天使のエナジー

「すべてなるものの源」への、愛の告白

「運命」の石?

2009-05-28 23:42:50 | クリスタル(パワーストーン)
今週はなんだか気ぜわしくて、長くPCに向かう時間がありま
せんでしたが、今日、やっと少し余裕ができました。

さて、今日も先回と同じく、パワーストーンをテーマに書きたい
と思います。

そうしようと思ったのは、最近知った楓花さんのブログ「スピリ
チュアル窓便り」(このブログのブックマークのところにあり)
の記事(5月26日付)を読んだからです。

彼女はパワーストーンの「ラブラドライト」という名前にひかれ
て、この石を手に入れ、瞑想のときに手に持って目を閉じて
みたそうです。

すると、なんとも不思議なものが見えたというのです。(何が
見えたかここに書きたいのですが、せっかく楓花さんが書い
ていらっしゃるので、それは控えます。ぜひご本人の文章を
読んであげてくださいね。)

実は、楓花さんが「ラブラドライト」という石に興味を持たれた
きっかけは、私のブログ(「プロローグ 見知らぬ光の訪れ」、
2009年1月1~16日)だったそうです。

私も以前、インターネットの何かの記事で見かけたラブラドラ
イトという名前が妙に気になっていたのですが、そんなある日、
天然石を扱うお店に実物が置いてあるのを見つけたのです。

それは小さなタンブル(表面を磨き加工したもの)のラブラドラ
イトで、いくつか同じタイプのものがショーケースの中に並んで
いたのですが、そのなかの一つの石に、私の視線はひきつけ
られました。

そのとき感じたのは、「この石が私を呼んでいる」という感覚で
した。

なぜそう感じたのか、理由はわかりません。一緒に並んでいる
他の石と比べても、特にきれいだったわけでもありませんでし
た。

ラブラドライトは「ラブラドレッセンス」と呼ばれる独特の虹色の
光を放つことで知られますが、私をひきつけているその石はど
ちらかというと、ラブラドとしては地味な色合いだったのです。

そういうこともあって、初めてその石に出会ったときは、それ
を買わずに帰ったのでした。

でも、その後も二、三度そのお店をのぞくたびに、その石は私
の視線をとらえて、「なぜ私を買わないのだ?」と訴えている
ように思えました。まるで怒りを露わにしているかのように。

私はとうとう降参して、その石を家に連れて帰ったのです。出
会ってから多分、四度目のことでした。

そのラブラドライトが、写真の右側の石です。

そしてこの石こそが、私にそれまで見えなかった光を見せてく
れ、守護天使の存在に気づくきっかけを与えてくれたのです。

だから、これは私にとって「運命」の石だといっていいかもしれ
ません。(ちょっと大げさかな?)

もう一つの、左側の石は、クリソプレーズという名前です。この
石も私にとって特別な意味があるようで、初めて手の平にのせ
て目を閉じたとき、とても不思議な模様が見えました。(この石
もやはり、「呼ばれている」という感じのあった石です。)

きっと誰にも、こういう「運命」的な石というのがあるのではない
でしょうか。

とくに理由があるわけでもないのに、なぜかあの石にひかれる
……そんなふうに感じるときは、それがあなたの「運命」の石
なのかもしれません。

心の声に耳をかたむけて、その石の発するメッセージを受け止
めてみましょう!


*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


パワーストーンをテーマにしたブログの紹介です。


「キラキラ体験!パワーストーン」(レフさんのブログ)
http://ref2.blog72.fc2.com/

実はこのレフさんがパワーストーンにハマるきっかけになった
石もまた、ラブラドライトだったとか。

レフさんの体験もかなり不思議です。そして彼女の石に対する
感受性はかなりスゴイ。パワーストーンについて知りたい方に
はおすすめのブログです。

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天使好みのクリスタル

2009-05-22 20:43:58 | クリスタル(パワーストーン)
今日は韓国語のレッスンの日です。

いつもは生徒さんの家へ伺っているのですが、今回は都合が
あって、生徒さんに私の家へ来ていただくことになっていまし
た。

それで、レッスンをする部屋の窓を開けて新鮮な空気を入れ
たり、お茶をお出しするためにお湯を沸かしたりして、生徒さ
んをお迎えする準備をしていたのですが……

そのときふっと、こんなアイデアが浮かびました。

「そうだ、テーブルにクリスタルを置いてみよう。」

なぜこう思ったかというと、穏やかでやさしい雰囲気の空間
をつくりたかったからです。

クリスタル(パワーストーン)には「場」の気を高めてくれる働
きが期待できるので、その効果でいいレッスンができそう、と
思ったのです。

もっと具体的にいうと、教師の私がイライラと神経質にならな
いように…という思いからでした。(同じことを何度も説明しな
ければならない時も、苛立ったりせず温かい気持ちでできれ
ば、ということです。)

体調が悪かったりすると、つい、きつい言い方をしてしまった
りすることもありますよね。

そういうときにも、クリスタルはいい波動を発して気持ちを落
ち着かせてくれるようです。

そのなかでも、天使と波長の合うクリスタル、というのがある
そうですね。それなら、天使のサポートをいっそう受けやすく
なるかもしれません。

そこで今日は、手元にあるクリスタルの中から、天使好みの
ものを選んで、レッスンのテーブルの真ん中に置いてみるこ
とにしました。

写真のものが、それです。(一番奥のブルーの石がセレスタ
イト。その前の三つのピンクの石は、中央のころんとした形の
がピンクペタライト、その両脇がローズクォーツ。そして一番手
前の透明のものがエレスチャルという名前です。)

さて、そうしてレッスンが始まってみると、すぐに、「あ、これは
なかなかいい調子!」という感じがしてきました。

まず、クリスタルのほうからかすかな振動が伝わってきます。
その心地よさの中でまずお茶(草もちと日本茶)をいただきな
がら、おしゃべりを楽しみました。とってもいい雰囲気。

そして、レッスンに入っても、私のほうはまったくイライラを感じ
ることなく、とても穏やかな気持ちで最後までやり終えることが
できたのです。(自分でも不思議なくらい。)

生徒さんのほうにも、きっといい影響があったのでしょう、心の
平穏さが伝わってきました。

石にそんな力があるなんて、と思われる方もいるでしょうか。
でも、その証明はできなくても、あの振動の心地よさは確かに
「場」の空気を変えるパワーを持っている、私にはそう感じられ
たのです。

そして、そんな心地よさにひかれ、天使たちもたくさん集ってき
て、レッスンがうまくいくようサポートしてくれたのかもしれませ
んね。

もしそれが本当だったら……天使さんたち、ありがとう!
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おすそわけ

2009-05-18 00:41:11 | 食べ物
庭で母が育てていた鉢植えの桜の木に、さくらんぼが実り
ました。

ほんのささやかな量でしたが、初の収穫です。

口にしてみたら、小さいながらも、ちゃんとあの甘酸っぱい
さくらんぼの味がしました。

あんまり可愛かったので、写真を撮ってみました。(クリック
で拡大)

ブログを読んでくださっているみなさんにも、味わっていた
だけたらいいのに。

季節の恵みのおすそわけ。
どうぞ、心の目で召し上がれ。
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「部分」と「全体」の関係

2009-05-15 22:48:42 | Weblog
里山の散歩の合間に、可憐な野ばらの白い花に出会う季節に
なりました。

園芸用に改良された薔薇のような華麗さはありませんが、なん
となく心ひかれるものがありますね。

ひっそりと野に咲く野ばらと、庭に植えられた大輪の薔薇、趣き
はそれぞれ違っても、同じバラ科の花であることは変わりませ
ん。

バラ科といえば、桜もそうでしたね。もっと挙げれば、梅、桃、リ
ンゴ、梨なんかもバラ科の植物だそうですが。

薔薇と桜という二つの花を遠目で見ると、一見特につながりが
ないように思えますが、ぐっと接近してみると、確かに、花弁が
中心から放射状についているところや、葉の先の尖った形など、
共通する点があります。

つまりこの場合、花や葉の形といった部分の情報が、薔薇と桜
の関係を決定づける重要なカギを握っているといえるでしょう。

これと関連したことですが、部分と全体の関係について、一つ
興味深い考えが浮かびました。

それは、いつだったか、バス停までの道を歩いていたときのこ
とでした。

道端の竹やぶの竹が風にそよぐさまを、歩きながらぼんやりと
ながめていたのですが、そのとき、ふと気付いたのです。

成長した竹の全体のシルエットが、どこかで見た何かに似て
いるな、と思った次の瞬間、「タケノコ!」と心の中で叫んでい
ました。

タケノコのあの独特のしなりのある形状が成長すると、そのま
まその形が大きな竹の全体の形としてあらわれる、ということ
です。(思えば、当たり前の話ですが……。)

これは、リチャード・ガーバーの言うように、「すべての断片が
全体の情報をもっている」*ということの、一つの証拠ではな
いでしょうか。
*リチャード・ガーバー『バイブレーショナル・メディスン』
 (日本教文社、57頁。)

さらに大風呂敷を広げれば、ガーバーの次の言葉に行き着く
ことになる、と言えるかもしれません。

「……宇宙のあらゆる断片は全体の情報を保持しているばか
りか、全体の情報に寄与してもいるのである。」(同書、66~67
頁。)

ここで注目したいのは前半のほう、すなわち、「断片は全体の
情報を保持している」という部分です。

これが本当ならば、「私」や「あなた」はその内部に、宇宙全体
の情報を持っている、ということになります。

そして、その情報にアクセスすることがすなわち、自分のハイヤ
ーセルフとつながることになるのでしょうか。

つながれるものなら、つながってみたい。


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プラーナオーラの粒子?

2009-05-10 15:21:06 | Weblog
今日は母の日ですね。

というわけで、それにちなんでカーネーションの花籠を撮って
みました。

写真では、花の生き生きした美しさが表現できていませんが、
実物を間近にすると、ああ、やっぱり生きているんだなーと感
じますね。

そうしてそのまま見つめていると、一つひとつの花から、何か
が吹き出しているのが見えます。

それは透明で、水蒸気に似ているところもありますが、それよ
りもっと微細で軽やかで、立ち昇るのではなく、吹き上がって
いる、という感じです。

この花籠の花に限らず、おそらく生命のある植物ならば、いい
え、生き物ならばすべて、これと同じものを吹き出しているの
ではないでしょうか。

今、私の指先からも、それが出ているのが見えます。

これは、いったい何でしょう?

断定的なことは言えませんが、これはあるいは、「生命の原物
質」といわれる「プラーナオーラ」の粒子であるかもしれません。


「プラーナオーラ」は、例のアトキンソン著『引き寄せの法則 オ
ーラ篇』(当ブログ4月5付参照)の第3章に「オーラの基本形」と
して紹介されています。

その中でアトキンソンは「プラーナオーラ」の外見を、「基本的に
無色透明で、澄んだ水か透き通ったダイヤモンドの色に似てい」
ると述べています。(同書、45頁。)

この点は私の見たところと合致するようです。

さらに、透視能力者の目から見ると、「プラーナオーラ」は「肉
体から放射する微細な剛毛、<怒ったヤマアラシが逆立てる
ハリ>のように見え」るといいます。(同上。)

私には今のところ、そこまでは見えませんが、誰でもおそらく
自分自身の波動がある域まで高まれば、おのずと見えてくる
ものなのでしょうね。

「プラーナオーラ」を元気に発しているカーネーション、この花
たちから、生命の活力をもらえそう、そんな気がします。

コメント (4)
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天使のエネルギー体のアート

2009-05-09 00:36:16 | Weblog
ゴールデンウイークの間、ほとんどどこへも出かけずに家でのんびりして
いたら、あっという間に終わってしまいました。

連休らしいこと、何もしてないなあ。

でも、一つだけ、前々からやりたいと思っていたことができました。

それは、いつも空に見える、私の守護天使のものと思われるエネルギー
体を視覚的に表現してみる、ということです。

このエネルギー体については、以前このブログで「奇妙な球体」(1月4日
・6日、3月21日付)または「(奇妙な)エネルギーの球体」(1月23日・25
日付)として紹介していますので、その日付のところをご覧になってみて
くださいね。

さて、視覚的に表現するといっても、どんな方法でやったらいいのでしょ
う。絵を描くのが一番手っ取り早いでしょうが、どうもうまくいきそうなイメ
ージが浮かびません。

絵以外の方法は……と考えていたら、先日、ショッピング中に一つアイデ
アを思いつきました。それは化粧品店に置いてあるネイルアート用品を見
ていたときです。

「そうだ、このキラキラしたパーツを使って、何とかできないかな?」

このひらめきから、紙にネイルアート用のパーツを貼るという方法を試して
みることにしました。

そうやって出来上がったのが、写真のものです。

材料にラメが使われているので、かなりキラキラした仕上がりになりまし
た。

実物のエネルギー体は、こんなにはキラキラしていないし、もっとうっすら
としていて透明感があります。(オーガンジーという布地に似ているかな
…。)

それに、一瞬たりとも静止せず、すごい速さで動き回っている様子も表現
できていません。(これは無理もないことですが…。)

でも、何もないよりは、このブログを読んでくださるみなさんに、私に見え
ている天使のエネルギー体のイメージをつかんでいただくための、糸口
にはなるかなと思います。

とにかく、これを制作すること自体も、とても楽しみながらやりました。

ワクワク感を満喫、これが一番ですね。
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神への信頼

2009-05-05 17:50:29 | ブックレビュー
ブックレビュー:
『神との対話
宇宙をみつける 自分をみつける』
(ニール・ドナルド・ウォルシュ著、吉田利子訳、サンマーク文庫)

この本、つい先日、職場の近くの本屋さんで見つけたのですが、まず
タイトルを見てびっくり。

「神との対話」ですって。

でもこれ、スピリチュアル関連、とくにチャネリングに関心のある人の
間では、かなり有名のようですね。著者のウォルシュ氏は、「引き寄
せの法則」を紹介した映画「ザ・シークレット」にも出演しているそうで
す。(「引き寄せの法則」に関しては、当ブログ4月5日付をご覧くださ
い。)

さて、このウォルシュ氏にある日、神が話しかけたというのです。それ
は1992年の春、復活祭のころでした。

そのころのウォルシュ氏は、私生活でも仕事の面でも苦境にあり、自
分の人生が失敗であると感じていました。そこで、そんな苦しい状況
に自分を、ひいては人間すべてを追い込んでいる根源的な存在、すな
わち神に向かって、自分の心情を吐露し、怒りをこめた問いの数々を
並べた手紙を書いたのです。

「こんなに、もがきつづけていなければならないなんて、わたしがいっ
たい何をしたというのか。」(同書、17頁。)

ウォルシュ氏がこの問いで手紙を締めくくったとき、手にしたペンが
勝手に動き出して……

「あなたはほんとうに、すべての質問の答えを知りたいのか、それと
も八つ当たりをしてみただけなのか?」(同書、17頁。)

こうして、ウォルシュ氏と神との長い対話が始まったのでした。

人生に行き詰まっていたウォルシュ氏は、まず神に向かって、自分
が人生の中で抱えているさまざまな問題に関わる疑問を、次々とぶ
つけていきます。

人生を向上させるにはどうすればいい?
人間関係を円滑にするには?
お金に困らない暮らしがなぜできない?
健康上の問題を解決するには?
輪廻転生は本当にあるのか?
などなど……

神はこれらの質問に、ていねいに、わかりやすくと心をくだきながら
(ときにはユーモアも交えて)一つ一つ答えていくのですが、この神
の答えを通して私たちは、神によってこの人生を送る機会を与えら
れている究極の理由を知ることになるのです。

あまりここで詳しく書いてしまうことは、これから神のメッセージを読
もうとする人の楽しみを奪うことになるので、避けたいと思いますが、
一つだけ、私がこの本を読んで、自分のやり方を意識的に変えたこ
とをご紹介しますね。

それは、毎日の「祈り」の表現をすべて「感謝」の形にしたことです。

もちろん、今までも「感謝」は「祈り」の最初に置いて、一番大切な
ものと考えていました。そして、その後で何か「お願い」したいこと
を表明していたのです。(「祈り」に関しては、当ブログ3月6日・8日
のところをご覧くださいね。)

ところが、神はこう言うのです。

 どんな祈りでもかなえられる。祈りとは、これが現実ですと認める
ことだから。そして、どんな祈りも、どんな考えや思い、感情も、創
造につながる。
祈りがかなえられないというときは、じつは、最も強く信じている思
考や言葉、感情が作用している。あなたが知っておかなければな
らない大切な秘密は、思考の陰にはつねにもうひとつの思考、「思
考を支える思考」とでも言うべきものがあって、それが、思考をコント
ロールしているということだ。
つまり、何かを求めたり、願ったりしたら、望んだことがかなう可能
性は非常に小さい。なぜなら、「欲求を陰で支えている思考」という
のは、「望みはかなっていない」という思いだから。そちらの方が現
実になるのだ。
支えとなる思考のなかで、「望みがかなっていない」という思いより
ももっと力強いのは、「神は必ず求めるものを与えてくれる」という信
念、それだけだ。その信念を持っているひともいるが、非常に少ない。
神があらゆる求めに応じてくれると信じるのはむずかしいが、そもそ
も求める必要はないのだと直感的にわかっていれば、祈ることはず
っとやさしくなる。そのとき、祈りは感謝の祈りになる。求めるのでは
なく、望みがかなっていることをすなおに感謝するようになる。
(同書、34~35頁。)

神は求めるものをすべて与えてくれると、直感的に信じられるかとい
えば、今の私はそうではないかもしれません。けれども、あえて「祈り」
を「感謝」の形にすることで、神への信頼を宣言しよう、そう思ったの
です。

それで、直感的に信じられる境地に至れるかどうかは、わかりません。
ただ、神を信じたいという気持ちが自分のなかにあって、それを表現し
たいと思う自分が、確かにここにいるのです。だから、その思いを封じ
こめることなく、表してみたい。

ただ、それを「祈り」の形で表現するときは、本当に心を込めて感謝す
ること、そして、その結果には決して執着しないこと、これだけはいつ
も心に銘じていたい、そう思っています。


*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


ウォルシュ氏と神との対話の内容は、現在までに3冊の本として出版
されています。その内訳は

① 一冊めはおもに個人的なことがら、ひとりひとりの人生における、
課題と機会について。
② 二冊めはもっと世界的なことがら、地球上の地政学的、形而上学
的な生活について、世界が直面している課題について。
③ 三冊めはさらに高い秩序、宇宙の真実について、そして魂の課題
と機会について。

(出版社はすべてサンマーク出版。ただし3冊ともそれぞれ単行本、
普及版、文庫本が出ています。)

なお、今回紹介した一冊めの文庫本の巻末には、作家の田口ランディ
ー氏によるウォルシュ氏へのインタヴューが収録されています。その
中で田口氏はウォルシュ氏に、これは本当に神との対話なのか、ウォ
ルシュ氏が自分で書いたのではないか、という疑問をぶつけています。

それに対するウォルシュ氏の答えを、ここに引用しておくことにしましょ
う。

 私はその質問をしてくる人に対していつも、その質問はあまり意味
がないというふうに答えています。問題は私がほんとうに神と会話し
たかどうかではなく、この本に書かれてあることのどれか一つでも、
あなたが価値あるものと思ってくれたかどうかだと思うのです。
 もしそれがあなたにとって価値のないものだと感じるなら、その源
がなんであろうとそんなものは捨ててしまいなさいと言いたいのです。
もし、意味があれば、その源を自分の側に置きなさい。アイデアがど
こからやってきたか、ではなく、アイデアそのものの価値について語
り合おうではありませんか、私はそう思います
(同書、366頁。)

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シンクロ報告~縁がギザギザの十円玉

2009-05-01 21:37:00 | シンクロニシティー
先回(4月11日付)に続き、また面白いシンクロニシティーがあったので、
ご報告しますね。

実は、十円硬貨のことなんですが、現在流通しているものの大部分は縁
がツルツルしていますよね。

でも、昭和のほんの一時期(昭和26~33年)、縁にギザギザをつけた十円
玉(略して「ギザ十」)が発行されたことがあるんです。

若い人は記憶がないかもしれませんが、40代あたりから上の方なら、昔
ときどき手元につり銭としてもらったりした覚えがあるんじゃないでしょうか。

ただ、最近はめったに見かけなくなりましたね。私の場合、ここ2~3年くらい
はお釣りでもらうこともなく、全く手元にやって来ることはなかったと思いま
す。

ところが……来たのです! それも2回立て続けに!

先週の土曜日(4月25日)と今週の月曜日(4月27日)のことです。仕事の
合間にコンビニかパン屋さんで買い物をしたときに、お釣りとしてもらった
ようで、後で財布を見て、例のギザギザの縁に気付いたのでした。

本当に久しぶりのことで、びっくり。

実をいうと、何年か前、まだちらほらと「ギザ十」を見かけていた頃、何と
いう目的もなく面白半分で、財布に入って来た「ギザ十」を集めていた時
期がありました。

やり始めるとそれがけっこう面白くて、たまりにたまった結果、とうとうア
イスクリームカップに一杯分集ってしまいました。

それが、この頃はぱったり見なくなったので、そんなに沢山集めたことも
半分忘れかけていたのです。

そこへ、今回のシンクロ発生。しかもダブルで来たので、いやでもその
アイスクリームカップのことを思い出しました。

そして、あるアイデアが浮かんだのです。それは……

そのアイスクリームカップ一杯の「ギザ十」を、今こそ使ってみよう、と
いうことでした。

その意図は何かというと、自分自身の意識に「豊かさ」の感覚を呼び
込むためです。

つまり、「引き寄せの法則」によれば、「豊か」な状態になりたければ、
自分がすでに「豊か」であると感じていなければならないのですが、
その「豊かさ」の感覚は、例えば、価値あるものを人と分かち合うこと
からも得ることができるはずだと考えたのです。(「引き寄せの法則」
については、当ブログの4月5日付をご覧くださいね。)

それで、今まで引き出しで眠っていた小銭入れ(写真のもの)を取り出
し、アイスクリームカップの「ギザ十」を詰められるだけ詰めてみました。
(パンパンにふくらんだ小銭入れは、いかにも「豊か」な感じがするで
しょ?)

そして、その小銭入れを外出の際に持ち歩き、買い物で十円玉の支払
いが生じたときは、その「ギザ十」で払うことにしたのです。

なーんだ。たったそれだけのことか、と言われてしまいそうですが。

確かに、「ギザ十」には特別なプレミアはほとんどつかないようです。で
も、金銭的な価値は変わらないとしても、現在市中にほとんど流通して
いないという稀少性からくる付加価値はあると言っていいはずです。

その価値からくる「豊かさ」を、毎日出会う見ず知らずの人たちと分かち
合う……なんだかちょっとリッチになった気分です。

アイスクリームカップ一杯の「ギザ十」を使い切るのに、何日くらいかか
るかわかりませんが、その間中、「豊か」な気分に引き寄せられて、何
か素敵なシンクロが起こらないかなー、とワクワクした気分で過ごせそう
です。

そして、私の「ギザ十」を受け取った人たちにも、何かいいことが起こる
といいな。

いいえ、きっと起こりますとも。
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