中央区の保健所で「行政と食中毒」の改訂版の編集会議が行われており、終了後の懇親会の案内があったので参加しました。途中の歩道には百日紅の花が赤白ときれいに咲いていました。
聖路加看護大学や病院のある場所は、江戸時代は、播磨赤穂藩の上屋敷で浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)などが住んでいた場所のようです。またこの周辺は明治時代には牧場があり、ここで芥川龍之介が生まれているようです。
病院の敷地内に入ってみました。
聖路加国際病院の創設者で宣教医師ルドルフ・トイスラー
米国公使館跡の石碑などがありました。トイスラー記念館などがありました。
病院と道路を隔てた向かいには慶応義塾の創設地の碑があります。
そして中央区の保健所は都市型保健所の発祥地です。
都市型保健所発祥の地
沿革
昭和10年1月 東京市特別衛生地区保健館として誕生
昭和12年12月 ロックフェラー財団の基金による庁舎援助
昭和19年10月 東京都立中央保健所となる
昭和23年10月 東京都中央保健所となる
昭和50年4月 東京都中央区中央保健所となる
昭和57年11月 現庁舎竣工
昭和五年 米国ロックフェラー財団から我国に公衆衛生技術者教育機関を寄付する意向が示され昭和六年 中央に教育機関の公衆衛生院を置き 都市及び農村地区にそれぞれの臨地訓練機関の保健館を設置することになった。
その後 この計画案の実施には種々の紆余曲折があったが,昭和八年再び継続されたものである。 昭和九年 当時の内務省内に設けられた公衆衛生技術員養成機関建設委員会は 百余万ドルの予算で昭和十二年工事を完了し 公衆衛生院は日本政府に都市保健館は東京市へ 農村保健館は埼玉県に寄付された。
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