ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

佐竹商店街・秋葉神社

2015年03月10日 21時42分41秒 | 訪問地周辺散策

台東区の新御徒町にある施設を訪問しました。都営地下鉄の新御徒町を出たところが佐竹商店街でした。45年前最初に勤務した保健所の管内で、受け持ち区域だったので、夢中で食品衛生指導をしたことを思い出しました。こんな表示がありました。二本で2番目に古い商店街だそうです。一番古いのは金沢の片町商店街だそうです。

佐竹商店街の歴史を調べてみました。佐竹商店街は東京都台東区台東4丁目春日通りから南の台東3丁目清洲橋通りに至る全長330mの全蓋式アーケードの商店街で 近くて便利な商店街として皆様に親しまれています。佐竹の歴史は明治の初年に秋田藩の屋敷跡に見せ物小屋、寄席、飲食の屋台等が並び、盛り場としてにぎわい、下町情緒豊かな商店街として発展を続けてきました。さらに詳しくは http://www.satakeshotengai.com/rekishi.htm ここに書かれています。

き出しは 「第 一 章
秋田 久保田藩主、佐竹右京太夫の江戸屋敷には、上屋敷中屋敷・下屋敷のほか、お囲地などがありました。このうち、上屋敷は当初内神田佐竹殿前(現千代田区神田)にあったそうで、そこには鎌倉の佐竹屋敷から移築された金彫絢爛たる「日暮らしの門」があったといいます。しかし天和二年(1682年)十二月二十八日の八百屋お七の放火による江戸の大火で焼失してしまいました。こんなこともあってか、翌天和三年(1683年)には現在の台東区の地に移転したのであります。」とあります。

さらに近くの秋葉神社は

「現在、町内に鎮座まします秋葉神社は、火伏せの神・火貝土之尊をご祭神といたしますが、もと秋葉ヶ原(現JR秋葉原駅付近)にあったものを明治二十二年(1889年)下谷佐竹屋敷跡地に移した(※大日本地名辞書)説と、明治十九年(1886年)6月の朝野新聞に佐竹ヶ原の秋葉教会所の縁日が賑わったとの記載があり、詳細は不明でした。

※平成25年2月研究者の方よりの情報により 明治18年1月20日の読売新聞に次の記事があり「秋葉の遷座 今日ハ深川御船蔵前町の秋葉中央寺に安置の秋葉神社を今度下谷竹町の佐竹の原へ遷座し安置式を執行する其道筋ハ御船蔵前より万年橋を渡り河岸通り永代橋を渡り小網町通り堀留大門通り大丸にて小休み夫よら弁慶橋通り柳原へ出て右へ美倉橋を渡り三味線堀より竹町の教会所へ着の手筈なりといふ」この記事から佐竹秋葉神社の創建が解りました。
昭和五年(1930年)、現在地に社殿を造営したもので、毎年十一月十五日に大祭を、また毎月二十四日をご縁日として戦前までは参道に露店がぎっしりと並び参詣の人々は引きも切らず、誠に賑やかなものでありました。商店街も二十四日を特売日としてサービスをしており、戦後も四の日特売は昭和四十年代まで続きました。」ということだったようです。

私が勤務したのが昭和45年のことですので、まだまだその面影があったころだったようです。

秋葉神社に面している竹町公園の梅です。

コメント
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