★さちの夢空間

さちの身辺雑記。
ときどき情報の交換も。

敗戦そして引き揚げ その3

2005-08-17 21:09:56 | 暮らし


妹の死は母にも、わたしにも衝撃でした。
わたしは5歳になっていましたから、妹の死の責任を
5歳なりの感じ方で受け止めていたようです。
母は、日に日に暗くなって行く私を、
「M子ちゃんはお父さんのところへ呼ばれたのよ。
お父さんは一人じゃさびしいってM子ちゃんを呼んだのよ。
お母さんが小さい子を二人も抱えて生きていくのは大変だからって、
こちらへおいでって呼んだのよ」と、自分自身をも
納得させるかのように、静かに慰めました。

どんなショックな事件があっても、とにかく
生きてゆかなければなりません。
そのあとわたしたちは、市営の母子寮に移り住みました。
全員、夫を戦争で無くした女性とその子どもたちでした。
そこで母は借り受けた畑に、さつまいも、トマト、きゅうり、
とうもろこしコウセキ瓜などを栽培し、一部、自給自足の生活をしました。
まったくの素人にしては出来がよく、よくおすそわけしたものでした。
トマトと黄石瓜は、未だにわたしの大好物です。

そこでわたしは6歳を迎え、小学校に入学しました。
小学校は母子寮のまん前にあり、通学がとても楽でした。
同じ母子寮のK子ちゃんとはいつも一緒に通い、成人して
彼女が静岡へ越すまではずっと親しくしていました。

そのあと母はさまざまな苦労と努力を重ね、
運よく事業に成功し、わたしはなに不自由なく
大きくなることができました。

☆10年前青島を訪れました。
昔の住所を尋ねたところ、生まれた家がそのまま残っていました。
そこでは、中国の方たちが5家族暮らしていました。
かつてドイツ租界だった雰囲気が、そのまま残っています。








わたしは長ずるにつれて、「わたしはなぜ中国で生まれたのだろう?」
と思うようになりました。歴史を学ぶうちに、それが侵略戦争の結果だったこと、
だからあの時代に、よその国で七五三のお祝いをしていたんだ、
たくさんの使用人に囲まれて、優雅な暮らしをしていたんだということに
思い至りました。
わたしは父を戦争で殺され、その結果母が大変な苦労をしたと
被害者としての側面でしか、日中戦争をとらえていませんでした。
しかし、歴史の事実は違いました。わたしたちは加害者の一員だったのです。
やはり歴史は、あったそのままの事実を知り、認めた上で、平和の道を
考えていかなくてはいけないと思います。
事実の歪曲から生まれるのは憎悪だけです。

母も31年前に過労がもとで肝臓を患い、父と妹の下へ逝きました。
ほんとに苦労ばかりの母でしたが、なんの後ろ盾もない私たち親子が
ここまで生きてこられたのは、やはり良い出会いが
たくさんあったからだと思うのです。

先の戦争の時代を生きてきた人は、誰でも、大なり小なり過酷な体験を
潜り抜けてこられたことと思います。母と私の体験はそのうちの、ほんの
一つに過ぎません。
わたしがこの、あまり触れたくない体験をブログに載せようと思ったのは
不戦を誓った世界に類を見ない優れた憲法をもっているこの国が、イラクに
軍隊を派兵したこと、その憲法を戦争をしやすいものに変えようという動きが
活発になってきたことに、黙っていられなくなったからです。

このブログを書いていられるのも、平和だからこそと、しみじみ思います。

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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
言葉を発するということ。 (みどり)
2005-08-18 06:58:20
さちさん

記憶を言葉にするのに、何十年もかかるといいます。特につらい記憶は。

やっと言葉にできたのですね。

あなたの記憶を引き継ぐ人がきっといます。



ところで、昨日の朝日夕刊に、上野さんの、「天皇制」と伝統文化~権威への共同参画不要、という記事が載っていました。明解でおもしろかったですよ。もう読んだ?

すばやく、特集号への転載の許可を受けました(笑)。

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Unknown (雪ダル)
2005-08-18 10:02:11
戦争体験者のお話を聞くと、いつも、「私なら、できたかしら? そんなに強く生きる知恵があるかしら?」と、軟弱な育ち方・生活をしている私は、不安に思います。
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Unknown (さち)
2005-08-18 14:30:12
みどりさん



戦争や被曝体験の風化がいわれて久しいですが、語り継ぐものがいなくなると、人間はまた同じ過ちを繰り返すのではと、懼れています。戦後60年の歳月が、わたしに語ることを促しました。



上野さんの記事、うちは「朝日」の夕刊は取っていません。今度見せてね。
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Unknown (さち)
2005-08-18 14:37:27
雪ダルさん



人間は環境に適応するものです。

戦争などという環境は二度とあってはいけませんが。



わたしも母に溺愛されましたから、軟弱なところがいっぱいあります。苦労をしなくてもいいなら、それに越したことはありません。

それに、雪ダルさんも病を抱えて、それに立ち向かっていらっしゃるのだから、ぜんぜん

軟弱じゃないと思いますよ。
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Unknown (木考)
2005-08-18 18:57:48
小さな子どもは、自分のせいにして

自分を責めるそうです。

さちさんもきっとそんな気持ちで暗くなって

いかれたんでしょうね。

お母さんの言葉は辛すぎますね。

涙しました。

私は戦争を知りませんが

こうした体験にふれるたびに

戦争は絶対に起こしてはいけないと思います。

辛い思い出を書いてくださり

ありがとうございます。
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Unknown (さち)
2005-08-18 21:20:27
木考さん



コメントありがとうございます。



<こうした体験にふれるたびに

戦争は絶対に起こしてはいけないと思います。



お一人でも多くの方が木考さんのように考えて下されば、つらい体験を語ったことは、間違いではなかったと思えます。







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記事をUPしました。 (みどり)
2005-08-23 06:37:13
さちさん

たくさんの人に読んでもらいたいので、昨日の記事で紹介して、URLをリンクしました。

TBしておきましたので、読んでください。

今日は読書会。みんなに会えるのがたのしみです。
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Unknown (さち)
2005-08-23 22:16:58
みどりさん

ご親切に、ありがとうございます。

みどりさんのブログは人気度が高いので、多くの方の目に触れる機会が増えると思います。思い切って「反戦の思い」を文章にした甲斐があります。

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Unknown (かおる)
2005-08-24 23:25:44
久しぶりにお邪魔しました。

こんなに大変な経験をされてきたのに

それを微塵も感じさせないさちこさんの強さに、

感銘を受けています。

たくさんの過酷な経験の中でも、

妹さんのお話を読んで、涙が止まりませんでした。

井戸を必死でかきまわしたお母さんの気持ちを考えると、胸が締め付けられます。

コウセキ瓜の話を読んで、

昨日の読書会でなぜあの瓜をみんなで

つついたのか、やっと分かりました。

私も素敵な友情を持った人たちに出会えてよかった。

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Unknown (さち)
2005-08-26 21:12:07
かおるさん



お久しぶりデス。(笑)

ひとは「忘れる」という作業ができるから、何とか生きていけるのかもしれません。

しかしどうしても記憶から消えないものもあります。今回、体験を文章にしてみて強くそのことを感じました。



みどりさんが、こうせきうりを持ってきてくださり、甘ーい味の中に、母をおもいました。



読書会、楽しかったですね。
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