大阪龍馬会

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資料展:京都防衛、維新期の要衝の地探る 京都の大山崎・向日、大阪・高槻の3館で

2010-11-06 17:00:00 | 展示会・イベント
<おおさか発・プラスアルファ>

◇騒乱伝える高札・絵図など--28日まで

 京都府の大山崎町歴史資料館(075・952・6288)で、企画展「幕末・維新期の大山崎」が開かれている。坂本龍馬を描くNHK大河ドラマの影響で幕末ブームの今、「華々しくはないが、『地域』にとっての幕末維新を問う資料」(福島克彦学芸員)を集めた。

 天王山と男山の間に開く山崎地峡は現在、複数の川と鉄道、高速道路などが束になって通る。維新期までは京都防衛の要で、戦乱時にはしばしば布陣されたゆえに政局には敏感な土地柄だったという。19世紀に入り、アジア各地で植民地化を進める欧米列強への危機意識と幕府権威の低下によって、京都の朝廷の存在感が高まった。

 「真木和泉守保臣像」の真木は、尊皇攘夷(じょうい)派の志士。長州藩に合流して1864年の禁門の変(蛤(はまぐり)御門の変)で薩摩・会津藩と戦って敗れ、天王山で自害した。大山崎は敗残兵の掃討のため砲撃や放火によって寺社や町家の多くが燃えた。「会津藩高札」は避難した住民に帰郷を呼びかけるもので、一般的な駒札でなく縁側の板を利用したらしい。「早々立帰り、焼跡取片付農業ニ取懸り候様」などとある。明治に入って後も住居新設の「御願書」が出されており、被害の大きさが分かる。

 翌1865年、会津藩は大山崎のやや下流の淀川両岸に台場(砲台)を築いた。「楠葉村惣絵図」には、楠葉台場が見える。淀川を上る外国船を撃退する名目だったが、京―大坂街道を台場内に通しており、尊皇攘夷派の入京を阻む狙いだったようだ。このほか、鳥羽伏見の戦い、神仏分離と廃仏毀釈(きしゃく)、桂川・宇治川・木津川の合流地点の改修などにまつわる住民の側の資料を展示する。

 なお、「3館協力展」として、京都府向日市文化資料館(075・931・1182)では、「幕末・維新の乙訓(おとくに)をゆく」、大阪府高槻市立しろあと歴史館(072・673・3987)では「幕末 京都をめぐる雄藩と高槻」と題して特別展を開催中。要衝の地が受けた激動の波を、範囲を広げて学べる。いずれも28日まで。

11/4 毎日新聞


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