★さちの夢空間

さちの身辺雑記。
ときどき情報の交換も。

あさっては参議院選挙の投票日

2007-07-27 08:41:58 | 暮らし
今日はちょっと堅いお話を。
私たちの暮らしを決めるのは政治です。
その政治の方向を決める大事なチャンスが選挙です。
間接民主主義の代議制は、隔靴掻痒のかんがありますが
いま、その制度が布かれている以上、投票に行かなくては何も始まらないし、変わりません。
以下の歴史家・色川大吉さんの文章はひとつの示唆になります。
6月28日付中日新聞の夕刊に載っていました。



《自由を維持するために  不断の政権監視を》

二十一世紀になって、もう七年になるが、この国は国民にとっては、さっぱりカラリと晴れない。九百兆近い国の赤字を積み重ねて、ようやく経済は上向いたが、その果実は大企業関係者や、すばしっこい連中のふところにはいっただけではないか。
大多数の国民は小泉純一郎時代にもたらされた格差社会のなかで、将来の生活への不安をいっこうに解消されないでいる。

小泉改革というのは結局、庶民には幻想だったのか。はげしいリストラのあと、不正規雇用におとされた勤労者は低賃金で命をかけてはたらき、経済発展を支えたが、生活は良くならなかった。でも「小泉さんなら何とかしてくれる」という幻想にひきまわされ、郵政選挙で自民を勝たせすぎたために、いっそうひどいことになった。かれはブッシュのイラク戦争支援に深入りし、自衛隊を派遣し、莫大な国費をつぎ込んだ上に、戦時体制づくりといえる国内法(国民保護法とはよくも言ったものだ)を次々と通過させた。日本にたいするテロの脅威と北朝鮮の攻撃がさしせまっていると国民の不安をかきたて、日米同盟強化を至上課題とした。
そのため湯水のように国費をみつぎ、米軍再編用という法外な三兆円の経費まで約束した。
それは日本の安全のためだけではない。米国の核抑止力を後ろ盾にして、台頭する中国などに対抗する構えを示した。その上彼は韓国、中国がいやがる靖国参拝をくりかえして、公私混同、国益を損じ東アジアで日本を孤立させた。それだけの金があるなら数百万人の最低生活者や三万人余の自殺者を防ぐ救援の費用につかうこともできたかもしれない。

小泉氏のあとを継いだ安倍首相は拉致問題で人気をえたタカ派の政治家といわれる。それだけに北朝鮮にたいしては強硬一本槍で、日朝二国間外交を事実上不可能にしてしまった。アメリカでさえ六カ国協議打開のために妥協、譲歩しているのに、日本だけが突っ張っている。そして緊張を高め国民感情を右寄りにし、集団的自衛権や国軍をもつべきだというかれの持論に同調させようとした。安倍首相は戦後レジーム、つまり戦後民主主義、平和主義体制から脱却して、新体制を作ろうというのである。その内容は教育基本法の改正、防衛省の設置、改憲のための国民投票法の可決、三年後に新憲法をめざすなどの広言にあらわれている。
そのほかの福祉、年金、少子化対策、環境その他の政策は、公明党の顔をたてた選挙対策用の人気取り提案?で、かれらの本質をかくす煙幕にすぎない。こんな大変革が小泉郵政選挙のめくらましの結果、合法的にできるようになったのだから、国民はとりかえしのつかない失敗をしてしまったものだ。

わたしが五十年ほど近代の歴史を研究してきて、つくづく思うのは、政治とはほとんど、いかに国民をたくみに、気づかれないようにだますか、ということで、政策とはその方便だということだった。権力は本質的に悪なるものだから、主権者である国民は権力者に首輪をつけ、つねに手綱をひきしめておかなくてはならない。近代憲法はそのために創られたのであって、権力の行使者にタガをはめ、制限を加えるもの。その逆では断じてない。それなのに国民はテレビ仕立てのタレント政治家にしてやられた。ホゾをかむ思いとはこのことだ。
こうしたときに日本の若者の多数が、政治に背を向け、競争社会で偉くなることを望まず、ゆっくり私的生活を楽しみ、趣味に生きたいと望んでいる(それ自体は健全だ)そうだが、そうした自由は他人まかせでは維持できないものだ。私の経験でも、国が決めた戦時体制化の動員令一つで家庭の幸福など粉砕されてしまう。自由とは日常不断の監視と努力によってしか維持できない。
これから世界も日本も変わるだろう。いま、私たちの未来に希望がないように見えてもかならず変わる。ブッシュの米政権はすでに死に体である。小泉氏らの盟友は米国民から引導を渡されている。日本はこれで戦争にまきこまれる危険が減るだろうから、それだけでもわたしたちは楽になる。自民公明の現政権もこんどの選挙で交替を迫られるだろう。年金問題でかれらは国民の不信と怒りを買っている。これは国民生活の不安の根源にふれた問題だから、ごまかしではすまない。(いろかわ・だいきち=歴史家)





津山へ墓参そして京都。台風のおまけつき 7/14  珍至梅

2007-07-20 14:18:07 | 
旅も3日目。いよいよ台風が近づいてきそうだ。
朝食は、嵐山と大堰川が一望できる大広間で、
濁流!を眺めながら頂いた。

「朝からこんなにたくさん食べられなーい」といいながら
湯どうふはさすが嵯峨野、美味しかった。


チェックアウトは10時。
お天気がよければ、行きたいところはいくらでもある京都だが
いつ新幹線が止まるかわからない。
今回は諦めて少しでも早く帰り、わんこを迎えに行こうと
京都駅へタクシーで一直線。
新幹線にはそろそろ遅れが出始めていた。
早めの帰宅は正解だったが
暇さえあれば、台風の予報とにらめっこの
慌ただしい旅だったけど、それだけに
いつまでも憶えていることだろう。

京都の宿で見た可憐な花。珍至梅(ちんしばい)というそうだ。






バラ科ホザキナナカマド属の落葉低木。
中国北部シベリアが原産地。
ナナカマドに葉がそっくりなので
庭ナナカマドともいうそうだ。
白い可憐な小さな花が一目で好きになってしまった。





津山へ墓参そして京都。台風のおまけつき 7/13

2007-07-19 18:06:23 | 
岡山での宿は『岡山グランヴィアホテル』
新幹線から直接行けるので超便利。

この朝食(もちろん洋もあり)が付いて、スタンダードツインが16800円。

部屋は割に広く清潔で、バスタブもたっぷりの大きさ。
ひとり8400円はお値打ちだ。

今日は9時半の新幹線で京都へ。
台風の近づいた空に姫路城が見える。

高雄の病院が思いのほか早く終り
今日の宿、嵐山に2時に到着。
宿は典型的な日本旅館で、部屋数は10室。
通された部屋の正面が嵐山、やや遠くに渡月橋が見えるという
絶好のロケーション。

が、大堰川は降り続く雨で濁流が逆巻いている。



大堰川(おおいがわ)とは耳慣れない名前だと思い仲居さんに尋ねると
「この川の上流は保津川、渡月橋から下流は桂川、その間が大堰川
といいます。夏はこのお部屋の目の前で鵜飼があるんですよ」
うわー残念!この雨では当然中止だ。

夕食までは間があるので、散歩でもしようと
天竜寺、渡月橋とぐるっとまわった。
明日は祇園祭の宵宮。そして連休と絶好のスケジュールなので
けっこう観光客は多い。そんななかの台風の雨。
若い外国人のカップルは、もうやってられないとばかりに
はだしで石畳を歩いていた。

嵯峨野は京の山の手。通りから少し入るとお屋敷が立ち並び
雨の音だけが耳に入る。京は雨もまたよきかな。

宿に帰ると早速露天風呂へ。
嵐山は4、5年前に温泉を掘り、嵐山温泉を名乗っている。
沸かしてはいるが水質はなかなか良く、肌がすべすべになった。

楽しみは夕食の京懐石。
八寸では白ずいきのこの子がけ、うなぎの養老蒸、蛸の子のオクラ寄せが
特に美味しかった。
 
写真は撮りぞこなったが、甘鯛の蓮根蒸、鮎の塩焼き、
加茂ナスの揚げだし、湯葉のすり流しなど、美味しく頂いたが、
中でも、鱧のしゃぶしゃぶが絶品だった。

  



おなかも心も満足したけど、台風の進路が気にかかる。







津山へ墓参そして京都。台風のおまけつき 7/12

2007-07-16 12:08:07 | 暮らし
わたしの父の実家は岡山県の津山市。
「今まで私有地に墓地があったが、丘の上なので
お参りが大儀になった。菩提寺で墓地を分譲してもらって
移転した。」との連絡が従兄弟からあった。
私の関係では、墓地には父母と妹の三つの石塔がある。
先祖代々の石塔を中心に、三つの石塔を
そっくりそのまま移したとのこと。
そのお礼と墓参の旅である。
従兄弟といっても83歳、生まれて初めて会う人である。

朝家を出るときは曇りだったが、岐阜羽島を出るころから
激しい雨に。米原では、電車が止まっていても外が見えないほどの豪雨。
すると、なんと、足元に水が流れてきた。
座席のあちこちで悲鳴が上がる。
のぞみの通過待ちで乗降扉が開けてあったため、豪雨が振り込んだらしい。
新幹線の中に小川が流れているのを見たのは、生まれて初めてだ。

車掌さんたちが大慌てで新聞紙や、布で床を拭いて回っていた。
矢印はJR西日本の車掌さん。


JR東海の車掌さんが拭いた後を西日本の車掌さんがきれいにしていたが
どこからともなくまた水が流れてきた。

新聞紙をもらって床に敷いていたが、
岡山に着くころにはびしょ濡れだった。

津山線に乗ること1時間20分。
従兄弟夫妻はすぐに分かった。
小さな駅はこういうときありがたい。
墓地まではタクシーで30分。
奥津温泉へ抜ける道の途中にある。
極楽寺は山懐に抱かれた静かなお寺。


     菩提樹      樹齢450年のかやの木
 

山門の天井


極楽寺池 うまく写らなかったが、
対岸のまたたびの葉が白くなり美しかった。

雨上がりのあじさいはことのほか色鮮やか。

深閑とした裏山では、夏鶯が透き通るような美声でしきりに鳴いていた。

そのあと、従兄弟から父の16歳のときの写真をもらい、
私の知らない父のエピソードをいくつか聞いた。
私には、4歳のとき戦死した父の想い出はほとんどない。
16歳の父はなかなか美少年だ。その父を見て、なぜか少し心が和んだ。

話は尽きなかったが、夕方津山を出てその日は岡山に泊まった。
岡山駅前



おいしくなった!きんかん酒

2007-07-10 09:50:07 | 暮らし
梅ジュースができた。
最近、抗生剤や鎮痛剤のおせわになることがままあるので、
アルコールが飲めない。
そのあなうめにとジュースを作ってみた。

仕込んで半月。こんなに美しい色の梅ジュースが出来上がった。

とても美味しく、甘いけど胸やけしなく胃にいいみたい。
るなさんのレシピを真似して大成功。ありがとう、るなさん。

今年はしそジュースもたくさん作ったし、梅干も塩分8%なので
冷蔵庫に保存しないとカビがきてしまう。
家族が少ない割には大きな冷蔵庫を備えてあるが
満杯になってしまった。

で、床下収納庫を整理していたら、こんなものが出てきた。

なんと29年前のカリン酒。作ったときは甘いだけでちっとも
美味しくなかったので放っておいた。
さすが年月は甘さに豊かさを加え、まったりとして美味しい。


こちらのキンカン酒は14年前のもの。
めちゃまずかったのが、独特の風味が熟成され
「飲むとのどの調子がいい」とは夫の弁。

お砂糖を入れてないブランデーはロックが最高。

このほかに20年前の梅酒もみつかったが、
これはずっと保存しておくつもり。
さて誰が飲むのか?



サマーロベリア





ベルガモットそして梅ジュース

2007-07-01 09:29:33 | 暮らし
友人のお宅のテーブルに、見たことのないお花が飾ってあった。
ベルガモットまたの名をモナルダというそうだ。



和名は矢車薄荷、だから英語でHorsemintというんですね。
しそ科の植物で北米が原産地。
薄いピンクやムラサキのお花もあるそうだ。


バックの色を吟味している時間がなかったので
せっかくの美しさがいま一つですね。

今年は梅をたくさん頂いたので、梅干、梅酒、ジャムの定番に
初めて梅ジュースを加えた。
ブログ友だちのるなさんのレシピにしたがって、2キロ漬けてみた。
毎日混ぜるのだが、ちょっと味見をしてみた。
梅のいい香りがぷーんとして、夏バテに絶好の飲み物のよう。
出来上がるのが楽しみだ。