ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

清澄庭園(江東区)

2015年10月03日 21時10分20秒 | 公園散策

リハビリを兼ねて清澄庭園までサイクリングをしました。自宅の近くにある横十間川からそれに続く親水公園に沿って進むと水車小屋がありました。

さらに田んぼと案山子のコーナーもありました。東陽町に向かい木場公園まで行きました。木場公園にはバーベキューができる場所あり、大いに盛り上がっていました。

公園からスカイツリーが見えました。ススキのような穂はパンパです。

少し先まで行き過ぎたので、戻りながら隅田川に向かって行くと、ようやく清澄庭園に着きました。

宴会をするので、入り口にある施設を利用したことがありますが、夜の宴会でしたので、庭園は良く見えませんでした。

今回はどうにか一周しました。入ってすぐのところにある手水鉢と燈籠です。バックの楓が色付くころは見ものになるようです。

庭園内の遊歩道は、敷石や砂、石垣などで、杖をついて歩くには少し大変でした。

午後4時頃でしたが入園者はかなりいました。水辺や中の島に行くには石垣や石橋などで行くしかありませんでした。そこは止めて、最も外周の道を歩きましたが、道をが細くすれ違うのに気を使いました。

途中に由緒書きの石碑がありました。

★ランドマーク清澄庭園泉水、築山、枯山水を主体にした「回遊式林泉庭園」です。この造園手法は、江戸時代の大名庭園に用いられたものですが、明治時代の造園にも受けつがれ、清澄庭園によって近代的な完成をみたといわれています。
この地の一部は江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられています。享保年間(1716~1736年)には、下総国関宿の藩主・久世大和守の下屋敷となり、その頃にある程度庭園が形づくられたようです。
明治11年、岩崎弥太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、明治13年に「深川親睦園」として 一応の竣工をみました。弥太郎の亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を 代表する「回遊式林泉庭園」が完成しました。
清澄庭園は、関東大震災で大きな被害を受けましたが、この時図らずも災害時の避難場所としての役割を果たし、多数の人命を救いました。岩崎家では、こう した庭園の持つ防災機能を重視し、翌大正13年破損の少なかった東側半分(現庭園部分)を公園用地として東京市に寄付し、市ではこれを整備して昭和7年7 月に公開しました。

また、昭和52年には、庭園の西側に隣接する敷地を開放公園として追加開園しました。ここには芝生広場、パーゴラなどがあります。また、サクラの木が20 本ほど植えられ、春のお花見の場となっています。なお、庭園の方は、昭和54年3月31日に東京都の名勝に指定されています。水、築山、枯山水を主体にした「回遊式林泉庭園」です。この造園手法は、江戸時代の大名庭園に用いられたものですが、明治時代の造園にも受けつがれ、清澄庭園によって近代的な完成をみたといわれています。
この地の一部は江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられています。享保年間(1716~1736年)には、下総国関宿の藩主・久世大和守の下屋敷となり、その頃にある程度庭園が形づくられたようです。
明治11年、岩崎弥太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、明治13年に「深川親睦園」として 一応の竣工をみました。弥太郎の亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を 代表する「回遊式林泉庭園」が完成しました。
清澄庭園は、関東大震災で大きな被害を受けましたが、この時図らずも災害時の避難場所としての役割を果たし、多数の人命を救いました。岩崎家では、こう した庭園の持つ防災機能を重視し、翌大正13年破損の少なかった東側半分(現庭園部分)を公園用地として東京市に寄付し、市ではこれを整備して昭和7年7 月に公開しました。

また、昭和52年には、庭園の西側に隣接する敷地を開放公園として追加開園しました。ここには芝生広場、パーゴラなどがあります。また、サクラの木が20 本ほど植えられ、春のお花見の場となっています。なお、庭園の方は、昭和54年3月31日に東京都の名勝に指定されています。東京都公園協会のHPにはと書かれていました。

奥の庭園には松尾芭蕉の「古池やかわず飛びこむ水の音」の石碑や、

石仏群がありました。

水辺はいろいろな風景が見られました。水に映る中の島の松です。

多重石塔はいろいろなところにありました。。

ここからもスカイツリーが見えます。

少し疲れたので、帰りは一直線に自宅を目指しました。途中いくつかの橋を越えてきました。自転車で橋の坂を上るのが大変ですが、止まらずに登り切ったことでほっとして、あたりを見渡したらここからもスカイツリーがよく見えました。

猿江橋と書いてありました。

全体で2時間、往復に自転車で1時間、公園内での1本杖の歩数は3000歩ほどでした。まずまずのリハビリになりました。明日足が攣るのが心配です。

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