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【小倉百人一首】56:和泉式部

2014年07月16日 02時51分38秒 | 小倉百人一首
和泉式部

あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな

例によって本名ではない。和泉は最初の夫である橘道貞の官職(和泉守)からで、式部は父・大江雅致の官職から。
道貞との間に小式部内侍を生んだが、結婚生活は後に破綻。その後、冷泉天皇(63代)の皇子である為尊親王と恋愛したが、身分違いの恋を怒った父に勘当される。
さらに為尊親王の死後はその弟の敦道親王と恋をし、子をもうけている。
その敦道親王没後は一条天皇の中宮である藤原彰子に仕えた。
この藤原彰子は道長の長女で、彼女が子(後の後一条天皇)を生んだ時は道長は狂喜した。
が、一条は自分の次の皇位を従兄弟にあたる三条に譲り道長を怒らせている。ちなみに三条の父は冷泉で、母は道長の姉にあたる超子。
そこで道長は三条に対し、速めに譲位するよう圧力をかけ、三条自身も眼病があったり内裏に火災が起きたりと災難続きだっため、自身の次代は彰子が生んだ子(後一条)にする代わりに、その次は三条の子である敦明親王にすることを条件に退位する。ちなみに敦明親王の母は下の系図のとおり。

           ┏━━━━━嬉子
           ┣━━威子 ||
┏師輔━兼家━道長━━┻彰子||  ||┳後冷泉
┗師尹━済時━娍子   || ||  ||┗後三条
       ||━敦明 ||┳後一条||
 村上┳冷泉┳三条   ||┗━━━後朱雀
   ┃  ┣為尊親王 ||
   ┃  ┗敦道親王 ||
   ┗円融━━━━━一条

が、結局この敦明親王は道長の圧力に負けて後に皇太子を辞退することになる。
後一条が即位することでようやく道長は念願の摂政になり(ちなみに道長は関白には就任していない)、ここから道長の絶頂期が始まる。
その後彰子は国母として朝廷から尊崇される立場と成り、道長死後は弟の頼通の政治を助ける。
彰子は長生きし、二人の息子(後一条、後朱雀)、孫の後冷泉より長生きした。ちなみに一時危篤になった時には病気平癒のための大赦がだされ、前九年の役も一時休戦となっている。


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