(欲と二人連れ)
艶子の変死事件に関する新聞報道は、伊能正孝に大きな衝撃を与えた。
松江に帰省中の出来事ということで、半分はプライベートな要因を想定していたが、その考えが楽観的すぎたことを思い知らされた。
やはり、今回の事件は正孝の足元から起こっている。
正孝の気づかないところで、何かが動いていたのだ。
艶子の尋常でない死に直面して、正孝も初めてそのことを確信した。
迂闊といえば言えた。
急ぎ帰って、艶子の身辺を調べなければならない。
事務所の艶子の事務机には、これといった手がかりは残されていなかった。
だが、艶子が住居にしている九段下のマンションには、何かが残されているかもしれない。
正孝としては、住居費を充分に賄える金額を住宅手当の形で支給していたが、賃貸マンションの借主はあくまでも艶子である。
さすがに正孝名義にするような野暮はしていないし、合鍵を渡されているということもない。
だから、艶子の部屋に入るためには、管理会社に連絡し、立ち入りの理由を説明しなければならない。
たとえ許可されたとしても、面倒な手続きが生じるのは目に見えていた。
それに、警察の動きも気になる。
犯人に迫ろうとすれば、当然、被害者の周辺を調べて手がかりを得ようとするだろう。
艶子の母親に情報提供を求めるのは当然として、やがて東京のマンションを突き止めれば、身元確認の名目で警視庁に捜査依頼をする可能性もある。
(これは、うかうかしておれないぞ)
喫茶店を出ると、あまり人気のない通りに立ち、一昨日依頼した調査会社にケータイで電話した。
「ああ、伊能ですが・・・・」
いま出雲に来ていることを伝え、艶子の死因に関する新聞報道の内容を話した。
「はい、それなら全国紙で読みました。こうした手口だと、ある程度仕掛け人は限られてきますね」
「やはり、そう思いますか。・・・・ところで、物は相談なんですが・・・・」
正孝は、艶子の交友関係を把握する必要があること、警察も動くはずだから一刻の猶予もできないことを伝えた。
住所を知りたいというので、九段下のマンション名と仲介業者の名前を教えた。
彼らがどのような手段を採るかは分からないが、これまでも期待に応えてくれたので今回も信頼する気持ちが強かった。
伊能正孝は、その日の夕刻前に羽田空港に降り立った。
電車を乗り継いで三番町の事務所へ戻ると、留守を任せていた女性事務員がほっとした表情を見せた。
すぐに、どこかから連絡があったか確かめると、「お帰りなさい。先生、ついさっきも新聞社から取材の電話がありまして、どうしたらいいか困っていたところです」
「おお、それは済まなかったね。疲れたろう、今日はもう帰っていいよ」と、愛想よく帰宅させた。
今日から二、三日の間は、何が起こるかわからない。
福田艶子の死から何かを嗅ぎ取ったマスコミが、薫風社に取材攻勢をかけてくる可能性もないとは言えない。
顧客の一部には、艶子との関係が深い研究機関や業者もあり、彼らから何らかの問い合わせがあるかもしれない。
待ち望む調査会社からの一報にも、神経を張り巡らせているのだった。
正孝は、念の為にもう一度艶子の事務机を検査した。
すると、前回確認した時には見落としていたのか、大学研究チームから郵送されてきた案内状を新たに発見した。
未開封の封筒をハサミで切り、中からカタログを引っ張り出してみると、<マイクロ・エコ風車>の表示があり、研究トップの自信に満ちた挨拶文が掲げられていた。
それによると、試作機の製造にたどり着いた超小型風車は、さらなる研究によって数年のうちに実践型小型風力発電機に発展する可能性が大きい。
きっかけは、軽々と飛ぶトンボのギザギザの羽根の構造に着目し、風洞実験を繰り返して微かな風でも回る風車を作り出した。
このマイクロ・エコ風車は、来るべきスマート・コミュニテイの時代に、街区のすべての家庭で利用できる再生可能エネルギーの旗手となり得る。
いま評判のエア・ドルフィンも素晴らしい発明だが、安価な製造コストで発電できるマイクロ・エコ風車はさらなる未来を指し示している。
微風でも発電できる一方、台風にも耐えうる強度を持つ点が画期的だと評価されているのだ。
正孝のように、地上・洋上を問わず大型風力発電装置の普及に力を入れてきた男は、そこからの利益に依存してきた。
再生可能エネルギーとて、その活用に係る環境・設備等の整備において、当然利権が生じるのは避けられない。
原子力ムラとは対極にある利権と位置づけることもできるが、正孝に資金供給する勢力には最小限の倫理観が残っていると信じている。
(たとえ利権と呼ばれても、悪魔の数式に加担するよりはいい)
人間の力を過信し続ける主幹電力会社は、福島第一原子力発電所のメルトダウンを引き起こしながら、誰ひとり責任を認めようとしなかった。
記者会見の席上でも、質問者である記者たちを見下すように、「・・・・水漏れは、すでに止まってございます」などと、違和感のある丁寧語を乱発していた。
「原子力村」という言葉は、もともと水力や火力が主流だった電力会社の中で、新興の原子力部門を揶揄する言葉として使われていたのだという。
ところがその後立場が逆転し、優れた人材が原子力部門に集結したことから、社内でも干渉しづらい聖域と化してしまった。
学者だけで約300人、民間企業も含め原子力産業の中核を担う人員は数千人を超えると言われている。
こうした利権集団に匹敵するものは、正孝としても他に思い浮かべることができない。
さらに深刻なのは、大学等の原子力技術研究機関に、電力会社から多額の献金が行われていることだ。
甘い果実の前では、教授も研究者も学生もいつしか倫理観を蝕まれていく。
同様に、有力政治家たちとなると、法の傘に守られた献金がさまざまな名目で供給されている。
電力料金の総括原価方式の維持、電力会社にとって都合のいい法整備など、一般国民が不満をいだきながら声を上げられない状況が続いているのだ。
また、こうした事実から国民の目を逸らすために、一部のマスコミ関係者をも講演などに呼んで報酬を支払い囲い込んでいる。
政官学に一部の報道機関まで加わり、二重三重の垣根を造っている。
彼らは、さらなる利益を貪ろうと結束し、恥じるところがない。
これが、今日の「原子力ムラ」の実態だ。
放射線汚染に泣かされた福島県民は、依然として流浪の民のままである。
正孝は、自分が正義漢とは思わないものの、天を欺く行為だけには手を染めまいと決意している。
こうした正孝の手足をもぐかのように、艶子を奪っていった悪魔の仕業が許せなかった。
日毎に新しいイノベーションが生まれている。
艶子の机に入っていた未開封の案内カタログが、正孝に新たな感慨をもたらした。
古い村感覚を持ち続ける欲深い人間たちの姿が、地獄に落ちた亡者に重なって見える。
俵屋宗達が描いた『風神雷神図屏風』をよく見ると、雲上にあって風起こす風神もなお苦悩を背負っているではないか。
人間はいつも欲と二人連れと言われ、それは否定しがたい真実としても、鉄面皮になっていいというわけではない。
恥の感覚を持ち続けるからこそ、やっと人間でいられるのだ。
(それにしても、艶子はなぜ殺されたのだ・・・・)
霧はより一層濃く、あたりを覆っているようだった。
翌朝、正孝がめずらしく早い時間に出社していると、依頼の件で成果があったので、正午頃どこかでお渡ししたいと調査会社から連絡があった。
「それでは、例のホテルに部屋を取っておきます」
正孝が先に入室して待っていると、フロントから「滝口様がお見えになりました」と連絡があった。
すぐに通してもらうと、滝口は持参の大型封筒から数枚のレポートと十数葉の写真、それに上下数センチの連続ベタ写真を取り出した。
彼がピックアップしてきたのは、艶子と関係の深そうな数通の手紙、日記、メモ類、何通かの契約書類の写真だった。
「へえ、よく調べましたねえ。・・・・マイクロフィルムから起こしたのですか」
「ええ、まあ」
「と、いうことは・・・・」
「先生、私どもの仕事は、結果だけですから。・・・・請求書は別に送ってありますので、よろしくお願いいたします」
正孝の言葉を遮るように、滝口が立ち上がった。
途中経過を説明する気などまったくないという、彼らにすれば極めてまっとうな意思表示でもあった。
マンション管理人に掛け合ったのか、あるいは買収したのか、それともピッキングによる室内無断侵入など不法手段を使ったのか。
クライアントに報告すれば、万が一警察の捜査を受けたとき、却ってクライアントを窮地に陥れることになる。
「失敬、失敬。・・・・引き続き堂島の調査の方も進めてください」
急遽、先の依頼を中断する形で割り込ませた仕事だけに、素早くもたらされた成果に感謝するとともに、計画性のなさを詫びる気持ちも滲ませた。
「では・・・・」
「ありがとう。じっくり読ませていただきます」
正孝の言葉に送られて、滝口は部屋を出て行った。
渡された資料から何がわかるか。
レポートと写真を突き合わせながら、艶子の行動と交友関係を調べることに、落ち着かない気分を味わっていた。
(つづく)
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