小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

434 天照大神高座神社の謎②

2015年09月28日 00時44分59秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生434 ―天照大神高座神社の謎②―
 
 
 山城国の春日部氏が津速魂命(ツハヤヒノミコト)の曾孫、大田諸命(オオタモロノ
ミコト)の子孫を称していたなら、河内の春日戸氏(かすかべ氏)も同様に大田諸命の
子孫を称していた可能性が高いのではないでしょうか。
 
 津速魂命という神はあまり馴染のない神ですが、『先代旧辞本紀』では、天小屋
根命も大田諸命と同じく津速魂命の曾孫となっています。
 天小屋根命は天の岩屋戸神話に登場する神ですが、中臣氏や、中臣鎌足を祖と
する藤原氏が始祖にいただくのがこの神なのです。
 
 天照大神高座神社が鎮座する大阪府八尾市には、中臣氏に関係する恩地神社が
あり、東大阪市にもやはり中臣氏に関係する枚岡神社があります。
 枚岡神社の祭神は天小屋根命で、恩地神社の祭神は大御食津彦命(オオミケツヒ
コノミコト)と大御食津姫命(オオミケツヒコノミコト)です。
 ですが、恩地神社の社伝によれば、元々この神社では天小屋根命を祭神としていた
のが、枚岡神社にこの神が遷されたために大御食津彦と大御食津姫を祀るように
なった、というのです。
 ちなみに恩地神社の社伝では、大御食津彦は天児屋根命の五世の孫となってい
ます。
 
 さらに南に目を向けると、堺市美原区に菅生神社が鎮座します。
 この神社の祭神も天小屋根命で、祭祀氏族の菅生氏は中臣氏から枝分かれした
人々です。
 
 神護景雲四年(770年)、称徳天皇が崩御すると、それまで天皇の厚い信頼を得て
いた僧道鏡とその一族が配流されるという事件が起こりますが、この時、道鏡に協力
したとして、伊勢神宮の宮司であった菅生朝臣水通がその職を解任されています。
 このことから、菅生氏は伊勢神宮とも関わりがあったことをうかがい知ることができる
のです。
 
 天照大神高座神社と同じ八尾市に鎮座する恩地神社の祭神の大御食津姫は伊勢
神宮外宮の豊受大御神のことである、とされているから、河内は伊勢と関わりが深い
ように思えます。
 ですが、伊勢神宮から見た時に、河内との関係が見えてこないのです。
 とすれば、河内の太陽信仰については、本来伊勢神宮とは関係のないものだったと
考えられるわけです。
 そもそも皇祖神としての天照大御神を祭神とする伊勢神宮の成立はもう少し時代が
下った頃と考えられているので、河内が伊勢とつながっている理由そのものも成立し
ないわけです。それは天照大神高座神社が平安時代はじめ頃まで春日戸神社と呼ば
れていたことからもうかがえます。
 
 しかし、それならどうして後世になって天照大神高座神社をはじめとする河内の信仰が
伊勢神宮と結びつくことになったのか、という疑問が残ります。
 結論を先に言えば、河内には元々太陽信仰があったためでしょう。
 かつて太陽神は複数存在していたと考えられます。
 たとえば、南河内に尾張氏がいたと思われるとしましたが、その尾張氏や伊福部氏、
丹比郡の丹比氏、住吉大社の津守氏が始祖とする天火明命も太陽神だったと考えら
れている神です。
 それが後世、伊勢神宮の天照大御神が唯一無二の太陽神とされたことで天照大神
高座神社の春日戸神は天照大御神に替えられたではないか、というわけです。
 ですが、天火明命や、同じく太陽神だったと思われる三輪山の大物主、それに高皇
産霊神が天照大御神に替えられることがなかったのに対し、なぜ春日戸神のみが天照
大御神に替えられたのか、この問題だけは残ります。
 その答えは、天照大神高座神社に隣接する岩戸神社にあるのではないかと思えます。
 なお、現在では岩戸神社は天照大神高座神社の摂社となっています。