天使のエナジー

「すべてなるものの源」への、愛の告白

白熱電球のカタチ ~ オーブ写真集・3rd Period (37)

2017-08-31 18:12:12 | オーブ
8月初旬撮影の一枚です。

画面右寄り、電線のすぐ下の光ですが……

ちょうど、白熱電球の形に似ていますね。

(近頃はLEDに取って代わられて、お目にかかる機会も減って
いるけれど。)

なお、画面最下部、電柱のすぐ左に見える光は、街灯のもの。
その左上に見える半円形の光は、おそらく同じ街灯の光による
もの(ゴースト?)だと思われます。


<今日の写真のデータ>
撮影日付・時刻:2017年8月8日1時55分
撮影場所:自宅玄関
撮影時の天候:雨
撮影機種:オリンパス STYLUS SH-1
撮影モード:手持ち夜景
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いびつな光の中のハート ~ オーブ写真集・Old Photos (22)

2017-08-29 19:37:49 | オーブ
2013年2月撮影の一枚です。

画面左端の松の木の上の光、ハート型をしていますね。

ところで、この写真を撮った日は、以前にも書いたこと
のある、「いびつな光」が写った日でした。

今日の写真の光は全体的にあまり目立たないのですが、
よく見ると、形がきれいな円形でなく、少しつぶれて
いるものがあります。
(一番わかりやすいのが、松の木の右上、パラボラア
ンテナからは真上に写っている光でしょうか。)


<今日の写真のデータ>
撮影日付・時刻:2013年2月13日0時12分
撮影場所:自宅裏庭
撮影時の天候:雨
撮影機種:オリンパス FE-370
撮影モード:P


「いびつな光」の写真と記事については、こちらを
ごらんください。



「オーブ写真 見直し(4) ~ いびつな形の光」
http://blog.goo.ne.jp/rosy727/m/201612

「オーブ写真 見直し(10-1)(10-2) ~ 再び、いびつな形の光が……(上)(下)」
http://blog.goo.ne.jp/rosy727/m/201701
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チャオチャオの匂い ~ 光への帰還から一年

2017-08-27 20:57:48 | 動物
チャオチャオが光に帰って、今日でちょうど一年経ち
ました。

おそらくどこかのお宅で、家猫として暮らしていた子
が、捨てられたのか、迷子になったのか……

私が以前、一人暮らしをしていたアパートに押しかけ
てきて……

それが縁で、我が家の子になって17年あまりが過ぎ
ていたのですが……

推定20才の体は、足の小さいケガから始まった感染
症に、勝てなかったのでした。


そしてこの一年は、チャオチャオのことを恋しく思
いながらも、あまり感傷的にならないようにしてき
たつもりです。

私が寂しがっていたら、光に還ったチャオチャオに
は、それがわかってしまうに違いないから。


それでも、今日だけは、少しめそめそしても許され
るかな。

そう思って、昨夜の祈りのとき、チャオチャオに、
ここに来てほしいと呼びかけてみました。

もう日付が変わっていたので、もう一年たったね
と言って。

そうしたら……

私の体めがけて向かってくるエネルギーが見えた
ので、それをなでてみました。

チャオチャオの体をなでるみたいに。

もちろん、生きていた頃の体ごと還ってくること
はできないけれど(いえ、本当はできるのかもし
れないけれど)……

そのエネルギーの起こすヴァイブレーションは温
かくて、どこかなつかしいような感覚が湧き上が
り……

その時ふっと、チャオチャオの匂いがしたように
感じたのです。

あの、日なたぼっこしたての、燦燦と照るお日さ
まを浴びた、あの匂い。

あれは……私の気のせいだったのかなあ。

本当のところは、今度、また彼に会えたとき、聞
いてみようと思っています。


(今日の写真は、在りし日のチャオチャオです。
2011年5月撮影。)
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端っこの穴? ~ オーブ写真集・3rd Period (36)

2017-08-25 19:39:57 | オーブ
7月半ば撮影の一枚です。

土砂降りだったので、いつもの電柱が少し見づらい
でしょうか。

一番大きい光の球体にご注目を。

内部に地模様のようなものが見えますね。

この地模様、よく見ると、球体ごとに違っているよう
で、多くの場合、中央に穴のようなものがあることが
多いのですが……

この写真の一番大きな球体には、端っこに、虫食いの
穴のような、目立つ模様が確認できます。(時計でい
うと、19時あたりの位置でしょうか。)

なぜ、目立つ模様が真ん中でなく、端っこになってい
るのでしょうね。

あるいは……この「穴」はいつも同じ位置にあるので
はなく、常に動き回っているのでは?

以前、何度かこのブログに書いている「奇妙な球体」
は、その内部で、何かが常に、目にも止まらぬスピー
ドで動き回っているのです。

もしこの「奇妙な球体」がオーブの正体だとしたら、
「穴」の位置は変化して当然、ということになるで
しょう。

※「奇妙な球体」については、「オーブ」のカテゴリーの
「オーブ写真 見直し(1)」(2016年11月13日付)をご覧
ください。(こちらです。 ↓ )

http://blog.goo.ne.jp/rosy727/m/201611



<今日の写真のデータ>
撮影日付・時刻:2017年7月17日2時59分
撮影場所:自宅玄関
撮影時の天候:雨
撮影機種:オリンパス STYLUS SH-1
撮影モード:手持ち夜景

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「光の柱」~ 2017・夏

2017-08-23 22:59:44 | 「光の柱」
夏休みも終盤。(仕事は日本語教師をしています。)

例年のことながら、酷暑が身にこたえ、旅行にも、レジャ
ー、ショッピングにも、あまり出かけられない日々なので
すが……

幸い、学期中よりも睡眠はよく取れるので、そのおかげで
ちょっぴりよくできていることがあります。

それは……寝る前に祈りを唱え、光の柱を降ろすこと。

宇宙のすべての存在と、私たちの母なる地球がますます
栄えることを祈り、そのために必要なエネルギーが流れ
るよう意図するのですが……

授業のある学期中は、翌日の授業準備があり、睡眠時間
が4 ~ 5時間になるため、祈りの途中で眠ってしまうこ
とが多いのです。

でも、休み中は6 ~ 7時間は寝ているので、祈りを最後
まで唱えられ、しっかりと意識を保った状態で、「光の
柱」を降ろすことができています。

実は、祈りを唱え始める前、ベッドに入った時から、既
に自分の体の上をエネルギーがうごめいているのがうっ
すらと見え、その波動がかすかに感じられるのですが……

祈りを唱え終わり、ある方法でスイッチを入れると、そ
の瞬間、エネルギーが光となって降り注ぎ、自分の体め
がけて押し寄せてくるのが見え、その波動も一段とはっ
きり感じ取れるようになるのです。

その光は、明るさや動きが日ごとに少しずつ違っていて、
一言で表現するのは難しいけれど……

明るく見える日は、今日の写真に似ていることもありま
す。

(この写真は、『中日新聞』2013年2月25日に掲載され
た、南極海に出現した巨大オーロラをとらえたものです。
「光の柱」関連の記事と一緒に、既に何回か転載させて
いただいているので、ご記憶の方もあるでしょう。)

当然ながら、本物のオーロラとは明るさもスケールも比
較になりませんが、光の色合いや流れ方がこんな感じな
のです。

この「光の柱」が見えるようになってから、およそ8年
になりますが、その最初の頃と比べると、見える光はよ
り明るくなり、エネルギーの波動はよりはっきりと感じ
られるようになりました。

それはきっと、自分の意識の変化が、すなわち自分の周
波数に変化をもたらしているからなのでしょう。

意識がどう変化したかといえば、いろいろなことがあり
ますが、一番重要な点は、自分という存在の本質が、宇
宙の根源的な存在と一つであることが、腑に落ちてきた
ということなのだと思います。

つまり、私(ロージー)という個人は、実はどこにもい
なくて、ただ、大いなる一つの意識があるだけなのだと。

もちろん、そうは言っても、三次元のこの世界にいる以
上、人間としての自我の意識をすべて剝いでしまうわけ
にはいきません。

だから、三次元で人間として在ることにも適応できなけ
ればならないけれど……

人間としての姿は、自分の本質ではない、常にそう意識
しています。

自分の本質は、宇宙のすべてのものを観察して知ろうと
する、大いなる意識なのだ。

そういう視点に立つと、自然と、自我、個人の願望のた
めではなく、宇宙のため、地球のためにしか祈れなくな
る、ということになるのですね。


こんなふうに、この8年の間に、自分にとっての「光の
柱」の見え方は刻々変化しているのですが……

今後、さらにどんな変化があるでしょうか。

もしかしたら、視覚以外の感覚を通しても、何かを感じ
られるようになる、ということもあるかも知れません。

これまでのところ、自分はそういう体験をしていないけ
れど、音や匂いや、その他、今の自分には想像もつかな
いかたちで、何かのメッセージを感じ取るときが来るの
かもしれない。

そう、あり得ないことではないでしょう。

大いなる意識として、祈りを捧げるならば。


*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


上の記事の中で、祈りを終えてから「ある方法でスイッチを入れる」
と書きました。

その方法については、これまであえてお伝えしていませんでした。

その理由は、その方法は人それぞれ違うはず、だから、自分のもの
は自分で見つけるしかない、そう考えたからです。

でも、私の方法をお伝えすることで、ひょっとしたら、ご自分のそ
れを見つけるヒントになることもあるかもしれません。

それで、今日は私、ロージーの場合の「スイッチの入れ方」をご紹
介しようと思います。

それは、まぶたをぎゅっと、強く閉じること。

それも、最大限に強く。

その状態を、最低10秒くらいはキープすること。

そうして、目を開けると、その瞬間、「光の柱」の光とエネルギー
がぐっと鮮明になるのです。

さて、あなたのスイッチの入れ方は、どんなものでしょう。

きっと、人それぞれ、さまざまな方法があるのだと思います。

まだ発見していない方は、いろいろと試して、ぜひ、見つけてみて
くださいね。
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布地のようなモヤ ~ オーブ写真集・Old Photos (21)

2017-08-19 17:34:15 | オーブ
2012年12月撮影の写真です。

画面左側にかかるモヤが、一枚の布地のようでは
ありませんか。

まるで、人の手が加わったみたいですね。

あるいは、人の手ではない、何らかの意志によって
形づくられたのでしょうか。


<今日の写真のデータ>
撮影日付・時刻:2012年12月28日22時15分
撮影場所:自宅裏庭
撮影時の天候:雨
撮影機種:オリンパス FE-370
撮影モード:P
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ぽっかりと浮かんで ~ オーブ写真集・3rd Period (35)

2017-08-16 18:31:24 | オーブ
7月半ば撮影の写真です。

雨粒の反射と思われる、細かい光がちりばめられた
夜空に……

ぽっかりと浮かんだ球形の光。

フレーミングと、シャッターのタイミングの両方が
うまくいった一枚、と言っていいでしょうか。

撮影時刻は3時少し前。

この翌日も仕事があり、睡眠時間は3時間ちょっと
でした。

それでもちゃんと仕事に行けたからよかったけれど
……

不摂生もたいがいにしないといけませんね。


<今日の写真のデータ>
撮影日付・時刻:2017年7月17日2時55分
撮影場所:自宅裏庭
撮影時の天候:雨
撮影機種:オリンパス STYLUS SH-1
撮影モード:手持ち夜景
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等間隔を目指したのか ~ オーブ写真集・Old Photos (20)

2017-08-15 23:04:08 | オーブ
先回のOld Photosと同じく、2012年6月撮影の一枚です。

画面右下から中央にかけて、ほぼ同じ大きさの光が5つ。

まるで、等間隔になるように意図したか、と言いたくなる
ポジションで写っています。

本当に、それを目指したのかなあ。


<今日の写真のデータ>
撮影日付・時刻:2012年6月22日2時02分
撮影場所:自宅裏庭
撮影時の天候:雨
撮影機種:オリンパス FE-370
撮影モード:P
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梅雨明け前の夜空に ~ オーブ写真集・3rd Period (34)

2017-08-12 23:42:31 | オーブ
7月半ばに撮った写真です。

もうおなじみになったでしょうか、この電柱のある
夜空。

少し大きめの発光体が一つ、くっきりと浮かび上がっ
ていますね。

今年の梅雨のシーズンのフィナーレを飾る一枚になり
ました。


<今日の写真のデータ>
撮影日付・時刻:2017年7月13日1時25分
撮影場所:自宅玄関
撮影時の天候:雨
撮影機種:オリンパス STYLUS SH-1
撮影モード:手持ち夜景
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『プルーフ・オブ・ヘヴン』~ 脳神経外科医による「死後世界」 のレポート(3)

2017-08-12 22:58:39 | ブックレビュー
Dr. Eben Alexander著、『Proof of Heaven
A Neurosurgeon’s Journey into the Afterlife』Piatkus、
2012


すでに2回、レビューを書いているこの本、カタツムリ
のようにのろのろと、読書進行中です。

現在、15章「The Gift of Forgetting」(邦題「忘却の
恩恵」)をちょうど読み終えたところですが……

この章は、知的なバックグラウンドを持ち、科学的思考
を拠り所にしている方に、特にお薦めしたい内容になっ
ています。

章のタイトルにある「Forgetting」とは何を指すのか。

それは、筆者のEben氏が臨死体験をしている間、この
世界(いわゆる人間界)で身につけた知を一切、忘却し、
人間としてのアイデンティティーを手放した状態にあっ
たことを表しています。

そして、そのような状態であればこそ、人間界を超えた
「Core」の世界で、宇宙の根源的存在(神、創造主など
とも呼ばれる)から伝えられたことを、即座に理解する
ことができたのだとEben氏は考えています。

もしも、私たちが物理的世界でいつもしているような
やり方だけに頼るなら、理解するのに何年もかかって
しまうような概念でさえ、「Core」の世界では瞬時に
把握できるというのです。

このことから、私たちの「脳」の働きについてEben氏
が到達した見解は、現在の科学の常識を覆すものだと
言えるでしょう。

これ以上、ここに具体的に書くことは避けたいと思い
ます。詳細は本書を直接ごらんください。

最後に、私がこの章で一番印象に残った一節を引用し
てみましょう。

The physical side of the universe is as a speck of
dust compared to the invisible and spiritual part.
In my past view, spiritual wasn’t a word that I
would have employed during a scientific conver-
sation. Now I believe it is a word that we cannot
afford to leave out.
(本書、82頁より。)
〔日本語訳〕
宇宙の物理的な側面は、不可視の霊的側面に比べれば
塵のようなものでしかないのだ。以前の私であれば、
″霊性″という言葉を科学的な文脈に使うのは、考えら
れないことだった。だがいまは、無視できる言葉では
ないと考えている。
(エベン・アレグザンダー著、白川貴子訳『プルーフ
・オブ・ヘヴン -- 脳神経外科医が見た死後の世界』
早川書房、110頁より。)


* *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


上に引用した邦訳本、実は数日前に購入したばかり
です。

書店でふと目についた原著をその場で買ったので、
邦訳が出ていることは、少し遅れて知ったのですが
……

できるなら原著で読んでみたいと、最近まで邦訳を
買わずにいました。

でも、読んでいる最中で、意味の取り違えをしてい
ないか確かめたいところがあったので、やはり邦訳
が欲しくなったのでした。

そういうわけで、原著、邦訳とも、まだ全体に目を
通していないので、全体的なコメントはできません
が……

邦訳は、15章について言えば、原著に忠実で、日
本語としても読みやすいと思います。

ただ、原著には、そこにしかない″空気感″という
ようなものがあるのも確かなので、私は引き続き
原著をメインに、必要に応じて邦訳の助けを借り
る方式で読み進めようと思っています。

また、印象に残るところがあれば、レビューを書
きますね。
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