リハビリ病院で受診した帰り南千住から浅草に入り、吉原神社に寄ってみました。前に一度行っていますが、吉原神社と飛び地境内地の関係などをじっくり見てきました。前回は飛び地から見ましたが今回は神社からでした。
鳥居です。
鳥居の左手に桜がありました。
逢初桜と書いてあります。
吉原神社の成り立ちなど書かれていました。
こちらの石碑は浅草出身で大正から昭和にかけて活躍した俳人・作家の久保田万太郎の句碑で「この里に おぼろ ふたたび 濃きならむ」吉原の賑わいの風景が懐かしく思われるとのことです。
お穴様で、地中の神様で神社の土地をお守りしているそうです。
★ランドマーク吉原神社:吉原神社は、かつて吉原遊郭にお祀りされていた五つの稲荷神社と遊郭に隣接する吉原弁財天を合祀した神社です。五つの稲荷神社とは玄徳(よしとく)稲荷社、明石(あかし)稲荷社、開運(かいうん)稲荷社、榎本(えのもと)稲荷社、九郎助(くろすけ)稲荷社の五社で、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)を御祭神としています。
また吉原弁財天の御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、吉原神社にお祀りされていると共に、現在でも本宮が大切にお祀りされていて信仰が続いています。 (神社のHPより)
こちらが吉原神社の飛び地境内地にある吉原弁財天本宮です。
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関東大震災焼死者追悼記念碑 吉原観音です。
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江戸時代初期までこの付近は湿地帯で、多くの池が点在していたが、明暦3年(1657)の大火後、幕府の命により、湿地の一部を埋立て、日本橋の吉原遊廓が移された。以来、昭和33年までの300年間に及ぶ遊廓街新吉原の歴史が始まり、とくに江戸時代にはさまざまな風俗・文化の源泉となった。
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吉原遊郭の歴史を永く止めようと昭和35年に地域有志の皆様によって建立された石碑のようです。碑文は共立大学教授で俳人の山路閑古氏の撰だそうです。