天使のエナジー

「すべてなるものの源」への、愛の告白

バンクーバー五輪に思う

2010-02-28 21:12:24 | スポーツ
バンクーバーオリンピックも、もうフィナーレを迎えましたね。

前回のトリノ五輪が終わってからの4年間、ずっと楽しみにしてき
たこの大会。

何だか、あっという間に過ぎてしまいました。

でも、これ以上続いたら、興奮と寝不足で体がもたないから、これ
でいいのだ、と自分に言い聞かせています。



後半戦も、いろいろなことがありましたが、やはり一番ドキドキして
観たのはフィギュアスケート女子シングルでした。

日本の代表選手は三人とも愛知県出身ですが、私は仕事の拠点
が名古屋にあるので、自然と親近感が湧いてしまいます。

今回はその全員が8位以内という、いい成績を残しましたね。

浅田選手は銀メダルを獲得。

本当は、金メダルが欲しかったでしょう。

でもね。

銀メダルは、金メダルにはないパワーを秘めているといってもいい。

そう私は思います。

だって、金をとってしまったら、もう先がないではありませんか。

まだ19才の身で、これからのスケート人生で目指す大きな目標が
なくなってしまうのですから。

トリプルアクセルに3回成功した成果を讃え、しかも未来へ向かう
モチベーションを奪い去ることもない。

そういう意味では、銀メダルは、今の浅田選手に神様がくれた最高
のプレゼントなのではないか、そう思います。



さて、今回のオリンピックをテレビ観戦するにあたり、競技を見る際の
自分の心理について、客観的にみつめてみようと思っていました。

どういう点に注意したかったのかというと、国家という概念にどのくら
いとらわれているか、ということです。

そもそもオリンピックというイベント自体、国家を代表する選手同士の
競い合いなのですから、国という垣根をまったく取り払ってしまうこと
など、できるはずはありません。

それでも、どこの代表選手であろうと関係なく、これはすばらしい、と
感じられるパフォーマンスは必ずあるはず。

自分はそれをどれだけ見つけられるか。

そのことに興味があったのです。

それで、結果はどうだったかというと……

ちょっとほろ苦い思いが残りました。

好きなフィギュアスケートでも、日本選手の出来が一番気になったし、
金メダルのキム・ヨナ選手の演技は、素晴らしいとは思っても、正直
言って何度も見たくない気がしたのです。

それに、深夜や明け方にテレビの前に座るのは、やっぱり日本選手
の活躍を期待する気持ちがあるからだ、と感じたのでした。

国と国との境界というのは、第三密度的な信念であり、私たちがい
つかは手放すべき「とらわれ」であるはずです。(第三密度とは、現
在、私たち地球に生きる人間が位置する次元のことです。)

その「とらわれ」は、私たちすべての魂がもともと一つなのであり、分
断されているものではない、ということを忘れさせてしまっています。

そんな信念を、今すぐに手放すことは無理でも、それをシュミレーショ
ンとしてやってみたかったのですが……。

国境にとらわれない境地など、自分にとってはまだまだはるか遠くに
かすんでる……そう思えました。

ところが、オリンピックもフィナーレに近づいて、わずかな希望を抱か
せてくれるような、そんなシーンを目にしたのです。

それは、カーリング女子の決勝戦、スウェーデン対カナダの試合でし
た。

延長の11エンドまでもつれた息詰まるような接戦を、NHKが生中継
していたのですが、解説者の小林宏さん(長野五輪のカーリングの
競技委員長だったそうです)が、すごかった。

両チームの繰り出すスーパーショットに、胸が揺り動かされるような
コメントが次々と飛び出していました。

その興奮ぶりには、そばで中継している外国のテレビの放送席の人
たちが、「日本に関係ない試合なのに」と驚いていたほどだったとか。

日本のクリスタルジャパンは今大会、惜しくもトーナメントには上がれ
ませんでしたね。

でも、小林さんにとって今回の決勝戦は、カーリングの醍醐味を思う
存分味わわせてもらっている、その瞬間瞬間に心を奪われていた、
そんな時間だったのだと思います。

いいものを見せてもらいました。

こんな感動もあるんだ、第三密度も捨てたもんじゃない。

そんな思いが湧いてきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖なるオフ・シーズン

2010-02-21 20:53:32 | スポーツ
バンクーバーオリンピックもたけなわですね。

スポーツ観戦大好きの私にとっては、待ちに待った日々。

特にフィギュアスケート男子シングルは、これまでの競技の中
で一番注目して観ていました。

4回転ジャンプを入れながら今回は2位となったプルシェンコ
選手と、4回転は飛ばずに完成度で勝負し金メダルを獲得した
ライサチェック選手。

この二人の対決はまさに、自身のフィギュアスケート哲学のぶ
つかり合いでもあったわけで、そういう意味でも興味深い戦い
だったと思います。

個人的に印象深かったのが、ジョニー・ウィアー選手のフリー
プログラム。

音楽が映画「シティ・オブ・エンジェル」の曲(Fallen Angel)
で、衣装も天使の羽をかたどったものでした。

彼にしかできない美しい身のこなしで、ジャンプもほぼ完璧。
すばらしい出来で、本人も感激の表情でした。

残念ながら得点はあまり伸びず、会場からはブーイングも起こ
っていたようですが、ウィアー選手は興奮するお客さんをなだ
めるようなしぐさを見せていました。

そこがまたすばらしかった。


日本選手も健闘しましたね。

高橋大輔選手の銅メダルに、織田選手7位、小塚選手8位とい
う結果は、もし国別の団体戦があったら、文句なしに金メダル。

日本の男子フィギュア界にとっては歴史的な大会となりました。

このことについては、ほんとうに事がうまく運んだ、そんな気が
します。

というのも、日本のトップの二人、つまり高橋・織田の両選手が
ちゃんと顔をそろえたのは、実に3シーズンぶりのことだからで
す。

フィギュア・ファンの方ならよくご存知の通り、高橋選手は右膝
の負傷のため、昨シーズン(2008~2009)は一度も試合に出場
していません。

また、織田選手はその前のシーズン(2007~2008)、酒気帯び
運転による出場停止処分を受けて、全試合を欠場しているの
です。

もし、この二人のブランクが同じシーズンだったとしたら……?

オリンピックの国別出場枠は、その直前のシーズンの世界選手
権で決まることになっています。

つまり、2009年3月の世界選手権での成績が重要だったわけで
すが、日本勢は小塚選手が6位、そして織田選手が7位となり、
結果としてバンクーバー五輪の男子シングル枠3を獲得しました。

でも、もし、この大会を織田選手が欠場していたら……

バンクーバー五輪に今回の三人がそろって出ることはできなかっ
た可能性が大きいのです。

さらに、高橋選手も織田選手も、大切な一つのシーズンのすべて
の試合を欠場するという試練を克服し、一回り大きくなって帰って
きてくれましたね。

私には、この二人の欠場したシーズンが、あらかじめ二人の今生
のために計画されていたことだった、そんな気がします。

それは、乗り越えるべき人生の課題として、天から二人に与えら
れた「聖なるオフ・シーズン」だったのではないでしょうか。

そして、宇宙の采配によって、その時期が重ならないように調整さ
れていたのだとしたら、何と絶妙な計画でしょうか。

こんなふうに、好き勝手に想像をふくらませて観ていると、一つの
競技が、はるかにドラマティックに見えてきます。


オリンピックも、はや後半戦。

残り半分にはどんなドラマが待っているのか、今から楽しみです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天使が見えるということ

2010-02-13 22:50:59 | ブックレビュー
ブックレビュー:
『エンジェル・イン・マイ・ヘア 天使はいつも あなたのそばに』
(ローナ・バーン著、壁谷さくら訳、ハート出版)

天使というのは、本来は肉体を持たない、エネルギー体だといわれ
ていますよね。

でも、人間の体をして、背中に翼をつけた姿を見たという話も、しば
しば耳にします。

この本の著者、ローナ・バーンさんは、幼い頃から天使のそういう姿
を見ることができたといいます。

自分の守護天使から、大天使ミカエル、天使エリヤ、エリシャ……そ
のほかさまざまな天使たちが、代わる代わる彼女の前に姿を現して
きたのだそうです。

子どものとき、そうした天使たちと遊んだり、おしゃべりしているロ
ーナを見て、母親は、彼女が「いつも自分だけの世界にいるようだ」
と感じていたようです。

そのことが誤解を与える原因となってしまったのでしょうか。二歳の
とき彼女は医師から、知的障害を持つと診断され、それがもとでいろ
いろと差別的な仕打ちを受けることになり……

彼女の心は深く傷ついたのでした。

けれども、そんな辛い思いを抱えながらも、彼女は天使を受け容れ、
天使とともに生きることを選んだのです。

それは、魂の癒しを求める人々に、天使の存在を知らせること、それ
を自分の使命だと信じているからでした。

そう信じるからこそ、通常、人間にはわからないはずの人の死期が予
期できてしまったりしても、それを知ったことの「重さ」に耐える勇気が
持てるのでしょう。

そして、天使たちの求める通り、死を迎えた魂を見守り、それが浄化
されるための手助けをしてきたのです。

そんな重要な役目を担っているからこそ、彼女には天使が見えるので
しょうね。

それにしても、ローナさんの描く天使たちの姿の、なんと美しいこと!

ある日、「癒しの天使の祈り」を伝えるためにやって来たミカエルの姿
を、彼女はこう描写しています。


 金色の冠、金と黒のベルトを身につけ、白と金のゆったりとひだの寄
ったローブは膝の上まで垂れています。そして手には巻物。肩までの
髪は、そよ風に吹かれているかのようになびいています。
 革の編み上げサンダルが脚を覆い、両くるぶしには金色の十字架が
揺れています。サファイアブルーの目はキラキラ輝き、顔には天上の
微笑を浮かべています。ミカエルは信じられないほど明るい光を放って
いました。(本書、280頁)


もしこんな姿の天使が目の前に現れたら……卒倒してしまいそう。

ミカエル一人でも並々ならぬエネルギーを感じさせますが、莫大な数
の天使たちが高い空から下降してくる場面を描いた最終章は、まさに
荘厳な空気に満ちています。

最愛の夫を亡くしたばかりのローナのために、美しい、白と金に彩られ
た天使たちの群れが姿を現したのです。

彼ら(彼女ら?)がローナにくれたプレゼントとは……?

この答えは、ぜひご自分で確かめてみてくださいね。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バラ色の残像

2010-02-06 23:44:16 | 太陽
きのうの午後は、二人の生徒さんのお宅で授業をしました。

お二方のお宅の間は徒歩10分足らずなので、いつも一つ目の授業
が終わった後、歩いて次のお宅へ向かいます。

きのうも、一つ目が無事にすんで、ちょっとホッとしながら外に出ると、
太陽が真正面にあるのが目に入りました。

目指すお宅がちょうど西の方角にあるので、そのまましばらく太陽を
見ながらとぼとぼと歩いていたのですが……

ふつうの状態と、ちょっと違います。

太陽の周りで、何かがグルグルと回っているように見えるではありま
せんか。

うーん、これはいったい……?

あのグルグル回っているものは、いったい何なのでしょう。

残念ながらその正体はわかりませんが、私はときどき、これと同じ
状態の太陽を見ることがあります。

以前、一度ブログにも取り上げたことがありますが。(2009年1月
23日付をご覧ください。)

その時にも書きましたが、私が見たところでは、太陽に、何らかの
すごいパワーを持つエネルギーがオーバーラップしているようなの
です。

そして、そんなときは、太陽の周囲がバラ色や緑色を帯びているこ
ともあります。

さらに……

その太陽を一瞬、凝視した後、視線をそらすと、太陽の残像が空に
映るのですが、その残像が……

バラ色に変わるのです!

きのうは、そのバラ色がとてもきれいで、キュートで、一人で感激
してしまいました。(すみません、一人よがりな話で……。)

できることなら、ブログを読んでくださっている皆さんにも見ていた
だきたいのですが、おそらく写真には写らないでしょう。

バラ色のイメージのヒントになるかと思い、以前作ったエネルギー
体のアートの写真を載せてみましたが、やっぱりちょっと違います。
(私が目にする残像は、真ん中までバラ色だし、色合いももう少し
柔らかい色調なんです。)

でも、バラ色の残像が見えるのは、本当なんです。

そんなもの見えるはずがない、と思われる方もいるでしょう。その
気持ちもわかります。

ただ……

今、見えていないもの = 存在しないもの ではありません。

その逆に……

今、自分に見えていない存在が、はかりしれないほどあるのだ。

そういう確信が、今の私にはあります。

そして、そのことこそが、「見えるはずのないもの」が見えるよう
になった、最大の収穫だと思っています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする