紫式部
めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな
『源氏物語』の作者。女流文学者としてはおそらく日本史上、最も著名な女性。
前回の和泉式部と同様、藤原彰子に仕えている。
父は藤原為時。夫は山城守・藤原宣孝。
冬嗣┳良房━基経━忠平━師輔━兼家━道長━彰子
┗良門┳利基━兼輔━雅正━為時━紫式部
┃ ||━大弐三位
┗高藤━定方━朝頼━為輔━宣孝
仮名文学だけでなく漢学についても才能を示しており、多才な女性であったといわれる。有名人にふさわしくエピソードも豊富だが、この時代の女性の例に漏れず本名・生没年・結婚暦には謎が多い。そもそも”紫”という呼び名の由来すら判明していない。
ちなみに父・為時も文人として有名であったが、996年正月の除目(任官)で最下級ランクの国である淡路守に任官されたとき、失望して作った詩を一条天皇に奉った。それを読んだ一条もショックを受けてげっそりしてしまい、その様子をみた藤原道長はなんと為時が淡路守に任官されたのと同じタイミングで越前守に任官されていた源国盛(光孝源氏)に無理やり辞表を書かせて為時を越前守に任官させた。ちなみに源国盛はあまりのショックで病んでしまい死去する。
『源氏物語』は周知のとおり桐壺帝の皇子で臣籍降下した光君と、その息子の薫大将の親子二代(薫の本当の父は柏木だが)を主人公にした小説。ただこの小説にも様々なミステリーがあり、執筆期間、散逸した箇所があるという説、そもそも作者が紫式部ではないという説すらある。
というのも、この物語は源氏が他の大臣(名前はでていないがこの時代の大臣は藤原氏しかあてはまらない)を押さえつけて栄達する内容であり、それを藤原氏出身で藤原彰子に使えた紫式部が書くだろうか、という疑問が提示されたから。
ただ、式部が生きた時代には賜姓源氏がでてから200年近く経っており、貴種でありながらも藤原氏の下風に立たされ皇室の藩屏として機能しなくなりつつある彼らがどのようにみられていたかをしる一助にはなる。
また、安和の変(969年)で大宰府に左遷された源高明を彷彿とさせるようなくだり(光君が政権の中枢から駆逐される)も、当時の人たちは妙なリアリティを感じたのではないだろうか。
いずれにしろ『源氏物語』が構成の精緻さ、普遍的な男女の機微の描写、百人を超える人物の巧妙な配置、主要人物たちのリアルな人物描写など、日本文学史上の最高位に位置する作品であるという評価は動かしがたく、これ以降の文学作品で影響を受けていないものはないといっても過言ではないだろう。
めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな
『源氏物語』の作者。女流文学者としてはおそらく日本史上、最も著名な女性。
前回の和泉式部と同様、藤原彰子に仕えている。
父は藤原為時。夫は山城守・藤原宣孝。
冬嗣┳良房━基経━忠平━師輔━兼家━道長━彰子
┗良門┳利基━兼輔━雅正━為時━紫式部
┃ ||━大弐三位
┗高藤━定方━朝頼━為輔━宣孝
仮名文学だけでなく漢学についても才能を示しており、多才な女性であったといわれる。有名人にふさわしくエピソードも豊富だが、この時代の女性の例に漏れず本名・生没年・結婚暦には謎が多い。そもそも”紫”という呼び名の由来すら判明していない。
ちなみに父・為時も文人として有名であったが、996年正月の除目(任官)で最下級ランクの国である淡路守に任官されたとき、失望して作った詩を一条天皇に奉った。それを読んだ一条もショックを受けてげっそりしてしまい、その様子をみた藤原道長はなんと為時が淡路守に任官されたのと同じタイミングで越前守に任官されていた源国盛(光孝源氏)に無理やり辞表を書かせて為時を越前守に任官させた。ちなみに源国盛はあまりのショックで病んでしまい死去する。
『源氏物語』は周知のとおり桐壺帝の皇子で臣籍降下した光君と、その息子の薫大将の親子二代(薫の本当の父は柏木だが)を主人公にした小説。ただこの小説にも様々なミステリーがあり、執筆期間、散逸した箇所があるという説、そもそも作者が紫式部ではないという説すらある。
というのも、この物語は源氏が他の大臣(名前はでていないがこの時代の大臣は藤原氏しかあてはまらない)を押さえつけて栄達する内容であり、それを藤原氏出身で藤原彰子に使えた紫式部が書くだろうか、という疑問が提示されたから。
ただ、式部が生きた時代には賜姓源氏がでてから200年近く経っており、貴種でありながらも藤原氏の下風に立たされ皇室の藩屏として機能しなくなりつつある彼らがどのようにみられていたかをしる一助にはなる。
また、安和の変(969年)で大宰府に左遷された源高明を彷彿とさせるようなくだり(光君が政権の中枢から駆逐される)も、当時の人たちは妙なリアリティを感じたのではないだろうか。
いずれにしろ『源氏物語』が構成の精緻さ、普遍的な男女の機微の描写、百人を超える人物の巧妙な配置、主要人物たちのリアルな人物描写など、日本文学史上の最高位に位置する作品であるという評価は動かしがたく、これ以降の文学作品で影響を受けていないものはないといっても過言ではないだろう。