そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

百万長者の初恋

2008年11月24日 | ラブロマンス/青春


2006年 韓国  113分
■原題「FIRST LOVE OF MILLIONAIRE/
                  A MILLIONAIRE'S FIRST LOVE」
■2008.11.22 DVD
■監督 キム・テギュン
■出演
   ヒョンビン(カン・ジェギョン)
   ヨンヒ(イ・ウナン)  イ・ハンソル(ミョンシク)
   チョン・ウク(校長)

 《story》

「初雪が 降るまでは 命をください」

わがままでやりたい放題のジェギョン。18才になったら住民登録証がもらえ、亡き歩祖父の莫大な遺産が手に入る。しかし、遺産を相続するためには条件があった。それは、カンウォンドにあるボラム高校の卒業証書があること。もし自主退学すれば、遺産は0.1%だけとなり、すべて会社に還元される。贅沢な暮らしに慣れていたジェギュンは、ボラム高校の田舎暮らしにうんざり。強制退学しかないとケンカをするが、反対に殴った親に食事をご馳走になる。田舎ののんびりした寛容な暮らしの中で、いつしかウナンという同級生の女性が気になりだす。ウナンは、ガソリンスタンドでバイトをしてお金をため、自分が育った恩恵園の子ども達のためにミュージカルの計画を立てていた。ジェギュンは、ウナンの天真爛漫さに心惹かれていく。しかし、ウナンは治ることのない心臓の病気があった。ジェギュンは、少年時代にこの恩恵園でウナンと過ごしたことを思い出す。そして恩恵園存続のために、遺産を放棄し、0.1%のお金を使う。残された日々を、ジェギュンとウナンは幸せに過ごす。

 愛するものは死んでいく

いつもそうなんだよな。お互いに向き合い、心がまっすぐになって、やしくなって、思いやりある人間へと目覚めたとき、それは愛の力と言えるのだけど、どちらかが死んでいくんだよね。多くは女性なんだけどね。まっすぐなやさしい人間へと変わり、残された人間はどのようにして生きていくのだろうか。再び誰かを愛することはあるのだろうか。きっと、得たお金を、人々のために使うことができるだろう。今までのように人の迷惑を考えず、わがまま放題したい放題贅沢放題な生活はなくなり、落ち着いたまわりをしっかり見つめる生活へと変わっていくのだろう。会社の経営も、儲け主義ではなく、人々に還元することも視野に入れたものに。祖父もそうなることを望んでいたのだろう。そして、いつしか再び愛する人に出会うんだ。そうでなければつらいよ。死んだウナンもそう願っているはずだ。
ヒョンビンが、あの「私の名前はキム・サムスン」に出ていた店長だと思い出すまで時間がかかった。ヨンヒが、「ある素敵な日々」に出ていた血のつながらない妹役の人だなんて、これはすぐにわかったけど。あまりじっくり見ていないのか、相当記憶力が悪いのか、きっとどちらもあるのだろう。あとから、以前見たあの映画に出ていた人なんだとわかることはけっこうある。そのときは思い出さない。キャストを調べていてわかる。人の顔を覚えられない。人だけでなく、セリフもそうだ。良い言葉をいったのになあ、なんて言ったんだっけ。いつもこうだ。

大学時代に、友達が400のバイクを買った。後ろに乗せてもらった。近くの有料道路に入り、猛スピードを出す。何キロ出ていたのかわからないけど、けっこう出ていた。それが別に怖くなくて気落ち良かった。またある時、直角に曲がる道をバイクをかなり傾けて曲がり、何かがアスファルトをこすった。今、考えると大変なことだったんだ。事故の一歩手前。私は50のバイクに乗っていた。自宅と下宿の距離は150km、原付で何度も行き来したなあ。大学に向かう道で、警察官に停められた。じっとバイクを見て、「これ原付だよね」・・・「はい、スピードオーバー、原点」だって。一時停止違反でもつかまった。これも、後から停められて、「さっき停まらなかったよね」と確認して違反切符をきられた。「停まりました」とはっきり言えばいいのに。そうだったような気がする、と優柔不断だからいけん。「ちがいます」とはっきり言えないのは、昔も今も同じ。自分がやってることがはっきりと記憶に残らない。やったようなやらなかったような。言われたらわからない。この間だ、息子のバイクに乗って思い出したバイクでした。

 公式サイト「百万長者の初恋」


闇の子供たち

2008年11月24日 | 人間/社会派ドラマ


2008年 日本 138分
2008.11.17 シネツイン2
■監督 阪本順治
■出演
   江口洋介(南部浩行)  宮崎あおい(音羽恵子)
   妻夫木聡(与田博明)
   プラパドン・スワンバーン(チット)
   プライマー・ラッチャタ(ナパポーン)
   豊原功補(清水哲夫)  鈴木砂羽(梶川みね子)
   塩見三省   佐藤浩市(梶川克仁)

 《story》

「これは、事実か、真実か、現実か」
「幼児買売春、臓器密売の知られざる“闇”が今、明らかになる」
「値札のついた命」


バンコクの日本新聞社支社の南部の元に、日本人の子どもがタイに渡り臓器提供を受けるという情報が入る。調査を始めた南部は、その臓器がタイの生きた子供から提供されることを突き止める。一方、大学で福祉を学ぶ音羽は、タイの社会福祉センターにボランティアとしてやってくる。そこで、家族のために売られていった子どもの現実を知る。調査のため施設にやってきた南部と音羽は日本に戻り、移植手術を受けないよう説得する。バンコクに戻った音羽は、売春宿から届けられた手紙をたよりに、行方不明になっている少女を捜す。ある日、黒いゴミ袋に入れられ、ゴミ収集車に放り込まれた少女を救出すr。南部は移植のためにやってきた日本人の情報を得て、その病院に連れて来られたタイの少女を見る。そして撮影に成功する。タイの子供達の実態を訴えるために開かれた集会で、発砲事件が起きる。その事件をきっかけに売春宿が摘発される。しかし、南部の心の闇は・・・。

 心の闇かあ

本のラストとちがっていた。本では明るい未来というより、あきらめずに前向きに進もうとする意欲で終わっていた。しかし、映画の中では売春宿の摘発、そしてだれもが持つだろう心の闇を訴えていた。それは、この映画は遠くの出来事ではないぞ、だれだって自分の心に闇を生み出すことができるよ、そう訴えていた。自分の中にある闇は、人の心に生まれようとする闇をどう思うのか。押し隠しながらも、平気な顔をして、人の闇に唾を吐く。または、自分の闇をどう扱っていいか分からず、闇を作る人間に嫌悪感を持つ。自分へのコンプレックスは大きく深まっていく。誰もが抱えるであろう闇、人は人になるためにその闇とどう付き合っていくのか。闇を持つこと自体許されないのか。闇を抱えながらも、生きていく方法を探ることが必要なのか。それ以前に、人はどうして闇を抱えてしまうのか。弱い物ものにいつものしかかっていき、つぶすことで生きている。

下宿してまもなく高熱が出る。薬を飲んで寝る。熱は下がったが、全身発疹ができる。下宿のお婆さんから聞いた病院を訪ねる。古い昔からあるような個人病院。そこで、湿疹の薬をもらう。それから定期的に薬をもらうようになるのだが、その薬こそ副腎皮質ホルモン剤の入った軟膏だった。目の周りはいつのまにか黒くなっていく。鈍感な私は薬のためだと気づかない。よくきくけど、すぐに再発。薬が手放せなくなる。広島に帰り、アレルギーの専門の医院に行くまで続いた。鼻炎もそうだけど、アレルギー性鼻炎という名があまり知られていない。アトピーも然り。よくわからない病気。漢方薬の煎じ薬を飲み、アレルギーの食材を除き、子どもの頃は喘息で宗教にまですがった。どれも悪影響だと言えば言い過ぎだろうか。宗教は信じなくなった。いつも人目を気にするようになった。イライラがつのり、たいぎい病に悩まされた。まあ、病気ではなく性格の問題かもね。

 公式サイト「闇の子供たち」