そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

ソウ3

2007年10月17日 | ホラー

2006年 アメリカ 115分
■原題「Saw III」
■2007.10.14 wowow
■監督 ダーレン・リン・バウズマン
■出演
   トビン・ベル(ジグソウ)
   シャウニー・スミス(アマンダ)
   ディナ・メイヤー(ケリー)
   アンガス・マクファーデン(ジェフ)
   バハー・スーメク(リン・デンロン)
   ドニー・ウォールバーグ(エリック・マシューズ)

 《story》

「目覚めたら、食肉工場の地下室
  扉を開けると、鎖につながれた三人の男女
  貯蔵庫には、最愛の息子を、飲酒運転でひき殺した男
  には、犯人に軽罪しか与えなかった判事
  冷凍室には、ひき逃げを目撃しながら証言しなかった女
      さあ、ゲームを始めよう、この3人の運命はお前次第・・・
      俺は、息子を殺した人間あたちを処刑するのか?」


小学校の殺人現場。エリックではない。ケリーは一安心したが、その晩拉致され気が付くと地下室だった。そして・・・今までの殺人とは異なる展開。逃げ延びることのない死。ある日、救命病棟の名医リンは、何者かに拉致される。気が付くと、食肉工場の廃屋だった。そこには、ベッドに横たわるジグゾウとアマンダがいた。リンは首に機会をセットされ、ジグゾウの心臓の鼓動と連携し、ジグゾウの心臓が止まるとリンの機械も作動し、リンも死ぬことになる。脳腫瘍で死にかけているジグゾウの延命がリンに科せられた。そして、二人の運命を決めるのはむ一人の男ジェフだった。彼のゲームは、息子を死に追いやった人間を許せるかどうかというものだった。目撃証言しなかった女、軽い判決しか出さなかった判事、そして真面目に働いていた医学生であり息子を事故死させた男。ジェフが、彼らを自分の命をかけて許すことができれば、リンも自由の身となる。しかし、ゲームに勝ち、目の前に現れたジェフは、リンの夫であり、ジグゾウを許せなかったジェフは彼を殺してしまう。ジグゾウは、ジェフのもう一人の娘の命を左右する鍵だったにもかかわらず。

 見ていられない場面が増えた
これはホラーではなく、虐待、または拷問の映画だ。いかに人を苦しめて死においやるか、さらに虐待を目の前にして自らそれに関わらせるか、だから余計に悲惨である。ゲームだと言いながら、人が苦しむのを見ている最悪の最低の人間だ。人は誰にでも間違いがあるもの。それを許し合えるところに人間の素晴らしさがある。ジェフは3人も許したではないか。ジグゾウを許せないのは当然。自分を最後のかけに使うなんて卑劣だ。と怒っても仕方ない。元々ジグゾウが正義のためにゲームをしているのではなく、自分が楽しむためにやっているのだから。
見ていられないのは、足を切るシーン。画面には出てこないけど、想像するだけでアウト。手や皮膚を鎖でひっぱられ、引きちぎって外す場面。想像力がたくましいのか、自分自身が痛みで倒れそう。いやな映画だけど、見てしまう。いやな性格。映画館では見れないな。

 公式サイト「ソウ3」

トンマッコルへようこそ

2007年10月13日 | ファンタジー/アドベンチャー


2005年 韓国 134分
■原題「Welcome To Dongmakgol」
■2007.10.12 wowow
■監督 パク・クァンヒョン
■出演
   シン・ハギュン(ピョ・ヒョンチョル=韓国軍リーダー)
   ソ・ジェギョン(ムン・サンサン=韓国軍衛星兵)
   チョン・ジェヨン(リ・スファ=人民軍リーダー)
   イム・ハリョン(チャン・ヨンヒ=人民軍の下士官)
   リュ・ドックァン(ソ・テッキ=人民軍の少年兵)
   スティーヴ・テシュラー(スミス=連合軍の大尉)
   カン・ヘジョン(ヨイル=村の少女)
   チョン・ジェジン(村長)
   チョ・ドッキヨン(キム先生)
   クォン・オミン(ドング=少年)


 《story》

「笑顔が一番つよいのです」
「子どものように純粋な村-
      誰も知らないこの村に、三組のお客さんがやってきた」


1950年、朝鮮は南北に分かれて戦っていた。そんなことなど知らない山奥の村、「トンマッコル」子どものような純粋な村に、ある日3組のお客が来た。1人は、連合軍のスミス。戦闘機で不時着し助けられた。そして仲間の負傷者を殺すように命令され、逃れた人民軍の三人、逃げ延びている民衆が渡る橋を爆破できなかった韓国軍の2人。この村で鉢合わせになった人民軍と韓国軍。両者のにらみ合いの中で、村人達は無邪気な態度を取る。ヨイルは人民軍が持っていた手榴弾のピンを外してしまう。慌てて投げたところが食料の倉庫だった。トウモロコシが爆発によってポップコーンになって空を舞う。3組は、村人たちと畑仕事に出る。次第に打ち解け会い、いつしか盛大な宴会を村人たちと開くまでになった。そんなとき、スミス大尉を捜すために、連合軍がこの地域に侵入することになった。24時間以内に見つからなければ、この辺りを総攻撃するという。降下し、村にたどり着いた5人は、村人たちに銃を向け、人民軍の居所を教えろと迫る。村長に暴力で脅しにかかり、たまりかねたピョたちは反撃する。銃の乱射。ヨイルに弾があたり、命を落とす。両軍とスミスは、村への総攻撃を防ぐため、墜落した戦闘機から武器を持ちだし、村を離れる。攻撃の目標を別なところに向ける作戦が立てられた。

 争っていることがばからしくなる

何が敵で、何が味方かわからない。正義だと思っていたのに、不条理なことを押しつけられる。味方だと思っていたのに、命をねらわれる。敵だと思っていたのに、たまらなく愛おしくなっていく。戦争とはそういうものなのだということだ。憎しみや恨みが、人の心を狂わせる。優しさや笑顔を奪っていく。この村の人々のような純粋な心は誰にでもあるのだ。だれもがそうありたいと思っているのだ。でも、何かが心をかき乱す。欲望であったり、憎悪であったり・・・。
この村で。次第に優しさを取り戻していくと同時に、笑顔が増えていく。銃も手榴弾もいらない。生活していくだけの道具があればいい。遊べる自然があればいい。あの村は、だれもが求めている理想の村なのかもしれない。
その村を攻撃する愚かさ・・・きっと現実の世界にもたくさんあるだろう。今まで笑顔で暮らしていた人々の上に落とされる爆弾や機銃攻撃。戦争のために、多くの笑顔の村が悲しみの村に変わってしまったことだろう。たった5人だけれど、笑顔の村を守ることができた。これは「戦争」という悲しみを産む魔物との闘いだ。

 公式サイト「トンマッコルへようこそ」


ミス・ポター

2007年10月08日 | ラブロマンス/青春

2006年 イギリス/アメリカ 93分
■原題「MISS POTTER」
2007.10.8 TOHOシネマズ緑井
■監督 クリス・ヌーナン
■出演
   レニー・ゼルウィガー(ビアトリクス・ポター)
   ユアン・マクレガー(ノーマン・ウォーン)
   エミリー・ワトソン(ミリー・ウォーン)
   ビル・パターソン(ルバート・ポター)
   バーバラ・フリン(ヘレン・ポター)
   マッティエロック・ギブス
   ロイド・オーウェン  アントン・レッサー
   デヴィッド・バンバー

  《story》

「その恋が私を変え、私の絵が世界を変えた」

1902年、ロンドン。まだ封建的な階級が強く前面に出て、女性が男性と肩を並べて仕事を持つなどあり得なかったイギリス。ビアトリクス・ポターは、裕福な家庭で育ち、夏は自然豊かな湖水地方で過ごした。父の影響もあって、幼い頃から動物の絵を好んで描いた。ビアトリクスには夢があった。物語と彼女が作った動物たちの絵本を出版することだった。そのため良縁をすすめられても断り続けた。スケッチブックと彼女が作った絵本を持って出版社を訪ねた。ウォーン社が承諾してくれ、三男のノーマンが初の仕事として任された。ビアトリクスはノーマンとともに、何度も話し合い、印刷所も訪れ色合いなども自ら見てきた。ノーマンの独身の姉とも親しくなり、3人の心は結びついていった。ポターの絵本は一躍ベストセラーとなった。クリスマスの日、ノーマンはビアトリクスに結婚を申し込んだ。しかし、ビアトリクスの両親は猛反対。ビクトリアの幸せを願う両親は、夏の湖水での生活後も気持ちが変わらなければ許すことにした。ところが、その間にノーマンが病気で急死してしまう。悲嘆にくれるビアトリクスは、湖水地方の農家を買い取り、そこで暮らし始める。この地方の美しい自然を守るために、困窮し売りに出される農地を買い取り、無償で貸し与えるのだった。その橋渡しをしてくれたのが、幼いときにこの地で夢を語り合った弁護士のウィリアムだった。

 さわやかな気持ちになれる
いやいや、妬みの心も大きくなった。お金があるからできること。あんな美しい自然の中で、何不自由なく暮らせるのだ。働くことなく絵を描き続けることができるのだ。そんなことも考えたけど、やっぱり映画の中のビアトリクスは自然と一体になって、動物たちと仲良しになれたことが、彼女が描いた動物たちに命を注ぎ込んだのだと思う。たまたまお金があって、それが有効に使われたのだと思う。彼女がいなければ、あの美しい自然が開拓されて住宅街になり、今では高層ホテルでいっぱいになっていたかもしれない。純粋に自然を愛する彼女の心が、さわやかな風を吹かせてくれる。今すぐにでも、自然の中に入り込み、その風をからだ全身で浴びたくなる。自然の中の植物や動物、生き物たちに触れあいたくなる。そして人に優しい気持ちを伝えたくなる。ピーターから伝わる優しさは、この自然を大切にしようとする心だったのだ。ジャケットを身につけていても、自然の姿のまま、自然の心のまま、人と共存しようとしているのかも。

 公式サイト「ミス・ポター」

1リットルの涙

2007年10月08日 | 人間/社会派ドラマ

2004年 日本 98分
■2007.10.7 DVD
■監督 岡村力
■出演 
   大西麻恵(木藤亜也)  かとうかずこ(木藤潮香)
   鳥居かほり(山本紘子)
   芦川よしみ(寮母のさと)
   松金よね子(パン屋のハル)  
   浜田光夫(木藤瑞生)
   森山周一郎(リハビリ室の患者)
   速水亮(入院患者)  村川敦子 松本五月

 《story》

「耐えておくれ、私の涙腺よ――
  悔しかったらやればいいじゃん。負けとったら、いかんじゃん。」

 これは実話を元にした映画である。
14歳で脊髄小脳変性症という不治の病に冒された木藤亜也。少しずつ筋肉が低下していずれすべての体の機能が働かなくなり死んでしまう。亜也は希望の東高に合格するが、足が思うように動かなくなり、転ぶことも増える。友人の力を借りて教室移動したり、時間に遅れることもあって、みんなにすまないと思っていた。ある日、転んでバスに間に合わなかった。近くの駄菓子屋のおばさんが、母親が仕事を終えて迎えに来るまで店に居てもいいと言ってくれた。しかし、学校での生活も思うようにいかず、学校側からは、これ以上他の生徒に迷惑をかけられないと訴えがあった。悲しみの中、亜也は養護学級に転校する。全寮制で自分の力で何事もするように、先生は厳しくあたる。文化祭で自分たちでやり遂げた満足感を体験する。卒業後、家にいることが多くなる。ますます体は動かなくなり、入院する。

 すっきりした仕上がり
テレビドラマを見たから、この映画があまりにすっきりし過ぎているような気がした。涙がいっぱいあふれ出たテレビドラマとちがい、淡々と彼女が病魔に冒されていく姿が・・・。「どうして病気は私を選んだの」という台詞が頭に焼き付き、そんな思いで見てきた。しかし、この台詞もなかった。もし、映画を先に見ていたらもっとちがっていたかもしれない。きっと実際の亜也さんは、もっと苦しんだだろうし、涙を流し、弱音を吐いただろうし、そんなにきれいに強く生きてきたわけじゃない。本を出し、自分が人の役に立つことをいつも考えていた。そこに生きる力を求めていた。多分映画ではそれを全面に出すのではなく、さりげなく精一杯生きている姿を出そうと思ったのだと思う。ラストも想像の中で生きていく亜也さんの姿をいつまでも残像として残そうとしていたような気がする。
テレビドラマがあまりに強烈過ぎた。家族の触れ合い、彼の存在、ひとつひとつがあまりに印象強く残されてしまった故に、映画は物足りなさを感じてしまった。

暗いところで待ち合わせ

2007年10月08日 | 人間/社会派ドラマ

2006年 日本 129分
■2007.10.6 DVD
■監督 天願大介
■出演
   田中麗奈(本間ミチル)
   チェン・ボーリン(大石アキヒロ)
   井川遥(三島ハルミ)
   宮地真緒(二葉カズエ=親友)
   佐野史郎(印刷会社の上司)
   岸部一徳(ミチルの父親)
   佐藤浩市(印刷会社の先輩)

 《story》

「光をなくした女、闇を抱える男。
   殺人事件からはじまった不思議な共同生活」


交通事故が原因で視力を失ったミチル。最愛の父も病気で失い、一人で生活を始める。ミチルの家の前は駅。アキヒロは毎朝、ミチルが窓を開ける姿を見ていた。ある日、駅で事故が起きた。だれかが人を線路に突き落とし、列車にはねられた。犯人は逃走し行方不明。テレビでは印刷会社の部下が上司を突き落としたと報道。アキヒロは、彼女の家に忍び込み窓のそばにすわり駅を見る。目が見えないミチルは、何か違和感を感じ始めていた。ある日、食器棚の上の物を取ろうとして落ちる。ミチルの顔に落ちてきた土鍋を誰かが拾う。ミチルはそのだれかのために夕食を作る。二人の不思議な共同生活が始まった。
ミチルの友人は外に出ることをすすめたが、でもミチルは怖くて拒絶する。そのことで友人とけんかした。アキヒロは駅を通る人の中で誰かを捜していた。けんか別れした友人に会うために、外に出ようとしてあきらめかけたミチルをアキヒロはサポートした。ミチルにかけてもらった上着のポケットに入っていた写真に、アキヒロが探していた人物が・・・。

 題の意味がわかった
真夜中の明かりのないところで密かに出会う二人。そんな怪しげなイメージのある題名だった。でも、その「暗い」という言葉は昼夜を指してしるのではなかった。目が見えない人生を心の奥底で絶望している女。会社で差別を受け、人を信じられず、人と触れあうことを拒否している男。二人の人生の悲しさが「暗い」という言葉に隠されていた。もちろん性格が暗いとはちがう。社会の歪みの暗さかもしれない。
目が見えない人が一人で暮らせるものだろうか。台所で料理したり、物を片づけたり、掃除したり・・・そんな現実を考えてしまった。目が見えても整理整頓できないし、何がどこにあるかもわからなくて、探しまわることが多いのに。
会社の中の差別。あの休憩室の中の雰囲気は最悪だ。おとないしい私は、アキヒロと同じようにすみで小さくなっているタイプ。噂のネタにされ、いつしか嫌がらせを受ける。学校よりひどいいじめ。今の職場にはそんないじめはない。実際の他の会社の中がどうなっているか知らないけど、きっと現実に存在するのだろう。
二人の行く末は・・・出会った二人の先には少し明るい道が。そんな予感を与えてくれる。幸せになってほしいと願わずにはおれない。

ルート225

2007年10月07日 | ファンタジー/アドベンチャー

2006年 日本 101分
■2007.10.6 wowow
■監督 中村義洋
■出演
   多部未華子(田中エリ子)  岩田力(田中ダイゴ)
   石田えり(エリ子の母)  嶋田久作(エリ子の父)
   崔洋一(富山のオジサン)
   梅沢昌代(富山のオバサン)
   小笠原翼(エビヅカ)  田中要次(エビヅカの父)

 《story》

「お姉ちゃん、もうボクたち、
      元の世界に帰れないかもしれない」


弟のダイゴの帰りが遅いので、姉のエリ子は迎えに行く。国道225線を横切り、公園のブランコに乗っているダイゴを見つけた。かばんにしまったシャツには「ダイオキシン8倍」と書かれていていじめにあっているようだ。二人は家路につくが、途中街の名前が書かれた看板には見たこともない字が・・。そして角を曲がると無いはずの砂浜が・・・。家に帰ると誰もいない。母親のすがたがない。自分たちが違う世界に入り込んだことに気づいた。エリ子とうまくいかなくなっていた、仲が良かった友達と寄りを戻していたり、ダイゴが小学校時代に事故で死んだ少女が生きていたり、以前の世界と少しちがっていた。大きく違うのは両親がいないこと。何度も二人で元の世界に返れるように試みるのだけどうまくいかない。両親がいないことを親戚の人に知られ、二人は別々の家に預けられることになった。母の世界とつながる唯一のテレフォンカードの残りを使って話をする。家の中で撮った写真にはぼんやりと両親の姿があった。

 期待ほどでは
結局帰れなかったことが欲求不満。予想通りラストは帰ることができてハッピーエンドにならなければ。なぜならこの世界はおかしいのだから。両親が別の世界に行っているのと同じ。失踪扱いになっているのだから。いなくて当たり前じゃないでしょう。二人の努力の結果、元に戻ったら、以前と少し変化していた、そのおもしろさであっと言わせる。おきまりのラストだけどね。このままだとすっきりしないなあ。自転車で北海道の坂を上って微笑んでもいい気持ちはしない。姉弟が仲良くなってもこの世界の価値を感じないよ。両親と引き替えの価値。

怨霊の森

2007年10月06日 | ホラー

2006年 アメリカ 92分
■原題「The Woods」
■2007.10.5 wowow
■監督 ラッキー・マッキー
■出演
   アグネス・ブルックナー(ヘザー・ファスロー)
   パトリシア・クラークソン(トラヴァース夫人)
   レイチェル・ニコルズ(サマンサ)
   ローレン・バーケル(マーシー・ターナー)
   エマ・キャンベル(アリス・ファスロー)
   ゴードン・カリー(保安官)
   ブルース・キャンベル(ジョー・ファスロー)

 《story》
反抗して家に放火するなど、手がつけられないと思った両親は、ヘザーを全寮制の女子校に入れる。絵合わせのような簡単なテストの後編入が認められる。その夜、森で追いかけられる夢、同室の少女の無惨な姿、斧で襲われる夢を見る。森から聞こえてくる不気味な声。異様な雰囲気を放つ教師たち。同室の少女が行方不明となり、自分をいじめていたサマンサはヘザーに牛乳を飲むなと警告したあと首吊り姿で発見された。そのサマンサがヘザーの父親に連絡してくれたおかげで、学校を去ることができたが、帰り道の森の中で木に襲われる。連れ戻されたヘザーは、夕食で出た牛乳を後で吐き出す。その夜、森の木がヘザーを襲う。行方不明だった少女たちは森の木の虜になっていた。ヘザーも囚われようとしていた。そのとき、校長めがけて斧を振り下ろす。

 後半のあっけなさ
前半の不気味さは今後の展開を大いに期待させてくれた。あの声は何だろうか。不思議な少女。夢・・・教師の異様な雰囲気・・・これから何かが起こるのだとわくわくした。が、ただの木のお化け。意味がようわからん後半。何を期待していたかというと、すさまじい怨霊が引き起こす見てはいられない恐怖だった。が、あっけなく終わってしまった。斧を降って終わった。封じ込められた何かを期待したのに。

包帯クラブ

2007年10月06日 | ラブロマンス/青春

2007年 日本 118分
2007.9.30 TOHOシネマズ緑井
■監督 堤幸彦
■出演
   柳楽優弥(ディノ=井出埜辰耶)
   石原さとみ(ワラ=騎馬恵美子)
   田中圭(ギモ=柳元紳一)
   貫地谷しほり(タンシオ=丹沢志緒美)
   関めぐみ(テンポ=本肴阿花里)
   佐藤千亜妃(リスキ=芹沢律希)
   風吹ジュン  岡本麗  大島蓉子  国広富之
   塩見三省  原田美枝子

 《story》

「あの包帯がなければ、ただの10代だったと思う」
「人生をあきらめてしまう、その前に」

「包帯一本巻いて世界が変わったら めっけもんや」

高校3年生のワラは、裕福ではないけど、就職を夢見るしっかりもの。不注意で切った手首をリストカッとだと誤解され、自分を安易なイメージで見ている世間に少し絶望していた。病院の屋上のフェンスに登っていたら、ディノという少年が声をかける。「手当や」と言って、手首から外れた包帯をフェンスに巻く。妙に心が癒されるのだった。次の日、親友のタンシオが失恋し嘆いているのを癒そうと、タンシオが座っていたブランコに包帯を巻く。このことを知ったタンシオのメル友ギモが、世の中の傷ついている人のために包帯を巻く「包帯クラブ」を作ろうと提案。サイトを立ち上げ、相談を受け包帯を巻いた写真を載せ始めた。さまざまなアイデアを考え、写真を載せ、感謝の反響を得るのだった。しかし、他人の心の傷を考えるたび、自分たちの心の傷も浮き上がってきた。ある日、偽善だという非難の書き込みがあり、さらに迷惑行為であると町中でも問題視され警察も動き始める。ワラたちが抱える親友の絆の問題、そしてディノの心の奥底にある暗い影。閉鎖に追い込まれた包帯クラブの仲間が、仲間のために包帯を巻く。

 単純だけど癒される
まるで子どもの「ごっこ」みたいだと思われそう。でも、こんな発想好きだな。大人の戦争ごっこより何倍もいい。包帯ひとつで世界が変わったら、どんなに素晴らしいことだろう。心の傷を負った人の気持ちになろうとするところが、単純ではないことを表している。今の世の中人の気持ちになって考えることが少なくなってきている。自分のことだけで精一杯。自分のことさえどうしようもなく、他人をどこかに追いやってしまう。包帯を巻こうとすることで人の気持ちに触れ、自分の心ともいつのまにか真剣に向き合うようになる。人間って自分を大事にしようと思ったら、人を大事にしなければいけないということがよくわかる。今、自分さえと思ってしまい、それが自分をどれだけだめにしているかを思い知らされる。包帯1本で世界は変わる。自分の世界が変わる。警察官が巻かれた包帯を外している場面は、現実を直視させられる。巻かれた包帯はとらなければならない。そうでなければ汚れ朽ち果て、散らかりゴミとなる。後始末も包帯クラブには必要だ。マンションの屋上に巻かれたたくさんの包帯。それをひとつひとつ片づけていく姿も真正面から見なければならない。これもひっくるめて人の気持ちにふれあえるのだと思う。こういう映画好きだけどなあ。

  公式サイト「包帯クラブ」

手紙

2007年10月04日 | 人間/社会派ドラマ

2006年 日本 121分
■2007.9.29 DVD
■監督 生野慈朗
■出演
   山田孝之(武島直貴)  玉山鉄二(武島剛志)
   沢尻エリカ(白石由美子)
   吹石一恵(中条朝美)  尾上寛之(寺尾祐輔)
   田中要次(倉田)  吹越満(緒方忠夫)
   風間杜夫(中条=朝美の父)
   杉浦直樹(平野=会社の上司)

 《story》

「兄貴、元気ですか。これが最後の手紙です。」

幼い頃に両親失い、兄弟で生活する武島。兄剛志は弟直貴の大学進学のために働く。引っ越し会社に勤めていたが腰を悪くする。どうしても弟の進学のためにお金がほしい剛志は、資産家の老女の家に忍び込みお金を盗む。しかし、見つかり老女を殺してしまう。直貴は進学を断念し働く。しかし、殺人者の弟として非難され差別される。月に1回刑務所から届く兄の手紙。しだいに直貴は兄への恨みがつのっていく。直貴は自分の夢を実現させようと、中学時代からの友人とお笑い芸人の世界に入る。しかし、それも兄のことが知れ、自ら身を引く。恋人との別離。そんな直貴を見守り続けていた女性がいた。会社の食堂で働いていた由美子は、陰に入り込もうとする直貴を優しく支えようとした。日の当たる表に引っ張り出そうとした。由美子は直貴にかわり、剛志に手紙を書いた。やがて二人は結婚し子どもが産まれる。子どもへの差別が始まる。直貴はたまりかねて剛志に最後の別離の手紙を書く。

 苦しみ続けたからこそわかる気持ち
弟の気持ちがよくわかる。差別のある社会。でも、社会が気にするのもわかる。こうして直貴という人間を知っているからこそ言えることであって、知らなかったら「殺人者の弟」というレッテルしか見えない。当たり前と言えるかもしれない。でも、知る努力は必要だ。レッテルだけで人を判断する恐ろしさを知るべきだ。直貴はどこに行っても兄のことを知られると差別を受けた。兄への憎しみも当然だ。兄とは別な人間だと主張しても、世間はそうは見ない。差別のない街を求めて・・・逃げて逃げて始めてそれでは生きていけないことがわかった。そして由美子が堂々と歩くことを教えてくれた。時間がたくさん過ぎていき、始めて兄の思いに触れることができた。一通の手紙ではわからなかった気持ち、それは手紙の束を見ただけでわかった。直貴も苦しみ続けたからこそ兄の心に目を向けることができたのかもしれない。いや、由美子がいたからこそ、兄の心に目を向けられたのだ。由美子の存在は大きい。
始めに本を読んだ。原作とは異なる部分もあったが、映画もよかった。当時リピーターは1000円という宣伝がった。確かにもう一度見たくなる映画だ。

  公式サイト「手紙」

ショコラ

2007年10月03日 | ファンタジー/アドベンチャー


2000年 アメリカ 122分
■原題「Chocolat」
■2007.9.28 wowow
■監督 ラッセ・ハルストレム
■出演
   ジュリエット・ビノシュ(ヴィアンヌ・ロシェ)
   ジョニー・デップ(ルー)
   ジュディ・デンチ(アルマンド・ヴォワザン)
   レナ・オリン(ジョセフィーヌ・ミュスカ)
   アルフレッド・モリーナ(レノ伯爵)
   ピーター・ストーメア(セルジュ・ミュスカ)
   キャリー=アン・モス(カロリーヌ・クレルモン)
   レスリー・キャロン(オデル夫人)
   ヴィクトワール・ティヴィソル(アヌーク・ロシェ)

 《story》

「おいしい幸せ 召し上がれ」
「おいしい幸せ 準備中」

「すべての人を幸せにしてしまう 不思議なチョコレートを売る母娘の物語」


フランスのある村に、ヴィアンヌとその娘がやってきた。彼女たちは、教会の近くに店を借りて、チョコレートの店を開く。ところがその村は古い因習に縛られていて、村長の顔色を見ながら、村人たちは休日に教会に来ない者やよそ者に対して冷たい態度を取った。しかし、ヴィアンヌのチョコレートは不思議な力があった。倦怠期の夫婦に愛がよみがえったり、夫の暴力に絶えかねたジョゼフィーヌはヴィアンヌの店に逃げ込んだり、孫と祖母との出会いを実現させたりした。ある日、川にジプシーの一団が停泊した。よそ者をよく思わない村長は嫌がらせをするが、ヴィアンヌだけは彼らを受け入れた。しかし、村人の風当たりは強く、絶えられなくなった彼女はアルマンドに悩みを打ち明ける。アルマンドの提案で、彼女の誕生パーティーをジプシーの一団とともに盛大に開くことになった。楽しそうにパーティーに参加しているジョゼフィーヌを見た夫のルーは、逆上して船に火をつけてしまう。絶望したヴィアンヌは嫌がる娘を連れて村を出ようとするのだが・・・。

 チョコレート大好き
古い伝統や習わしがすべて悪いわけではない。逆にいいわけでもない。いいかどうかしっかり考えることが大切だということかな。結局だれかの考えだけが突出して、だれもがそれに従わざるをえない状況の中に、習わしが使われたということだ。よそ者はだめ。教会に来ない者はだめ。それだけを考えたら、いいとは言えないことはよくわかる。閉鎖的では新しい風が入らない。教会だけが正しくて心を救ってくれるわけではない。仏教でもいいじゃないか。新しい風をチョコレートに乗せてやってきたヴィアンヌはいかにも神秘的で不可思議な力を持っているように感じた。でも、そうではなく、弱音を吐く自分と戦っていたのだ。自信を持つための旅だったのかもしれない。彼女が村に新しい風を吹き込んだと同時に、彼女の中にも新しい風が入ってきたのだと思う。落ち着いて暮らせることが、誰もがもっている願いだ。
あのチョコレートを食べたいなあ。私も心が軽くなれそうな気がするよ。