天使のエナジー

「すべてなるものの源」への、愛の告白

チョ・ソンモの歌声

2009-04-26 22:31:07 | Weblog
チョ・ソンモってご存知ですか?

「もちろん!」

びっくりマーク(!)つきでそう答えたくなった方、失礼しました。

ご存知ない方のために。

チョ・ソンモは、韓国の歌手(男性)で、ニックネームは「バラード
の王子」というのだそうです。

たしかに、バラードを多く歌っています。

そして、その声からして、バラードを歌ってほしい、そんな感じが
します。

写真は、そのチョ・ソンモのアルバム(カバー曲を集めた「Classic」)
の表紙です。

私の大好きなこのアルバム。これを夜、ときどき聴いています。

彼の声は、それはすごいエネルギーを持っていますね。きっと振動
数のかなり高いエネルギーでしょう。

いつか、彼の曲の一つ(「アシナヨ」、日本語で「ご存知ですか」とい
う意)を聴いたとき、それがはっきりわかったことがありました。

椅子に座った姿勢だったのですが、曲が流れだした途端、足のつま
先から体の上のほうへ、柔らかく突き上げてくるエネルギーの流れ
を感じたのです。

それが体を流れている間中、幸せな感覚で満たされたようになって、
もう少しで涙がこぼれそうになりました。(ともだちと一緒だったので、
恥ずかしくてこらえてしまいましたが。)

彼の声は、大天使ラファエルのような、ヒーリング・エネルギーなの
だと思います。

どうしようもなく疲れてしまったとき、チョ・ソンモの歌声に体を預けて
みたら……

きっと明日へと向かう活力が湧いてくる……

そんなふうに思えるかもしれません。

コメント (3)
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花と俳句でワクワク!

2009-04-23 23:15:18 | ブックレビュー
ブックレビュー:
『ラジオ深夜便 誕生日の花と
きょうの一句』
(月刊『ラジオ深夜便』編集部編、NHKサービスセンター)


非常勤教師としての私の仕事は、新学期の2週目に入りましたが、
この時期だと、まだまだ「地に足が着いた」状態とはいきません。

担当授業の教室の位置は間違えそうになるし、学生さんの名前と
顔はもちろん、まだ覚えられず……。

それに、授業で取り上げる話題も、クラス全体の雰囲気を見て変
えたりするので、それをあれこれ考えて、頭を悩ませたり……。

でも、そうやって考えて、ふっといいアイデアが浮かんだときは、
とてもうれしくなります。

今期はある女子短大の授業で、小さなことですが、一つ新しいこ
とをやってみることにしました。

それは、毎回、授業の始めに、ある二つの花と、そのそれぞれに
ちなんだ俳句を紹介するということ。

なぜ花と俳句なのか、もうお分かりですよね。そう、もちろん、写
真の本(『ラジオ深夜便 誕生日の花ときょうの一句』)と関係が
あるんです。

この本は、NHKラジオ(第一・FM)の番組、「ラジオ深夜便」の放
送内容をまとめたもので、番組独自に1年366日(2月29日生まれ
の方、ご安心を)のそれぞれの花・俳句を一つずつ選んで掲載
してあります。(図鑑のように美しい花の写真つき。)

この本は、ときどきこの番組を聴いている母が買って来たのを見
せてもらって、「わあ、これいいなー」と言っていたら、母が私に
も一冊、プレゼントしてくれたのでした。

ほんとにこれ、いいですね。見ているだけで楽しくなります。花の
写真もきれいだし、それにちなんだ俳句も味わい深いものです。
(花はもちろんその日あたりに見頃になるものが選んであり、俳
句はその花を直接詠んだものか、あるいはちょうどその時季にふ
さわしいものになっているんです。)

さて、そこでさっきの女子短大の話ですが、この授業では比較文
化に関する内容を扱うことになっていて、メインのテキストは別に
決まっています。

でも、そのテキスト、教師としては教育的価値があると思って選
んだのに、学生さんたちはいま一つ興味を感じてくれていないよ
うでした。(昨年度までのアンケートの結果です。)

もちろん、学生さんの興味を第一に教材選びをするわけにはいか
ないので、今期はテキストは変えず、授業の進め方などを工夫し
ようと考えていたのですが……。

そんなとき、さっきの花と俳句の本のことが頭に浮かんだのです。

そうだ、授業の始めに数分とって、花と俳句を一緒に鑑賞しよう!
そうして、ワクワク感を高めて授業に入れば、感性が研ぎ澄まさ
れて、テキストの捉え方も違ってくるはず。

そんなわけで、今週の授業からそれを始めたのですが、紹介す
る花と俳句二つずつはどうやって決めるかというと、

① 学生さんのうちの一人の誕生日
② 授業の当日

この二つということにしました。

なんといっても、自分の誕生日の花(あくまで番組独自で決めた
ものですが)と聞くと、たいていの女の子なら、「何なのか知りた
い」と思うでしょうし、今この時季にどんな花が咲いているかとい
う話題も心ひかれる感じがしそうです。

実際、第一回でお誕生日を聞かれた学生さんは、にっこりとして、
目をキラキラさせていました。

彼女の誕生日は2月25日で、その日の花は
カンヒザクラ(バラ科、花言葉:あでやか)
俳句はこんな句でした。

  鶯や障子あくれば東山 (夏目漱石)

解説:ウグイスの鳴き声に導かれて障子を開けると、京都如意ヶ岳
   から稲荷山に至る山々が見えた。京に訪れた春の息吹を鳥の
   鳴き声で知る。

もう一つ、授業の当日(4月20日)の花は
山吹(バラ科、花言葉:気品、待ちかねる)
俳句は

  山吹の一重の花の重なりぬ (高野素十)

解説:ヤマブキの花が重なり合って咲いている春の風景。「山吹の
   実のひとつだになきぞかなしき」に詠われるのは、実のならな
   い八重山吹。

解説に出ている歌は、平安時代の『後拾遺和歌集』にある兼明(か
ねあきら)親王の作ですが、これはご存知の通り、室町後期の武将、
太田道灌のいわゆる「山吹伝説」を生んだといわれる歌ですね。

遠出をして雨に降られ、農家で蓑を借りようとした道灌に、その家
の娘がそっと山吹の花を差し出すことで、蓑(「山吹の実の」の部分
にかけている)がないことを伝えようとしましたが、道灌はその意味
がわからなかったといいます。このことを恥じた道灌は、以後、歌道
に精進するようになったといわれています。

10世紀の兼明親王から15世紀の道灌、さらに20世紀の高野素十へ
と、千年の時を越えて、「山吹」という花をテーマとする情感のリレー
が繰り広げられたのです。

しかも、このリレーは当然、この三人のみが関わっていたのではなく、
道灌に山吹の花を差し出したあの農家の娘のような、名も知れない
多くの人々をも包み込んだ、壮大な「精神的空気」(ウィリアム・W・
アトキンソン、4月8日付当ブログ参照)を形成した、と言ってもいいの
ではないでしょうか。

俳句の紹介の後に、この「山吹」のリレーの話もつけ加えてみました。

学生さんたちの反応はといえば……先回の授業のときよりも心なし
か表情が生き生きしてきたようです。この調子、この調子!

花と俳句でワクワクして、目指せ好奇心全開!
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チャオチャオのお手柄

2009-04-19 14:41:07 | 動物
おととい、チャオチャオがめずらしくグッジョブ(いい仕事)を
してくれました。

何をしたかというと、あのおっかないムカデを発見したのです。

私の家の周りはわりと自然が豊かで、ときにはヘビやトカゲを
見かけることもあるのですが、桜も終わったちょうどこの時期は、
毎年ムカデが活動を始めるとき。

戸外で活動してくれる分には、こちらとしては何も言うことはあ
りませんが、困ってしまうのは、ときどき家の中へも出没するこ
とです。(私の家は古いスタイルの土間つきの建物で、ムカデ
にとって、縁の下などからの侵入経路の確保はいとも簡単らし
いのです。)

私はまだ幸い、刺されたことはありませんが、毎年決まってこ
の時期に、1~2回は室内でムカデを目撃します。

そして、今年もついに出没。それもすでに二匹も!

その二匹とも、私のいない間に出たので、母が対処したのです
が、二匹目を最初に見つけたのがチャオチャオだったというわけ
です。(チャオチャオが土間で何かをじっと見ていたので、何かと
思ったらムカデだったとか。)

よくやった、おかげで早く対処できた、と母はチャオチャオの
お手柄にご満悦。

確かに、チャオチャオが仕事らしいことをするなんて滅多にない
ことなので、私も感心して、いろいろ賛辞を並べてチャオチャオ
をほめちぎっておきました。

そして改めて思ったのですが、例えば犬だったら、飼い主を助
けて何かをする(番犬として防犯に一役買うとか、子どもの遊
び相手になるとか)なんてことはよくありますよね。

一方、猫は一般的に、飼い主の役に立つか立たないかなんて
知ったこっちゃない、と言わんばかりに、あくまでも自分本位で
す。

それでも、猫を飼うということは、そんなマイナス点など帳消し
にした上に、ずっと大きな幸せを与えてくれるものなんですね。

ただ、そこにいてくれるだけで、いい。

だから、今回、チャオチャオがムカデから私たちを守ってくれた
ことは、ほんのおまけのようなもの。

でも、この出来事が逆に、何事もない、普段のチャオチャオとの
暮らしの幸せを教えてくれたような気がするのです。

ありがとう、チャオチャオ。
これからも、一緒にいようね。(里親バカ、入ってます。)


*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


今回のムカデ事件、私たち家族にとっては「めでたし」でしたが、
相手のムカデ氏にしてみれば、一つしかない大切な命を落とす
結末となってしまいました。

ムカデ氏にしてみれば、なにも人間を驚かしてやろう、などと思
って我が家に侵入したわけではなく、たまたま好奇心旺盛な性
格(?)が災いして、「ここは何かな?」ぐらいの気持ちで縁の下
に迷い込んだだけのことだったでしょう。

それでも、悲しいかな、人間は恐れてしまうのです。その毒を。

だから、うちでは家の中でムカデを見つけたら、即、殺すというの
が習慣になっています。

そして今回も母はそうしたのですが、ムカデ氏にとっては気の毒
なことだったと改めて思いました。(ムカデさん、どうか許してね。)


刺されるのではないかという「恐れ」を持たないようにするという
のは、はっきり言って難しいことですよね。

ムカデの毒に限らず、この世界には人間に「恐れ」を抱かせるも
のがたくさんあります。

「引き寄せの法則」(当ブログ4月5日、8日付参照)によれば、何
かに対して「恐れ」を抱くと、かえってその恐れているもの、ことを
自分に引き寄せてしまうことになると考えられます。

「恐怖」の感情を抱くと、人のオーラは暗い灰色を帯びるとされま
すが、それはオーラの色の中では「好ましくない不快なグループ」
なのです。(ウィリアム・W・アトキンソン著、林 陽訳『引き寄せの
法則 オーラ篇』徳間書店、18, 68頁)

それでも、例えば、大地震が怖いと思うからこそ、家の耐震強度
を調べたり、非常用持ち出し袋を準備したりするわけです。

もし、「恐れ」というものを完全に手放したら、人間は生きていける
のでしょうか?

難しい問題ですね。
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新学期の教室にて

2009-04-16 23:49:32 | Weblog
この前の更新から、ちょっと日にちが空いてしまいました。

今、ちょうど新しい学期の始まりの時期で、世の中の教師
と呼ばれる人たちにとっては、1年でいちばん慌しいときな
のではないでしょうか。

非常勤講師の仕事をしている私の場合も、今週は2か所の
学校でそれぞれ授業が始まり、その準備や、新しい学生さ
んとの初対面のワクワク・ドキドキ感など、新鮮な喜びと緊
張感に満ちた数日間でした。

学生さんのほうも、新しいクラス、授業に慣れるまでの間は、
ちょっとひと頑張りが必要ですね。

そんなときにも、宇宙はすべての人を応援する頼もしい助っ
人を送ってくれている……そう信じたくなるような光景が、
私の目の前に広がったのです。

それは、火曜日(14日)の午後のこと。私は留学生のため
の日本語作文の初回の授業に臨んでいました。

この日は初日ということで、こちらが用意したテーマについ
て、自分の考えを作文に書いてもらう予定を組んでいまし
た。

学生さんたちが作文に集中している1時間ほどの間、教師
の私は立ってそれを見守っていたのですが……

ふと視線を上のほうへ向けると、学生さんたちの頭と、教室
の天井の中間あたりの位置に、あの「奇妙な球体」とそっく
りなものが見えるではありませんか!
〔「奇妙な球体」に関しては、当ブログの「プロローグ~見知
らぬ光の訪れ」(3)をご覧くださいね。〕

その球体は、私がいつも空で見ているのと、形や動きはうり
二つながら、大きさはずっと小さいようでした。(直径は30セ
ンチくらいといったところでしょうか。)

それはごくごくうっすらとした、色でいえば白かほとんど透明
の球体で、言葉で描写するのは難しいのですが、しいて言
えば少しだけミラーボールに似ているかもしれません。

さらにその内部では、さらに小さい無数の球体らしきものが、
すごい速さで止まることなく動き回っています。

そして、この「奇妙な球体」は、私が視線を移動させるのにつ
れて、瞬時にその位置を変えるのでした。

私にはまるでその球体が、一心に作文と取り組んでいる学
生さんたち一人ひとりを見守り、サポートしてくれているよう
な気がして、とても有難いという思いでいっぱいになったの
ですが……

その時、その球体の内部から、小さな小さな光の粒が一瞬
「ピカリ」と光るのがはっきり見えたのです!

まるで私に「わかっているよ」とでも言うように……。

まあ、この光が何の意味だったのかまでは、定かではあり
ませんが、それが見えた、ということだけは本当です。


こんな私個人の身の上に起こったことを、なぜわざわざここ
に書く必要があるのか、そう言われるかもしれません。

そう思いながらも敢えてこのことを書いたのは、この文章を
お読みのみなさんに、自分を守護してくれている霊的存在
(守護天使や守護霊、そのほか何でも)を意識してほしい、
何かを呼びかけてほしいという思いからです。

そしてこれは、私がこのブログを書いている最大の動機で
もあるのです。

宇宙はいつ、どんなときでもあなたの味方。
私はそう信じています。


*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


今日の写真は、ときどき紹介しているドリーン・バーチュー
さんのオラクルカード(エンジェルオラクルカードII)からの
一枚。

メッセージの内容は:

Celeste

“A happy move to a new home or place of employment
is in the works. This movement will usher in positive
new energy.”
「新しい家へ引っ越すか仕事が変わるのではないでしょ
うか。この変化は、あなたをポジティブで新しいエネルギ
ーへと導きます。」

春は変化の季節。変わることを恐れず、風のように軽やか
に、新しい自分との出会いを楽しみましょう!(ロージー)

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シンクロ報告~映画のタイトル

2009-04-11 23:54:35 | シンクロニシティー
あなたは自分の身の周りで起こるシンクロニシティーについて
興味がありますか?

私は最近、シンクロのことがとても気になっていて、常に「何か
面白いシンクロが起こらないかな~」と目を皿にしています。

すると、きのう(10日の金曜日)、「おっ、これは!」ということが
起こったのでご紹介しますね。

それは、仕事でやっている韓国語の授業のときにやって来ま
した。(私は以前、韓国で日本語教師をしていたことがあり、
その間に覚えた韓国語を、個人授業で教える仕事をしている
のです。)

さて、その金曜日の授業では、教科書にあるダイアログを勉
強したのですが、その内容が、恋人同士が映画を見に行く約
束をするというもので、その映画のタイトルが「宇宙戦争」でし
た。

ここで私は「エッ」と思いました。そうです、もう気づいた方もい
らっしゃるかと思いますが、同じ金曜日の夜9時、日本テレビ
系列で、まさにこの「宇宙戦争」が放映されたのです!

私が授業中(午後4時頃)の段階で「エッ」っと思ったのは、朝、
新聞のテレビ欄で、この「宇宙戦争」というタイトルをチラッと
見ていたからなのでした。

これって、結構すごいことだと思うんです。このシンクロが起こ
るためには、それこそ数え切れないくらいの偶然の一致がなけ
ればならないのですから。

たとえば、まずこの授業を受けている生徒さんと私が出会った
こと、そして今までの4年あまりの間、授業が続いていること、
数あるテキストの中から今使っているものを選んだこと、授業
の進行速度やお休みのこと、などなど……それに、膨大な数
の映画の中からただ一つが選ばれたこと……。

本当に、ほんの少し何かがずれていても実現しなかった出来
事ですよね。そう考えると気が遠くなりそうです。

でも、よく気をつけて見ていると、このようなことはきっと誰の日
常にも思いのほか頻繁に起こっていることなのではないか、と
いう気もします。

それはあるいは、宇宙からあなたへのメッセージなのかもしれ
ません。

それを受け取るかどうかは、あなた次第、ということになるので
しょう。


*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


シンクロニシティーを扱っているブログですごいと思うのが、
これです。

 「キラキラ☆ハッピーオーラの魔法」
 (ハッピーライフプロデューサー、星野裕子さんのブログ)
 http://ameblo.jp/tenshi-hitorigoto/

実は、このブログの10日付の内容に、同じ「宇宙戦争」の
ことが書かれています。これもなかなかのシンクロでしょ?

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「場」のオーラ~ベーカリーでの一件

2009-04-08 23:29:17 | Weblog
おとといの月曜日、仕事の前に軽食をとろうと、勤務先の近く
のベーカリー・ショップに入りました。

そこはいわゆるカフェテリア方式で、レジで会計を済ませてか
ら、注文したものを載せたトレーを自分で席まで運ぶようにな
っているお店です。

私は黒パンのサンドイッチを選び、飲み物は何にしよう、とち
ょっと迷いましたが、喉が乾いていたのでグレープフルーツ・
ジュースを注文。トレーを持って席のほうへ移動しました。

その日はショルダーバッグとトートバッグ、それに日傘を持っ
ていたので、トレーを傾けないように注意しながらそろそろ歩
いていたつもりだったのですが……

「ゴツン」という軽い音がしたかと思うと、トレーが斜めになり、
あれよあれよという間にサンドイッチが床に落下!グレープ
フルーツ・ジュースのグラスがトレーの上にひっくり返ってし
まっていました。

トレーはもちろん、床もびしょぬれ。着ていたコートもびしょび
しょ!

その一瞬、周りの空気が変化したのがわかりました。そう、
何かのアクシデントを目撃した瞬間、誰もが「固まる」、あの
感じです。

私は濡れた床を何とかするために、急いで店員さんを呼びに
行き、店員さんはすぐに床を雑巾で拭いてくれました。

自分の不注意でこんな迷惑をと、穴にでも入りたい気持ちで
立っていると、何だか周りの空気がさっきとは違って和やか
なのです。

何となく温かい、というか、柔らかいというか、そんな雰囲気
でした。

私の座ろうとした席のすぐそばに、60代くらいの女性ばかり
5~6人のグループのお客さんがいたのですが、彼女たちが
中心になって、この和やかな雰囲気はつくり出されているよ
うでした。

そのグループの中の一人が私に向かって、ジュースをこぼ
してしまうのも無理はない、というような言葉をかけてくれま
した。それはお店のつくりに問題があるからだというのです。

その人が言っていた問題というのは、席と席の間仕切りの
ことだったのです。そういえば、よく見ると、テーブルとテー
ブルを仕切っている板が、透明で模様も何もない素材でで
きていて、その高さがちょうど、トレーを持ったときの高さと
同じくらいではありませんか。

なるほど。きっと私もこの間仕切りをよけそこねて、トレーを
ひっかけてしまったのだ、と思われました。(しかも、私の少
し前に来た人も、同じような粗相をしたらしいのです。)

床そうじをしているお店の人に、「この間仕切りは見えない
からどうにかしたほうがいい」とアドバイスしているお客さん
もいました。

さらに、別の女性が、私がてんやわんやの最中に床に落と
したお気に入りのブレスレットを拾い、そっと手渡してくれま
した。

そうして、失敗して惨めな心境の私から見ると、まるで頼も
しい共同体のような場の空気がすっかり出来上がっていて、
おかげで私はずいぶん救われた思いがしました。

実際、こういう類の話は、日常の中にあふれていて、誰もが
よく経験することではないでしょうか。

ただ、この出来事も、オーラということに注目してみると、今
までなかなか気付かれなかった新しい見方ができるかもし
れません。

つまり、多くの人が感じる「場」の空気とか、雰囲気とかいう
ものは、その場にいる人々のオーラがつくり出しているという
考え方です。

あるいは私たちは、日々自分では気付かないうちに、周りの
人々がその感情につれて刻々と変化させているオーラを感じ
取っているのではないかと思われるのです。

『引き寄せの法則 オーラ篇』(4月5日付ブログ参照)の著者、
アトキンソンも、場所というものには明らかな「精神的空気」
が存在すると述べていますが、その原因はもちろん、人の発
する念の微粒子であり、商店にもその店独特の「精神的空気」
があると彼はいいます。

そう考えると、私がジュースをこぼしたそのお店の「精神的空気」
は相当に快いものだったと言っていいでしょう。濡れた床を嫌な顔
もせず拭いてくれる店員さんの態度、こぼしたジュースのおかわり
を差し出してくれたときの店員さんの笑顔……。

そして、そんなお店の魅力にひかれてやって来るお客さんたちの
発するオーラこそが、何よりの決め手になっているのは間違いな
さそうです。


*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


私の住んでいる地域では、今がまさにソメイヨシノの満開です。
みなさんのお住まいの近くは、いかがですか?

今日の写真は、ソメイヨシノでは多分ないと思いますが、桜の
仲間でしょうか。花の名前もわからず、どこで撮ったのかも、
もう忘れてしまいました。

でも、桜と同じバラ科の花であることは確かです。これだけは
自信があるんです。(何の自慢にもなりませんが……。)

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心とオーラの関係

2009-04-05 18:03:15 | ブックレビュー
ブックレビュー:
『引き寄せの法則 オーラ篇
 思いを物質化するオーラ・パワーの実践的活用法』
(ウィリアム・W・アトキンソン著、林 陽訳、徳間書店)

「引き寄せの法則」という言葉、最近巷でけっこう話題に
なっているんですね。(gooウェブ検索にかけたら、約15
万4千件ヒットしました。)

この本の著者、アトキンソンですが、映画「ザ・シークレッ
ト」(2006年、アメリカ)の中で、「引き寄せの法則」の創
始者として紹介されているのをご存知の方もあることで
しょう。

日本語版DVDも発売されているこの映画、私はまだ見て
いないのですが、最近シンクロニシティーということが気
になっていて、それと関係のありそうな『引き寄せの法則』
というタイトルに惹かれて、この本を買ってみたのです。

そうしたら、なんと意外にも、この本の内容が、自分にとっ
て今最も関心度の高い別の問題へとつながっていることが
わかりました。

それは一言でいえば、「心」すなわち「念」とオーラの関係。

実は、この本、『引き寄せの法則』(徳間書店版)には、「奥
義篇」と「実効篇」というのもあるのですが、今回私が書店
でたまたま見つけたのは「オーラ篇」だったのです。

さて、この「オーラ篇」の中でアトキンソンは、オーラのこと
を、生きている人の体を包む「精妙なエーテル光」(同書、
31頁)であると述べており、それは、微細な原物質から構
成されているとしています。

そして、人が何かを思うと、その「念」によってオーラの原
物質の微粒子が振動し、大脳からあらゆる方向へ飛び出
して、それに触れる人に影響を及ぼすというのです。

ここで言及されるのは、この本の書名にもなっている「引き
寄せの法則」です。すなわちそれは……

「念は同じ振動数をもつ心に引き寄せられ、反対の性質を
もつ心にはじき返される」(同書、20頁)

というものです。(まさに、「類は友を呼ぶ」わけですね。)

ということは、何か叶えたい願いがあるなら、その対象に合
った振動数が起こるように念じる必要があるということです
ね。(例えば、その願いが叶った場面をイメージするとか。)

それから、気をつけるべきなのが、起こってほしくない何か
を心配することは、かえってそれを引き寄せてしまう事態を
招くことになる、ということです。

これらのことは、最近、シンクロニシティーをテーマにした
本の類で、しばしば指摘されていますよね。

ところで、この「引き寄せの法則」に関して今回私が考えた
のは、先日このブログで取り上げた「祈り」の持つ力はまさ
にこの法則そのままではないか、ということです。

つまり、あなたが誰かの病気の回復を祈ることによって、癒
しの振動数をもつ念の微粒子が祈りの相手のもとへと飛ん
で行き、回復を助けることになる…。

夢のような話ですが、可能性がないとは言い切れません。
(実際、祈りに関心を持つ科学者は少なくないようです。今
後、臨床研究によって、祈りの効力に光が当てられること
を期待したいですね。)

さらに、アトキンソンは、心が振動して念を生み出すとき、
その振動数の違いから、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫とい
った色が出ると述べています。

これらの色は肉眼では見えないけれども「幽眼」に映じると
しており、この「幽眼」はいわゆるサードアイを指すと思われ
ます。

ここでまた一つ、私の疑問が起こりました。それは、私が目
を閉じたときに見えるいくつかの色の光、少なくともその一
部はこのアトキンソンのいう、念の振動が生み出した色、す
なわちオーラの色ではないか、ということです。

例えば、このブログのタイトルの下にも書いた「バラ色と緑の
光」や、朝の祈りのときに見える「青白いガスの炎のような、
ほのかな光」、そして、夜の祈りの時間に現れる「青紫と緑
の光」……。

私は今まで、これらの光は、すべて私の守護天使の光かと
思っていたのですが、少なくともその一部は自分のオーラの
色であるかもしれない、という考えに至ったのです。

私のこの疑問を解明する手立てはいずこにあるのでしょうか。

どうか、その答えにたどり着けますように!


*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


アトキンソン著の同タイトルの本は、下記のものも出版されて
います。(私は未読のため、内容の詳細はわかりません。悪
しからず。)

ウィリアム・W・アトキンソン著、林 陽訳
『引き寄せの法則 すべての願いが現実になる』(ベストセラ
ーズ)
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チャオチャオの寝物語

2009-04-01 23:50:09 | 動物
このところ、チャオチャオをあまり構ってやっていません
でした。

可愛そうに、室内猫のチャオチャオは、娯楽らしい娯楽
がないのです。

今夜も、さも「つまんな~い」と言いたげな顔で、いつも
ベッドにしている籐椅子に寝そべっていました。

そこで、何とかご機嫌を直してもらおうと、本を読んであ
げることにしました。

猫に本を読んでやる、なんていうと笑われてしまいそう
ですが…。

今日選んだのは、平出隆『ウィリアム・ブレイクのバット』
(幻戯書房)。

詩人であり熱狂的野球愛好家でもある著者の、新聞・雑
誌に寄稿したエッセイを集めたものですが、中身といい装
丁といい、とにかく本屋さんで手に取って一目ぼれするほ
どニクイ一冊です。

その中に、著者がかつてアムステルダムに滞在したとき、
定宿としたある安宿で出会った一匹の猫の話がありまし
た。

Beltaという名のその猫はすぐに著者と親密になるのです
が、不思議なことに著者の旅程を察知して、旅立ちの前
夜には、まるで別れを惜しむように著者のベッドで一夜を
明かすのでした。

この、Beltaの登場する場面を選んで朗読すると、チャオ
チャオは椅子の上でこちらをじっと見つめ、自分のため
に何かしてもらっていることに満足だといいたげな視線
を私に送ると、目を閉じてリラックスした姿勢をとりまし
た。(ちょうど上の写真のような感じで。)

そのときのチャオチャオのまなざしは、確かに「構っても
らっている」ことへの感謝の色が表れているのだと感じ
られたのです。

朗読の後、チャオチャオは満ち足りた様子で、そのまま
すやすやと寝入ってしまいました。

おやすみ、チャオチャオ。また明日ね。
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