天使のエナジー

「すべてなるものの源」への、愛の告白

ガンに「ありがとう」(14)

2013-04-20 21:11:09 | ガンに「ありがとう」
C病院での手術によって大腸ガンの治療を終えた私
は、すぐに元の大学院生の生活に戻りました。

入院中に体験したあの、エネルギーが完璧な状態の
感覚は、驚きと強いインパクトをもたらしはしましたが、
ガンに別れを告げた時点では、その目に見えない世
界にそれ以上踏み込むことはありませんでした。

それはなぜかといえば、その時点ではまだ、宇宙の
エネルギーを受け取ることを、宗教と切り離して考え
ることができなかったからだと思います。

(当時は、気功というものがあることは知っていまし
たが、その他のレイキなど、宗教とは無関係のエネ
ルギーワークのことは、全く知らない状態でした。)

だから、手かざしのあの宗教に入信しないことを決
めた以上、エネルギーという見えない世界のことは、
頭から拭い去ってしまわなければならないような、
そんな気持ちになったのでしょう。

その代わりに、中断していた学生生活を再開し、専
攻分野の研究を続けるため、大学院の後期課程に
進むことにしたのです。

そして、その後は、一時休学して韓国で日本語教師
をしたり、また復学して論文を書いたりする日々を、
5年以上に亘って送ることになりました。

ただ、その間に、それ以前は全くなかった体の変調
が起き、それをきっかけに、またエネルギーのことに
目を向けざるを得なくなるのです。

その変調とは……

原因不明の慢性的な疲労・倦怠感
睡眠障害(眠りが浅くなり、悪夢にうなされる)
ひどい乗り物酔い
腸内異常発酵(ガスの発生)

などでした。

韓国に赴任中は、ものの十数分バスに乗るだけで
も気分が悪くなることが度々あり、出かけるのにと
ても不便な思いをしました。

帰国してから、大事な論文を書いている時期は、
引き続き乗り物酔いに加え、特別な理由がないの
にいつも疲れた感じがして体がだるく、ほんの少し
書いては横になって休む、といった状態でした。

それに加え、(恥ずかしい話ですが)おならがいっ
ぱい出て、腸内でいわゆる悪玉菌が異常に増え
ているのがわかりました。

なぜこんなことになったのか、しばらくは全くわか
らないまま、ずるずると過ごしていたのですが、
あるきっかけから、原因はこれだ、と直感したの
です。

それは、「ジオパシック・ストレス」というものでし
た。

これは、簡単に言えば、地下にある水脈や断層、
近隣の高圧電線などから発せられるエネルギー
が、健康被害の原因になるという現象です。

(これが原因ではと気づいたのは、フジテレビの
「奇跡体験!アンビリバボー」の中で「ジオパシ
ック・ストレス」が紹介されているのを見たからで
した。「ジオパシック・ストレス」については、この
ブログの同名のカテゴリーに記事がありますの
で、よろしければご覧ください。)

そういえば、帰国後、一連の症状が出始めたの
は、一人暮らしをしていた弟が仕事の関係で実
家に戻って来たため、寝室を別の部屋に変えた
後、しばらくしてからだったのです。

つまり、新たに寝室にした部屋の地下で、有害
なエネルギーが発生し、その影響を受けて体調
を崩したのだと推測できました。

(調べたところ、自宅で昔使っていた古井戸の水
脈が地下を走っている可能性があることがわか
りました。韓国でも、有害エネルギーの発生源に
なる何かが寝室の近くにあったのでしょう。)

原因がわかれば、あとは対処法を見つけるのみ。
私はインターネットで「ジオパシック・ストレス」の
解消法を探しに探しました。

その過程で、目に見えないエネルギーが人体に
いかに大きな影響を及ぼすか、改めて思い知ら
されました。(有害な周波数のエネルギーは、ガ
ンなどの重病の原因になる場合もあるようです。)


そして、エネルギーの周波数の違いによって、私
が手かざしによって体感したようなポジティブな反
応が起こったり、「ジオパシック・ストレス」のような
ネガティブな症状が発生したりする……

そのことが理解できたのです。

ガンに続いてまたも、一見ありがたくない「ジオパ
シック・ストレス」という現象のおかげで、とても重
要なことを学んだのでした。

ネットの検索から、「ジオパシック・ストレス」の対
処法もさまざまなものがあることがわかり、それ
を参考に、寝室を元へ戻し、有害な波動のエネ
ルギーを防ぐ機器を使い始めたところ、体調不
良がうそのように解消されてしまいました。

さらに、「ジオパシック・ストレス」をきっかけにク
リスタル・ヒーリングにも関心を持ち始めた私は、
マーガレット・ヴァンクープスさん考案の「クリス
タル・アキュパンクチャー/テラグラム・セラピー」
で、花粉症の症状が抑えられることを確かめまし
た。
(詳しくは当ブログの「花粉症」のカテゴリーをご覧
ください。)

そして、私にとって記念すべき2008年の7月、クリ
スタルの助けを借りて、それまで見えなかった青
紫・緑色の光や、「奇妙なエネルギーの球体」
(「globe of consciousness」とも呼ばれる)が、見える
ようになったのです。

この時のことは、このブログの始めに、「プロロー
グ~見知らぬ光の訪れ」というタイトルで書いてあ
ります。


もう一度、私のこれまでのエネルギーに関する気
づきの経緯を振り返ると、

大腸ガン(宇宙エネルギーを体感)(1998年)

ジオパシック・ストレス(2000~2007年、断続的に)

クリスタル・ヒーリング(2008年~)

この三つの体験が、大きな契機になっていることが
わかります。

これらはすべて、知識として左脳的に理解する要素
もありますが、それ以上に重要な要素は、実際に自
分の体でエネルギーを体感したということだと思いま
す。

ガンで入院中に、手かざしのエネルギーを体感した
時の感動についても書きましたが、花粉症に対処し
ようとクリスタル・ヒーリングのセルフ・ケアをした時
も、素晴らしい体験をしました。

その時、降りてきたエネルギーの本質は「愛」だと、
そう確信したのです。

そのわけを言葉で説明することはできないけれど……

ただ、ただ、そう感じたのです。
(ただしその「愛」は、人間の情としてのそれではな
く、宇宙的な意味での「愛」というべきものですが…
…。)


以上のような道筋を通って、目に見えないエネルギ
ーの領域に踏み込んだ私は、その後、自然とスピリ
チュアルな世界に意識をシフトしていきます。

その過程で、自分という存在の本質が、永遠に続く
「意識」そのものであると気づく、認識の大きな転換
が起こりました。

その認識の変化に伴い、肉体とライト・ボディ(肉体
の周りにある非物質的な身体)のエネルギーも、大
きく変化したと感じています。

そして、その変化の始まりは、あのガン体験にあっ
たと言っていいでしょう。


最後に、私を今ここへ導いてくれた愛すべきガンに、
このシリーズのタイトルと同じ一言を、感謝を込めて
贈りたいと思います。

「ありがとう!」


(このシリーズは今回で終ります。ここまで辛抱強く
お付き合いくださって、本当にありがとうございまし
た!)

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ガンに「ありがとう」(13)

2013-04-13 16:15:35 | ガンに「ありがとう」
B病院に入院中に私が体験したあの、体に気が
満ちて、エネルギーが完璧な状態。

あれを私にもたらしてくれたルネさん、セドさん
とは、それ以来会う機会がありませんでした。

今でも、二人のおかげで貴重な体験をさせても
らったことに対しては、感謝の気持ちを忘れて
はいませんが……

今後、二人の所属する、あの宗教団体と関わり
を持つことはないと思います。

その理由は、彼らとは根本的な考え方において、
大きな違いがあるからです。

入院中に二人から入信を勧められた時、顕在意
識のレベルではまだ、そのことがわかっていませ
んでした。

でも、心にひっかかりというか、抵抗感のようなも
のを感じたことは確かに覚えていて、それはつま
り……

自分の中の「ワンネス」につながる部分では、そ
の違いがはっきりとわかっていたことの証なのだ
と思います。

その違いというのは……

例えば、彼らは、病気を治すエネルギーを受け
取るために、自分たちの宗教の信者になること
を勧めてきました。

でも、そうしなくても、エネルギーを受け取ること
はできるのです。

望みさえすれば、誰でも、いつでも、無制限に。

宇宙とは、そういうところだから。

事実、信者でない私でも、セドさんの手かざし
でエネルギーを受け取ることができました。

今は自分で毎晩エネルギー(「光の柱」)を降
ろしていますが、エネルギーを求めて、降りて
来なかったことは、これまで一度もありません。

(「光の柱」については、2013.2.26付でこのブ
ログに書いています。よろしかったら合わせ
てご覧ください。)

だから、特定の宗教の信者でなければ、とい
う条件付けは、この場合、意味がないといえ
ます。

さらに、信者になるということは、何を信じるか
ということについて、制限を受けることでもあり
ます。

当然、その宗教の崇拝の対象を信仰しなけれ
ばならないわけですが……

本来、信仰というものは一人ひとりでしか成し
得ないものだと思います。

だから、信者同士で同じ信仰を持ち続けるの
は土台無理なことなのです。
(村上春樹の『1Q84』のヒロイン、青豆が子供
時代に経験した苦悩は、ここに起因しています
ね。)

もっと極端なことを言えば、自分という、まとま
りがあるように見える存在も、実は一瞬と一瞬
の間の連続性はありません。

一瞬一瞬、変化していくのが当たり前で、何を
信じるかも、当然、刻々と変わっていきます。
(セドさんの手かざしの翌朝の私が、まさにそ
うでした。)

その変化は到底、規制することなどできない、
宇宙の根本的な性質であるはずです。

そこにたがを嵌めようとする宗教は、束縛や
抑圧、迫害の危険を常に抱えざるを得ませ
ん。

ここまで宗教のネガティブな可能性を書き連
ねてしまうと、それは「批判」なのではと言わ
れてしまいそうですね。

そう言われても仕方がないかもしれませんが
……

私は、宗教というもの一般も、ルネさん、セド
さんの信仰している特定の宗教も、決して妨
害したいわけではありません。

宇宙の中では、存在を許されているのだし、も
し必要だと思うなら、それを選択する自由も保
証されるべきです。

でも……

それを選択しない、という道もある。

そのことに気づく、きっかけにしてもらえれば、
そう思っているだけです。


今、ルネさん、セドさんがどうしているか、知る
すべはありませんが……

ここまで書いてきたことを考える機会を与えて
くれた二人に、もう一度、感謝を表したいと思
います。

ありがとう!


最後にもう一回だけ、ガン完治後の私のエネ
ルギーに関わる変化について、書いてみたい
と思います。


(あと一回で終わります。)
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ガンに「ありがとう」(12)

2013-04-07 10:31:25 | ガンに「ありがとう」
さて、ここから、視点は今という瞬間の私に転換しま
す。

そして、前回までに書いたガン治療の体験を、その
視点で見つめなおしてみたいと思います。

その際の基本姿勢は、極力、「批判」しないこと。

そのわけは、宇宙では存在するものすべてが「ある
がまま」の状態を許され、受け容れられているから
です。

つまり、何事も、宇宙的な見方をすれば、「~でな
ければならない」ということは、一切ないのです。

それと同時に、あらゆる選択の自由が保証されて
いるともいえます。

それならば、ガン治療の過程で私がもし異なる選
択をしていたなら、どんなことが起きていたのか、
そう想像してみることは……

それは「批判」とは別のことでしょう。

そういう基本姿勢で、話を進めることにします。


まず、そもそも、ガン手術をしなくて済んだ道も
あったはずです。

すなわち、ガンと診断される9年前に、大腸ポリ
ープを内視鏡で切除した時、担当の医師から
受けたアドバイスを聞いて、きちんと定期検診
をしていれば……

開腹手術が必要なほど腫瘍が大きくなる前に、
内視鏡で切除できた可能性があるのです。

もしその選択をした場合は、痛みやもろもろの
苦痛をともなう開腹手術をせずにすみ、お腹に
傷をつけることもなかったでしょう。

寿命も、若干延びることになったかもしれませ
ん。

でも、その半面、手術を通して得た経験がすべ
て、なかったことになります。

その中にはいろいろなことが含まれますが、例
えば、お腹を切るってどんな感じがするかは、
実際に切ってみないと味わえません。

すすんで味わいたいと思う人はあまりいないと
思うけれど……

宇宙の根源である「ワンネス」の願望のリストに
は入っているはずです。

また、今でも交流が続いているリラさん、レオさ
んの二人と出会うことも、おそらくなかったでしょ
う。

さらに、ルネさんと知り合うこともなく、したがっ
て、手かざしによってエネルギー的に「完璧」
な状態の自分を体感することも、できなかった
はずです。

その二つのケースの他にも、選択肢は無数に
あって、もし例の下血がなかったら、ガンの発
見が遅れて、今ごろはこうして生きていなかっ
たかもしれません。

でも、もし死を迎えることになったとしても、そ
れは魂の移行であって、永遠の終りではない
と、私は信じています。

だから、それが「不幸」であると決めつけるこ
とはできません。

つまりは、どんな選択をして、どんな道をたど
ったとしても、宇宙的に見れば、どれがいい、
悪いということはないのです。

そういう前提の上で、今回の私がたどった道
を見つめてみると、あるいはこんなことがいえ
るかな、と自分としては思います。

今回のガン体験の中で、自分にとってとりわ
け重要な意味があると感じているのは、生命
エネルギーを実際に体で感じたことです。

文字の情報や、人から聞いた話と、実際に自
分の体で感じることは、全く別もので、その影
響力は比べようがありません。

もしあの時、もっと早くガンが見つかって内視
鏡で処置できてしまい、B病院に入院していな
ければ……

私はその機会、即ちエネルギーを自分の体で
感じる千載一遇の機会を逸していたかもしれ
ないのです。

その場合、こうして今、皆さんにブログを読ん
でいただくことも、なかったと思います。

もし、たった一人でも、このブログがあってよ
かったと思ってくださる方がいたとしたら、私
がガン手術を受けたことも、意味がちゃんと
あったわけですね。

だから、「何と言っても、健康がすべて」とは、
必ずしも言えないと思います。

ただ「健康」であること、それ自体に意味があ
るのではなく、そこから何が経験できるのか、
そのほうが重要です。

もちろん、今回の私の場合、ガンにならず健
康でいたとしたら、それはそれで、全く別の、
意味あることを体験したでしょう。

やっぱり、いい、悪いは、ないのです。


(もう少しだけ、続きます。)
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ガンに「ありがとう」(11)

2013-04-04 17:48:03 | ガンに「ありがとう」
話を続ける前に、一つお詫びしなければならないこと
があります。

この記事の(3)と(4)で、地元の病院での検査入院
の期間を「一週間」と書いたのですが、当時の手帳
を見てみたところ、正しくは「二週間」でした。

(記事の記述は、すでに訂正させていただきました。)

てっきり一週間だと思い込んでいて、つい確かめる
のを怠ってしまったのですが、それほど、あっという
間に過ぎた印象が強かったのでしょう。

ともあれ、間違ったことをお伝えしてしまい、申し訳
ありませんでした。

なにぶん、15年も前のこと。細かいことはもう忘れ
てしまって、再現できないことも中にはありますが、
できる限り、起きたこと、感じたことをそのままお伝
えするように努めます。




さて、検査の結果、大腸ガン(部位は直腸)である
ことがわかった私は、外科手術でガンを切除する
ことになりました。

その手術をしたのは、実はまた別の病院でした。

自分なりに大腸ガン手術について調べたり、知人
から教えてもらったりした情報から、ガン治療の分
野で、より実績のある県外の病院のお世話になる
ことにしたのです。(場所は、たまたま大学の近く
でした。)

つまり、検査・治療で、三ヶ所の病院をハシゴした
ことになりますね。

わかりやすくまとめると、

A病院:バリウム注腸検査を受けた病院。アパートの近く。
リラさんが骨髄移植を受けた病院でもある。
B病院:検査で入院した病院。実家の近く。(ここでリラさん、
レオさんと知り合う。)
C病院:手術を受けた病院。大学の近く。

ということになります。

B病院を退院後、ひと月弱、自宅待機をしてから
C病院に入院、二週間ほどの準備期間を経て手
術の日を迎えました。

そして……

手術は無事、成功。

ガンはまだ初期の段階で、直腸を切除することに
なりましたが、幸い人工肛門の必要はありません
でした。

それに、転移も認められなかったので、抗がん剤
治療もせずにすみました。

手術後はきっちり二週間、口からの飲食は一切禁
止でした。水も飲めず、点滴のみで栄養補給。でも、
喉も渇かず、お腹もすきませんでした。(点滴で補っ
ているので当たり前ですが、不思議な気がしました
ね。)

外科手術を受けるのは初めてだったので、いろいろ
と物珍しいことが多く、ありがたいこととは言い難い
けれど、毎日興味深く感じることでいっぱいでした。

例えば、常時点滴を行うためのカテーテルを鎖骨下
の静脈に埋め込んだ時は、自分がまるでサイボーグ
になったような気分で、ちょっと愉快でした。

回復の途中では、排尿の管がなかなか外せず膀胱炎
になったりしましたが、全体的にみれば順調な経過を
たどり、術後27日で退院することができました。

開腹手術だったので、お腹にはかなり大きな跡が残り
ましたが、今は全く気になりません。

思い切って手術を受けて、本当によかったと思います。

これも、腕が確かで優しい主治医の先生や、優秀な看
護師さんたちのおかげだと、今も感謝しています。もち
ろん、検査をしてくださった病院の方々にも。

一方、リラさんも、骨髄移植を受けるため、B病院から
A病院へ転院したのですが……

またまた「偶然」なことに、移植の前に抗がん剤の投
与を開始した日付が、私がC病院に入院した日と同じ
でした。
 
やっぱり私たちは、何か深い縁があるようです。

こうして、リラさんと私、それにレオさんは、しばらくは
別々の場所で、それぞれの相手(病気)と向き合う時
間を過ごすことになりました。

退院後、一週間ほど実家で静養した私は、アパートに
戻ってから、骨髄移植を終えたリラさんの顔を見に、
A病院へ通いました。

毎日とはいきませんでしたが、実家から遠い病院で、
あまり訪ねて来る人がいない状況だったので、リラさ
んにとしては、知り合って間もない私とほんの短い間
話をするだけでも、心がなごんだかもしれません。

骨髄移植は簡単な治療ではないということだけは、
専門知識のない私にもわかりますが、リラさんの移
植に際しては、実際にこんなことがあったといいます。

担当の医師から、移植の成功率は40%と説明され、
死を覚悟したこと。

移植をするにあたり、抗がん剤で髪が抜けるので、
あえて坊主頭で挑んだこと。

そんな大変な移植を、リラさんは粘り強くやり抜きま
した。

そして、A病院に入院してから約5ヶ月、リラさんはめ
でたく退院したのです。

さらに、レオさんも、6ヶ月にわたる抗がん剤の治療
を終え、B病院を退院することができました。

レオさんの感想を聞いたところ、抗がん剤治療をし
ている間は、自分の体が薬漬けになっていると感じ
たし、空を飛べるかも?と感じたこともあったそうで
す。

ある意味で、極限を超えた身体感覚の経験とも言え
るかもしれませんね。

こうして私たち三人は、辛いけれどかけがえのない
経験を胸に、元の生活に戻っていったのでした。

おめでとう、私たち!(自分で言っちゃいました!)


私の大腸ガン治療の経緯は、以上の通りですが、
ここまでの内容は、できるだけ当時の私の視点で
書くようにしました。

その時の驚きや感動、とまどいや悲しみ……そう
いう諸々の感情を、当時の感覚でどんなふうに味
わったのか、まずはそれをできるだけ「生」のまま
でお伝えしたかったからです。

でも、もちろん誰のどんな体験も、その出来事が終
わってすぐに完結してしまうわけではありません。

私のガン体験も例外ではなく、今の私が出来上がる
うえで、大きな影響を及ぼしたと思います。

逆の言い方をすれば、今の私の視点からは、当時ま
だ見えていなかったものが見える、とも言えるので
す。

このシリーズを終える前に、そのことを書いてみたい
と思います。


(あと少しだけ、続きます。)


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ガンに「ありがとう」(10)

2013-03-31 16:17:50 | ガンに「ありがとう」
ルネさんは、私に例の宗教への入信を決意させようと
説得し続けていましたが、私の躊躇する様子を見て、
あと一押し必要だと思ったのでしょう。

強力な助っ人を呼び寄せました。

なんと、私にエネルギーを送ってくれたセドさんを、
病院に連れて来てしまったのです。

これには、あわてました。

私は病棟の食堂に呼ばれ、ルネさん、セドさんと差
し向かいで、二人の話を聞く羽目になりました。

二人としては、信者を増やしたいとの思惑だけでは
なく、私を何とか助けたいという思いもあってのこと
でしょう、その熱意のこもった言葉には圧倒されて
しまいました。

食堂はオープンなスペースなので、他の入院者の
人たちや看護師さんの目も気になったし……

ちょうどその日は母も来てくれていたので、心配さ
せてしまったかなと思いました。

その上、婦長さん(現在は師長さんですね)にもこ
のことが伝わってしまい、後で「大丈夫ですか?」
と声をかけられて……

気にかけていただいて、申し訳ない気持ちでいっ
ぱいになりました。

元はといえば、私の煮え切らない態度が招いたこ
とです。

嫌なら嫌と、はっきり断ることができれば、こんなこ
とにはならなかったはずでした。

でも、その時の私には、そうすることができません
でした。

手かざしのエネルギーで救われる可能性を、自ら
断ってしまう勇気がなかったのです。

結局その日、二人は、私からはっきりした返事を
もらうのを諦めて、帰って行きました。

ただ、このままにしておくわけにはいきません。近
いうちに、Yesか Noかを決める、そんな宿題を私
はもらってしまったのです。


そんな私に、声をかけてくれた人がいました。

レオさんです。

レオさんは、「悪性リンパ腫」の抗がん剤治療のた
めに入院中でした。

薬の投与期間は体調が悪くなり、体重がぐんと落
ちるなど、過酷な療養生活を送っていました。

実は私は、そのレオさんと、確かこの日の直前の
入浴日に、お風呂で一緒になったのでした。

レオさんとは、その時点ではまだ、ほとんど話した
ことはなく、彼女は私に対して、「おとなしい」といっ
た漠然としたイメージしか持っていなかったそうで
す。

当然、私が悩んでいることについても、全く知らない
状態でした。

ところが、不思議なことに、ルネさんとセドさんが自
分の病室の前を通った時、二人が何のために来た
のかも知らず、目が合ったというわけでもないのに、
なぜか彼らが私のところへ来たことが、わかってし
まったというのです。

そして、私のことがすごく心配になったのだそうです。

それでレオさんは、すぐに私を見つけて、「誰か来て
た?」と尋ねてきました。

事情を話すと、レオさんは、(ほとんど付き合いのな
い、)お風呂で一緒だっただけの自分が言うのも何
だけど、と前置きしてから……

よく考えずに入信するのはやめて、自分の気持ちを
大事にしたほうがいいのでは、そんなふうにアドバイ
スしてくれたのです。

これは、ほんとうにありがたく感じました。

自分の治療のことだけでも精一杯のはずなのに、知
り合ったばかりの私のことまで、こんなふうに気にか
けてくれたのですから。

このレオさんのアドバイスのおかげで、私はもう一度、
じっくり自分の心の声に耳を傾ける余裕が持てたよう
に思います。

そして、その結果……

入信は、しないことに決めました。

手かざしのエネルギーの助けを借りず、開腹手術を
受ける決心を固めたのです。

リラさんのことも、きっとリラさん自身の力で骨髄移植
を乗り越えることができる、必ずそうなると信じること
にしました。


そんな私に、思いがけないニュースが飛び込んで来
ました。

リラさんが骨髄移植を受ける病院、それは県外の別
の病院だと言うことは知っていました。

しかし、病院名を聞いて非常に驚きました。

それは何と、私が最初にバリウム注腸検査を受けた
病院だったからです。

しかもアパートから歩いて、ものの3分の距離。

まさに「奇跡」でした。

これなら、毎日顔を見に行くことだってできる!

私にはこの「偶然」が、何か目に見えない力によって
アレンジされたもののように思えました。

ようし、私は毎日、リラさんのお見舞いに行くんだ!

おっと、その前に、自分のガンを治さなくちゃ。

私は体中に、新たなパワーがみなぎってくるような
気がしていました。

(あともう少し、続きます。)
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ガンに「ありがとう」(9)

2013-03-28 11:21:11 | ガンに「ありがとう」
ルネさんがリラさんの名前を口にした時、私はハッと
しました。

実はその時、同じ病棟に入院中のリラさんも、療養中
の病気の根本的な治療を控えて、非常に大事な時期
にあったのです。

リラさんの病名は「骨髄異形成症候群」といって、白血
病になる一歩手前の状態でした。

その根本的な治療法として骨髄移植があり、きょうだい
三人のうちで一人だけ白血球の型が適合した、お兄さ
んの骨髄を移植する計画が進んでいたのです。

そして、ルネさんはそのことをよく知っていました。とい
うのは、彼女は入院中のベッドが、リラさんの隣りだっ
たからです。

つまり、ルネさんが私に言いたかったのは、私が手か
ざしを習得すれば、自分だけでなくリラさんのためにも
それを使うことができる、ということでした。

(もちろん、骨髄移植の代わりに、というのではなく、そ
れを補助するものとして、という意味ですが。)

ルネさんの言葉は、まるで私とリラさんの生死は、私の
決断一つにかかっている、そんなふうに私には響きまし
た。

その重圧のきつかったこと。

まるで、自分の命だけでなく、リラさんの命までも背負
い込んでしまったような気になりました。(そんなわけ、
ありっこないのですが……。)

しかも、こんなことも判明しました。

あの、セドさんの手かざしの翌日の、完璧なエネルギ
ー状態は、その日一日しか続かず、次の日には元に
戻ってしまったのです。

つまり、常に完璧な状態に保ちたければ、自分で毎日
手かざしをする以外にないということです。

それには、やはり信者になって講習を受けるしかない
でしょう。

でも……

心の中で、何かがひっかかるのです。

その何かが、信者になることに対して、抵抗を表明し
ているのでした。

かと言って、すっぱり断ってしまうこともできません。

悩みに悩んで、どこへもたどり着けない状態に陥って、
私は本当に行き詰まってしまいました。

そんな私の様子にルネさんは業を煮やしたのか、ちょ
っと強引な手段に出てきて……

これが、ひと悶着起こすことになったのです。

(次回に続きます。)

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ガンに「ありがとう」(8)

2013-03-26 10:38:32 | ガンに「ありがとう」
心に迷いを抱えながらも、私はルネさんから、例の
宗教の信者となる段取りについての話を聞きました。

詳しいことは忘れてしまったのですが、信者になるに
は、そのための講習会のようなものを受ける必要が
あるとのことでした。

その会では、教義・規則についての教えを受けつつ、
手かざしのやり方も習得できるという説明だったと思
います。

それに参加するには、もちろんお金が必要だと言わ
れました。(詳しい金額は覚えていないのですが。)

でも、講習を受けて練習すれば、自分で手かざしが
できるようになる……私はそのことに、強く引きつけ
られました。

うまくいけば、自分で自分のガンが治せるかもしれ
ない!

今振り返ってみれば、ちょっと冷静さを欠いていた
のではと、自分でも思います。

でも、その時はとにかく必死でした。

なにしろ、このまま放っておけば100%死ぬとわかっ
ているのに、お腹を切るのは嫌で仕方がないときて
います。

手かざしは、その両方を回避できる道だと信じ、何
とかそこに逃げ込もうとしていたのです。

今の私なら、「死」を永遠の終りではなく、魂の次の
ステージへの移行だと考えているため、もちろんショ
ックは受けても、そこまでのパニックには陥らないだ
ろうと思いますが……

当時はまだ、「死」の意味の捉え方が曖昧な状態で
したから、「死」によって自分という存在そのものが
消えてしまうかもしれない、そう考えると、怖くてたま
りませんでした。

それで、何とかして「生」の可能性にしがみつこうと
必死になってしまったのです。

そうやって自分で自分を追い込んでいた私を、ルネ
さんのこんな一言が、さらに追い詰めることになりま
した。

「リラさんのこともあるからね。」

(次回に続きます。)
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ガンに「ありがとう」(7)

2013-03-24 11:58:52 | ガンに「ありがとう」
セドさんから手かざしを受けた翌日。

まだ病院全体が活動を始める前の、朝のしじまの中、
ベッドで目を覚ました私に、ある変化が訪れました。

それは……生まれてこの方、一度も経験したことの
ない、不思議な感覚でした。

横たわった自分の体が、まるで潮が満ちていくよう
に、みるみる何かで満たされていき、活力にあふれ
た状態になるのが、はっきりと感じられたのです。

体は軽やかですがすがしく、気持ちは安らかで穏や
かで、一点の不安さえもどこかへ消え去ってしまった
よう。

そして、胸には新しい希望が次々と湧き、気力がみ
なぎっているのがわかりました。

そう、これは……

体全体に生命エネルギー、つまり、気が満ちている、
まさに完璧な状態なのだ。

そう直感しました。

その後、トイレに立った私は、おそらく人生で一度
きりの、「完璧な排便」というものを経験したのです。
(具体的な描写は自粛します。イマジネーションで
補っていただければ。)


自分の体にもたらされたこの完璧な状態に、私は
驚愕し、圧倒されました。

これなら、いかなる病気にも罹りようがない、そう思
えるほどでした。

この変化の原因は、あのセドさんの手かざし以外に
考えられません。

そしてこれが、私が今生において、生命エネルギー
というものを感じた初体験だったのです。

私はこの出来事を、様子を見に来てくれたルネさん
に話さないわけにはいきませんでした。

私の話を聞いたルネさんは、手かざしの効果が顕
われたことを喜んでくれ、私もこんな経験をさせて
もらったことに感謝したい気持ちでした。

本当に、私にとって貴重な経験だったと、今でも思
っています。

ところが、このこと自体は有難かったのですが、次
にルネさんが取ってきたアプローチに、私は正直、
困惑してしまいました。

ルネさんは私に、例の宗教への入信を勧めてきた
のです。

当然といえば当然の成り行きでしょうが……

果たして自分はどうしたいのか、即座には答えられ
ず、心は強風に煽られる柳のように揺れ動く私なの
でした。

(次回に続きます。)
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ガンに「ありがとう」(6)

2013-03-21 09:49:37 | ガンに「ありがとう」
病院に外出許可を取った日、ルネさんが私を連れて行
ってくれたのは、病院から車で数分の市中にある、古く
てこぢんまりした建物でした。

そこは、ルネさんが信仰している、ある宗教の信者の
ための集会所のような場所で、2階が畳敷きの大きな
広間になっていました。

そこへ行くことは自分で決めたには違いないのですが、
祭壇らしきものが設えられ、ピーンと張り詰めたような
独特の空気に、私は少し及び腰になっていました。

でも、そのまま帰ってしまうこともできず、せっかく来た
のだから、見るものを見て、話を聞こう、そう覚悟した
のでした。

そんな私にルネさんは、その集会場に所属する信者
さんを統括する、支部長のような立場の人(年配の男
性)と、その部下にあたる、三十代半ばくらいの男性
を紹介してくれました。

その二人はどちらも、修練を積んだ人の醸し出す厳粛
な雰囲気があり、私は彼らから、その宗教の成り立ち
のおおもとについての話を聞いたのだと思います。

今はもう、細かい内容は思い出せないのですが……。

その日、集会場には、私とルネさんのほかにも、信者
の人たちが数人訪れて、例の手かざしを受けていまし
た。

一人の四十代くらいの女性が私に、手かざしがいかに
日常的に役立っているかを話してくれました。

その人が言うには、子どもが風邪を引くなどして体調
を崩した時にも、自分が手かざしをしてやると、すぐに
よくなるということでした。

本当に、そんな都合のいい話が……?

正直言って、そう思いました。

そんな、半信半疑の心境で、その日私は、支部長の
部下の男性(以下、セドさんと呼びます)から、手かざ
しを受けることになったのです。

私がそうすることに決めたのは、内心、大腸ガンの治
療のための開腹手術を、できればしたくないという気
持ちがあったからでした。

実は、この時にはすでに、主治医の内科の先生と外科
の先生から、今後の治療方針についての話を聞いてお
り、直腸のガンを外科手術で切除すれば完治する可能
性があることを知らされていました。

もちろん、客観的に見れば、それが一番確実な治療法
に違いないと、自分でも理解はしているつもりでした。

でも……

入院生活の初心者で、手術らしい手術をしたことのない
私は、できることならお腹を切りたくない、自分の体に傷
をつけたくない、そういう思いがあったのです。

だからこそ、手かざしのエネルギーにすがりたい、私にも
ルネさんのような奇跡が起きてほしい、ガンが消えてほし
い、そう願わずにはいられなかったのです。

ただ、誰に対してもそんな本音を告げる勇気はありませ
んでした。

セドさんは、そんな私の思いを察したのかどうか、私の
病状についての話を聞くと、ゆっくりと時間をかけて、特
に直腸の辺りに、念入りに手かざしのエネルギーを送っ
てくれました。

セドさんの手かざしは、ルネさんのそれと比べると、さす
がに堂に入っている感じがしましたが、それ以外に特に
変わったことはなく、エネルギーを体で感じる、という感
覚もなかったので、私は少しがっかりしてしまいました。

やっぱりどう考えても、こんな手かざしでガンが消えるな
どということは、起こるはずがない……

そう自分に言い聞かせ、セドさんにお礼を言って病院
へ戻ったのです。

わざわざ外出許可まで取って出かけて行ったけれど、
結局は何の意味もなかった、そう思うと、余計に落胆
が大きくなり、切なくて切なくてしかたがありませんで
した。

ところが、翌日の朝……

全く違う状態で目覚めることになるとは、想像もつき
ませんでした。

(次回に続きます。)

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ガンに「ありがとう」(5)

2013-03-18 09:11:49 | ガンに「ありがとう」
ルネさんの胆嚢の影は、なぜ消えたのか。

ルネさんの考えでは、それは、あるエネルギーの効果の
顕われだということでした。

そしてそのエネルギーは、手をかざすことによって、患部
へ送られるというのです。

当時(1998年)の私は、目に見えないエネルギーを病気
の治療に用いるということについて、特に関心を持っては
いなかったし、レイキなどのエネルギーの存在も知りませ
んでした。

時々、テレビで、いわゆる気功師が手から気を送っている
場面を見たことはあり、その効果を全く信じていないわけ
でもありませんでしたが。

そんな私に対してルネさんは、かつて自分が足を痛めて
歩けない状態になり、車椅子を使わざるを得なかった時、
そのエネルギーを当てたおかげで歩けるようになったと
いう話を、熱っぽく語ってくれました。

そして、そのエネルギーというのは、自分の信仰してい
るある宗教の神様の光なのだというのです。

今まで全く接したことのない、ほとんど意識したことさえ
ない世界に対して、どういう態度を取ればいいのか……

私はとまどいを感じました。

ただ、自分の目には見えないとはいえ、そういうエネル
ギーの存在を完全に否定することもできない、そう思っ
たのです。

それで私は、ルネさんからのある申し出を受け容れる
ことにしました。

それは……

病室のベッドで、ルネさんが送ってくれるエネルギーを
受け取ってみるということです。

それから数日間、ルネさんは夜に私の病室を訪ねて
来て、ベッドの周りのカーテンを閉め、私の体に手を
かざし、エネルギーを送ってくれました。

その結果の率直な感想は……

一言で言えば、よくわかりませんでした。

自分の体にエネルギーが流れている、と確信できるよ
うな、はっきりとした感覚は感じられなかったのです。

(当時の私は、ガンの自覚症状がほとんどなく、時々
微熱が出る程度でした。)

もちろん、全く何の効果もなかったとまでは言い切れ
ませんが……

効果があったとしても、かなり微細なレベルにとどま
っていて、当時の私には感じ取れなかったのかもし
れません。

でも、直感的に言って、嫌な感覚はなく、どちらかと
いえば心地いい気もしたのです。

そういうわけで、私としては、はっきりと効果があると
はいえないけれど、なんとなくいい感じはする、そん
な感想をルネさんに伝えました。

するとルネさんは、私にもう一つの提案をしました。

それは、私をある所へ連れて行くということでした。

私は少し迷った末に、病院に外出許可を願い出た
のです。

(次回に続きます。)
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