藤原義孝
君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな
藤原伊尹の息子。実は21歳で天然痘のために死んでおり、当然詠んだ歌は少ないはずなのだが百人一首にとられているあたり早熟だったのだろう。美男としても知られる。
当時天然痘がはやったらしく、兄の挙賢も同じ病で同日に死んだ。
ただ、息子はおり、それが三蹟の一人の藤原行成である。祖父である伊尹の猶子(相続権を持たない養子)となったが、伊尹が死去し、ついで父が早世したため、若い頃は不遇をかこつ。
が、後に能吏として知られる源俊賢の推挙により蔵人頭に抜擢され、その勤務態度も評価されたのか時の権力者である藤原道長からも信任を得る。偶然にも死去したのは道長と同日であった。
君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな
藤原伊尹の息子。実は21歳で天然痘のために死んでおり、当然詠んだ歌は少ないはずなのだが百人一首にとられているあたり早熟だったのだろう。美男としても知られる。
当時天然痘がはやったらしく、兄の挙賢も同じ病で同日に死んだ。
ただ、息子はおり、それが三蹟の一人の藤原行成である。祖父である伊尹の猶子(相続権を持たない養子)となったが、伊尹が死去し、ついで父が早世したため、若い頃は不遇をかこつ。
が、後に能吏として知られる源俊賢の推挙により蔵人頭に抜擢され、その勤務態度も評価されたのか時の権力者である藤原道長からも信任を得る。偶然にも死去したのは道長と同日であった。