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(NTT BCS) 硬派的社評漫筆+Rits

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硬派の漫筆的随想ですゆっくりお読み下さい。

硫黄島 攻防戦の映画 3部作

2007年02月27日 | 軍事

この記事を書くのは気が重い。
「硫黄島ー戦場の郵便配達」がテレビ・ドラマで放映された。
昭和20年2月、木更津基地にあった海軍752航空隊の作戦がストリーの基礎になっている。 
この部隊の戦歴については平成5年6月20(硫黄島)・27日(海軍攻撃704飛行隊)で記載した。
特に20年1~2月には硫黄島に船での物資輸送が難しくなった。輸送1023航空隊は硫黄島への専門空輸部隊であったが米機がどんどん本土までも侵攻してきて輸送機では硫黄島への飛行が困難になり、752空の爆撃機での輸送が行はれた。
その空輸の中で軍事郵便物が送受されたことがドラマの原作になっている。
この、輸送作戦でも犠牲機が発生した。隊長は「艦船攻撃機を輸送任務で失うのは耐え難い」と嘆いていた。、米海兵隊が上陸してから、数度攻撃作戦に出撃し多くの先輩搭乗員が戦死した。当方は2月に飛行隊に配属されたので硫黄島作戦には飛行攻撃には参加しなかった。多くの先輩・同期生が戦死していったことを思うと気の重くなる理由である。

このテレビドラマは硫黄島・沖縄作戦で武運・戦技で優れていた同隊の「根本正良 中尉」の自伝の記録をご子息の「根本 匠 総理補佐官(財政・経済)」が提供されベースに成っている。ドラマの中でやや時代考証・事実誤認が見受けられた。未だ当時に活躍していた人々が健在しているのだから良く参照されるべきだと思って見ていた。しかし、最期に市丸少将が刀を振りかざして敵陣に切り込むシーンは迫真的で感動した。

クリント・イーストウッド監督の米映画「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」2部作を見た。硫黄島の戦争映画だし、米軍がいかに攻撃したか大いに関心のあったところだ。
この時期に作成されたのもイラク戦争が背景にあるようだ。

アカデミーの受賞は逸した。が迫真的で事実に忠実で良く」調べて作成されている。
興行的には米側サイドからの「父親~」が面白かった。擂鉢山に星条旗を建てるシーンは圧巻だ。戦後にこれを始めて見たときその凄さに唸ったことを記憶している。
今、まさに建て様としている場面だからよくもその瞬間を未だ弾丸の下で撮影したなーと思った。
しかし、旗を建てられた後に日本軍は擂鉢山を取り返し星条旗をちぎり降ろして日の丸を掲げた。勇敢で戦意旺盛な日本兵だったのだ。その攻防は数度繰り返された。

「硫黄島からの手紙」は日本軍から見ている戦争物語。一部は先掲のドラマと同画面もある。しかし、この映画が事実に良く即している。見ていて違和感は無い。渡辺 謙の扮する栗林中将も威厳と貫禄のある武将として描かれている。

空輸で硫黄島を知っている者は「硫黄臭く、地熱があって、荒涼としていて、居住性は悪いところだ。直ぐに飛び立って帰ってきた」と言っていた。
地下陣地にl居住し、水・食料も不十分。衛生状態も悪く病人の手当ても出来ないような所で。襲撃に備え、長期に防御していた。
飛行機により爆撃・銃撃、また、敵の上陸直前には軍艦からの昼夜の別なく太砲による大型爆弾の攻撃。精神的にも参ってしまいそうだがそれに耐えた軍隊。そして、地上戦闘。
日・米軍ともよくも戦ったものだ。
両映画とも戦闘シーンは思わず固唾を呑んだ。米画はこんな場面の撮影は日本映画の追従を許さぬ。

米側は硫黄島の飛行場を使えることにより戦闘機が日本本土の攻撃が可能になり、マリアナ基地から飛び立って本土を爆撃したが、被弾・故障した飛行機の不時着場所の確保で作戦上大変有利に展開されたようだ。
しかし、米側で多大の戦死・負傷者を出した。日本側は2万人の戦死者である。
4月には沖縄に上陸するのだから、多くの犠牲を出して硫黄島を占拠する、作戦上の必要があったのだろうか?

飲まず・食わず ・劣悪な生活条件の下で こんなに、壮絶 悲惨な陸上戦闘をやれる日本人は今の時代に居るだろうか?
今に戦争は無人の武器・ロボットが動き、人はコンピュータとボタンの操作をコーヒーを片手に行う時代になるのでは。
アフガン・イラクで今、戦っている、米軍は偉大だ。

参考文書 硫黄島の戦い HP

17歳の硫黄島 秋草鶴次 著(文春新書)
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上記の記事と全く関係ありません。畏れ入ります。

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追記 2月27日で51位です。 20位の時も有りました..。
50位以内に位置していたいと念じています。
25位以内ですトップ頁に常時掲載されます。
他のブログも面白いですよ!序にご一読を。

 


防衛省

2007年01月09日 | 軍事

防衛になる。
今まで何度も計画に上がったが実現は出来なかった。
今度もそんなことに至るだろうと思っていたが。なんとなく省になるようになった。昇格したと言うがトンでもない。行政権限もたいした変更でもなく、単なる名称の改訂だ。防衛庁の役人が「永年の願望が果たせた」と拍手で喜んでいる。がお役人には嬉しいことなのか。
何故今の時期にせかせかと国会でも決まってしまたのか、国民は理解していないのでは?
日本特有の外圧によるのか?それこそ説明責任を果たすべき

それより、先ず憲法九条をどう改訂するかを論議して、自衛隊の存在を明確化してからこそ昇格となるべきものだ。
今の時期では防衛庁でつつやましく存在すべきだ。
防衛省=自衛軍となり、国外戦闘に出陣するのか。周辺諸国から「日本が軍事で普通の国になった」と不審と警戒感を持たせる結果となる。一益もない。
昭和25年に警察予備隊(National Reserved Police Force)として発足した。あくまでも警察力の補完であるようにして生まれた。..
警察の機動隊的、装備で国内治安を担う程度の存在であるべきだった。組織も警察の中で存在するのが、憲法の範囲内だったろう。

異常・暴虐な犯罪の多発・警察行政の繁忙で検挙率が落ちている今、警察庁を 警察省に昇格して国内治安の確保を望みたい。自衛隊も警察軍とすれば国外からの不審も無くなるだろう。

先日、国外に派遣された自衛隊員を天皇・皇后両陛下が、その業務を評価されて、謁見・慰労された。これ、また、今までの経過からして異常だ。
国政に不関与の天皇さんは自衛隊の組織とは離れて行動されるように計画されていれうように見えていた。
しかるに、今回は宮中にお招きになって、お祝いのグラスを交わされたのだから、なおの驚きだ。
大論議されてイラクに行った陸上自衛隊は非戦闘地域で外国軍に守られつつ「水道事業・他」をしていたようだ。
戦争・軍人で最も怖れる生命の危険は少ない状況だった。そんなに、天皇に褒められる軍事行動だったのだろうか。
そのうちに戦死者がでれば靖国神社に合祀され、金鵄勲章も出されるだろう。

さる大東亜戦争で海軍航空隊の搭乗員として硫黄島作戦の後方支援・沖縄作戦での夜間爆撃等に参加したが、昭和天皇からねぎらいのお言葉やおしゅの一杯も頂いたことは無かった。

 

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日曜評論 6ヶ国協議(核)

2006年12月24日 | 軍事

大変期待をもたれたようだった6ヶ国協議が成果が無くして終わった。
どうも、初めから開催日の変更、各2国間の協議等々雲行きの怪しい事態で成果は危ぶまれたが、やはり・想定内との結末だ。
次期の開催も決まらず、一途の望みは1月にニュウヨークで米朝の会議がもたれることだ。
しかし、金融制裁の内容が新聞報道だけでは良く解らぬが、これほどが固執するのだから、制裁効果は上がっているのだろう。
が騒げば騒ぐほどアメリカは「良い手が打てた」とほくそえむ。は悠然と上海か香港でも銀行口座を開けば良いのにと思うのだが?

朝鮮民主主義人民共和国は米・ロ・韓・中とはそれぞれに会議をしたが、我が日本とはそれすら行わず、全くの無視だ。
全体会議でも拉致らの字も出ず仕舞だ。全く当事者扱いされていない。佐々江局長の新聞記者への堂々たる発表が空々しい。
が原爆を作ったのか・実験をしたのか、どうか半信半疑の状態のなかでの会議でこの有様だ。
そこで、発想の大転換だ。我が国も核武装をするのだ。
でも実験したのだから(と言えばしつれいだが)わが国の工業力・技術をもってすれば核の生産などはお安いことだ。トヨタ・ホンダに発注すれせば精密で強力な原爆を多量に生産できる。
その力を持ってと交渉すれば拉致の問題なぞすぐに解決出来るだろう。
アメリカの核の傘の下にいる、用はないから、基地問題も同様に解決だ。目には目。自主防衛。外国軍隊の駐留は不要となる

 世界で核保有国は米・英・ロ・中・インド・パキスタンが宣言している(イスラエルは非公式)
イラクは結局生産はされていなかった。イラン・北は国連の査察が行えずその開発・保有には疑問が残る。

次のおf題は ”硫黄島の戦争映画”です。 紅 ご期待
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北の核

2006年12月08日 | 軍事

朝鮮人民民主主義共和国が核爆発の地下実験をしたらしい。
確証は無いようだが、周囲の国々はあわてている。
そんなに驚くことでは無いようだが。多数の国が多くの原爆を持っているではないか?
日本も核の準備をするか、どうかを、議論をする、しないで国会が騒ぐ。


共和国は『核保有国だ」と宣言。威張っている。

あまり、成果の無い「六ケ国会議」を再開しようと、それぞれが動いた。
米・中・北の主要国が北京で2者・3者で下打ち合わせをしたようだが、開催の見込みは難しいだろう。
共和国は米国と交渉しようと希望するが、米国はかたくなに拒んでいる。「六ケ国会議」と称しても必然米・北の考えだ。
(その他はオブザーバだ。決定的発言は難しい。北は日本は米国よりで解決済みの拉致をあげつらうので、同席したくないと発言そている。佐々江局長は参加するのだろうが)

米国は「原爆製造をまずは中止
共和国は「米国の金融制裁をまず、解除せよ」と全く初めから双方が折り合えないようだ。
しかし、金融制裁がなぜ、どのように共和国に影響を与えているのか、不詳だ。
堂々たる銀行取引ならば、米国も制裁はしないだろう(米国の情報機関はよくも調査をしているもんだ)
共和国はこの点も後ろめたく無ければはっきり宣言し交渉にあたるべきと思う。一方この制裁は効果があったと認めたことにもなる。、国連決議で世界中が経済制裁をするとなっている。やはりその影響はあるだろう。
しかし、北が原爆を1つや2つ作ったと言ってもそれで、すぐに戦争で、原爆攻撃を仕掛けてくるほど非常識ではないだろう。
それは、共和国の破壊になるからだ。
しかし、きな臭い危ない、危ない。

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 お次は”武士の一分”です。面白い,面白い 功ご期待
(追伸 9日の報道では「6者協議は16日に再開」と議長国の中国が各国に打診したとあった。ので、やや進展しそうだ)

 


クーデター

2006年09月24日 | 軍事

6月の兼題の1つだ。
何時かはタイトルにと計画はしていた。
しかし、思いもよらずにタイ国で起こった。この国では昔はしょっちゅう、クーデターが起こっていたが近時は平和になっていた。
戦車が町に展開しているが、銃の発砲は無い様で先ずは良し。
タイも経済的に安定し、君主制・民主国で近代国家に成長した。
のに、何故またかとの感じだ。
首謀者の軍人は元々政治家になっているべきだろう。軍隊の力無しで政権を摂るべきだ。
フイリッピンが先刻来、クーデターが起きる、起きると報道されていたが何とかアロヨ大統領で治まっている。
もっと世界にはそんなことで政変が起こっている国がある。

川柳子が「日本では新首相が選出される、タイでは国外亡命」と詠んでいた。
それにつけてもわが国は戦後一度も戦争・内乱・クーデター等一度も起きたことが無い。日本自衛隊はクーデーター等は考えないだろう。なんと平和な国だろう。
政治も公正な選挙で民主的に論争をして、決められる。(選挙戦も買収等の違反も目立たなくなった)
来日中の外国青年が「日本に、来て真の平和を味わった」としみじみと感嘆していた。
極悪犯罪・考えられないような家庭内暴力が発生はしているが
矢張り日本は平和な国だと言えるのが本日の主張。
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特集 靖国神社 参拝

2006年08月17日 | 軍事

小泉首相が8月15日に靖国神社を参拝した。
口約と意地を通した。ご立派。
これで、日中間の靖国論争は終焉するだろう。
次期の総理に誰が就こうが小泉さんのようには参拝をしないだろう。もっと地味に密やかに行うだろう。
靖国社については平成5年6月6日の稿で述べている。
NHKの6/14の「日中は歴史に~」の放送で戦後61年の交渉と対立で我々も再考すべき点もあると悟った。

日本は戦後の平和条約を台湾の中華政府と結んでいた。
田中角栄首相になって北京の中国政府と国交を結んだ。
その時期には国際情勢・両国の国内情勢等々をお互いに配慮して覚書で玉虫色の部分を残して決着している。
「靖国参拝は政府首脳は公式には参拝しない」との了解事項だったのだろう。
中曽根総理が8月15日に公式参拝をして、中国からクレームが出て、以降、総理の参拝は遠慮されていた。
福田ドクトリン・村山談話等々何故か何度も何度も日本は戦争責任を近隣諸国に詫びてきた。
国民感情として再度のお詫びには釈然としない世論もあった。
小泉さんが総裁選に立候補したとき、選挙作戦もあり「靖国参拝」を公約として掲げた。自主独立を目指す議員は小泉さんに投票して、結果小泉総理の出現となった経緯もあっただろう。
あまり、小泉さんが堂々と参拝をなすので、中国は「それは了解事項に違反だ」と言っているのだ。
小泉さんも、もっと穏やかに行動する。中国も「首脳会談は出来ない」などと宣言せずに「もっと私的的にやったら如何」とか申し出ていたらこんなに政冷状態には至らなかっただろう。
日本人は「大東亜戦争で、中国には侵略の面はあった。しかし中国の領土を侵していたのは多くの西洋諸国もあった。それを見逃していると日本の国防に不安が出ることも懸念された。
その他の領土は戦争遂行のための1次的戦略占領だった。
A級戦犯は国難殉難で国のために戦死した兵士と同列に処遇すべきだとの世論も有るだろう(A級だった人々はその時期に政府首領の地位に偶々あったので、当時の日本の状況・日本人の感情、世論からして開戦の決意は正当だった」

在留中のドイツ人に「戦争責任の追求につき、日独両国の差異について聞いてみた。
1 独逸は多額の戦争賠償を為した。日本はその額が低いのではないか。まして、今日本は世界有数の金持ち国になっているのだから。この世のこと、お金で解決しないことは無いだろう。
2 靖国神社の様な施設は独逸には無い。例えあっても大統領・首相とうは行かないだろう。(この点は日本は配慮に欠けていると、1外国人としての感想)
3 独逸は失地に対しなんらの回復意志はない(東独逸とでも貧乏国とは1つになりたくはなかった)
それに引き換え日本は小さな島々の領有を争っている。多少の資源問題は有るだろうが、拘る案件ではない。

との意見だった。それも1理はあるなーとも思った。


八月十五日特集 剣部隊

2006年08月15日 | 軍事

昭和19~20年はアメリカ空軍のB-29爆撃機の思うがままに日本全国、軍事基地・軍需工場・一版市民・家屋と空襲を受け防衛・生産とに対して多くの被害を受けていた。
また、B-29の性能が非常に良いので、対空火器・邀撃戦闘機もその防御態勢には効果が挙げえられず、敵を空中では撃墜出来ない。

そこで、サイパン・テニアン・ガム等の基地の飛行場に奇襲の強行着陸をして地上でB-29を破壊する,作戦が組まれた。

海軍の一式中型攻撃機(大型爆撃機)に陸戦要員を乗せて敵基地に赴く。この作戦の困難性は。
10名の武装員と6名の搭乗員では過積載になる。制海・制空権は敵にあり、それを避け本土から推測航法で10時間の夜間飛行で太平洋上の豆粒大の敵の基地に到達するのは機材・乗員の錬度では至難の業である。(電探・無線で探索したり、今の様にレーダ^で誘導されて到達するのと訳が違う)
やっと敵の基地に進入しても防御砲火の応戦はあるだろう、それらを潜っての胴体着陸を行う難事は作戦の一部で、陸上でB-29の破壊が目的である。これとて、やはり基地要員の戦闘抵抗を受けるし、そう、やすやすとした地上戦ではない。
7月24日に作戦予定であったが、14日の早朝敵機の急襲を受け作戦用の飛行機・飛行場も損害をうけ、実施は1月延期となり8月19日以降の月明の日となった。
8月15日に終戦のお言葉を聴き、猛訓練中の緊張の喪失感ともう、死の危機は去ったとの思いもあった。
自爆・体当たりの特攻とは異なるが、敵地で陸戦をするのは生還は期し得ない特攻作戦には違いはなかった。
60機の内果たして何機が着陸していかに多くのB-29を地上爆破出来ただろうか。総員800名が参加する一大特攻剣作戦は発動されずに終わった。

下記の本に剣作戦のことは掲載されています。
    「ヨーイ、テーッ! 海軍中攻隊かく戦えり」


中近東一帯の和平

2006年08月12日 | 軍事

7月15日の記事に書いた兼題である(この間記事が多く今になった。

小泉総理のメールマガジン  よりコピー

イスラエル北部で、レバノンにあるヒズボラ勢力からの攻撃が
あり、緊迫した情勢でしたが、イスラエルのオルメルト首相との会談は、予定通り行いました。

 日本とイスラエルの二国間の協力関係だけでなく、北朝鮮のミサイル、、イランの核の問題を含む、中東、そして世界の平和と安定について率直に話し合いました。

 日本のできることは限られていますが、中東の平和と繁栄のために、他の国とは異なる独自の協力ができると思います。私は、この地域の生活レベルの向上などを通じて地域の平和と安定に貢献する「平和と繁栄の回廊」構想を提案し、日本とイスラエル、パレスチナ、ヨルダンの4者で協議を始めることで合意しました。
今日は、パレスチナのアッバース大統領と会談し、パレスチナの発展に対する日本の支援と、中東和平の促進について話し合う予定です。
その後、海に面するアカバという街に滞在中のヨルダンのアブドッラー国王とバヒート首相を訪ね、日本とヨルダンとの二国間関係、中東情勢を含む世界情勢などについて会談することにしています。
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この時期(7月11日)に何の目的あっての訪問か?
小泉総理の任期中の外遊か?
遠いところで隣国同士の友好を薦めるより日本の中・韓・北との関係改善を計るべきと社評にある。諺の遠交・近攻と言った所
(以降イスラエルとヨルダンでは全くの戦争状態だ。イスラエルのミサイル邀撃能力は完備している様だが、レバノンからのロケット攻撃を阻止し得ない。イスラエルはミサイルでの攻撃を防御するために侵攻を正当化しているようだ。
イスラエルはお金持ちで工業力もあるのだから、隣国との国境紛争・パレスチナとの領土問題を避けて今の領土の沖合いに埋め立てで国土を新設したら如何?日本では関空・神戸・中部と大規模に埋め立てをして飛行場をつくている。イスラエルなら容易に埋立地を作り、建国できる。若しくは紛争の起こらぬ欧州の1部か広大なロシアから土地を分けて貰って移国したらどうか。世界平和のために。

日本の場合ミサイル攻撃を受けたらの仮説は先述(4月22日)
我々はこの60年間1度の戦争も無く内乱やテロの被害も無い。
中近東諸国は民族・宗派・オイルの利権での対立が紛争の原因だ。わが国では之に起因することは無い。
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世界の文明はヨーロッパ中心である。英国の グリニッチ天文台が世界の標準時間をしめす。欧州から東ではトルコがやっとEU圏内に入れる。アラブ・スラブ民族圏は東部圏だ。日本は極めて東に位置しているからで極東の国である。小泉さんが訪問した国々は ヨーロッパ からは近く、極東との中間だから、中近東一帯 の国々となる
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就寝中に膀胱に溜まると中腹部一帯の臓器が圧迫されて尿意のみならず下腹部一帯が不安定に感ぜられる。(このような不安定の状況下に有るのが中近東一帯の住民ではないか)
それで、その平和を取り戻すために起き上がる。用を達して再び、ベッドに戻ると大変さわやかな気分となる。
中近東一帯の国々も早く用を達して和平が来てさわやかな平和な国々になることを祈る。
世界的な平和の問題を個人の体調と同レベルで論じて畏れ入ります。

おつぎのお題は”楽しみは 自家版”です。 洸ご期待!

この原稿を記載中に停電あり途中で2度も書きかけが途切れた。R大の土曜講座でパソコンの講習でK先生がしょっちゅう「上書き保存」を指導された理由が解った。

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海軍記念日

2006年05月28日 | 軍事

5月27日は「帝国海軍記念日」だった。
この意義については昨年の6/1付けのブログに書いた。
今年のこの日も例年のごとく昔の海軍飛行搭乗員は集まった。1杯飲んでご機嫌になると出るのが昔の軍歌。
なかんずく「軍艦マーチ」 海軍の軍歌演習では1・2番を歌ってから付言し歌うのが「防人(さきもり)の歌」である。
「海行かばみずつく屍(かばね)、山行かば草むす屍。
大君の幣(辺)にこそ死なめ、顧みはせじ
である。
戦時中には多く歌われた。伝統的に歌っていたので詳しい意味も知らずにきた。

「日本人の遺訓」でその出典を詳しく知った。
748年天平感宝元年に聖武天皇は大伴・佐伯の戦闘集団の氏族に宣命(勅語)を下し、「諸君を信頼している」とラブコールをしている。これを受けて、大伴家の首領家持は感動し、その句をそのまま引用して長歌を作った。万葉集18巻に残ってる。
宣命(勅語)では「顧みはせじ」は「のどには死なじ成っている。我々はどちらかの表現で歌っていた。余り深く意味はは考えなかった。
天皇の「のどには死なじ」とは「長閑(のどやか)に無事平穏な死に方はしない」即ち戦場では畳の上で死ぬようなことは出来ず山や野で戦死するだろうとの事、初めてその意味をしった。

一方家持は「顧みはせじ」と歌っている。その意は「出陣するが矢張りわが身・父母・妻子をかえりみる心の状態を克服し、決心して何者も顧みはしない」と勇んでいるのである。
大昔から出陣兵士の状況・心情は大東亜戦争の時代と替わりはなかった。

”海ゆかば水(み)漬(づ)く屍(かばね)
山ゆかば草むす屍
大君の辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ
のどに(長閑)には死なじ”

参考 万葉集に有る防人の詠える
 ”今日よりは顧みなくて大君のしこの御楯と出で立つ吾は”

  これを記載中に旅行誌が来た。その中に「家持」(ヤカモチ)に関する記事あり。746天平18年越中国(富山県)の高岡市に国守(知事)として赴任。5年間で223首の歌を詠んだ。几帳面に作詞の日付が付けてある。


お次のお題は”バエス・ノンノン・アルセ” です。后 ご期待
 


戦友会

2006年05月10日 | 軍事

海軍攻撃第704飛行隊のことは昨年6月27日のブログに記載した。これの戦友会に参加した。
海軍攻撃第704飛行隊の文字を見るだけで往時を思い血沸き肉踊る想いがする。
人一倍敏捷だった少年飛行兵も終戦後60年経つと80歳付近になっている。戦中・戦後と色々な運命をたどって長寿だあったと、感慨の深いものがある。厳しかった戦争当時を顧みて語り合った。
老化の現象として「毛・歯・目」に出てくると称するが集まった人は一様に耳が遠くなっている(いやー近くなったいると表現すべきか)それと脚力。杖をつく人が多い。杖に頼らねばならぬ人は杖を歩いている限りは放せない。矢張り使わない状態に越したことは無い。持ち歩くのは面倒なことだろう。
終戦時に原隊が松島基地に有ったので開催地は東北地方で今年は日光で行った。東照宮を参詣・観光した。
敷地は広大だが建造物のスケールは外国の遺産には及ばぬ。

帰途に宇都宮駅で下車。駅前広場は広大でタクシー駐車場には多くの車。
隣接してデパートがあり、衣料品等々、商品が多数に展示。日本中どこでも同じ風景。
地下のスーパーマーケットは展示が綺麗で多品種。
栃木餃子をご当地名品にしている。横浜のシュウマイは夙に有名だが栃木餃子のことは聞いたことが有ったようにも思う。
土産物店街にも餃子店が軒を並べて居るのには驚く。
兎に角なんでも名物にしたら、それようの生産と消費が出来るから結構な事だ。その企画性に着目。

つぎのお題は”地球環境”です。 広 ご期待