★さちの夢空間

さちの身辺雑記。
ときどき情報の交換も。

後日譚

2008-12-20 11:29:55 | 体調


退院して1ヶ月後、チェックのための検査を受けた。
造影剤を注入してCTを撮ったが、退院したときよりさらに
患部は小さくなっていた。
「もう心配いりません。次の検査は半年後でいいですよ」
主治医のお話にほっと胸をなでおろす。

「今日はT先生がみえてますよ」
T医師は私の最初の病院での主治医で、悪性腫瘍の疑いがあると
診断された方。大学病院の主治医のO医師とは大学で同期とのこと。
「T先生にお礼を申し上げたい」というとさっそく呼んできて下さった。
T医師は部屋に入るなり「すみませんでした。脅かしちゃって」

「いや、先生、あの画像や血液検査のデータからは
どなたでも先生と同じ判断をされたんじゃないでしょうか」とわたし。

お医者さんは昔から権威的だという先入観があったので
謝られてびっくりしてしまった。

T医師は182センチの長身でなかなかのイケメン。
息子と同い年なので、より親近感が湧いた。

これでひとまず、今回の病気は完治。
夫と共にお祝いをすることにした。




今日の記事とは何の関係もありませんが・・・。
ボクは来年の1月に還暦を迎えます。

このとおりの毎日です。


手術日に退院!

2008-12-15 12:00:14 | 体調


CTの画像を見せてもらうと、腫瘍が梅干大になっているではないか!
始めはこぶし大だったのに。
大学病院へ移ってからは、何の治療もしていないというのに。

悪性の腫瘍は治療無しでは絶対に
小さくならないという。
さっそく家族に、心配してくれている友人たちに
メールを打つ。
「ひょっとしたら手術をしなくてもいいかもしれない」

担当チームのカンフェランスでは
「腫瘍の原因が分かっていないので手術をする」、
「肝臓へのリスクと血小板の低さを考えると
手術は回避したほうが良い」
との二つの意見に分かれたそうだ。
最終的には「ご自分で決めて下さい」とのことだった。

腫瘍の原因が分からないのは心に引っかかるが
身体にメスを入れると、年齢的に回復に時間がかかる。

いつも病室を覗いてくださる外科の医師に
どう思われるか聞いてみた。
「うーん、ボク的(!)には手術を見送ったほうが良いと思うな」
「先生のそのことばにのります!」

かくして手術は差し当たって受けないで
経過を観察することになった。

なんという幸運!
先生方も「悪化しての手術見送りは経験があるが
良い結果での中止は珍しい」と異口同音におっしゃった。

発病してから、「がん」という二文字に振り回され
闘う覚悟はできている積もりでも、
萎えそうになる時も何度かあった。

そんな時、夫や息子、親しい友人たち、
駆けつけてくれたコーラスの仲間
中学や高校の同級生、ご近所の方
かつて環境運動をともに闘った仲間たち
10年ぶりに会った友の励ましが
わたしを強く支えてくれた。

医師団や看護師さんたちも
殺人的な忙しさの中、わたしの心に寄り添ってくださり
とてもありがたかった。

「病院暮らしが長かったので、体力が回復したら退院にしましょう」と
主治医は言ってくださったが、部屋のやりくりがつかず、
結局手術の予定日に退院することになった。

以上がここ2ヶ月余りの顛末です。

自分のことのように走り回ってくださった友人、
お見舞いいただいた方々、
心配してメールや電話をしょっちゅうして下さった方々に
心からお礼申し上げます。
ありがとうございました。




















手術日が決まる

2008-12-13 08:43:57 | 体調
手術の予定日が決まった。
それまで、心肺機能やMRI、大腸ファイバースコープ、
造影剤を注入してのCT、胸部レントゲンなど
手術前に必要な検査をひととおりすることになった。

また検査?入院してからというのも検査づくめで
検査で体力を消耗しそう。

「足を強くするためにできるだけ歩いてください」との指示が
出ていたので、入院している病棟の8階から1階まで
階段を上ったり降りたり。
お天気のいい日は、外へ出て病院を一周歩いたり。
主食は全粥になっていたが、歩くのはかなりきつかった。

真っ青な空を見ると、生きていることのすばらしさを感じるのだが、
一方で手術への不安が頭の隅につきまとって離れなかった。

今は術後すぐ翌日から歩くように言われる。
その方が回復が早いという。
病棟の廊下も点滴をひっぱりながら歩いている人が
たくさんいたが、面白いことに一人で歩いているのは
ほとんど女性、男性は必ずといっていいほど
おつれあいらしきひとが付き添っていた。

手術の1週間前には、抗がん剤で髪が抜けた時のために
ヘアースタイルを思い切ってベリーショートにした。
「良く似合ってる」「その方が若く見えるよ」
お世辞でも褒められるのはやっぱり嬉しい。

大腸の内視鏡は2回目。
この検査は「もう2度といやだ」という人と
「別にどうということはない」という人に分かれる。
が、わたしは苦手なほう。

1回目は絶食していたときだったので
下剤を2リットル飲まなくても良かった。
しかし今回はそうはいかない。
朝6時から6時間かけて2リットルをやっと飲み干した。
その後は、トイレで過ごした方が良いくらい。
もう少し楽に受けられないものか。

検査の結果がでそろった。
主治医とその上司などわたしを診てくださっている
医師たちが勢ぞろいして病室にいらした。

「驚いたことに腫瘍が小さくなっている。
手術をするかどうか、放射線科、肝臓専門の先生などと
話し合いをします」
「え?小さくなったんですか?」
「そうなんです。ぼくたちも正直言って困惑しています」

岐阜大学病院・正面


わたしは上から二つ目の8階に入院していた。

周りを歩くと結構な距離になる。




ペット検査

2008-12-09 10:33:43 | 体調
がんセンターの診察を受けてから
1週間後、岐大病院に移ることになった。
名古屋の病院も選択肢にはあったが
家族が通うのに便利なほうがいいということで
大学病院に決めた。

この病院は岐阜市の郊外にあり、
まわりは田園風景が広がりロケーションは申し分ない。

病室が空くのを待っている間に熱が下がり始め
転院するころには平熱に戻っていた。
結局25日間、38度から39度の高熱が続いていたことになる。

食事も、三分から五分がゆそして七分と
食べ甲斐のあるものに変わっていった。

転院後初めての検査はペット。
PET検査は、がん細胞がブドウ糖をたくさん取り込む
性質があることを利用して、ブドウ糖と似た構造を持つ
FDGという薬を静注して病変した部分を映し出すもの。
FDGには微量ながら放射線(!)を出すように工夫されている。

わたしの回腸と盲腸のつながりの部分には
大きなオレンジ色に映し出された腫瘍が見られる。


幸い転移や播腫が無かったので手術が可能になった。

差し入れてもらった本によると
悪性リンパ腫とは、「からだのリンパ組織から発生する
悪性腫瘍。リンパ組織全身に分布するリンパ節のほかに
リンパ管、胸腺、脾臓、扁桃、そして骨髄までが含まれる。
がん化した白血球のひとつであるリンパ球は、
病気の進展とともにリンパ組織だけでなく
全身の臓器へも拡がっていく」

「原因はよく分かっていない。加齢や放射線の曝露
などが関連しているといわれるが、
はっきりとしたことは分かっていない」

いずれにしても恐ろしい病気なので
覚悟を決めて闘っていかなければならない。

手術日が決まるまで、食堂で知り合った同じ病気の人たちから
いろいろなアドバイスを受けた。
中には抗がん剤の点滴を受けながら、「おなかがすくのよ」と
良く食べている方もいて、深刻な病気なのに
みなさん明るく、食堂でのひと時が待ち遠しい毎日だった。






おかゆってこんなに美味しかった?

2008-12-02 17:29:58 | 暮らし
絶食し始めてから11日目、やっと食事の許可が出た。
三分粥だったが野菜のマッシュも付いている。
思わず手を合わせ「いただきまーす」
ちょうど熱が下がっていたので、その美味しかったこと!
食べられることのありがたさをつくづく感じた。

入院から2週間目、24時間点滴が終わり、
昼間8時間だけになった。
針の刺してある腕を、夜中気にしなくてもよくなった。
ちょっとした解放感。

熱は相変わらず12時間おきに出ていた。
からだがだるく夜中にたびたび目覚めたり
一睡もできない日が続いた。
寝汗も相変わらずで、一晩に3度パジャマを替えることも。
気味の悪い夢を見ることも多かった。

そうこうしているうちに
大学病院への転院の日にちが決まった。
このまま手術というのも抵抗があったので
主治医にお願いしてセカンドオピニオンをとるための
紹介状を書いてもらうことにした。

友人が「悪性リンパ腫」の治療成績が良い病院ということで
膨大な資料を集めてくれていたので、
その中から愛知県がんセンターを選び、
日にちを調整した。

がんセンターへは自宅から行くことにしたので
17日ぶりに帰宅した。
ペットのマックが、はじめキョトンとしていたが
すぐおなかを見せて撫でてくれといわんばかり。
かわいい子!やっぱり我が家はいいな。

夫が、すぐ横になれるようにと
寝室をきれいに掃除してくれていた。

10月3日、8時45分友人夫婦が
「大きい車のほうが楽だろう」と
エスティマで迎えに来てくれた。
座席がゆったりして背を倒すとベッドのよう。

内視鏡部長の診察が終わったのが2時近く。
お二人ともずっと付き合ってくれ
岐阜の病院まで送ってくれた。

数日後、今度はがんセンター消化器外科での診察。
この日は朝7時出発。
先の友人がまた送ってくれて、
お昼過ぎにはもとの病院へ戻る。
肉親でもないわたしたちを、いやな顔一つせず
2日にわたって送り迎えしてくれた得がたい友人だ。
いまどきこんな人たちがいることに夫とともに感動し、涙が出た。
遠い親戚より近くの他人とはまさにこのことだ。

診察の結果は、やはり悪性の肉腫かリンパ腫。
がんセンターでの手術を望んだが、
「がんセンターはがんだけを治療するところです。
糖尿とか、腎臓とか余病のある人の手術には
対応できません」と。
わたしは肝臓病を抱えているので、各科の医師が
チームを組んで治療に当る総合病院でしか
手術はできないといわれた。

そうなんだ、知らなかった。
がんならどんな状態でも
対応してもらえるとばかり思っていた。
一つ勉強になった。

またもとの病院で造影剤を注入して
CTを撮った。
相変わらず大きな腫瘍があり、大腸を圧迫していた。

11月30日 近くの天満宮の大イチョウ