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昨日は読書会だったが、疲れて詳しくブログにかけなかった。
私の家とは反対方向に住んでいる友人が、送り迎えをしてくれたので
ずいぶん楽をしたはずなのだが。
やはり、これが『老い』というものか。
読書会のテーマ本は、上野千鶴子さんの「老いる準備」。
10時から12時まで、レポートを中心に、じっくり
話し合った。
今日のテーマは、プロローグ、第1章向老学の時代へ。
●この先私の前にあるのは、下り坂だと言う感覚である。
I am peaked =(人生の)峠を越す。
その先は、また違った景色が見える。
●『老人問題』は客体として老人を扱い、『老後問題』は
主体的な経験として老いを扱う。
●向老学は、老いに立ち向かう学問ではなく、老いを迎え入れる
学問だ。
●社会的価値には、地位や権力、経済力や健康、知恵や能力
などがある。こういう社会的価値を、否応なしに失っていく
のが老化だとするならば、この価値を失っていく自分を
肯定的に受け入れられないというアイデンティティの危機こそが
老後問題を構成する。そして、その問題に苦しむのは、ほかならぬ
自分自身が同じ価値を共有してきたからこそなのである。
●「かわいいおばあちゃんになりたい」というのは
女が依存的な存在として生き抜いていくための生存戦略と
いうべきものであった。
●弱者が弱者のまま尊重される社会
たとえ社会的な価値がなくなったとしても、人間としての
尊厳が失われない社会
そのような社会の構築こそ向老学が目指すもの
以上のようなフレーズが、特に印象に残った。
そのあとのおたのしみ、昼食のてまりずし。
このほかにゆりね饅頭がついた。
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