新宿の曙橋の鍼灸治療院に行く途中で、念願だった須賀神社とその周辺を散策してみました。信濃町駅から外苑東通りを四谷三丁目方面に向かってあるいて右手に入って須賀神社に着きました。蔵のような建物は天白稲荷神社でした。
こちらからは入った左手に天白稲荷神社がありました。
社殿の脇に新宿区の文化財の案内板がありました。
★須賀神社の三十六歌仙絵:三十六歌仙は、平安時代中期の公卿藤原公任(966-1041)が、過去および同時代の優れた歌人三十六人を選定したもので、万葉歌人から柿本人麿・小野小町ら33名が選ばれている。
須賀神社の三十六歌仙絵は、三十六歌仙を一人一枚の絵に仕立てたもので、縦55cm、横37cmの絹地に彩色したものを、額装の上社殿内に掲げている。
当時画家として高名だった四谷大番町(大京町)の旗本大岡雲峰(1764-1848)の絵と、和歌や書画で人気を博した公卿千種有功(1797-1854)の書により、天保7年(1836)に完成・奉納されたものである。
四谷の総鎮守として信仰を集めた須賀神社の隆盛を物語る文化財の一つである。
拝殿です。左手に天白稲荷神社があります。
右手には火消のく組の碑と半鐘と梯子の碑、奥に祖霊社です。
手水舎
神楽殿です。
★ランドマーク須賀神社:東京都新宿区須賀町に鎮座する神社で、江戸時代には四谷鎮守の天王様として信仰を集めた。主祭神は須佐之男命(須賀大神)、宇迦能御魂命(稲荷大神)。主祭神の左右には五男神(天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、熊野樟日命、活津彦根命)、宗像三女神(多紀理姫命、市杵島姫命、多岐都姫命)が祀られている。
須賀神社の始まりは寛永11年(1634年)、赤坂一ツ木村(一ツ木)の清水谷にあった稲荷神社を江戸城外堀普請のため四谷に遷座したことであるとされる。寛永14年(1637年)、日本橋大伝馬町の鎮守として神田明神摂社に祀られていた牛頭天王(須佐之男命と習合)を合祀したことにより江戸時代には「稲荷天王」「四谷牛頭天王社」と称されていたが、明治元年(1868年)の神仏分離により社号を改めた。今も授与品の茅の輪守や近隣の地名(天王坂(東福院坂)、天王横丁)などから往時の信仰を偲ぶことができる。
須賀神社には、新宿区指定有形文化財(絵画)に指定されている三十六歌仙絵がある。この絵は天保7年(1836年)に大岡雲峰の絵と千種有功の書により製作、奉納された。
江戸名所図会より
参道は下右手の階段のようです。今、この階段のところの風景が人気スポットになっています。それはアニメ映画「君の名は。」で描かれたためです。ちょっと曇っていて遠くが見えず残念でした。
次に戒行寺に行ったのでこの階段は通りませんでした。
鳥居の手前右側が階段になっています。