ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

多武峯内藤神社(新宿区)

2017年05月11日 23時04分45秒 | 社寺仏閣

新宿御苑のバラを見てから、江戸名所図会めぐりで「笹寺」に行くつもりでしたが、途中で雨にも降られ、着いたところは多武峯内藤神社でした。雨も止んだので散策してみました。多武峯神社と書かれています。

★ランドマーク多武峯(とおのみね)内藤神社:多武峯内藤神社は、内藤清成が当地に土地を拝領、慶長7年(1602)屋敷内の地(新宿御苑)に家祖である藤原鎌足公を祀り草創、多武峯神社として祀ったしたといいます。新宿御苑が官有地となり、明治16年当地へ遷座、昭和42年に多武峯内藤神社と改名したとのことです。

掲示版には「江戸初期に初代内藤清成氏が屋敷内の地(現在の新宿御苑)に家祖である藤原鎌足公を祀り、(内藤神社)を草創したことに始まり、また藤原氏の氏神である奈良の春日大社より、経津主神、武甕槌神、天兒屋根神、姫神の分霊を勧請合祀してあります。
明治十九年に新宿御苑の地より現在地へ移設、遷座され今日に至っています。当初は武州多武峯神社と称していましたが、昭和四十二年五月に多武峯内藤神社に改称されました。」と書かれています

多武峯内藤神社鳥居

高遠藩から贈られた文政六年製の石鳥居、文政六年は1823年となります。

入り口のところに案内があり「伝説駿馬塚」となっていました。

社殿の右手に駿馬塚がありました。

★ランドマーク駿馬塚:内藤清成の駿馬の伝説にかかわる石碑である。
徳川家康は江戸入府後、家臣の内藤清成を呼び、現在の新宿御苑一帯を示し「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」と語ったという。

清成の乗った駿馬は、南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷を走り、疲れ果て死んでしまったので、大樫の下に埋めたと伝えられる。
後に内藤家の森林の管理役となった中家休昌と木下正敷が、文化十三年(一八一六)八月に樫の古木の跡に塚を造り、駿馬塚の碑を建てた。
碑はその後、明治五年(一八七二)九月に現在地に移されたものである。(平成五年十一月 東京都新宿区教育委員会)

塚の隣に神馬殿です。

拝殿と狛犬です。寛政5年(1793)癸丑11月15日建立)だそうです。

稲荷大明神、八幡大菩薩神楽殿

この碑は読めませんでした。

隣の公園には鉛筆の碑がありました。

この地(多武峯内藤神社西方付近)は、明治20年(1887)に佐賀藩出身の眞崎仁六が眞崎鉛筆製造所(現・三菱鉛筆株式会社)を興し、鉛筆の製造を始めたところです。30年後の大正5年(1916)に品川区東大井に移転するまで、ここで鉛筆製造を行っていました。
 創業時は玉川上水の分水であり、現在は暗渠(あんきょ)となっている渋谷川を利用した水車を動力にして、ここで鉛筆が造られていました。
 平成18年(2006)10月
  寄贈 三菱鉛筆株式会社  
  資料提供 新宿区教育委員会四谷大木戸門跡のところに玉川上水の案内がありました。江戸時代の古地図です。

右上のところに水番 玉川 御上水と書かれています。下に降りているのが渋谷川になるようです。

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