★さちの夢空間

さちの身辺雑記。
ときどき情報の交換も。

ためらわない。

2008-04-26 13:06:43 | 暮らし

俳句仲間から吟行に誘われた。
咳が収まらず、息切れもあったが
90歳の男性も一緒だし目的地も近いので
行くことにした。
「チャンスにはためらわない」ことに決めたから。

行き先は美濃赤坂のお茶屋屋敷、牡丹園。

JR東海道線で大垣へ行き、美濃赤坂線に乗り換える。
途中の駅が「荒尾」ただ一つという全長5キロのローカル線。
ホームも東海道本線の一部を削って(!)作ってある。

10分も歩くと、それらしき風情が漂ってきた。



門をくぐるとさわやかな竹林が続く。
若竹の根元には白や淡いピンクの踊子草が群生している。
思わず深呼吸した。











竹林のかたわらにはホダ木が組まれ、りっぱな椎茸ができていた。


このあと大垣で昼食をとり、岐阜の喫茶店で句会をした。

相変わらず俳句は思うようにできず
ヴェテランの句に感心するばかりだった。

いつになったら『読む』(秀句を)から『詠む』(俳句を作る)に
なれるのかしら?





とうとう・・・。

2008-04-26 08:30:59 | 暮らし
友人が亡くなった。
小学校から高校まで一緒に学び、
小さい頃はお互いの家を行き来し、よく遊んだものだった。
五人姉妹の次女できょうだいの仲が良く、一人っ子の私は
いつもまぶしい思いで眺めていた。

商家の彼と結婚し、働きづめだった。
4年ほど前、子宮頸がんが見つかり手術。
放射線治療を続け、徐々に弱っていった。

二年後頚椎に転移。
このままだとまったく歩けなくなるといわれて手術。
その後も入退院を繰り返し、最後はリンパがおかされた。

抗がん剤で髪の毛が抜けても、かつらを付けずに
中学の同窓会(卒業生800人余り)に出席し
みなを感動させた。

病院と自宅療養の数年間だった。

なくなる50日前ごろは、まだ声も元気で
自宅に2時間もお邪魔して、
とりとめもない昔話をし、泣いたり笑ったりした。

なくなる2週間前には声もほとんど出ず
体位をしょっちゅう変えて欲しいといわれ
ベッドを上げたり下げたり、まくらの高さを調節したり
手足をなでたりした。

「寝ていてもつらいね」というと
「生きているのがつらい」と。



いま、友人の二人はホスピスと病院に、
二人はアルツハイマーになっている。

いつも旅行をしていた同期生12~3人のうち
二人を失い、4人はもう一緒に旅には行けない。
ちょっと、患う人のパーセンテージが高すぎるように思うが
そういう年齢なのか。


携帯が鳴るとドキッとする毎日だ。








友のためにも、一日一日を大切に生きなければと思う。




新しいオーブン

2008-04-21 16:43:00 | 暮らし
我が家の朝食はいつもパン。
小麦粉も値上がりしたことだし、
時間的余裕もできたので、
なるべくパンを手作りすることに決めた。

オーブンの調子が余りよくないので
「フランスパンも焼ける」という触れ込みの
日立の「ひろびろヘルシーシェフ」過熱水蒸気オーブンレンジを買った。

ナノスチーム(100℃~300℃の過熱水蒸気)で調理するので
肉などの余分な脂や塩分を落として
ソフトに仕上げるという。




体調もいまいちだし、高すぎる設備投資かなと思ったが
思い切って買ってしまった。

ほんとにこんなにおいしそうに焼けるのかしら?

とりあえずオニオン・ベーコンブレッドを焼いてみた。
まあまあの焼き上がり。お味は抜群だった。



ニーダーも買ったことだし、とにかく宝の持ち腐れにならないよう
がんばって使いこなさなくちゃ。


<だそく>
ワンコの洋服も買いました。
こちらはモチ、バーゲンです。
 






さくら&我が家の花、はな

2008-04-01 16:29:52 | 暮らし
桜はもうほとんど満開。
我が家の育ちの遅かったパンジーやビオラも
満開できゅうくつそう。
もう少し間を開けて植えればよかった。
おまけにひとりばえのノースポールやチューリップも出てきて
まるでラッシュアワー。


ニュースでやっていたが、首都圏に直下型の地震が起きたら
被災者の帰宅行動のシミュレーションでは、路上に475万人が殺到し
1平米に6人の割りで避難することになるという。
これはラッシュアワーの満員電車並みの状態だ。
こちらは笑い事ではない。

お花のラッシュはかわいくていいけれど。

ただひとつ名前の分かるビオラ、バレンタイン。











おなじみのソメイヨシノ。
もう場所取りが始まっている。