宿禰と当麻蹴速(タイマノケハヤ)
の決闘について書かれた記事です。この勝負は相撲の起源と言われています。


葛城の当麻(たいま)に当麻蹴速という強者がいた。常々、

「どこかにオレより強い者はいないものか。どうにかして強い者と出会っ
て命をかけた勝負をしたいものだ」

と、言っていたのが、天皇の耳に入り、

 「当麻蹴速とはずいぶんと強い男らしいが、この者と肩を並べる者はい
ないのか?」

と、群臣に問いかけたところ、1人の臣が、

 「出雲に野見宿禰という強者がいる、と聞いたことがあります」

 早速、倭直の始祖ナガオチを遣わして野見宿禰を召し、当麻蹴速と勝負
させた、2人は互いに蹴り合い、ついには野見宿禰が当麻蹴速を蹴り殺した。
 そこで、当麻蹴速の領地をすべて野見宿禰に与えた。


 鳥取県鳥取市には、大野見宿禰神社があり、ここでは野見宿禰を祀ってい
ます(祭神の名前は正確には大野見宿禰命)。


 以前、東京の墨田区でファミリーをされているヒッポのフェロウさんの家
にホームステイさせてもらったことがあるのですが、夜、お酒を買いに教え
てもらった近所の酒屋さんに向かうと、途中に野見宿禰神社と書かれた神社
がありました。
 家に戻り、

 「近くに野見宿禰神社があるんやね」

と、言うと、

 「うん、両国国技館の近くだから」

 なるほど。野見宿禰は相撲のご先祖様ですからね。

 ちなみに、これまで出土した埴輪の中には、ふんどし(まわし?)姿の
人物埴輪も多数あります。


 ところで、兵庫県たつの市にも野見宿禰神社があり、『播磨国風土記』に
よると、野見宿禰はこの地で没したとあります。


 そして、なによりも注目したいのが、『日本書紀』垂仁32年の項に記され
た、皇后ヒバスヒメが亡くなった時のエピソードです。

 それまで皇族が亡くなった時には、生きている人も一緒に埋めるという殉
死の風習があったものを、野見宿禰が、殉死は蛮習だと意見を述べ、出雲か
ら土師部のヒトモモヒト(壹佰人)を呼んで埴輪を作らせた、というエピソ
ードです。
 垂仁天皇は野見宿禰を大層ほめ、土師部を司る職につけ、これにより、野
見宿禰は姓を土師臣に改めます。土師氏はここから始まり、葬儀を司るよう
になった、と「垂仁紀」は記しています。


 土師氏は奈良時代には多くの下級官人を排出してきましたが、高官はおろ
か中級官人のポジションについた人物が極めて少ないのが特徴です。
 「垂仁紀」でも、野見宿禰は土師臣と記していますが同時に、「これは土
師連等の始祖なり」と記しており、すでに臣姓でなくなっていることを伺わ
せています。
 直木孝次郎(『日本古代の氏族と天皇』)は、その理由として、土師氏が
葬儀に関係する氏族であり、
奈良時代には火葬が普及したために地位が低下したのではないか、と考察し
ています。

 さらに奈良時代後期には、土師氏は、土師・菅原・秋篠・大枝の4支族に
分かれました。
 この4氏の拠点ですが。
 大枝氏は、大阪府堺市の百舌鳥古墳群のある百舌鳥(現在も土師町という
地名があります)、菅原氏が平城京右京三条あたりの菅原の里(現在も菅原
寺があります)と、考えられています。
 秋篠氏ですが、こちらの本貫については、奈良市の楯並古墳群のあたり
(現在も秋篠寺があります)とする説と、河内国志紀郡の秋篠(道明寺にあ
る旧地名)とする説があります。

 さて、ここで1つ見落としてはいけないのは、この野見宿禰を出雲から連れ
てきたのが、倭大国魂神を祀るナガオチだということです。

 倭大国魂神とは、

「大国主神、またの名を大物主神、または国作大己貴命と申す。または葦原
醜男と申す。または八千戈神と申す、または大国玉神と申す。または顕国玉
神と申す。」

とある、大国玉神のことです。

・・・つづく

②オオナムチという神

2012年09月18日 23時01分24秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生② ―オオナムチという神―


 一般に、大国主を祀る神社と、言えばまず挙げられるのが島根県の
出雲大社でしょう。

 ですが、出雲大社の祭神は、古くは杵築大神で、これが大国主と
同じ神なのかはよくわかっていないのです。

 反対に、杵築大神は出雲国造が本来祭祀していた神で大国主とは別
の神だった、と考える研究者も少なくはありません。

 事実、出雲大社でも、祭神が大国主ではなくスサノオだった時期が
あるのです。


 また、元出雲と呼ばれる京都府亀岡市の出雲大神宮の祭神も大国主
をされていますが、ここもまた、本来の祭神は三穂津彦大神・御蔭大神
であり、大国主と同じ神なのか不明です。(御蔭大神とは、出雲大神宮
がかつて御蔭山をご神体としていたことから、御蔭山を神としたものと
考えられます)


 Wikipediaによると、大国主を祀る主な神社として、先の出雲大社と
出雲大神宮の他に、

 大神神社(奈良県桜井市)
 気多大社(石川県羽咋市)
 気多本宮(石川県七尾市)
 大國魂神社(東京都府中市)
 大前神社(栃木県真岡市)

を挙げていますが、大神神社の祭神は大物主です。
 次に、気多大社と気多本宮の祭神はオオナムチノミコト(大己貴命) 
ですし、大國魂神社の祭神は大國魂大神ですし、大前神社の祭神は、
大黒天とえびすなのです。

 全国の神社で、摂社(いわゆる本殿と別に小さな社がよくありますよね。
あれのことです)として「大国主」を祀っているところは多いのですが、
本社の祭神として、かつ主祭神として「大国主」を祀っているのは、実は
出雲大社だけで、その出雲大社さえも、初めから大国主を祀っていたのか
定かではないのです。

 そう、大国主を主祭神として祀っている神社は存在しない!

 このことについて、研究者たちの意見は、
 「オオクニヌシはアメノミナカヌシ(天之御中主)同様、奈良時代に、
朝廷の役人たちによって机上で作られた神だから」
と、するものです。

 天上(高天の原)の中心がアメノミナカヌシ(天之御中主)で地上
(葦原中国)の中心がオオクニヌシという観念上の理論から作り出さ
れた神、と大和岩雄(『神社と古代王権祭祀』)は唱えています。

 アメノミナナカヌシとは、『古事記』の冒頭に、

 天地初めて発し時、高天の原に成りませる神の名は、天之御中主神。
次に高御産巣日神、次に神産巣日神。

と、書かれる神なのですが、やっぱりアメノミナカヌシを主祭神として
祀る神社もまたありません。

 けれども、上記に紹介した神社では、祭神がそれぞれオオナムチや
えびすであっても、「この神様は大国主と同じ神様ですよ」としてい
たりもするのです。一応、オオクニヌシを祀る神社ではあるわけです。

 『日本書紀』には、

 大国主神、またの名を大物主神、または国作大己貴命(クニツクリ
ノオオナムチノミコト)と申す。または葦原醜男(アシハラシコオ)
と申す。または八千戈神(ヤチホコの神)と申す、または大国玉神と
申す。または顕国玉神(ウツシクニタマの神)と申す。

と、あり、オオクニヌシには7つの名前があり、その1つがオオモノヌ
シでありオオクニタマの神である、というわけです。

 ただし、これも『古事記』では、

 またの名は大穴牟遅神(オオナムチの神)といい、またの名は葦原
色許男神(アシハラシコオの神)といい、またの名は八千矛神(ヤチ
ホコの神)といい、またの名は宇都志国玉神(ウツシクニタマの神)
といい、合わせて5つの名があります。

とあって、オオモノヌシとオオクニタマの名前は載せていませんが、
その他の5つの名前については、おおむね記紀ともに一致しているの
です。

 たしかに、神社の名前に「大国主」という名前の入った神社が存在
しないことは変わりないのですが、ともかくオオクニヌシを祀る神社
はあるわけです。
 この点がアメノミナカヌシとちがう点です。

 それでは、なぜ昔の人たちは、「机上で作られた神」(と推測され
る)オオクニヌシを認めたのでしょうか?

 オオクニヌシの別名とされるオオナムチは『風土記』にも登場しま
すし、『日本書紀』でも、オオクニヌシのことを一貫してオオナムチ
と書いています。

 また民間伝承にもオオナムチの説話は多く残されており、実際にオ
オナムチの信仰は広く分布していたことを思わせます。

 そうすると、大国主命の神話は、民間によるオオナムチ信仰と、中央
政権によるオオクニヌシなどの出雲神話の2面性を併せ持つわけです。


 そこで、まずは、オオナムチの伝承について取り上げ、それから『古
事記』の大国主伝承を見てみたいと思います。


 さまざまな伝承によれば、葦原中国(あいはらなかつくに)、すなわち
地上は禍々しい世界だったといわれています。

 その世界をオオクニヌシが人間の住める世界に造り直したのですが、
『風土記』や民間伝承のオオナムチは、土着のローカル色豊かな神で、
国土生成といったスケールの大きな神では決してありません。
 その説話も、農業や医療、地主神としての内容です。

 また民間伝承のオオナムチには女神の場合もあるのです。

 女神としてのこの神は、オオナンジ、オオナチなどの名で語られますが、
時として、この女神を助けて、その恩寵を受ける狩人の名前として登場す
ることもある、と松前健の研究(『出雲神話』)があります。

 女神のオオナンジ、オオナチは、狩りの神、動物の主、山の神の性格を
持ちます。

 オオナムチも、オオナモチの名で語られることがありますが、漢字表記
では、大穴牟遅、大穴持などいろいろあります。
 女神の場合だと、大穴の穴は女性器を指す場合もあり、大穴とは、「丈夫
な子供をたくさん生む」という意味になります。

 また、オオナムチは大きな袋を背負った姿で登場しますが、藤村由加
(『古事記の暗号』)は、大国主とは地上の主という意味なので、これを
易で解くと「坤為地」、「説卦伝によれば」「坤は嚢と為す」とあるので、
大穴とは様々なものを入れる嚢(ふくろ)の意味と解釈しています。

 人間の(と言うか男性の)体の一部で嚢の字を使ったものでは陰嚢があり、
これまた生殖に関係してきます。

 オオナムチには、原始的な生殖の神であったと思われる一面も見られるの
です。つまり子沢山の信仰です。

 実際のところ、『古事記』や『風土記』でも、この神はいろんな女神に
妻問いしているのですが。


 それでは、『古事記』のオオクニヌシを見てみたいと思います。

・・・つづく