私たちの暮らしを決めるのは政治です。
その政治の方向を決める大事なチャンスが選挙です。
間接民主主義の代議制は、隔靴掻痒のかんがありますが
いま、その制度が布かれている以上、投票に行かなくては何も始まらないし、変わりません。
以下の歴史家・色川大吉さんの文章はひとつの示唆になります。
6月28日付中日新聞の夕刊に載っていました。
《自由を維持するために 不断の政権監視を》
二十一世紀になって、もう七年になるが、この国は国民にとっては、さっぱりカラリと晴れない。九百兆近い国の赤字を積み重ねて、ようやく経済は上向いたが、その果実は大企業関係者や、すばしっこい連中のふところにはいっただけではないか。
大多数の国民は小泉純一郎時代にもたらされた格差社会のなかで、将来の生活への不安をいっこうに解消されないでいる。
小泉改革というのは結局、庶民には幻想だったのか。はげしいリストラのあと、不正規雇用におとされた勤労者は低賃金で命をかけてはたらき、経済発展を支えたが、生活は良くならなかった。でも「小泉さんなら何とかしてくれる」という幻想にひきまわされ、郵政選挙で自民を勝たせすぎたために、いっそうひどいことになった。かれはブッシュのイラク戦争支援に深入りし、自衛隊を派遣し、莫大な国費をつぎ込んだ上に、戦時体制づくりといえる国内法(国民保護法とはよくも言ったものだ)を次々と通過させた。日本にたいするテロの脅威と北朝鮮の攻撃がさしせまっていると国民の不安をかきたて、日米同盟強化を至上課題とした。
そのため湯水のように国費をみつぎ、米軍再編用という法外な三兆円の経費まで約束した。
それは日本の安全のためだけではない。米国の核抑止力を後ろ盾にして、台頭する中国などに対抗する構えを示した。その上彼は韓国、中国がいやがる靖国参拝をくりかえして、公私混同、国益を損じ東アジアで日本を孤立させた。それだけの金があるなら数百万人の最低生活者や三万人余の自殺者を防ぐ救援の費用につかうこともできたかもしれない。
小泉氏のあとを継いだ安倍首相は拉致問題で人気をえたタカ派の政治家といわれる。それだけに北朝鮮にたいしては強硬一本槍で、日朝二国間外交を事実上不可能にしてしまった。アメリカでさえ六カ国協議打開のために妥協、譲歩しているのに、日本だけが突っ張っている。そして緊張を高め国民感情を右寄りにし、集団的自衛権や国軍をもつべきだというかれの持論に同調させようとした。安倍首相は戦後レジーム、つまり戦後民主主義、平和主義体制から脱却して、新体制を作ろうというのである。その内容は教育基本法の改正、防衛省の設置、改憲のための国民投票法の可決、三年後に新憲法をめざすなどの広言にあらわれている。
そのほかの福祉、年金、少子化対策、環境その他の政策は、公明党の顔をたてた選挙対策用の人気取り提案?で、かれらの本質をかくす煙幕にすぎない。こんな大変革が小泉郵政選挙のめくらましの結果、合法的にできるようになったのだから、国民はとりかえしのつかない失敗をしてしまったものだ。
わたしが五十年ほど近代の歴史を研究してきて、つくづく思うのは、政治とはほとんど、いかに国民をたくみに、気づかれないようにだますか、ということで、政策とはその方便だということだった。権力は本質的に悪なるものだから、主権者である国民は権力者に首輪をつけ、つねに手綱をひきしめておかなくてはならない。近代憲法はそのために創られたのであって、権力の行使者にタガをはめ、制限を加えるもの。その逆では断じてない。それなのに国民はテレビ仕立てのタレント政治家にしてやられた。ホゾをかむ思いとはこのことだ。
こうしたときに日本の若者の多数が、政治に背を向け、競争社会で偉くなることを望まず、ゆっくり私的生活を楽しみ、趣味に生きたいと望んでいる(それ自体は健全だ)そうだが、そうした自由は他人まかせでは維持できないものだ。私の経験でも、国が決めた戦時体制化の動員令一つで家庭の幸福など粉砕されてしまう。自由とは日常不断の監視と努力によってしか維持できない。
これから世界も日本も変わるだろう。いま、私たちの未来に希望がないように見えてもかならず変わる。ブッシュの米政権はすでに死に体である。小泉氏らの盟友は米国民から引導を渡されている。日本はこれで戦争にまきこまれる危険が減るだろうから、それだけでもわたしたちは楽になる。自民公明の現政権もこんどの選挙で交替を迫られるだろう。年金問題でかれらは国民の不信と怒りを買っている。これは国民生活の不安の根源にふれた問題だから、ごまかしではすまない。(いろかわ・だいきち=歴史家)
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