大阪龍馬会

1987年に創立して2017年は創立30周年。龍馬好きの集まった大阪龍馬会が龍馬会の活動をお知らせします。

龍馬像と同じ目線「最高」…高知・桂浜公園に展望台設置

2010-10-22 00:01:00 | 龍馬ニュース
 高知市浦戸の桂浜公園で16日、坂本龍馬像を間近に見ることができる展望台が設置された。高さ13・5メートルの龍馬像と同じ目線から太平洋を望めるとあって、初日から多くの観光客でにぎわった。

 市観光協会が1993年から毎年秋に行っている取り組み。昨秋は約2万2000人の利用だったが、龍馬ブームの今年は春にも設置して約4万8000人を集めた。展望台に上がった観光客の多くは「高い!」と驚き、龍馬像と同じポーズで記念撮影したり、双眼鏡で太平洋の眺めを楽しんだりしていた。

 像との距離はほんの数メートルで、堺市の会社員酒井優子さん(43)は「これだけ近くで見ると、龍馬の男らしさと迫力が伝わってくる」と喜んでいた。

 展望台は11月28日まで設置。入場料100円(高校生以下無料)で、平日午前9時~午後5時まで。土日祝日は午前8時から。雨天・強風時は利用できない。

10/17 読売新聞



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「幕末の動乱」展:歴史博物館で /広島

2010-10-21 00:01:00 | 展示会・イベント
 福山市西町の県立歴史博物館で、江戸時代から幕末、明治にかけての戦乱や福山、広島両藩の動きをたどる企画展「幕末の動乱と瀬戸内海」が開かれている。11月23日まで。

 展示は第1~6章までの構成で、ペリーの来航や桜田門外の変、幕府軍による長州征討のほか、王政復古の大号令などの江戸から幕末にかけての大きな事件を、福山、広島藩などの瀬戸内海に面した諸藩とからめて紹介している。今年8月に初めて見つかった坂本龍馬率いる海援隊が乗り込んだ「いろは丸」の外観を描いた資料などもある。

 同館(084・931・2513)の開館時間は午前9時~午後5時、月曜休館。入館料は大人700円、高校・大学生520円、小中学生350円。

10/19 毎日新聞


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龍馬ゆかりのお宝200点ぜよ 石岡で25・26日展示

2010-10-20 11:10:00 | 展示会・イベント
 本人の肖像画や妻お龍(りょう)こと楢崎龍の着物など坂本龍馬ゆかりの品を集めた「龍馬の生きた幕末名宝展」が25、26の両日、石岡ジャスコぱれっと(石岡市石岡)の2階イベント広場で開かれる。

 着物文化の普及に努めているNPO法人「京彩都(きょうさいと)」(本部・京都市)の石岡支部などの主催。「龍馬が活躍した幕末の京都を通して、日本の着物文化に親しんでほしい」と企画した。

 古美術研究家の上田有之さん(48)=京都市在住=の個人コレクション約6千点の中から龍馬ゆかりの品約200点を今回借り受けた。

 龍馬の肖像画掛け軸、晩年にあたる寺田屋事件後の龍馬の写真、十二代酒井田柿右衛門の作となる白磁龍馬像、妻お龍所用の京都西陣織の御召(おめし)(単衣〈ひとえ〉の着物)、龍馬がひいきにしていた京都・島原の太夫の打ち掛け・かんざしなどが展示される。

 前野誠人・京彩都石岡支部長は「幕末の激動期を生き抜いた偉人たちが残した重要文化財級の貴重品ばかり。品々それぞれの歴史や由来を知れば、きっとくぎ付けになるはずです」と話している。

10/20 朝日新聞


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福山「龍馬伝」放送中11月からアジア進出

2010-10-19 00:01:00 | 龍馬伝
 福山雅治(41)主演のNHK大河ドラマ「龍馬伝」(日曜午後8時)が異例の海外進出を果たすことが14日、明らかになった。この日までに台湾、韓国、タイで放送されることが決定。台湾では11月から放送が始まる。現在放送中のドラマが海外で放送されるのは、異例のスピードと言える。

 福山はこの日、都内で行われた会見に出席。アジア各国でも知名度が高い福山だけに、会見場には海外19社のメディアが殺到した。福山は「(自分の)認知があるのかどうか、全然分かりません」と謙虚な姿勢を見せた。海外の報道陣から撮影中の苦労を聞かれると「最初は10代の設定でしたので…、見た目は無理なのでマインド(気持ち)を10代に。とにかく見続けてくれると慣れますから」と笑った。

 香港の記者からは「福山さん、また(香港へ)来てくださ~い!!」と熱いラブコールまで飛んだ。福山は「今すぐこの足で向かいたいです」と会場を沸かせた。「時代劇と言っても昔っぽさはありません。スピード感があり、流れている感情は現代的なので、そのミスマッチを楽しんでほしい」とPR。さらに「国境を問わず、共感できるもの」と期待を込めた。

 海外での放送交渉は昨年秋から始まったという。アジアで放送される大河ドラマは、今回で14作目だ。NHKエンタープライズの天城靱彦社長は「日本で人気がないと、まず放送できない」と話した。現在は中国、香港、ベトナムでの放送交渉を続けている。

10/15 日刊スポーツ


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サンケイリビングカルチャー倶楽部 枚方教室 「歴史回廊 坂本龍馬と幕末の京都」

2010-10-18 00:01:00 | 講座関係
上記講座を私の地元・枚方で行います。お近くの方、ぜひお越しください。

10/19(火) 龍馬と大阪 枚方は何回通ったのか?

11/2(火) 龍馬の大仕事 薩長同盟から大政奉還

11/16(火) 龍馬交友録 京都で共に戦った人物

12/7(火) 幕末京都の光と影 天誅とロマンス

12/19(日) 寺田屋事件 逃走ルートを歩こう 伏見界隈(現地講座)

1/18(火) 龍馬とお龍が過ごした日々

いずれも火曜日 18:30-20:00 現地講座は日曜日 受講料は6回で12600円

〒573-0028 枚方市川原町3-1 クラウンビル2F ℡072-843-0011


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鞆の浦

2010-10-17 20:45:00 | 講座関係
 福山の南に突き出た沼隈半島の突端にある港町で、古くから瀬戸内海を往来する船の重要な海駅として栄えた。現在はひなびた美しい町のたたずまいを残しており、古代から幕末までの史跡が町の各所に点在する。

 慶応3年4月23日、坂本龍馬ら34名の乗組員と荷物を積んで長崎から大坂へ向かう途中のいろは丸(450トン)は、六島(現・広島県笠岡市)の南西で紀州藩船明光丸(887トン)と衝突。

 いろは丸は鞆港へ約2里曳航する途中、宇治島の前洋にて沈没した。龍馬らは鞆の浦に上陸し、紀州藩と折衝するため、数日滞在を余儀なくされた。町内には龍馬と海援隊士が宿所とした石井の浜の舛屋清右衛門方や、4月24・25日に紀州藩側の高柳楠之助と談判した魚屋万蔵方、海援隊士が登楼した遊廓駕籠屋藤兵衛方(現・旅館対山館裏玄関)、高柳楠之助らが宿舎とした福山藩別荘などの遺構が残り、昔日を偲ばせている。また、昭和63年から平成元年にかけて鞆を愛する会と福山青年会議所が、沈没したいろは丸の引き揚げを目的とした潜水調査などを行なった。この成果は「いろは丸展示館」で公開されている。最近もテレビ番組で引き上げの模様を中継した。

 3時間もあれば十分まわれる場所です。いろは丸展示館はおすすめ。対潮楼や太田家住宅は必見。狭い町で駐車場も数少ないので車での観光はやめたほうがいい(福山駅からバスで30分。頻繁にバスはあります)

 昭和の雰囲気満載です。仙酔島まで「平成いろは丸」に乗ってみては。国民宿舎仙酔島では龍馬のパネル展示があります。

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いろは丸事件

2010-10-17 18:00:00 | 講座関係
 ドラマでは大洲藩所有のいろは丸を岩崎弥太郎が借りに行った設定でしたが、実際は龍馬のあっせんで大洲藩がいろは丸を購入した。

 伊予国大洲藩所有の蒸気船。長さ30間、幅3間、深さ2間、160トン、45馬力の二本マストの鉄製内輪船。1862年イギリスで建造、原名サラー号、文久3年、薩摩藩が購入して安行丸と命名した。

 その後、薩摩は胡蝶丸はじめ10隻を買い入れたため、慶応元年、安行丸をオランダ商人ボードインに売却、そのときアビソ号と改名された。

 慶応2年、大洲藩の国島六左衛門が、龍馬、五代才助の周旋で長崎において42500両で購入し、龍馬が、いろは丸と名づけた。

 慶応3年4月、土佐海援隊長となった龍馬は、海運業のため、大洲藩といろは丸の賃貸借契約を結び、一航海15日につき500両とし、事故のときの補償契約証書も取りかわした。その前3月6日、龍馬が印藤肇に送った手紙によれば北海道開拓のため、いろは丸で蝦夷行も考えていたようである。

 4月19日、龍馬以下海援隊士が乗り組み、諸藩に売り捌く小銃400挺のほか砂糖などの貨物を積み、紅白紅の海援隊旗をひるがえして長崎を出港した。

 4月23日午後11時ごろ、長崎に向けて航海中の明光丸と、讃岐の箱の岬沖で濃霧のために衝突した。満載量160トンのいろは丸は、880トンの明光丸の船首を右舷に受け浸水し、船首から沈みそうになる。当番士官の佐柳高次が甲板に出て明光丸によびかけたが返答はなく、佐柳らが明光丸に乗り移ったところ、同船は90mほど後退したのち、再び前進していろは丸の船腹に衝突した。

 上京のために乗船していた龍馬は、沈没の危機を感じて乗員を明光丸に移乗させる。龍馬は明光丸船長の高柳楠之助と面会し、貨物の保全のためいろは丸を曳航して備後鞆ノ津へ向かった。24日早朝、備中宇治島沖で、風波が激しく曳航に耐えられなくなって、いろは丸は積荷もろとも波間に消えた。

 龍馬と高柳の合議のうえで明光丸は備後の鞆に入港し、長岡謙吉とともに今後の交渉に臨んだ。

 事件の解決まで出港を見合わせるようにとの依頼を、高柳は藩命を理由に拒絶する。代案として龍馬はとりあえず1万両の用立てを求めたが、後日の交渉で、これが賠償金の一部であることを知った紀州側が拒否したため、交渉は難航した。

 このうえは長崎で正式の談判を行い、公論によって決着をつける以外にないということになったが、27日には佐柳と腰越次郎が明光丸に斬り込みをかけるため、海援隊からの離脱を求める一幕もあった。龍馬は翌日付で菅野覚兵衛と高松太郎にあてて事件の発生を連絡すると、隊士とともに鞆を出立し、29日には下関、5月13日に長崎に到着している。長崎での交渉は15日から始められた。

 海援隊からは龍馬のほか、長岡謙吉、小谷耕蔵、渡辺剛八、佐柳高次、腰越次郎、土佐藩士の森田晋三、橋本麒之助、紀州藩からは高柳楠之助、岡本覚十郎、成瀬国助、福田熊楠、岡崎桂助、中谷光助、上田米蔵、尾崎十兵衛、中崎市右衛門が出席した。交渉は互いの航海日誌を提出し、海路図によって衝突の原因と責任について議論されたが、決着はつかなかった。

 龍馬が「船を沈めたそのつぐないは金を取らずに国を取る」という歌を作って、市中に流したのは、このころのことだった。

 当初、海援隊と紀州藩の問題だった事件に、5月22日の交渉で後藤象二郎が加わったことによって、事は紀州藩対土佐藩の交渉事となる。

 後藤は、こうした事件の判例がないことから、イギリス海軍の提督に外国の事例から裁定を求めるよう提案し、その場を設けたものの、当日になって紀州藩は、これを避けて薩摩の五代才助に調停を依頼している。

 その結果、非は明光丸にありとして、29日には10月中に長崎で83526両198文を支払うよう裁定が下された。

 交渉に臨むにあたって龍馬は生命の危機さえ感じて遺言状を三吉慎蔵に書いている。

慶応三年五月八日 三吉慎蔵あて
此度出崎仕候上ハ、御存知の事件ニ候間、万一の御報知仕候時ハ、愚妻儀本国ニ送り返し可申然レバ国本より家僕及老婆壱人御家まで参上仕候。其間愚妻おして尊家に御養置可被遣候よふ、万々御頼申上候。拝稽首。
五月八日  龍馬 慎蔵様 左右


この度の長崎行きは、御存じの事件(いろは丸事件)についてで、万一の知らせが届いた時は、妻のお龍を土佐に送り返したいので、土佐の坂本家より使いの者と老婆一人が三吉家まで参ります。その間お龍をあなたの家で養っていただきますようどうかよろしくお頼み申し上げます。拝稽首。
五月八日 龍馬  慎蔵様 左右


 6月24日付で兄権平にあてた手紙では「龍馬が船の論夕るや、日本の海路定則を定メたりとて、海船乗らハ聞に参り申候」と誇らしげに報じている。

 賠償金は再交渉ののちに減額されたが、いろは丸を所有していた大洲藩に42500両が返還され、海援隊も年末には15345両が賠償されるとの内示があった。



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第42回「いろは丸事件」 (10月17日放送)

2010-10-17 00:01:00 | 龍馬伝
あらすじ

 大坂に向かういろは丸は、夜の瀬戸内海で、紀州藩の船・明光丸と衝突し沈没する。龍馬(福山雅治)たち海援隊は、明光丸に乗り移って命は助かったが、鞆の浦で紀州は1000両の見舞い金で事を済ませようとした。龍馬は長崎で船と積み荷の賠償をかけて談判を始める。

 陸奥陽之助(平岡祐太)は、紀州藩の勘定奉行であった父が排斥されたことを打ち明け、この談判に勝ちたいと語る。土佐商会の命運をかけ弥太郎(香川照之)も加わり談判は始まる。明光丸に非があるにもかかわらず、御三家である大藩紀州は全く海援隊を相手にしない。龍馬はお元(蒼井優)に頼んで、長崎の街中に、紀州を揶揄する歌を流行させる。

 またこの談判は、幕府と土佐藩の戦いでありこの勝敗が日本の将来を決めると後藤象二郎(青木崇高)を説得。長崎の街での不評を知った紀州藩は次の談判に勘定奉行までが出てきて事を収めようとする。しかし龍馬は万国公法を持ち出して、外国船も行き交う今の日本の海で事故は世界の航海法で裁くべきと主張。象二郎がイギリス海軍提督を連れて現れ、談判はやり直し。紀州は83000両の賠償金を払うこととなる。


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龍馬ゆかり河原町巡って 16日から商店街が催し

2010-10-16 00:01:00 | 龍馬ニュース
 幕末の京都を彩ったさまざまな事件やゆかりの史跡を紹介し、にぎわいを創出するイベント「龍馬が駆けた河原町」が16日から、京都市中京区の河原町商店街一帯で催される。坂本龍馬ゆかりの地を巡るスタンプラリーが行われるほか、志士たちの活躍などを描いたつりボードが商店街を飾る。

 河原町界わいには、龍馬と中岡慎太郎が最期を遂げた近江屋、勤王の志士と新撰組が死闘を繰り広げた池田屋、長州や土佐の藩邸など、幕末の史跡が多い。近年、商圏が分散し地域間競争が激しくなる京都で、こうした歴史資産をPRして新たな顧客層をつかもうと、河原町商店街振興組合が企画した。

 つりボードは、龍馬の誕生日と命日である11月15日までアーケードに展示する。幕末史を動かした出来事を、イラストレーターながたみどりさんの作品パネル34枚で紹介する。

 スタンプラリーは今月30日~11月14日の土日曜に開催し、近江屋跡など6カ所を巡る。当日午前10時~11時に旧立誠小前(土佐藩邸跡)で受け付け、11月7日は「親子で幕末ラリー」(午前10時集合)としてガイドが同行する。無料。

 河原町商店街振興組合の岩崎正一専務理事は「今後も河原町通だけでなく、周辺を含めて訪問者を増やすような歴史イベントを考えたい」としている。問い合わせは同組合TEL075(221)6418。

10/14 京都新聞 


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龍馬の精神、地域に勇気 一関で全国ファンの集い

2010-10-15 17:00:00 | 龍馬ニュース
 全国の坂本龍馬ファンが集う第22回全国龍馬ファンの集い岩手一関大会(全国龍馬社中主催)は10日、一関市大手町の一関文化センターで開かれた。東北で開催されるのは今回が初めて。パネルディスカッションや岩手・高知両県知事による近江屋対談、大交流会には多くの市民が参加し、全国の龍馬ファンと交流した。

 全国龍馬社中(橋本邦健会長)の全国大会には龍馬ファンの40団体約200人が参加。橋本会長が「龍馬は眺めているだけではいけない。追い付き追い越すことに意義がある。今回は初めて知事2人が参加した。地域に何ができるか龍馬の精神で考え実行していこう」とあいさつ。次期開催地の高知市に大会旗が引き継がれた。

 全国大会に引き続き行われたパネルディスカッションには市民を含め約600人が参加。長崎龍馬会龍馬楽校の柴崎賀広(よしひろ)校長が「龍馬の死後、戊辰戦争が起きた。龍馬が生きていたら戦争のやり方は変わり、東北の農民が兵士に駆り出されることもなかったかもしれない。そういう意味で龍馬と東北の関係を考えた」と話し会場が沸いた。

 達増知事と尾崎正直高知県知事の近江屋対談は、5月の高知開催に続き2回目。

 前回確認した高知と岩手の頭文字を取った「KI(かい)援隊」交流連携について、達増知事は「両県共同の物産展や赤べこフェアの首都圏開催を企画していきたい。優れた地域資源を生かし県民の所得に結びつけなければならない」と強調。尾崎知事は「高知県は人口減少し経済規模が小さくなっている。地産地消にとどまらず『地産外商』を進めていきたい」と答えた。

 夕方から開かれた大交流会には「岩手の味」が並び、全国の龍馬ファンと一般参加者らが交流を深めた。また、前日に開かれた役員会では仙臺(だい)龍馬会の設立を承認した。

10/11 岩手日報


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ここで龍馬の葬儀が… 東山霊明神社参道に石碑建立

2010-10-15 00:01:00 | 龍馬ニュース
 坂本龍馬や中岡慎太郎などの葬儀が行われたとされる京都市東山区の霊明神社を広く知ってもらおうと、NPO法人「京都龍馬会」(同市中京区)が同神社の参道に石碑「幕末志士葬送の道」を建立し、13日、除幕式を行った。

 同会は約2年前から、龍馬ゆかりの地に石碑を建てる活動に取り組んでいる。これまでに龍馬の妻、お龍の実家跡(中京区)、龍馬とお龍が挙式した会場跡(東山区)などに建立し、今回が4カ所目。

 除幕式には約30人が参加した。石碑の文面を考えたNPO法人「京都歴史地理同考会」の中村武生理事長があいさつ。龍馬らの葬儀が霊明社(現霊明神社)で行われ、龍馬らの墓が東山招魂社(現京都霊山護国神社)で管理されるようになる前には霊明社所有地にあったとされることに触れ、「多くの龍馬ファンに、葬送の行われた参道や霊明神社を知ってほしい」などと話した。

 石碑は高さ約1メートル。龍馬らの墓が霊明神社から京都霊山護国神社に移された経緯などが書かれている。

 「京都龍馬会」の赤尾博章理事長(58)は「石碑を建てることで、正しい史実をより広く認知してもらえれば」と話している。

10/14 産経新聞

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龍馬の妻おりょうの墓前祭、ドラマ効果で600人参列/横須賀・信楽寺

2010-10-14 17:00:00 | 龍馬ニュース
 坂本龍馬の妻おりょうの墓前祭が9日、横須賀市大津3丁目の信楽寺(しんぎょうじ)(新原千春住職)で催された。大津観光協会の主催で、22回目。人気を集めるNHK大河ドラマの効果は抜群で、雨にもかかわらず約600人が参列して2人をしのんだ。

 おりょうと龍馬の遺影や木彫りの座像が置かれた本堂は立すいの余地もなく、外まではみ出すほど。新原住職の読経とともに関係者が次々と焼香した。招待された吉田雄人横須賀市長は「地元の人が長年墓前祭を続けてきたことが大事。来年も参列してほしい」とあいさつした。

 おりょうが眠るお墓にも次々と参列者が訪れ、手を合わせていた。藤沢市から初めて来たという男性(70)は「ドラマの影響は大きいが、地元の人たちがおりょうさんを大切にしている気持ちが伝わってくる」と話していた。

 京急大津駅近くの大津コミュニティセンターでは2人が好んだといわれる月琴の演奏が行われた。

10/9 神奈川新聞

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龍馬伝 視聴率 41回目「さらば高杉晋作」(10/10)

2010-10-14 13:00:00 | 龍馬伝 視聴率
10/10放送の「さらば高杉晋作」は16.3%でした。

いろは丸の扱いが少しおかしかったですね。
別の機会でいろは丸は紹介します。

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■ 放送時間(毎週 日曜日)【NHK総合】 午後8:00 【デジタル衛星ハイビジョン】 午後6:00 【衛星第2】 午後10:00
■ 再放送(毎週 土曜日)【NHK総合】 午後1:05 ※放送日時や内容などが変更になる場合があります。

龍馬伝の視聴率推移

41話 16.3% さらば高杉晋作(10/10)
40話 14.3% 清風亭の対決(10/3)
39話 13.7% 馬関の奇跡(9/26)
38話 15.8% 霧島の誓い(9/19)
37話 17.6% 龍馬の妻(9/12)
36話 16.8% 寺田屋騒動(9/5)
35話 15.4% 薩長同盟ぜよ(8/29)
34話 16.3% 侍、長次郎(8/22)
33話 13.7% 亀山社中の大仕事(8/15)
32話 16.7% 狙われた龍馬(8/7)
31話 16.0% 西郷はまだか(8/1)
30話 17.9% 龍馬の秘策(7/25)
29話 15.8% 新天地、長崎(7/18)
28話 17.0% 武市の夢(7/11)
27話 17.3% 龍馬の大芝居(7/4)
26話 17.9% 西郷吉之助(6/27)
25話 20.3% 寺田屋の母(6/20)
24話 20.1% 愛の蛍(6/13)
23話 19.2% 池田屋に走れ(6/6)
22話 19.5% 龍という女(5/30)
21話 20.0% 故郷の友(5/23)
20話 20.4% 収次郎、無念(5/16)
19話 19.0% 攘夷決行(5/9)
18話 18.4% 海軍を作ろう(5/2)
17話 21.8% 怪物、容堂(4/25)
16話 21.9% 勝麟太郎(4/18)     
15話 18.4% ふたりの京(4/11)
14話 18.5% お尋ね者龍馬(4/4)   
13話 18.8% さらば土佐よ(3/28)
12話 17.7% 暗殺指令(3/21)     
11話 21.4% 土佐沸騰(3/14)
10話 20.4% 引きさかれた愛(3/7)  
9話 21.0% 命の値段(2/28)
8話 22.3% 弥太郎の涙(2/21)    
7話 20.2% 遥かなるヌーヨーカー(2/14)
6話 21.2% 松陰はどこだ?(2/7)  
5話 24.4% 黒船と剣(1/31)
4話 25.9% 江戸の鬼小町(1/24)   
3話 23.4% 偽手形の旅(1/17)
2話 22.9% 大器晩成?(1/10)
1話 23.2% 上士と下士(1/3)

龍馬ゆかりの品展 松山 「いろは丸」積み荷も

2010-10-14 00:01:00 | 展示会・イベント
 坂本龍馬ゆかりの品々を並べた企画展「いろは丸の帰郷 龍馬のうまれた世界」が、松山市上野町の県生涯学習センターで開かれている。幕末に龍馬が乗った蒸気船「いろは丸」の遺品や書簡など約60点を紹介している。11月3日まで。

 いろは丸は龍馬が率いた海援隊が使い、1867年に紀州藩の船と衝突して瀬戸内海に沈没した。企画展では積み荷の硯(すずり)や陶器製のドアノブ、ちょうつがいを展示。土佐勤王党を率いた武市半平太の描いた美人画も存在感を示している。

 見学した松山市の会社員、玉乃井計広さん(58)は、「ちょうつがいや水道の蛇口が、すでに幕末に使われていたんですね」と驚いていた。

 入場料は高校生以上200円、65歳以上と小・中学生が100円。月曜休館。問い合わせは同センター(089・963・2111)へ。

10/11 読売新聞


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伏見史跡探訪 好評でした

2010-10-13 17:00:00 | 活動報告
10月10日 13時からイベントはスタートしました。中書島駅には34名の参加者が・・・。
イベントに興味を持って参加された会員さんではない方も10名近く来られました。

まずは寺田屋へ行こうとしましたけっこう混んでいたと事務局長が判断し逃走ルートへ。
でもこの時の寺田屋はその後に比べるとすいていました。

講師の野村さんの説明を聞きながら、寺田屋から材木小屋、そして伏見薩摩藩邸までの逃走ルートを三吉慎蔵日記と龍馬の手紙を解説しながら歩きました。

慶応2年1月23日 深夜 とにかく寒く、龍馬は深手を負っていたので出血がはなはだしい状況での逃走という過酷な状況を少し汗ばむ陽気の中、想像しながら歩きました。

そして、伏見薩摩藩邸からはお龍が走ったルートを逆走しながら、松林院のお登勢墓、大黒寺の薩摩藩九烈士の墓と平田靱負墓(宝暦治水の責任者)を参りました。

そして寺田屋に15時に到着し、1時間の自由時間。寺田屋は想像以上に混雑していましたが、30分ほどで見学できたそうです。しかし、流れ作業的にじっくり見学することはできなかったようです。

数年前までは2Fで寝転ぶこともできたのに・・・

16時から十石船に乗船し、川から伏見の町を見学し、酒饅頭と麩饅頭を食べながらの船旅を少しだけ満喫しました。

17時にイベント終了。その後中書島駅前の魚民で二次会となり、おいしいお酒を飲みました。

天候にも恵まれた一日でした。

講師の野村さん、テキストを作ってくれた片岡さん、ありがとうございました。

そして参加された皆様、お疲れさまでした。


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